論壇
「表現の不自由展」東京が無事開催される
慰安婦「少女像」などの展覧会――排外主義的妨害に地元国立市が毅然とした対応
ジャーナリスト 西村 秀樹
無事開催、東京の不自由展
言論やアート表現を暴力で圧殺しようという動きが顕在化している。朝日新聞阪神支局襲撃事件をはじめ、従軍慰安婦の彫刻「少女像」などを展示する「表現の不自由展」開催への妨害活動が目につく。
無事に開催されるのか、あるいは前年の悪例に倣って暴力で圧殺されてしまうのか、ずっと気になっていた。関心の的は「表現の不自由展・東京2022」(以下「不自由展」)のこと。しかし、心配は杞憂に終わった。今年(2022年)4月2日から4日間、国立市の公共施設で東京展が開かれ、のべ1600人が来場し無事終了した。
開催にあたっては、事前に妨害予告が押し寄せた。街頭宣伝車を会場周辺に差し向けるとの脅迫予告、国立市への抗議を実施したとの書き込み、さらには行政への抗議電話を呼びかけるS N Sが登場した。こうした妨害を阻止するため、実行委員会側は周到に準備した。来場者には時間当たりの人数を制限した上での事前の予約制、会期中のべ60人の弁護士、のべ240人のボランティアが見回り、不測の事態に備えた。警視庁立川署は警察官を連日数十人規模で派遣し警戒した。
地元国立市が毅然とした対応
今回の「不自由展」東京開催にあたって特筆すべきは、会場に「くにたち市民芸術小ホール」を貸した地元国立市の毅然とした対応だった。開催を翌日に控えた4月1日、市側は見解をホームページにアップした。その内容に、実行委員会の岩崎貞明共同代表は「感銘を受けた」と記者会見で感想を述べている。
では実行委員会が感銘を受けたという国立市の見解はどういうものか。
タイトルは、「展示会に関する市の考え方について」。冒頭、開催に至る経緯を記載する「小ホールの利用につきましては、指定管理者が、条例・規則等のルールに基づいて承認決定したものです」。
「施設利用については、内容によりその適否を判断したり、不当な差別的取り扱いがあってはなりません」と行政による検閲を否定、公平な取り扱いを宣言する。
さらに説明が続く「これは、アームズ・レングス・ルール(誰に対しても同じ腕の長さの距離を置く)と、同じ考え方です」。
最後に、「他の地域で実施された同展示会の実績から、会期中混乱を生じる事が予想されますので、市民の皆様に安心していただけるよう、関係機関と連携し必要な対応をとってまいります」と、警察との連携に言及し妨害行為に釘を刺した。
不自由展の時代背景
戦前、言論弾圧事件が多発した。五・一五事件、二・二六事件など軍部によるクーデータ、血盟団事件など右翼テロのほか、治安維持法による横浜事件(中央公論、日本評論社など出版人や言論人約60人を特高(特別高等警察部)が逮捕、4人が獄死)など権力犯罪が目につく。
敗戦の反省から、新しい日本国憲法には21条「表現の自由」が謳われたが、1987年5月3日憲法記念日に朝日新聞阪神支局襲撃事件が発生、暴力が言論を圧殺する動きが出てきた。朝日新聞の小尻知博記者を銃で殺した犯行グループ赤報隊は犯行声明で「反日朝日は50年前に帰れ」と宣言した。事件の50年前とは、大日本帝国が日中戦争を開始、傀儡国家の樹立(満州国1932-45)につづき、中国本土への侵略を本格化、南京事件(中華民国の首都南京での市民や捕虜への大量虐殺)を起こした時期だ。
つまり、大日本帝国のアジア侵略を是認する勢力の登場だ。「不自由展」で標的になったのが、従軍慰安婦のアート表現だ。1989年ベルリンの壁崩壊、1991年ソヴィエト連邦が解体した時期、韓国ソウルで一人の女性が「自分は日本軍の慰安所で性暴力を受けた」過去を名乗り出る。わたしはその金学順(キム・ハクスン)さんをソウルに訪ね、2畳一間の自宅でインタヴュー、その証言を1時間のテレビドキュメンター番組にまとめ放送した。
3年後、日本政府は慰安婦の事実関係を調べ、河野談話を発表した(1994年)、「本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である」と事実を認め、さらに「いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」とお詫びと反省の弁を表明した。
翌年村山談話(1995年)「植民地支配と侵略によって、アジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えました。心からのお詫びの気持ちを表明します」と敗戦から50年にあたり談話を発表した。
こうした日本の加害責任を認める動きに対してカウンターの勢力が登場する。1996年末「新しい歴史教科書をつくる会」、1997年には「日本会議」が発足する。こうした勢力に担がれ、政治の世界で重要な役割を果たしたのが安倍晋三だ。NHK「ETV特集2001・シリーズ「戦争をどう裁くか」、『問われる戦時性暴力』」が当初の放送枠44分が40分で改編されて放送された。2005年朝日新聞は「NHK番組改編で安倍晋三が放送前にNHK幹部に面談した」との記事を掲載した。
安倍(2001年当時、内閣官房副長官)は政治的圧力を否定したものの「(放送法に)基づいて公平公正にやって(放送)してください」と番組の放送前にNHK幹部と面談した事実を認めている。このETV2001の問題は裁判になり、東京高裁は「NHK幹部は政治家への過度の忖度があった」と判決に書いた。
不自由展開催に至る経緯
「不自由展」開催のきっかけは、2002年新宿のニコンサロンで、韓国籍の写真家が慰安婦を被写体にした写真展を企画したことだ。在特会(在日コリアンの特権を認めない市民の会)がニコンに抗議行動を起こし、ニコンは東京サロンでの開催中止を決定した。しかし写真家が開催を求め東京地裁に提訴、裁判所はニコンの言い分を退け、東京サロンで写真展は開催された。一方、大阪ニコンサロンは頑なに開催を拒否、結局大阪では写真展を別の場所に引っ越し実現した。私の友人のカメラパーソンは、この事件で表現活動を制限するニコンのカメラを買わないと決めた。
同じ年、JAALA(日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ美術家会議)が東京都美術館で慰安婦をテーマにした「少女像」のミニチュア版を展示しようとしたところ、東京都美術館がその作品の展示中止を求めた。理由は「政治的主張の強い作品の展示を禁止した使用規定に該当」と理由を挙げた。
2015年、こうした連続する展示会中止を憂うメディア関係者や研究者が実行委員会を結成、「表現の不自由展〜消されたものたち」開催を企画した。実行委員会は「過去に公立美術展で展示中止されたものを集めるというコンセプト」で作品を収集。展示会は無事開催された。
歴史修正主義の政治家がクレーム
不自由展をめぐっては、3年前(2019年)「あいちトリエンナーレ」の騒ぎが記憶に新しい。このとき口火を切ったのは、歴史修正主義の政治家。排外主義の政治家の発言をきっかけに、不自由展へのクレーマーが右翼の街宣活動や暴力をちらつかせた。
「あいちトリエンナーレ」(以下、あいトリ)とは、2010年から3年ごとに開かれる日本国内最大規模(2019年の来場者数67万人以上)の国際芸術祭のことで、総事業費10億8824万円、うち愛知県が約6億円、名古屋市が1億7100万円など地元自治体のほか、文化庁は7800万円の補助金交付を「採択」していた。
2019年開催では100を超える企画の一つとして、表現の不自由展実行委員会が「表現の不自由展・その後」開催を企画した。2015年実施の「表現の不自由展」を踏まえたため「その後」というタイトルが追加された。あいトリの不自由展の事業費420万円、全体の0.39%。
一連の動きを振りかえる。
2019.7.31 「平和の少女像」(従軍慰安婦を象徴する韓国の彫刻)が「不自由展」に展示と新聞が報道。
2019.8.1 大阪市長松井一郎が「少女像」展示に「にわかに信じがたい」とツイート。
2019.8.2 名古屋市長河村たかしが「不自由展」会場を視察、大村愛知県知事に対し、「少女像」の展示中止と撤去を要求。「どう考えても日本人の、国民の心を踏みにじるもの」と発言。菅官房長官が記者会見で「『あいちトリエンナーレ』は文化庁の補助事業として採択されている。審査の時点では、具体的な展示内容の記載はなかったことから、補助金の交付決定では事実関係を確認、精査したうえで適切に対応していきたい」と発言した。
芸術監督津田大介が「行政が展覧会の内容について隅から隅まで口を出し、行政が認められない表現は展示できないということが仕組み化されるのであれば、それは憲法21条で禁止された『検閲』に当たる」と記者会見で発言。
2019.8.3 大村知事と津田が記者会見で「不自由展」展示の中止を発表。理由は「安全」。
2019.8.4 名古屋の繁華街栄で市民が展示中止に対し抗議デモを実施。
2019.8.5 河村市長が「最低限の制限は必要」と発言。大村県知事が「公権力を行使される方が“この内容は良い、悪い”と言うのは、憲法21条のいう検閲と取られても仕方がない。
そのことは自覚されたほうが良かったのではないか。裁判されたら直ちに負けると思う」と河村市長を批判。「女性・戦争・人権」学会が展示中止に対する抗議声明を発表。
2019.9.26 文化庁があいトレへの補助金全額不交付を決定。
2019.10.8 「不自由展」の展示を再開(14日まで)。
2019.10.23 大村知事は記者会見で「問題とされた企画展は106ある企画の一つで、予算も全体の0.3%にすぎないにもかかわらず、全額不交付になったのは裁量権を逸脱している」と述べ、「今回の決定の処分はずさんな調査や審査であり違法で不当」と政府に対し抗議した。
2019.10.24 愛知県が文化庁へ不服申し立て
2020.3.23 文化庁が補助金を減額し、6600万円を交付する方針を決定
2020.5.21 あいトリ実行委員会が名古屋市に対し負担金3380万円の支払いを求めて提訴(名古屋市は負担金1億7000万円のうち開幕以前に大部分を支払った。河村市長は「不自由展」視察以後、残りの支払いを停止していた)
自国の加害責任に向き合うのが世界の流れ
こうした一連の流れを点検すると判るが、きっかけをつくったのは大阪市長・松井一郎(日本維新の会代表)や名古屋市長・河村たかし(減税日本代表)で、いずれも日本の戦争の加害責任を認めることに否定的だ。
2018年米国サンフランシスコ(以下S F)市内に「少女像」が設置されたことをきっかけに、大阪市がS F市に対し姉妹都市解消を通告した(この時の大阪市長は、松井と同じ日本維新の会の吉村洋文)。S F市は「一人の市長が、60年以上存在した人びとの間に存在してきた姉妹都市の関係を一方的に終わらせることはできない」という市長声明を発表し、大阪市の短絡的な対応を批判した。また、河村は名古屋市の姉妹都市の中国・南京市について「南京大虐殺はなかった」と発言。日本を代表する大都会の首長・公人である松井一郎や河村たかしが慰安婦や南京事件を否定することは世界の流れに竿さす動きで許されない。
第二次世界大戦の原因になった帝国主義と植民地の問題を克服するため、1966年人種差別撤廃条約が締結されたのをはじめ、21世紀に入ってのダーバン会議など、かつての植民地宗主国はそろりそろりではあるものの加害責任を認める脱植民地主義の方向に舵を切り始めた。歴史認識をめぐっては1960年代ガス室否定論者(「ナチスドイツがユダヤ人をガス室に送って虐殺した事実」を否定する歴史修正主義者)に対して刑法に「民衆扇動罪」を設定して、歴史修正主義に対して毅然と対応している。
第二次世界大戦中、米国、カナダなど南北アメリカ諸国は日系人だけを収容所に入れた(ドイツ系やイタリア系移民を収容者に入れず、人種差別の政策)。1988年米国とカナダ政府は、事実を認め、謝罪し、一人当たり2万ドルの賠償金支払いと「再発防止」の観点から経緯を教科書に載せた。
ロシアによるウクライナ侵略戦争をめぐって、日本政府は「法の支配」をお題目にわれわれの国はさも民主主義国が貫徹している国かのように振る舞い、ロシアや中国・北朝鮮に対して国際法違反だと弾劾する。その一方で、日本の一部政治家は南京虐殺や慰安婦制度を否定する。かつて大日本帝国時代に行った他国民へのレイプや民衆虐殺、女性の人権侵害などの加害行為を正面から向き合うことなく口先で否定することは、脱植民地主義に動く世界潮流とはベクトルが真逆だ。
歴史修正主義や排外主義の一部保守政治家の言説に煽られ、慰安婦「少女像」の展示に脅迫状や爆竹などを送りつけるといった暴力行為は断じて許されない。ウクライナから報道されるロシア兵によるレイプ被害者の痛々しい証言を耳にするたび、表現を暴力で圧殺しようとする試みは、今回の国立市のように毅然と対応し萌芽段階から摘み取る必要がある。毎年5月3日朝日新聞阪神支局襲撃事件で射殺された小尻知博記者への追悼集会が開かれ、わたしは「再発防止」の願いを込めて参列し黙祷する。
アジア太平洋戦争しかりロシアのウクライナ侵略戦争しかり、戦争は表現への弾圧から始まる、というのが歴史の教える教訓だ。
(文中敬称略)
にしむら・ひでき
1951年名古屋生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、毎日放送に入社し放送記者、主にニュースや報道番組を制作。近畿大学人権問題研究所客員教授、同志社大学と立命館大学で嘱託講師を勤めた。元日本ペンクラブ理事。
著作に『北朝鮮抑留〜第十八富士山丸事件の真相』(岩波現代文庫、2004)、『大阪で闘った朝鮮戦争〜吹田枚方事件の青春群像』(岩波書店、2004)、『朝鮮戦争に「参戦」した日本』(三一書房、2019.6。韓国で翻訳出版、2020)、共編著作『テレビ・ドキュメンタリーの真髄』(藤原書店、2021)ほか。
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