論壇
水平社創立の理念共有し、人類最高の完成へ
“人の世に熱あれ、人間に光あれ”――人間の尊厳と平等、自由を求め
差別と闘う水平社宣言から100年
水平社博物館館長 駒井 忠之
はじめに
学校で子どもたちが廊下を走っている。あなたが指導者だった場合、どう注意するか。
脳科学の世界では「脳は否定形を理解できない」とよく言われる。禁酒、禁煙、ダイエット。列挙しながら耳が痛くなりそうだが、飲まない、吸わない、食べ過ぎない、そう考えれば考えるほど余計にそのことを意識してしまい、“ついつい”といったこと、身に覚えがあるのは私だけではないだろう。つまり、行動を制限したり、抑圧したりする否定形や禁止形の表現では逆効果になる場合があるということである。先のケースも、肯定的な表現を用いてより積極的な行動がとれるように促す方が効果的ということだろう。例えば「廊下は歩きましょう」と。
では差別の場合はどうか。「差別をしない、してはいけない」という考えももちろん大事だが、先の例に倣うならば、この否定的消極的思考を肯定的積極的思考に転換していくことがより大事なのかもしれない。
水平社の創立者たちはこの肯定的積極的思考が人間の尊厳を実現する上で最も重要で不可欠な概念であると、100年も前からすでに悟っていたようだ。「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と創立者たちがその理念を込めて世に放った全国水平社創立宣言(以降、水平社宣言)には、能動的に人権を回復し自らの手で人間の尊厳を確立していこうとする創立者たちの心意気があふれている。
共感を呼ぶ水平社創立の理念
全国水平社は人間の尊厳と平等を求めて1922年3月3日、京都市公会堂で創立された。創立大会で読み上げられ、日本で初めての人権宣言と評価されている水平社宣言は、西光万吉が起草し、平野小剣が添削した文案に、阪本清一郎、駒井喜作、米田富、南梅吉ら水平社創立者の意見を取り入れて完成した。
水平社宣言は、部落の人びとだけではなく、在日朝鮮人やウチナーンチュ(沖縄人)、アイヌ民族やハンセン病回復者らの自主的な人権回復運動の展開にも刺激と勇気を与え、さらに、朝鮮の被差別民「白丁」(ペㇰチョン)にも影響を与え、1923年4月には「白丁」を中心として衡平社(ヒョンピョンサ)が創立された。水平社と衡平社が連帯を求めて交流したその歴史は、人類の普遍的原理である人権、自由、平等、博愛、民主主義を基調とした記録で、その交流を示す史料が「水平社と衡平社 国境を越えた被差別民衆連帯の記録」として、2016年にユネスコのアジア太平洋地域「世界の記憶」に登録された。
「宣言」の全文はここをクリックすると表示されます
また、アメリカの雑誌『The Nation』は、1923年9月5日付の記事で水平社宣言の英語訳を掲載し、紹介した。海外のメディアも注目した水平社宣言は、被差別マイノリティが発信した世界初の人権宣言とも言われている。
水平社宣言には「差別」という語が全く使用されず、「人間」という言葉が多用されている。つまり、水平社宣言は、全体として「差別をしてはいけない」と訴えているわけではなく、積極的に「人生の熱と光」を求め、人間が相互に尊重される社会をともに築いていこうと呼びかける内容となっている。だからこそ「卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、人間を冒瀆してはならぬ」、つまり、卑下意識によって祖先や自身の尊厳を自ら否定するようなことはしてはならないと、さらに、「吾等の中より人間を尊敬する事によって自ら解放せん」、すなわち差別によって歪められてきた自尊感情を回復し、自身の尊厳を取り戻そうと呼びかけるのだ。
さらに人間の尊厳と平等を「渇仰」するがゆえに、「吾々に対し穢多及び特殊部落民等の言行によって侮辱の意志を表示したる時は徹底的糺弾を為す」と、それを否定し傷つける差別は絶対に許さないとの強い決意を創立大会で表明した。
あらゆる人間のアイデンティティが肯定される社会を創造し、差別を許さない社会をともに構築していこうという水平社の創立理念は、多くの人びとの共感を呼んだ。
「人の世に熱あれ、人間に光あれ」に込められた想い
水平社宣言と水平社が創立大会で採択した「綱領」の第三項「吾等は人間性の原理に覚醒し人類最高の完成に向つて突進す」には、水平社創立の理念が集約されている。なかでも水平社宣言の最後を締めくくる「人の世に熱あれ、人間に光あれ」は、それを抽象的に表現した一文だが、起草者である西光や創立者たちはどのような「熱」と「光」を求めたのであろう。
1922年2月21日に中之島公会堂で大日本平等会の同胞差別撤廃大会が開催された。そこで水平社の創立者たちは「京都へ!京都へ!!」というビラを撒き、「そして、いかにも彼等──即ち吾々の社会群──が集合する事は当然であると思はれた時、そこからも、差別の氷を溶かす暖かさが流れるでせう/皆んなしてもつと暖い人の世をつくり度いものです」と呼びかけた。この「氷を溶かす暖かさ」や「暖い人の世」に表されている「暖かさ」こそが、「人の世に熱あれ」に通じるのであろう。
つまり、水平社創立者たちが求めた「差別の氷」を溶かす「あたたかさ」=「熱」とは、人間の心の「あたたかさ」のことであろう。しかもその「熱」が「人の世」にあってほしいと願うのあるから、それは単なる個人にとどまるものではなく、人間ひとりひとりの心と心のつながりから発せられる「熱」であたためられた空気をまとった社会になってほしいという意味だろう。「人の世の冷たさが、何んなに冷たいか」を知っていたからこそ、殺伐とした世の中ではなく、誰もがリラックスして生活できる寛容な世の中になってほしいと、創立者たちは願ったのだ。
「人間に光あれ」についてはどうだろう。
1922年2月に水平社創立発起者が発行した水平社創立趣意書『よき日の為めに』の扉には、次のような文章が掲載されている。
わしはルシファー!
お前達の幸福を望み、お前達の苦痛を悩むところの光を齎すものだ、太陽
の回帰を告げる暁の新しい星を御覧!あれがわしの星で、あの上に「真理」
の光を反射する鏡が懸つてゐる。
ここに示された「「真理」の光」が「人間に光あれ」の「光」と同義と考えられる。水平社宣言を起草した西光は浄土真宗本願寺派の寺院の生まれで、浄土真宗の宗祖である親鸞の『顕浄土真実教行証文類』の「序」には、「無礙の光明は無明の闇を破する恵日なり」との一節がある。これは、何ものにもさえぎられることのない阿弥陀仏の光明は、真理に通じていない無知な人間の闇を破る太陽の光のようである、という意味である。
次に「ルシファー」は、明けの明星=金星を意味し、さらに「光をもたらす者」という意味もある。西光は、太陽の光を強く反射して明るく輝く金星の特性を「鏡」にたとえたのだろう。また、ルシファーは神に反逆した堕天使でサタンと同一視されるというのであるが、「荊冠旗」をデザインするなどキリスト教の思想にも影響を受けていた西光は、悪魔の象徴でもあるルシファーを、虐げられてきた民衆を悩みや苦悩から解放し、そうした民衆に幸福をもたらす存在だと捉えている。
水平社創立直前の1921年11月に発行された『警鐘』に掲載された西光(西光寺一)の「△鐘によせて」という文章には、「追放されたるイブとアダム」や「ルシファーの蛇」という表現が出てくる。つまり『聖書』にでてくるエデンの園で、イブとアダムに「知識の木の実」を口にするように促した「蛇」こそが、西光のいうルシファーということだ。「神」によって感情や理性や知性を持たない存在として創造されたふたりが、「ルシファーの蛇」に導かれて自らの手で「知識の木の実」を口にしてそれらを取り戻した、つまり人間の尊厳を能動的に回復したということではないか。要するに、尊厳を求めて「無明の闇」を彷徨っていた人間に、その尊厳とは何かを悟らせ、それに覚醒させるきっかけ(光)をもたらした存在こそがルシファーということだろう。
そうすると「人間に光あれ」の「光」は、人間の尊厳に覚醒させ、それが絶対であるとする真理に導く「光」と考えられる。つまり、自分自身も尊敬されるべき人間であるにもかかわらず、差別によって自身を劣っている存在と思い込まされ人間の尊厳の自覚さえ持てなかった人間をその卑下感情から解放し、また、長年の因習的差別の束縛から逃れることができず、人間を「勦」ることがどれほど人間の尊厳を傷つけているかを自覚していない人間をその差別観念から解放する「光」、ということだろう。いわば、全国水平社の創立大会で採択された「綱領」の第三項「吾等は人間性の原理に覚醒し人類最高の完成に向つて突進す」を西光なりに表現した文言、それが「人の世に熱あれ、人間に光あれ」ということだろう。
水平社博物館リニューアルオープン
空港や駅などで見かける動く歩道。車いすの人や大きな荷物を持った人の歩行を補助し進行方向に進めるシステムだが、人間の尊厳を実現する道のりは、進行方向とは反対に流れるオートスロープに乗っているような、そんなイメージだ。しかもその速度は歩みを止めたとしても後退していることを気づかせないくらいに緩く、たじろぐ程ではないにしても少しの気合は必要とするくらいには上り勾配の。そんなオートスロープに乗っているかのような道のりがイメージされる。
日本国憲法にも第12条に「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない」とあり、また、第97条にも「この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである」と記されている。
全国水平社が人間の尊厳や平等、また自由を求めて差別と闘い続け、人権を回復してきた道のりも、先人たちの弛まぬ努力によって私たちに引き継がれてきた。
水平社博物館も、水平社が運動の二本柱としてきた人間の尊厳と平等を求める理念と、差別を許さない不屈の精神を引き継ぎ、その想いを未来につないでいく。差別が残存する過酷な状況のなか、道なき道を突き進み、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」と闘い続けてきた先人の想いこそが、差別の芽を摘み、差別の連鎖を断ち切る真理であると信じて。人間の尊厳を求めるその意志を貫くことが差別の克服につながると信じて。温かさに満ちたその想いこそが、人間が尊敬される「よき日」の夜明けへと導く光であると信じて。
水平社創立の理念を共有し、森の火事に嘴ですくった一滴の水を落とし続ける『ハチドリのひとしずく』のごとく、一歩ずつ「人間性の原理に覚醒し人類最高の完成に向って」ともに歩み続けよう。来館されたみなさんが、この想いに共感し賛同くださると、私たちは確信している。
水平社創立100周年の記念日にリニューアルオープンした水平社博物館に、ぜひお越しください。
誰もがありのままの自分で、リラックスして生きていくことができる社会の実現を願い、「人の世に熱あれ、人間に光あれ」。
こまい・ただゆき
1972年、奈良県御所市生まれ。1998年水平社博物館開館から学芸員として勤務。2004年~神戸女学院大学講師(人権論)。 2015年~水平社博物館館長
<共著>新版『水平社の源流』(解放出版社、2002年)、『水平社宣言の熱と光』(解放出版社、2012年)、『近代の部落問題』(『講座 近現代日本の部落問題 1』、解放出版社、2022年)。
【水平社博物館】
1998年5月、全国水平社発祥の地、奈良県御所市柏原に開館。人権文化の振興と人権思想の普及に資することを目的に、あらゆる差別問題や人権に関する情報を発信。2018年5月に開館20周年を迎えた。
2015年9月、ニュージーランドのウエリントンで開催されたFIHRM(国際人権博物館連盟)の大会に参加し、同年12月に日本の機関として初めてFIHRMに加盟。以降、人間の尊厳と平等を求めた水平社創立の思想を世界中の人々と共有する取り組みを展開。
2016年5月に「水平社と衡平社 国境を越えた被差別民衆連帯の記録」(水平社博物館所蔵史料5点)がユネスコのアジア太平洋地域「世界の記憶」に登録されたことを、ICOM(国際博物館会議)ミラノ大会やFIHRMロサリオ大会(アルゼンチン)でアピールし、現在その国際登録をめざしている。
水平社創立100周年の2022年3月3日にリニューアルオープン。
水平社博物館ホームページ
【柳原銀行記念資料館】
〒600-8206 京都市下京区下之町6-3
電話 / Fax: 075-371-0295
◇開館時間:午前10時~午後4時30分
◇休館日:月曜日、火曜日、祝日等
◇入館料:無料
◇JR「京都」駅及び地下鉄「京都」駅から徒歩約8分/
京阪「七条」駅から徒歩約10分
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