特集 ●歴史は逆流するのか

芳野友子新体制で危機に立つ連合

会長の器ではない、速やかな交代を――連合は労働運動の原点!に立ち返り再生の道を探れ

労働運動アナリスト 早川 行雄

ボリス・ジョンソン英国首相がロック・ダウン期間中のパーティー参加で世論の批判を浴びた際に、保守党の重鎮デイヴィッド・デイヴィス議員が首相に辞任を要求したことは記憶に新しい。自由社会における健全な組織では当然にあり得ることだ。その例にならい、私は連合会長芳野友子の速やかな交代を促したい。

筆者は連合の重鎮でも何でもないが、連合内の声が沈黙している以上、労働戦線統一の修羅場をくぐってきた者として、また芳野の出身産別OBでもある筆者のところに、連合会長人事の致命的な過失を正すべく、お鉢が回ってきた格好だ。この機会に、これだけは言っておかなければならない。芳野友子のような人物を連合会長にするために労働運動をしてきたわけではないのだから。そして連合内外の有意の人々が、芳野会長に対する率直な批判の声を上げるように強く呼びかけたい。

昨年の連合会長人事は混迷を極め、芳野自身が「私が受けなければ大変なことになった」と言っていることからも、窮余の一策的な苦し紛れの人事であったことが伺われる。実際には芳野が会長を受けたお陰で連合は大変なことになっているのであるが。芳野会長の欠格事由を挙げ出せば枚挙に暇はないが、会長就任後に行った、政権交代を目指す野党共闘を妨害する一連の言動は、組織の求心力を弱め、社会からの信頼を失墜させる所業であり万死に値する。端的に言えば連合会長の器ではないということだ。

以下で芳野会長の言動を検証し、その反共思想の背景や今後の日本労働運動が進むべき針路についても素描しておく。いずれにしても、能力資質に欠ける人物を、ただ女性というだけの理由でトップに据えるような人事は、「ガラスの天井」と同様に女性の人格や尊厳を棄損しているとの批判を免れないのではないか。

1.芳野新体制の始動

反共演説と選挙妨害

過てる会長選出に対する天罰とでも言うべきか、就任早々、芳野会長の野党共闘に対する「口撃」が始まった。立憲民主党が共産党と限定的な閣外協力で合意したという報道を受けた10月7日の記者会見で芳野会長は、「共産党の閣外協力はあり得ない」とした上で「現場では選対にも共産党が入り込んで、両党の合意をたてに、さらなる共産党政策をねじ込もうとする動きがある」などと共産党に対するアレルギー感情全開の発言を行った。閣外協力とは野党時代と同様に、合意できる政策については政権交代後も院内で連携して実現を目指すという以上の意味はないのだから、これはほとんど言い掛りのような批判である。

そもそもこの芳野発言は連立政治の常道をわきまえない俗論である。政治学者の杉田敦(法政大学教授)は「基本政策に違いがあるから野党共闘は「野合」などという議論が多いが(略)ヨーロッパ諸国では、基本政策を異にする政党が連合政権を作るのは常態である」(「生活経済政策」2022.Jan.)と述べている。このような俗論がはびこるのは、内閣総理大臣が「私は立法の長」(安倍晋三)と言ってはばからない国で、法律や条約を最終的に決めるのは議会であって内閣ではないという議会制民主主義の原点が失念されているせいかも知れない。

連合周辺の思惑としては、会長に一度ガス抜き発言をさせて、総選挙投票日まで選挙戦に悪影響を及ぼすような言動は封印する予定だったようだが、この目論見は見事に裏切られた。その後も「労働組合である連合は共産主義とは相いれない」「連合は民主主義であり共産党とはまったく考え方が違う」など、会見を取材しているベテラン記者いわく「反共大演説」が繰り返された。複数の連合役員に芳野会長の不規則発言を止められないのかと聞いてみたが、「出来ることはやっているんですが」「いろいろ手立ては講じていますが」と会長の頑迷固陋ぶりに困惑を示すばかりであった。

総選挙の最中にも、私が副事務局長を務める退職者連合のいくつかの地方組織から「芳野会長を黙らせられないか」「芳野会長は黙っているのが最大の選挙協力」などの声が寄せられる事態に至った。芳野会長は「反共演説」に留まらず、ある選挙区の立憲候補選対が地方連合の了解のもとに共産党にも公選はがきを割り振ったところ、推薦を取り消すなどと圧力をかけて回収させるという選挙妨害も行った。

市民連合で中心的な役割を担い、神津前連合会長とも親交のある山口二郎(法政大学教授)は白井聡(精華大学専任講師)との対談(朝日カルチャーセンター2021.11.19)で、芳野会長の発言やそれを止められない連合幹部に苦言を呈した。竹信三恵子(和光大学名誉教授)も「野党共闘に待ったをかけるといった目的外のことに足を突っ込んだために、女性トップへの期待に水を差すとともに、いろんな政治信条を持つ労働者に分断を持ち込むマイナスも招きつつある」(サンデー毎日2022.2.20)と批判するなど、有識者の見方も次第に厳しさを増していった。

総選挙総括

総選挙で立憲民主党は、共産党などとの候補者一本化を実現した小選挙区では善戦したものの、比例区の不振により議席を減らして敗北した。この衆院選総括を巡っても芳野会長は議席を減らした野党共闘は失敗であったとの立場に固執し、産経新聞の単独インタビューでは立憲民主党に対し「(共産党とは)もう、決別してほしい。議席を減らしたのだから、科学的調査にもとづいてしっかりと総括をしてほしい」(2021.12.14)と語っている。連合の総選挙総括も芳野会長の反共思想に配意した結果、イデオロギー的なバイアスがかかったものになった。

しかし統計手法を用いた科学的総括としては、共産党が小選挙区で候補者を下したことが立憲民主党の票を有意に上積みする結果になったとする菅原琢(政治学者・政治過程論)の分析(「世界」2022.1および「生活経済政策」2022.Jan.)を挙げれば十分であろう。むしろ前出の杉田教授は「連合の会長が、選挙直前の時点で、立憲民主党と共産党との連携を強く批判し、これが野党の伸び悩みにつながった可能性がある」(前掲誌)と述べ、与党や一部保守系メディアの反共ネガティブキャンペーンの一翼を連合会長が担うという異常事態が選挙結果に影響した可能性を示唆している。

連合の選挙総括について、米山隆一(衆議院議員)は「事実に立脚しない主張を公言する組織の前途は危ういと思います」(twitter2021.12.17)と警鐘を鳴らしている。また芳野会長発言に対して山口二郎は「組合員の票の行き場がなくなったというが、小選挙区で立憲民主党、野党系無所属の議席が増え、国民民主党の比例の票が19年参院選より大きく減っていることはどう説明するのか。ナショナルセンターの指導者なら、思い込みではなく、エビデンスに基づいて発言すべき。」(twitter2021.12.17)と反論している。

加えて、先の産経新聞インタビューで芳野会長が「共産党は指導部が決めたことを下におろしていくトップダウン型で、民主主義のわれわれとは真逆の方向」などと語ったことに対して、共産党の志位委員長は「連合の責任者が公党を非難する以上は、根拠を示す必要があります。根拠を示していただきたい。」(twitter2021.12.16)と不快の念を表明した。自民党に対して「問題認識はほぼ一緒」と公言する一方で、反共イデオロギーに偏向した選挙総括をしたり、根拠もなく公党を中傷する知性と品性の低劣さは連合会長としての資質を欠くものと言わざるを得ない。

参院選方針

来る7月の参議院議員選挙に対する連合の方針素案が、「厳秘」とされていたにも関わらず、朝日新聞にスクープされると、立憲民主党など野党に衝撃が走った。朝日が「連合、参院選は支援政党を明示せず。共産との共闘候補は推薦もなし」と報じたためである。連合サイドは誤報であり基本方針は変わっていないというスタンスで釈明に躍起となったが、ある連合関係者は、連合本部にきちんと取材せずに記事にした朝日に不平を述べつつも、「こういう報道になる背景には一連の会長発言があるのに本人が自覚していない」との本音も漏らす。これは芳野会長に対する周辺の偽らざる心情だろうが、会長の共産党アレルギーを過度に忖度した文章作りが、地方連合などからも「誤解」されて素案が流出し、一連の騒動を巻き起こしたということであろう。ことここに及んで、twitter上には各界から芳野会長の連合方針引き回しに対する懸念の声があふれ出した。

例えば、望月衣塑子(東京新聞記者)「踏み絵を迫る構図は禍根を残す。自民にとっては有利。しかし連合はどこに向かうのか」(2022.1.21)、棗一郎(日本労働弁護団)「今年の参議院選挙をどうやって闘うつもりなのでしょうか? 連合結成以来の「自民党に代わる政治勢力の結集」という基本的姿勢はどうなるのでしょうか?」(2022.1.22)、極めつけは金子勝(慶應義塾大学名誉教授)「賃金も上げられず、雇用も守れず、自民党を応援する政治だけ口を出す。大企業労務部そのもので、労働組合ではないんだろうか」(2022.1.22)。連合に対する社会的信用を地に落とした「富士政治学校出のバリバリの右翼」(某連合役員の芳野評)は会長に不適格なのである。

予算案に反対ではない?

国民民主党が政府の本予算に賛成する方針について、芳野会長が理解を示したことも波紋を広げた。玉木代表との会談終了後の会見で、芳野会長は「連合は予算案に反対しているわけではない」「(立憲支持の)官公労系の組合から意見が出てくるかもしれないが、連合としては(予算案に)反対ではなく、精査・修正を求める(立場だ)と説明する」(朝日2022.2.25)と語った。連合は機関会議で政府予算案に修正を求めることを確認しており、安河内賢弘(連合副会長・JAM会長)の指摘するように、連合が求める修正がなされない限り「連合は本予算案に対しては反対の立場」(twitter2022.2.23)のはずである。

因みに「国民民主を支援するUAゼンセンの松浦昭彦会長は(2月)25日の記者会見で「我々は労働者の立場に立つ反自民非共産の野党の一つのかたまりを政権交代可能な軸にしていきたいという考え方を持っている。そのことから外れることのないようにしてもらいたいと(国民民主に)申し上げている」と述べた」(朝日2022.2.26)と報じられている。連合会長こそが、これを玉木代表に告げるべき内容だが、国民民主党に肩入れするあまり、肝心なときに組織原則が語れない思慮分別の欠如は、組織のトップとしての適性を欠くものと言うほかない。

政府・自民党への接近

高木郁郎(日本女子大名誉教授)は連合の新体制に期待しつつ「連合があまりにも政府と協調路線を取りながら政策実現をめざしてきた。いわゆる『インサイダー化』が問題だったと思います。労働者よりも霞が関の方を向き、厚生労働省の審議会に出てくる資料を尊重している。やっぱり労働者の現実を直視して大衆運動を組織する側面もないと、何かを大きく推進できません」(朝日2021.11.22)と助言している。政府審議会に労働者の代表が参加することは必要だが、大衆行動や先進的な労働協約の獲得など運動の背景がなければ政策の実現も叶わないということである。ところが芳野会長は、自民党と連合の急接近に世間の厳しい視線が向けられている最中にも関わらず、岸田内閣に設置された「新しい資本主義実現本部」への参加に加え、自民党政調の「人生100年時代戦略本部」にも出席するなど、ことさら周囲の批判や懸念を挑発するかのように、自民党へ接近する行動を続けている。

新しい運動への指針を示すこともなく、政府や与党と直接やり取りできることが連合会長の特権だという程度の認識だとすれば、そしてそれが政策実現の近道だと勘違いしているようなら、体制補完的な諸々の圧力団体の代表と選ぶところがなくなる。自民党が連合を抱き込むことで野党の分断を画策する運動方針を決定した直後の、こうしたした振る舞いに対して、前出とは別の連合関係者は「いままでになく(メディアへの)露出が多い会長だが、(自民党に)いいように操られていないかとの懸念もある」と心境を明かす。最早、周辺からの信頼も失いつつある人物に、これ以上会長を続けさせるわけには行かないだろう。

芳野会長の欠格事由はこれに尽きないものの、全てを紹介するには長期連載が必要になりそうなのでこの辺にしておく。当初JAM本部では「積極的にはポストを取りにいかないという確認だったはず」「まさか受けるとは思わなかった」など戸惑いの色も見られた。また元会長の一人は「芳野が手を挙げるのを止められなかったのか」と語ったそうだ。別の元役員に至っては「事前に聞いていれば何としても阻止した」と怒りを露わにしている。思いは皆同じであろう。初の女性会長という本来ならば祝福されるべき人選に泥を塗り、その存在自体が禍の元凶であるような欠陥会長を連合はいつまで放置しておくのか。会長更迭で組織に亀裂が入ることを恐れているとするなら、芳野会長に対する組織内外の批判や不信感を軽視したまま、小心翼々と当座を取り繕い続けることの方が連合にとって遥かに危険であることを認識すべきである。

2.芳野反共思想と「民主的労働運動」

反自民非共産

芳野の私的な思想信条については「反共主義」という、ありきたりのレッテル一枚で事足りる。そのことだけで、反共主義者が連合会長を務めていることへの十分な警鐘になるだろう。しかし芳野的反共思想の寄って来る所以を考察することは、日本労働運動の現状を理解する上で、なにがしかの意義があるのではなかろうか。

「共産党を含む野党共闘には与しないが、共産党との選挙区調整には関知するものではない」というのが連合の一貫した政治スタンスである。本来、共闘とは個別の政策では異なる諸政党が、例えば政権交代のような共通の目的実現のために連携することで、これを「野合」と批判する俗論についてはすでに述べた。しかし連合が共闘という場合、理念・政策が一致することが前提として高いハードルを設けている。これは共産党に対する忌避感が強い産別もある中で、野党の連携を重視しながら政権交代を目指すための方便のようなもので、「反自民非共産」が政策の軸となっている。

神津里季生(前連合会長)は中野晃一(上智大学教授)との対談(「週刊金曜日」2017.2.24)の中で、共産党自体については現時点でも相容れない存在としつつも、選挙戦術と政権戦略は別で、「安倍一強政治の中で野党が力を合わせるのは当然」「自民一強を許さず、どう変えていくかが大事」と共産党との戦術的選挙協力を打ち出している。選挙の戦術として協力するとなると、自公側から「野合」と批判されないかと問われると、政権構想の政策で何を折り合うかは別だとしつつ、「わたしは「野合」で何が悪いのかくらいの思いです」と選挙協力に極めて積極的な姿勢で答えている。

こうした姿勢は初代の山岸会長から神津前会長まで一貫して受け継がれていた。しかし、自身が反共主義者である芳野は180度方向転換し、反自民勢力による政権交代は遥か後景に退き、非共産だけが前面に躍り出た。岸田、茂木、小渕、麻生ら自民党幹部による招請に気やすく応じて懇談・会食する姿勢は、単に軽率というばかりではなく、政権交代という目標を棚上げして、働く者に犠牲を強いる自民党に対して過度に寛大な芳野の右翼思想によるところも大きいのである。

連合は結成以来「反自民非共産」を組織原則としており、構成組織でも綱領にこの文言を掲げている産別が多数ある。とはいえ、その解釈や位置づけは一様ではない。反自民の自民とは自由民主党のことであり、リベラルデモクラシー(自由民主主義)を否定するものでないことは自明だが、同様に非共産とは本来、共産党以外の勢力との趣旨であった。すなわち反自民非共産とは組織原則を示す一体の「六字熟語」である。ところが、非共産とは反共主義であるというイデオロギーに転化することで、六文字の前半と後半のどちらに軸足を置くかを天秤にかける傾向が発生する。そのあたりの経緯を、戦後労働運動の変遷とともに振り返ってみよう。

同盟と生産性三原則

敗戦後時を置かず、1946年に産別会議(共産党系主力)と総同盟(非共産党系中心)が結成された。二・一ゼネスト(1947占領軍の命令で中止)など労働運動が高揚する下で、両組織などが中心となって全国労働組合連絡協議会(1947全労連、1950解散)もできた。その後、産別会議の中で、共産党系と対立するグループにより産別民主化同盟(1948民同)が結成される。このあたりから労働運動における共産党系と社会党など非共産党系の主導権争いが激しくなり、1950年に総同盟と民同が合流して総評が結成される。実態からすれば、この総評こそ「反自民非共産」の元祖のようなものであった。

当時、民同は「反共民同」とも呼ばれたが、総評で強い影響力を持ったのは、マルクス・レーニン主義の本家争いを共産党と展開していた社会主義協会など社会党左派であり、それがニワトリからアヒルへと総評が豹変する一因となったことからもわかる通り、「非共産」に反共イデオロギーの要素はなかった。むしろ左派の主導に反発した総同盟の一部(刷新派)は、総同盟再建を宣言し、後の同盟(民社党系)結成(1964)に至る。これに中立労連、新産別(何れも社会党系)を加えた労働四団体の時代が連合結成(1989)まで続く。

さて、同盟結成以降、特に大手民間製造業では同盟系の労組が主流となっていった。その過程で重要な役割を果たしたのが、生産性三原則を掲げた生産性運動であった。生産性三原則は①雇用の維持②対等な労使協議➂成果の公正な配分の三点から構成されている。留意すべきは、三原則は労働投入と資本投入によって労使が企業内で産出した付加価値を労働条件の向上に向けて配分することに焦点を合わせた原則であることだ。それ自体としては、資本主義市場経済下における株式会社形式の民間営利企業を前提とする限り大きな異論はないであろう 。

実際に三原則が含意する結果の配分的要素を重視して、強力な交渉力を駆使しながら労働条件の引き上げを実現してきた組合もあるが、それは例外的なケースでしかない。多くの職場では生産性向上に協力したにも関わらず、会社側から三原則の約束を反故にされ、リストラ、労働強化、賃金抑制など配分なき合理化が蔓延した。争議行為など力を背景としない「集団的物乞い」のような方法では常に会社側に主導権を握られ、企業の論理に従属した協力はあっても、対等な労使協議による公正な配分はついに実現しなかったと言うべきであろう。

堕落した「民主的労働運動」

結果として生産性運動は、労働組合ではなく会社職制機構が職場生産点を掌握する手段として利用されることが多かった。そして職場における生産性運動の挫折は、長時間労働の蔓延や不安定で低賃金の非正規雇用の著増など社会問題を惹起させた。

経営側の「債務不履行」による格差や貧困の拡大に対しては、労働組合側で生産性運動を担ってきた全国労働組合生産性会議(全労生)も危機感を募らせた。筆者も原案の検討作業に関与した「全労生結成50周年宣言」(2009)では、「生産性運動の理念が、労使に理解され浸透しているとは言い切れない。経済のグローバル化等の進展のもとで、労使がやや近視眼的な対応に追われた結果として、生産性運動が希薄化した状況になったことについて、われわれは率直に受け止める必要がある」とした上で「産業・企業の持続的な発展と納得性のある働き方・処遇を得られるよう実効性のある社会契約としての公正ルールとセーフティネットづくりに努める」と、公正な配分の社会化に言及している。

しかし現実の企業別組合の中には、三原則の目に見えた成果は何も上がらないところで、時として会社の力も借りながら、職場から社会党や共産党の組合および活動家を排除してゆくことに倒錯した達成感を覚える、堕落した「民主的労働運動」も広がっている。芳野もそうした単組リーダーの一人であった。

富士政治大学

芳野の反共思想は富士政治大学で指導されたもののようである。富士政治大学は1969年に西村栄一(元民社党委員長)によって設立された富士社会教育センター内に、労働組合員向けの研修機関として設置された。民社党は、社会主義協会など左派系が主導する社会党から分裂して1960年に結成された政党である。結成当初は、社会主義インターに対して「福祉国家から社会主義への発展のプロセスを示せ」とか「資本主義体制に代わる代案を示せ」などの要望を提出している(清水慎三「日本の社会民主義」1961)くらいだから、富士政治大学の設置を契機に民主社会主義を担う活動家を養成することで、泥臭い組合ボス中心の議員政党から脱皮して、西欧型社会民主主義の受け皿となるような大衆政党への転換が図られるべきであったが、そうはならなかった。

富士政治大学では、職場で共産党(民青)や社会党(社青同)の活動家と渡り合うための論争技術の習得や精神の鍛練に重きが置かれたため(当時の研修実体は、宇治芳雄「洗脳の時代」1981)、西欧型社会民主主義の受け入れよりも、安直な反共主義に依存した「理論武装」が重視されたのであろう。芳野の話を聞けば分かるように、そこで語られるのは「共産主義=悪」という、反証を拒んだ公理から演繹される教条の類ばかりで、知的な論証の体をなしていない。丁度、「日本は正しい」という教義から導かれる安倍晋三の歴史修正主義と同じ構造なのである。日本的民主社会主義の見果てぬ夢の行き着いた先が、芳野的空疎な反共主義だとしたら、先人たちは草葉の陰で嗚咽していよう。

連合会長就任後の芳野については、政局がらみの発言ばかりが取り上げられるとの指摘もあるが、実のところ一枚看板のジェンダー平等も含め、芳野独自の斬新な提案など何もないのではないか。仮に何らかの貢献があったにしても、それを重視すべきでないのは、ナチスを評価するに際して初期の経済復興政策やアウトバーン建設、ドイツ語改革などを強調しないのと同様である。戦後労働運動における負の側面を集大成したような人物が現在の連合会長であるという戦慄すべき事実に、連合や労働界に留まらず、社会全体が最大限の危機感を持たねばならない。

3.日本労働運動の再生に向けて

自発的結社

労働組合は自発的結社でなければならない。これが日本労働運動再生の原点である。この問題を考察するにあたって検討すべき対象に少数派労働運動がある。少数派労働組合が担っている運動であり、もとより少数派を目指す運動ではない。有体に言って「負けた」から少数派に陥ったのであり、決して威張れた話ではないことは確かだ。しかし少数派組合は、職場の多数派組合に対して重要な点で「優位性」を持っている。

それは、押しなべて少数派組合は自発的な結社であるということだ。筆者も少数派の労働組合で活動してきたが、最初の契機は自発的参加であったことは言うまでもない。組合費も毎月一人一人の組合員を回って徴収していた。また職場では組織化していない(されていない)労働者が、少数でも一人でも加入できる地域合同労組(ユニオン)も少数派労働運動の系列に属するとみなしてよいだろう。職場の多数派ではなくとも法内組合を結成できる今日の日本においては、少数派組合こそ労働組合法が前提としている「労働者が主体となって自主的に労働条件の維持改善その他経済的地位の向上を図ることを主たる目的として組織する団体」を体現しているとも言える。

現在、多くの企業別(多数派)組合はユニオン・ショップ(ユ・シ)協定で新入社員を自動的に組合加入させ、チェック・オフ協定で組合費を給料天引きで徴収している。これらの制度は先人たちが職場の力関係を基礎に勝ち取った労働組合の組織強化の武器であった場合もあるが、現状では「逆機能」しているようにも見られる。

連合労働講座を担当している野川忍(明治大学法科大学院教授)は、近著『労働組合の基礎 働く人の未来をつくる』(共著)の中で、ユ・シ協定について「労働組合の自律的活動が阻害される可能性も見逃せないことから、将来的には必要がなくなる方向に向かうことが望ましい」、チェック・オフ協定は「労働組合の自立を妨げていることは間違いなく、将来的には解消されるべきである」としている。また労働弁護士として長年活動され、弁護士開業50年を超えた宮里邦雄も、数年前に「ひろばユニオン」に寄稿した論考の中で、ユ・シ協定やチェック・オフ協定の功罪について再検討すべき時期に差し掛かっている旨の懸念を示していた。いまやユ・シ協定やチェック・オフ協定は麻薬のように企業別組合を蝕み、過度の薬物依存による全身機能の衰弱をもたらしてはいまいか。

労働組合が自発的結社であることの重要性が今日ほど問われていることがない状況で、連合会長に堕落した「民主的労働運動」の申し子が就任している椿事は、まことに皮肉と言うほかない。今日右派に類別されるような労働運動潮流にしても、産別民同が結成された当時まで遡れば、往時の共産党による官僚統制や反対派排除の組織運営に対する「民主化」闘争として、今と比べれば相対的に企業から自立した側面はあった。少なくともそれは労働運動内の急進主義と漸進主義の路線対立の問題であった。

しかしその後、民同も総同盟も左右に分岐し、総評・同盟時代に至ると、右派は企業内多数派を構成し、その一部は労使協調路線で、彼らが批判して止まない「共産主義」と瓜二つの、文字通り左右が逆になっただけの鏡像のような官僚統制や反対派排除によって企業内のヘゲモニーを確立するに至った。ところが、左派が完全に排除されてしまえば対抗勢力の存在意義も失われる。左派との深刻な攻防を経験していない単組にあっても、組合員の組合離れで執行部の担い手が見つからないなど、総じて今日の企業別組合は危急存亡の崖淵にあることを自覚しなければならない。

産業別労働組合

労働組合が自発的結社として再生するためには、本来の意味でのジョブ型雇用に基づく賃金・労働条件決定制度(同一価値労働同一賃金や時間主権の確立)の導入議論と併せて、産業別労働組合への移行が真剣に検討されねばならないだろう。

濱口佳一郎(JILPT労働政策研究所長)は、かつて連合総研の「DIO」(2014.1)に寄稿した論考の中で「(全国産業復興法からワグナー法に至る集団的労使関係システムの構築は)労使交渉力の不均衡が労働者の賃金と購買力を低下させ、不況を激化させたという認識に立ち、不当労働行為制度によって労働者の交渉力を強化することでその是正を図ろうとするものであった。1920年代のアメリカで流行した会社組合を不当労働行為として否定し、産業別組合の促進を図ろうとしたのもそのためであった」と述べているが、企業別組合がユ・シ協定で新入組合員を独占するシステムは、1920年代のアメリカでは違法とされた、産別交渉を弱体化する不当労働行為に転化することすら懸念される。

かつて「連合評価委員会報告」(2003)では「経済のグローバル化により、日本の産業構造は大きく変えられようとしている。労働組合の側も相当の覚悟を持って産業構造の転換に対応する必要がある。しかし、企業別組合だけでは、このような構造的な大転換に対して根本的に対抗することはできないため、連合は、企業別組合の限界を認識したうえで、それを補完する機能を強化することが必要である」と提唱された。

直近では山田久(日本総研副理事長)が「企業別労組を束ねる産業別組織(産別)の機能を強化して、企業の枠を超えやすくする必要がある」(「GLOBE+」2022.4.6)と指摘し、首藤若菜(立教大学教授)も「産業で働く(組合員以外の)全労働者の賃金をどうあげるか、という視点が重要だ」(同)と述べるなど産別組織への関心は高い。閉塞状況にある日本の労働運動に求められるのは、こうした企業横断的な産業別組織を、雇用形態や就労状況(失業者を含む)に関わらず、労働者個人の主体的参加意識に基づく自発的結社として構築することである。

無論一朝一夕に実現できるものではないが、ドイツIGメタルの運動など海外の先進事例にも学びつつ、本誌前号に寄稿された要宏輝(元JAM大阪副委員長・元連合大阪副会長)の辛辣な意見なども横眼で睨みながら、二度と再び芳野友子のような人物を会長にしてしまう誤りを犯さぬように、理想を高く掲げ、あまり無理をせず、着実に方向転換した道程を一歩一歩進んで行くことに期待したい。(文中敬称略) 

はやかわ・ゆきお

1954年兵庫県生まれ。成蹊大学法学部卒。日産自動車調査部、総評全国金属日産自動車支部(旧プリンス自工支部)書記長、JAM副書記長、連合総研主任研究員などを経て現在、労働運動アナリスト・日本退職者連合副事務局長・JAMシニアクラブ副会長・日本労働ペンクラブ幹事・Labor Now運営委員。著書『人間を幸福にしない資本主義 ポスト働き方改革』(旬報社 2019)。

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