特集 ●歴史は逆流するのか

ロシア・ウクライナ戦争:どう見るか、私たちに何ができるか

成蹊大学名誉教授 富田 武

私はいま、ロシアによるウクライナ侵略の実像をテレビやインターネット画像で見ていて、居ても立ってもいられない気持ちである。キエフ(ロシア語呼称とするが、添付した黒川著の地図ではウクライナ語呼称と併記)やハリコフ、マリウーポリの破壊と拉致、死傷者と人口の一割を超える国外への難民、同時にウクライナ国民の祖国愛と英雄的な抵抗を目の当たりにしている。しかし、これ以上の犠牲者を出してはならず、ましてや核戦争を誘発するような事態はなんとしても避けねばならない。

「憂慮する日本の歴史家の会」(和田春樹代表)が、即時(現戦闘地点での)停戦、日本・中国・インド政府による停戦仲介を呼びかけたのは、このためである。中国、インド政府がなかなか動こうとはせず、日本政府も「国際社会」(実際はG7諸国)との協調を唱え、経済制裁と難民支援に協力しているだけである。それどころか、中国の台湾侵攻の恐れを強調し、「専守防衛」の国是さえも放棄しかねない危険な主張が罷り通っている。

私は一市民として抗議・支援行動に参加してきたが、ロシア・ソ連史、日ソ関係史の専門家の一人として、この間、学び考えてきたことをフェイスブックの範囲を越えて広く伝えたい。

1.戦争の性格:ロシアによる侵略戦争

まず、この戦争がロシアによるウクライナに対する侵略戦争であることを議論の出発点とする。当のロシア・プーチン政権は「特別軍事作戦」と称しているが、主権国家に対する侵略戦争であり、国際法違反であることは明白である。過去の日本を始め戦争を仕掛ける側は自ら「侵略」とは言わず、「居留民の保護」等の口実を持ち出したが、それと同じである。

プーチンはウクライナのロシア系住民が「迫害されている」ことを口実に、しかもタチが悪いことに「ロシアとウクライナは一体、本来は一つの国」であるべきだという屁理屈まで持ち出して正当化している。いわば長兄が言うことを聴かない弟に好き放題に暴力を振るうようなものである(宗教的に表現すると「カインとアベルの兄弟殺し」であり、そう言って自国を嘆くロシア知識人も少なからずいる)。

この名称は実は、もう一つの側面を示している。最近ロシアは「(遠征軍)司令官」をやっと任命したが(通例は国防相、参謀総長は直接に指揮を取らない)、一週間程度でウクライナを制圧できると踏んだ誤算もさることながら、ロシア正規軍がプーチンに必ずしも同調しなかった節があること、国家親衛軍、連邦保安庁、対外情報庁といった、元来は諜報・防諜機関に過ぎないのに合わせれば陸軍並みの兵力と装備をもった勢力が主導権を取ろうとしたことの結果であろう。

かつての大戦=対独戦争の時は、スターリンが緒戦の失敗に懲りて国家保安機関(部隊レベルでは政治委員)を抑え、ジューコフをはじめ職業軍人に能力を発揮させ、自らは米英等との外交戦略に専念したのとは大違いである(スターリンの所業を肯定するわけではなく、プーチンの愚行を強調したいだけ)。

私は上記「歴史家の会」の一員としてロシア大使館にガルージン大使を訪ね、懇談した。大使は、戦争というなら2014年以来ウクライナが仕掛けた戦争であり、ウクライナが東部地域で行い、いまも行っているジェノサイドを阻止するための「特別軍事作戦」だと主張した。大使が「西側」と言うので、「西と東」という言い方(分け方)自体が「冷戦的思考の表れではないか」と指摘すると「その通り」と肯定しながらも、冷戦終結以降アメリカ・西欧諸国がNATOを東方に拡大し、ウクライナまで加入させようとしたのだからロシアとしては防衛せざるを得ないし、「西側に対抗する」と言わざるを得ないのだという弁明である。

ロシアは旧ソ連時代から、「被包囲」意識が強く、東欧諸国も戦後初期は「緩衝地帯」と位置付けたが、「冷戦」開始(トルーマン教書1947年、NATO設立1949年)とともに共産党政権を次々と樹立しながら「冷戦」をエスカレートさせてきた。「過剰防衛」は「攻撃」だということが分かっておらず、やっとゴルバチョフが気づいたものの、ソ連は崩壊した。

むろん、だからと言ってウクライナ侵略が許されるはずもなく、その「戦争犯罪」を含む非人道性により、欧州諸国の批判と武器援助、難民受け入れ等を招き、国民の英雄的抵抗と相まって、ウクライナの侵略当初からの押し返しがもたらされたのは、周知の通りである。と当時に、この戦争が二国間の戦争ではなく、ロシア対ウクライナ・NATOの戦争の様相を帯び、ロシアに対する経済制裁を含めれば「世界大戦前夜」の状況に至っていることも冷静に認識すべきである。

プーチンは核兵器の使用も辞さずと公言しており、戦況が悪化すれば脅しではなく実際に使う恐れも否定できない(「ロシアのいない世界」に価値はないとファナティックになっている心理状態では)。他方には戦争が長引くことで利益を得る「軍産複合体」関係者もいるから、一刻も早く停戦しない限り核戦争の脅威はリアルな現実である。

2.戦争の複合的特徴:ハイブリッド戦争

ウクライナ戦争は、現在のところ「核抑止」戦略を前提にした、その枠内(核攻撃しない範囲内)での大規模通常戦争だが、それはヴェトナム戦争期のマクナマラによる「柔軟反応戦略」を想起させる。アメリカは50万に及ぶ地上軍の投入、対ゲリラ戦、大規模な空爆(ナパーム弾、枯葉剤投下などを含む)をもってしても、ヴェトナム人民の抗戦、アメリカ本国と世界的な反戦運動により、敗退する結果となった。ソ連はその教訓を踏まえたはずだが、アフガン戦争で前者の轍を踏んだ。

最近のロシアの「ゲラシモフ・ドクトリン」(現参謀総長の名)は、同じく「核抑止」戦略を前提に通常戦争を想定したものだが、同じものではない。それは、従来型の戦争と、情報戦争及び内部工作により敵国を無力化する「非軍事的戦争」とを組み合わせた軍事ドクトリンである。従って軍の編成を独ソ・日ソ戦争にみられたような師団(約1万)を基本単位とするものから大隊(約1千)中心に改め、兵員を削減し、装備の近代化を図り、スリムで機動的な軍隊に変容させた。その実験場が2014年のウクライナ戦争で、まだ弱体な、ロシアの攻撃を予想していなかったウクライナに対し、電子制御兵器によって通信網を混乱させ、指揮系統を撹乱して軍事的に無力化し、情報操作による世論工作も併せてクリミア併合に一挙に成功したのである(このあたりは小泉悠『現代ロシアの軍事戦略』ちくま新書が詳しい)。

この手痛い教訓からウクライナも、旧ソ連型の軍隊をNATO型のそれに改革してきた。周辺諸国から最新の軽量ハイテク兵器(対戦車ミサイルのジャベリンやドローン爆弾)を購入し、供与され、訓練して、今回の戦争でNATO軍事顧問及び技術アドヴァイザーのもとに駆使し、ロシア軍に手痛い打撃を与えたのである。ちなみに、最近ウクライナへの軍事援助の内容が『ウォール・ストリート・ジャーナル』誌4月14日号に紹介された。

ところが、ロシアは2014年の勝利に慢心したのか、軍指導部内の主導権争いのためか、上記ドクトリンが軍内に浸透していなかったのか、今回の戦争は伝統的な作戦に戻り、それさえも満足に実施できなかった。首都か東部地域か優先目標を決めず、兵力の分散と漸次投入という愚策をとり、泥濘期に戦車部隊を歩兵の掩護も不十分なまま前進させる、通信機能が不十分か傍受される、武器弾薬や食糧の補給が不十分か内部で横取りされるなど、ぶざまだった。今後の解明を要する。

ウクライナ戦争の次の主戦場が平原のウクライナ東部に移るから、戦車数で圧倒的に勝るロシア軍が有利だと言われるが、アメリカも戦車、ジャベリン、155ミリ榴弾砲(数字は口径、射程2−3万メートル、戦車集結地を攻撃)、兵員輸送装甲車(トラックでは歩兵を守れない)等を供与した。通信衛星・GPSで位置情報を正確に掴んで各部隊に伝えれば、独ソ戦のスターリングラードやクルスクのような正面からの戦車戦ではなく、ウクライナ軍はヒット・エンド・ラン的な戦術をとるに相違なく、航空掩護も含めて優位のロシア軍も相当手こずると予想される。

むろん、核戦争と、通常戦争を含むハイブリッド戦争は明白に区別できるものではない。そもそも「核抑止」戦略自体が、冷戦期なら米ソ指導者の合理的で冷静な判断に依存するものであり、「恐怖の均衡」でもあったことは、筆者のようなキューバ危機体験世代はいわば身体で覚えている。

また、ポスト冷戦期に入っても、電子制御機器で敵国核ミサイル基地のコンピュータに侵入すれば核戦争を誘発する恐れがあり、通常兵器でもテロリスト集団によって原子力発電所に打ち込まれれば核爆弾と同じ惨禍をもたらす。今回のプーチンのように指導者が「正常な判断力を疑われるような異常な心理」に陥れば、核のボタンが押される危険もある(彼がアタッシュケースを側近=護衛に持たせている画像は、脅しであるとともに強迫観念の表れとも見られる)。

3.戦争の帰趨:ロシア国民・兵士の起ち上りが決め手

東部での大会戦はロシアが有利にしても、東部を守り抜くのが精一杯で、以降は双方とも戦力の損耗が大きく、国民経済の負担も増すので、消耗戦に移行するだろう。それが停戦交渉再開の機会にもなるが、朝鮮戦争のように戦線が膠着したまま戦争が長引く可能性も少なくない。

国際情勢では、スウェーデン、フィンランドまでが中立を放棄してNATO加盟へ動きはじめ、この点だけでもロシアは国際戦略上の失敗をしたことは明らかである。中国がどう動くかがポイントだが、指導部は内心「内政干渉はまずいよ」(台湾やウィグル問題に跳ね返る)と思いながら、ロシアが弱体化しても対米戦略上困るから、様子見、悪く言えば「漁夫の利」を狙っているとみられ、ともかく秋の中国共産党大会での習近平国家主席三選の事実上の承認までは日和見を続ける公算が高い。

戦争の帰趨は、個々の戦闘の勝敗、戦局の動向でも、有力国の動きでも決まるものではなく、ウクライナ国民が破壊、死傷者及び難民の増大、ロシア国民の場合は生活難の深刻化にどこまで耐えられるのかにかかってくる。とくにロシア国民は、厳重な報道統制とプロパガンダのもとで、(おそらく誘導的な)世論調査ではプーチンと「軍事作戦」支持が80%もある一方、若い知的な職業人がこの国では仕事も自由も未来もないと言って、出国する者が20万人にも達したという。オリガルヒー(経済界を寡頭支配する財閥)の一部が、停戦を主張し始めている。兵役義務期間中の初年兵が多い軍隊内では、家族や恋人とのスマホ会話から、「訓練と言われたのに来てみたら戦闘だった」「こんな戦争はイヤだ」等々の不満が漏れ聞こえ、抗命(逃亡離脱や、上官の出動命令拒否)さえ一部でみられる。

ロシアの筆者の友人たちは、学者や芸術家仲間の「戦争反対(戦争にノーを)」声明に名を連ね、「この戦争はロシア人として恥ずべきこと」と言っている。ロシア正教志向の知識人は「兄弟殺し」に自分も加担していると内省し、プーチン支持の正教会総主教に対する司祭たちの異論も登場している。

フェイスブックによれば、ロシアのスマホにまで及ぶ情報統制を外す方法が模索されているとのことだが、年配世代も、親族が少なくないウクライナの都市破壊、住民殺害や拉致、大量の難民(500万超というから全人口の13%)、とくに最近のジェノサイドをテレビのフェイク画像ではなく、スマホで見ることができるようになったら、かつての「アラブの春」のような反プーチンの巨大なうねりが生じ、政権交代が起こり得る。そうした新世代技術が可能な限り早く、東部大会戦の前に現れることを願うものである。

4.日本の立場と世論、運動

日本では岸田政権が「国際社会との協調」と称して、米欧の経済制裁や国連総会その他でロシア非難に歩調を合わせ、ウクライナ難民を従来よりはましな程度に受け入れているだけで(さすがに武器供与はできない)、停戦後のこととはいえ、唯一の戦争被爆国かつフクシマと復興の経験国として独自な貢献をしたいと表明してもいない。

日本国民として見過ごせないのは、自民党タカ派が「ロシアのウクライナ侵略」に悪乗りして、防衛費の増大、「敵基地攻撃能力」の獲得、「核リーグ」への参加など積年の主張を声高に叫んでいることで、岸田首相はさすがに「非核三原則」で安倍の「核リーグ」参加論に釘は刺したものの、防衛政策見直しはやると明言している。『文藝春秋』最新号は「日本核武装すべし」(E.トッド論文のタイトル)と表紙に大書し、世論の誘導に励んでいる。

と同時に、ツイッター世界では(一部フェイスブックでも)、匿名をいいことにあらゆる暴論が連日のように登場している。それを整理すると、①次は中国の台湾侵攻で、近い将来にあるので、日本はこれに備えるべきだ、②ロシアはもう北方領土は返さないから、どうしてくれるんだ(かつてM.H議員が言って物議を醸したように「戦争で奪い返せ」とは言わない)、③ロシアは北海道に攻め込んでくるから、北の守りも固めよ、である。①中国は、彼らにとって台湾は自国の一部だから「内政干渉」ではなく堂々と武力統一できるのだが、今は上の事情からできないし、そもそも経済的依存・互恵関係にある台湾を武力で破壊するのは愚策だから、「建前論」と脅迫だと理解すべきである。

③これはミローノフ下院議員(公正党党首)の発言が日本で話題になったもので、すでに筆者がフェイスブックで説明したとおりである。米国務省内で日本の戦後処理案の一つとしてドイツと同じ四分割案が検討され、北海道・東北がソ連占領地域に入っていたらしいが、成案にならず、北海道は本州、四国、九州および周辺の諸小島と共に米軍の占領下に入ると「連合国軍最高総司令官一般命令」第1号(8月15日)に明記されたのに、プーチンの御用学者が著作に記し(2004年)、ミローノフが発言したという次第である。

日本を脅迫するつもりだろうが、北海道上陸は海兵隊が弱いロシアには困難であり、米日の合同した海空軍力には勝てないことを知らない戯言に過ぎない。それを承知で日本のタカ派が「北の守り」と言うなら、それは尖閣列島事件以来、対中国・南西方面に防衛重点を置いたことによって、自分達の立場が弱くなり予算配分も減らされた陸上自衛隊幹部の代弁に過ぎない。

②の「北方領土」問題については、筆者は見方と交渉の根本的見直しを提言するので(7月刊行『日ソ戦争 南樺太・千島篇―領土問題の起源を考える』みすず書房)、ここでは割愛する。

総じて、「ウクライナ戦争」以降の日本の論壇は「ゼレンスキー頑張れ、プーチンくたばれ」が多数になっている(在日ロシア人やロシア料理店が嫌がらせを受け、ロシア研究者というだけで「擁護する」という目で見られる)。「即時停戦」と言うことがウクライナ国民の足を引っ張るかの如く解され、核戦争の危機も眼中にないかのようである。他方には、ウクライナにも過激民族主義者(S. バンデラとウクライナ蜂起軍の流れの少数グループと正確には知らず)がいて、ロシア人を迫害しているという「どっちもどっち」論も存在する。私たち「会」の立場は、ロシアの侵略と蛮行を糾弾し、ウクライナ軍民の英雄的な抵抗を支持するが、戦争の長期化による破壊と死傷、難民の増大を食い止め、核戦争への転化を阻止することにある。

まだ、希望はある。最初の渋谷ハチ公前集会から今日に至るまで、集会やデモ、支援コンサート、プロの画家から小学生に至る絵画によるアピールなど様々なイベントが行われ、UNHCRなど各種団体を介した義捐金、避難してきたウクライナ人の受け入れと生活・就業支援や日本語学習ボランティア等、確実に支援の輪が広がっている。在日ロシア人も困難のなか起ちあがりつつある。

【補足:歴史的理解のために】

ここでは紙幅の都合から歴史的背景説明は後回しにした。キエフ・ルーシの誕生からウクライナのポーランド支配、ロシアへの併合等々の歴史は、黒川祐次『物語 ウクライナの歴史』(中公新書、2002年、今年復刊)に譲り、1939年独ソ不可侵条約以降の歴史からポイントだけを挙げたい。

・1939年8月 独ソ不可侵条約、9月追加条約:ポーランドは西東に分割され(西=ドイツ領、東=ソ連領)、バルト三国はソ連の影響下に入った(翌年各議会決議で併合)。

・1939年9月 ドイツ軍、ポーランド侵攻(第二次世界大戦の開始)、ソ連軍東側を占領

・1939年9-11月 ソ連軍、ガリツィア(西ウクライナ)占領 

・1939年11月-40年1月 ソ連・フィンランド(冬)戦争 41年6月-44年9月 第2次

・1940年2月 ソ連、ポーランドで強制移住開始

・1940年3-4月 カチンの森事件:ソ連国家保安機関、ポーランド将校ら約15000人虐殺

・1941年6月 ソ連、バルト三国で強制移住開始/リトアニアでパルチザン「森の兄弟」

・1941年6月 ドイツ軍、ソ連侵攻/バンデラ派(UPA=ウクライナ蜂起軍)、ウクライナ独立宣言/ドイツがバンデラ逮捕、ウクライナを直轄領に→ウクライナ人、ドイツへ強制移住「東方労働者」に/ヴォルガ・ドイツ人、クリミア・タタール人、コーカサスのチェチェン人らが「対独協力」の恐れから中央アジア、シベリアへ強制移住

・1944年10月 ソ連軍、全ウクライナ占領

・1945年3月 ソ連、UPA家族を東方へ強制移住/ドイツから帰国のウクライナ人35万人が対独協力の疑いで中央アジア、極東へ強制移住

・1946年以降 ウクライナ、バルト三国の農業集団化に抵抗した数十万人がシベリア、極東へ強制移住

・1953年3月 スターリン死去/前後してノリリスク、ケンギルなどソ連各地の矯正労働収容所で囚人が暴動

ここで重要な点は、プーチンはスターリンと瓜二つの政策を取っていることである。戦争を「戦争」と呼ばず、戦時国際法を無視したこと(ポーランド分割、本来は捕虜のポーランド人将兵の虐殺=カチンの森事件)、占領地の住民や自国民でさえも「ドイツとの内通」を口実に収容所に入れ、遠隔地に強制移住させたこと(今回の口実は、少数のバンデラ派支持者を指す「ネオ・ナチ」「ネオ・ナチ化されたウクライナ人」)である。まさに「歴史は繰り返す」である。

(2022年4月20日記) 

 

とみた・たけし

1945年生まれ。東京大学法学部卒。1988年成蹊大学法学部助教授、法学部長などを経て2014年名誉教授。シベリア抑留研究会代表世話人。本誌編集委員。著書に、『スターリニズムの統治構造』(岩波書店)、『シベリア抑留者たちの戦後』(人文書院)、『シベリア抑留―スターリン独裁下、「収容所群島」の実像」(中公新書―2017年度アジア・太平洋賞特別賞)、『日ソ戦争1945年8月』(みすず書房)、『ものがたり戦後史 「歴史総合」入門講義』(ちくま新書)など。

 

 

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