論壇

なぜ「児童虐待」は増えるのか

家族・学校・地域における「人間関係」の劣化、背景に深刻な経済的貧困

本誌編集委員 池田 祥子

これまでも、「児童虐待」や「親権」に絡む問題についての、私や、現場の保育者による寄稿や文章が本誌に掲載されている。関心のある方は、改めて目を通していただけると有難い。

*第19号(2019.春号)「児童虐待」は本当に深刻な社会問題―政府の緊急対策となお残る疑問・課題を考える:池田祥子

*第22号(2020.春号)「子どもの支配」を内包する「親権」―離婚後の「共同親権」をめぐって:池田祥子

*第25号(2021.春号)‟児童虐待”―現場の職員としての願い:林栄理子

*第27号(2021.夏号) 社会的養護と子どもたちの教育保障―施設と学校と家庭:林栄理子

*同上・第27号 性教育・命の授業の必要性―負の連鎖を断ち切るために:あかね渉

最近の事例からー大阪府摂津市3歳男児の場合

「児童虐待」のニュースがテレビや新聞で報道されると、それだけで胸が疼くが、詳細を知れば知るほど(どこまで「真実」なのかは分からないまま)、親(義理の親あるいは養親)に対しても、行政に対しても、首を傾げてしまうことが多い。

2019年の札幌市での池田詩梨(ことり)ちゃん(当時2歳)の衰弱死(体重6.7キロ)に対して、最高裁第一小法廷は、母親の交際相手の上告を退けた。結果として、一審地裁判決―「保護責任者の遺棄致死と障害」の罪で懲役13年、が確定することになった。母親に対しては、同罪での懲役9年がすでに確定している(最高裁)。

この詩梨ちゃんの保護者の最高裁の判定結果が報道された9月末、ほぼ同時期に次の事例が報道された。

大阪府摂津市の3歳児新村桜利斗(おりと)ちゃんが、母親の交際相手に高温のシャワーをかけられ続けて、心肺停止状態になったのだという(桜利斗ちゃんの死は8月末、初めての報道は9月末)。

それ以後、明らかになったことは、桜利斗ちゃんと母親が摂津市に転入してきたのは2018年10月。しかも、前に住んでいた自治体から「見守りが必要な世帯」という引継ぎがあったのだという。

今年5月6日、母親は市に、「彼氏が子どもに手を上げる」と相談。市は5日後、保育所を通じて、確かに桜利斗ちゃんの顔にあざがあることを確認し、市の担当者が、翌日、母親と彼氏の二人に面接し(5月12日)、「手を出さないでください」と伝えたという(朝日新聞、2021.9.24夕刊)。その後の報道では、それよりも前、4月28日には、桜利斗ちゃんの保育所から市に、「頭にたんこぶがある」という通告がすでにあったそうだ。

さらに6月2日、「母親の知人ら」(朝日新聞)が、「虐待がある」、あるいは「このままでは桜利斗ちゃんが殺される」と市役所に通告。市はその後「少なくとも6回」母親と面会したという。

 

以前に住んでいた自治体からわざわざ「見守りが必要」との情報を受けながら、大阪府の児童相談所および摂津市の担当は、母親を「中度のネグレクト(育児放棄)」と位置づけ、それなりの面談を重ねてきたと言われる。しかし、保育所からの通告(4月28日)、母親からの直接的な相談(5月6日)、さらに、「母親の知人」たちによる深刻な通告がありながら、なぜ、いま一歩の踏み込みができなかったのだろうか。

母親が、「彼氏が子どもに手を上げる」と正直に相談し、その時は、母親と「彼氏」の二人と面接しているにもかかわらず、それ以降、「彼氏」との面接は行っていない。  

なぜ、「彼氏」とは会わなかったのか・・・その当然の問いに対して、市は、「彼氏」を「同居人とは認識していなかった」と述べたそうだ。たとえ同居していようといまいと、5月6日には母親が「彼氏」の苦情を口にし、しかもその時は両者を相手に「注意」を与えているというのに・・・・・・。

また、「母親の知人ら」というのが、具体的にはどのような関わりのある「知人」なのか、報道だけでは分からないが、少なくとも、その通告の中身は深刻である。「このままでは桜利斗ちゃんが殺される!」

通告を受けた市は、この「母親の知人たち」と、どの程度、顔を合わせ、話を聞き、どのように踏み込んで、その通告の信憑性、切迫性を確かめたのだろうか。

確かに、市はその通告を受けた後、桜利斗ちゃん宅を訪問し、桜利斗ちゃんに「新たな傷」などがないことを確かめている(子どもの「体」に傷があるかないか、のチェックだけが独り歩きしているようだ・・・)。だから、7月16日に開かれた府の児童相談所との会議でも、「中度のネグレクト」を確認し合っただけで終わったとのことである。この時点では、桜利斗ちゃんはまだ生きていたというのに・・・。

その後、大阪府は10月6日、「児童虐待事例等点検・検証専門部会」の初会合を開いた。部会の委員は、加藤曜子(元家庭裁判所調査官・流通科学大名誉教授)、才村純(元児相職員・東京通信大教授)その他の5人。

確かに、府の児相や市がたびたび関わりながらも痛ましい結果となったことは、その事態の詳細な検証や反省・教訓を明らかにすることは避けては通れない必須の作業ではあろう。しかし、事件発生後の、このような対応は、「学校のいじめ死事件」などでも、何度も行われたことである。「反省」や「教訓」が活かされたという話は、ほとんど聞いたことが無い。さらに、このような部会の委員は、事態の検証に当たっては、結局は現場の職員の情報を元にするしか方法はないのである。もどかしい話である。

児童相談所の制度的なジレンマ

本誌第19号(2019春)ですでに紹介しているが、児童相談所が対応した「児童虐待」の件数は、調査の始まった1990年には、1,101件である。それからの30年間、その数値は増大し続けており、児童虐待防止法が制定された2000年は1万7,725件、2010年には5万件を超え、2018年15万9,850件、そして2020年度は過去最多の20万5,029件だという。

虐待によって死亡した子どもの数は、2010、2011年には100人を数えているが、その後は70人、80人、60人と前後し、2020年度は再び80人となっている。

元々は、戦後まもなくの家庭での貧困や病気・障害を主とする「育児相談」の窓口として制度化された児童相談所が、この児童虐待数の増大に応じて、否応なく「家庭」や「親」に強権的に介入することを余儀なくされている。しかも、2011年改正の民法では、「親権停止」「親権喪失」「管理権喪失」などが規定され、家庭裁判所とともに児童相談所もまた、ますます家庭や親へのチェック、判定機能を強化せざるを得なくなっている。

このこと自体、児童相談所の制度的なジレンマであろう。

これらの事情を踏まえて、厚労省は、2016年4月、児童虐待防止対策推進本部策定の「児童相談所強化プラン」を立ち上げている。そこでは、児童相談所で働く児童福祉司、児童心理司、保健師らの専門職を合わせて、2019年度までに全国で4310人から5430人に増員することが目標に掲げられていた。だが、その実績はどうなっているのだろうか。

ただし、その後、2018年から2019年にかけて、東京都内の船戸結愛(ゆあ)ちゃん(5歳)および千葉県野田市での栗原心愛(みあ)さん(小4)の虐待死が相次ぐ中、厚労省は急きょ、「児童虐待防止対策総合強化プラン」(2018.12.18)や「緊急総合対策」(2019.2.8)を作成している。そこでは、改めて、「児童相談所の体制強化」という項目が立てられ、次のような項目が列挙されている。

 

常時弁護士の指導・助言体制     医師・保健師の配置義務

適切な一時保護や施設入所      一時保護所の環境改善

児童福祉司の2000人増(3000人から5000人へ)

児童福祉司の処遇改善        市町村の体制強化

母子保健分野と家庭福祉分野の連携  児童相談所と警察の連携

家庭裁判所の適切な活用など

 

また、児童相談所の「48時間ルール」というものが改めて確認された。それは、「通告から48時間以内に、子どもの安全確認をとる」というものである。さらに、虐待の内容や緊急性によって、「親との分離」(「一時保護」)の必要性の即刻判断を迫られる場合もあり、それは多くの場合、親の激しい拒否・抵抗などを招くことであろう。敵対・憎悪の対象になることも避けられない。したがって、このような親に対決する役回りは、一方の、「親身になっての指導・助言」を与える役とを、同時に担うのは困難であろう。そのため、児童相談所の職員を、「支持係」と「介入係」に当初から分けることが確認されたとのことだ。

いま一つ、児童相談所の設置が、長らく、都道府県にのみ限定されてきたが、児童虐待件数の増加に伴って、その所轄範囲の広さが問題視されてきた。

まずは、2004(平成16)年、児童福祉法の改正によって、2年後の2006(平成18)年、政令で指定する市には児童相談所が設置できることになった(児童相談所設置市)。それからさらにほぼ10年後、2016(平成28)年の児童福祉法改正時には、その翌年から、東京都の特別区23区もまた、設置可とされた。

コロナ禍の時も顕著だったが、児童虐待数に関しても、東京都は、全国の件数の一割以上を占めている。人口の過密、住宅のマンション化、高層化などもその一因であろうか。先の児童福祉法改正の下、2020年春には、世田谷区、江戸川区、7月荒川区、2021年春、港区と続いて設置され、残る19区も大半が設置に動き出しているそうだ。

ただ、練馬区は唯一、「区の児相は設置しない」と前川燿男区長は明言している。それは、「今まで笑顔で家庭を支援していた区の職員が、児相職員として強制力を持って家庭に介入するのは、保護者や子どもの心情を考慮しても難しいという議論が内部ではあった」からだという(朝日新聞、2021.8.26夕刊)。その代わり、区の練馬子ども家庭支援センター内に都の児相のサテライトオフィスを設け、都の児相からも毎週2日、職員が出かけて来て、共同で相談や共同作業を行っているという。

東京都の児童相談所の今後、さまざまな危うさを抱えながらも、なお期待されているのは事実ではあるだろう。それ以外に、児童虐待に対処する制度が見当たらないからでもあるが。

一方、児童相談所の「一時保護」処置など、その判断の妥当性をチェックする「第三者評価機関」の設置が具体化されそうである。

親の虐待が疑われているケースの場合、どこまで強引に親子分離を断行して「一時保護」の措置を取るのか、子どもを親元に置きながら、密な観察・指導を続けていくのか、これは確かに難しい判断を迫られるであろう。多くは、親元に残しながらも、結果として子どもの命が絶たれるケースも多い。だが、兵庫県明石市のケースでは、生後50日だった男児を、1年3カ月にわたって一時保護したという。「骨折した」という病院からの虐待通告を受けてのことであった(2018年8月)。ところが2019年11月、大阪高裁は「虐待を認めるに足りない」との判断を下した。「寝返り、ハイハイ、離乳食、数々の初めての場面に立ち会えなかった。どうやっても取り返せない」と、抱っこを拒み、大泣きするわが子を前に、両親は悔やみ途方にくれた、そうだ・・・。

以上のような事例も多発しているため、厚労省は、「日本児童相談業務評価機関」(事務局・東京)を、設立するという。10月20日、一般社団法人として法務局に申請し、2022年度には、全国10カ所で評価を実施したい、とのことである(朝日新聞、2021.10.19夕刊)。

この法人理事長に就任する安部計彦氏(西南学院大学・児童福祉)は、「従来型の行政監査ではなく、対話しながら評価することを重視する」という。評価項目は65項目。

児童虐待の当事者である親や子どもの状況に寄り添いながら、必要とされる具体的な手立てを考える前に、制度的な装置が、上から整えられていく。これで、はたして児童相談所の職員たちは、「余裕をもって」「正しく」「的確な」判断の下で働くことができるのだろうか。

膨大な書類作成は少ないようだが、外部委員から65項目に渡っての質問は、やはり通常の業務以外にかなりの時間が割かれるであろう。

増大する「児童虐待」に、これまで通り「児童相談所」が対応していいものかどうか、もう少し違った対応の装置(制度)・方法は考えられないでいいのだろうか。

改正教育基本法および家庭教育支援法案の根底の思想―「親の責任」!

最後に、日本社会に特有な「家庭」や「親」の観念を、改めて確認しておこう。

戦前の「家族国家観」は、戦後、とりあえずは「否定」された、と誰もが考えてきた。さらに、日本の戦前の「家」制度も、戦後民法では否定され、戦後は「一夫一婦」の新しい「民主的な家族観」が制定された、と強調もされた。

しかし、未だに「選択制夫婦別姓(氏)」制度が実現できない状況からも明らかだが、「夫婦一体」「家族一体」という観念は、とりわけ自民党およびその支持層には根強い。また、現在の民法には、結婚、離婚、再婚に当たっての子どもの認知など、「家制度」が執拗にとり残されている。さらに、「男/女」の性別を固定化することなく個別化させるGLBTQや、「同性婚」の社会的認知に対しても否定的な意見が強い。

このような状況をさらにテコ入れするものとして、2006年、安倍晋三内閣は、教育基本法を改訂し、「男・女」による「家族・家庭」を根底に据え、第10条に「家庭教育」、第11条に「幼児期の教育」をわざわざ新しく設定した。

―(第10条)(1)父母その他の保護者は、この教育について第一義的な責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。

この内容は、一読して、「そうだそうだ、当たり前だ!」と納得し素通りしてしまう人も多いかもしれないが、「親ならば、当たり前!」と常識的には思われることが、わざわざ法律に「親としての責任」と「努力義務」が規定されたこと、そのこと自体の問題である。

政治が配慮し具体化すべき第一義的な内容・責任は、「家庭(とりわけ子ども)の生活保障」であろう。それこそが、子どもの「生」を保障する必須の課題である。

そのためには、「親」の経済的保障が死活問題になってくる。だとすれば、昨今の、働く者の雇用形態の不安定化による賃金・待遇の低下・悪化の問題は見逃すことができない。

具体的には、2015年9月の派遣法の改正により、派遣会社の事業数は増大し、それに伴って、派遣労働者も増大してきた。またそれ以上に著しいのは、「パート」「アルバイト」「契約社員」「嘱託」等などの名目による「有期雇用労働者」の増大である。全労働者のなかでの割合は、1986年、16.6%であったものが、2020年には38.0%と上昇している。また、1990年代半ばからの「行政改革」という名目での、各地方自治体への補助金削減や民間委託など、「臨時」「嘱託」「特別職」などの名称に依る「非正規」公務員の増大という問題もある(この一冊『官製ワーキングプアの女性たち』本誌26号参照)。

このような「不安定な雇用」および「低賃金」という事実に、昨今のコロナ禍が加わってますます状況が悪化していることは言うまでもないことである。

以上の、親たちの経済状況の安定保障という基本課題を抜きにして、家庭内での親に「教育責任」を課すことは、まさに「家族・家庭」は国家を支える基本的な単位である、という家族国家観そのものの再現なのだ。

自民党は、その後、この改正教育基本法第10条を継承するものとして、「家庭教育支援法案」を作成し、その法制化を目論んでいる。しかし、それは未だ実現しないままではあるが、その内容を継承する「家庭教育支援条例」が、その後、8県6市で制定されている。

2012年、全国に先駆けて制定された熊本県の条例では、第6条「子どもに愛情をもって接し、子どもの健全な成長のために必要な生活習慣の確立並びに子どもの自立心の育成、及び心身の調和のとれた発達を図るよう努めるとともに、自らも成長していくよう努めるものとする」となっている。まさしく親自身への「責任」の強要であり、ある種、親に対する「あるべき親のため」の道徳教育の手引きともなっている

このような「親」のあるべきイメージ、「親の責任」意識は、「子どもの権利」を基軸に据えようとしている児童福祉法にも、残念ながら、影響を及ぼしている(民法からも、親の懲戒(権)を失くせないでいるが)。

それは、第25条、「要保護児童を発見した者は、これを市町村、都道府県の設置する福祉事務所若しくは児童相談所・・・に通告しなければならない」という規定に見て取れる。

「要保護児童」とは「虐待を受けている」と見なされる子どものことである。それに気づいた時、「なぜ、そのような事態になっているのか?」「どうすれば、そのような事態をなくすことができるのか?」・・・地域の中でも、人と人との関わりが希薄になっている時には、そのような「想い」や「心配」は、すでに相手に届けようがないのだろうか。当事者の親と子どものために「手を差し伸べる術」はあるはずではないのか?

しかし、児童福祉法第25条も、児童虐待防止法も、人々に「通告」の義務を課し、「児童虐待」は「早期発見」すべき「困った事態」としてのみ位置づけられている。この認識・図式の上では、子どもを虐待するような親は、「親としての責任」を放棄している、あるいは「親としての責任」を果たせない「困った親」でしかなくなるのである。

もう一度、子どもを養育しているすべての家庭、すべての親のために必要な施策を、あらためて思い出し、整備することが先決ではないのだろうか。

「誰でも、希望すれば入所できる」、0歳からの保育所

「困った時には、いつでもSOSを発信できる、地域のセンター」

「子どもが、家庭以外に逃げ込める、子どもセンター」

・・・一方、現在、「児童福祉」の名目で拡充されようとしている「里親」「養子縁組」「特別養子縁組」などは、(血縁を超えて!)「優秀な親」「親として合格!の親」という規範が強まっているような気がしてならない。だからこそ、「いろいろな親がいて、いろいろな子どもが育つ」を大事にしてほしい。・・・少しでも「虐待」の兆しに気づいたならば、それが深刻化する前に必要な手を打つ・・・そういうことができる関係性を大切にする社会づくりであってほしいと思うのだ。

いけだ・さちこ

1943年、北九州小倉生まれ。お茶の水女子大学から東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。元こども教育宝仙大学学長。本誌編集委員。主要なテーマは保育・教育制度論、家族論。著書『〈女〉〈母〉それぞれの神話』(明石書店)、共著『働く/働かない/フェミニズム』(小倉利丸・大橋由香子編、青弓社)、編著『「生理」――性差を考える』(ロゴス社)、『歌集 三匹の羊』(稲妻社)、『歌集 続三匹の羊』(現代短歌社、2015年10月)など。

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