編集委員会から
編集後記(第28号・2021年秋号)
―――立憲民主は真摯な論議で一歩後退・二歩前進を期し、
貧困大国日本打破へ総力を!
▶4年ぶりの総選挙、後世の歴史にどう語られるか――安倍・菅の政権末路の危機を感じた自民党は、コロナを拡大してまでオリンピックを強行したが政権延命に繋がらず。スガを切り捨て。メディアジャックと言われるテレビや新聞の無料利用で、河野・岸田・高市・野田による市民が関与できない自民党総裁選という総選挙の大々的な事前運動を繰り広げた。わずか一年前の総裁選で大敗し、ダメ男、“もはやこれまで”のレッテルを張られた岸田文雄にスイッチ。背後には戦後最悪の総理・アベ、戦後最低の総理・アソウが控え、権力維持のためには何でもありの自民党、換言すればしたたかな自民党ではある。そして岸田は、総理就任直後に解散・総選挙を強行・見事に生き残る。
岸田は保守リベラル・宏池会の伝統を引き継ぐのなら、「軽武装・経済重視」「現行憲法でよい」をふまえ、アベなどの右派勢力とは一線を画し、総裁選時に主張した「新自由主義政策からの転換」(新しい資本主義は意味不明だが)、「分配なくして成長なし」などを真面目にやれ、と言いたい(早くも腰砕けと揶揄されているが)。付言すれば、アベや右派勢力に迎合して「敵基地先制攻撃能力の検討」とかアホなことを言うのは止めておけ。敵基地先制攻撃など日本にとっては夢想。現実に不可能であり、国民生活を無視した果てしなき軍拡競争にのめり込むだけだ。喜ぶのは“死の商人”のみ。肝心なのは、敵をつくらない外交力だ。間違っても“タカ派の平和ボケ”の連中に惑わされてはならない。
▶さて総選挙の「結果と展望」は、巻頭で本誌の住沢博紀が、「男女共同代表制で立憲民主党の再生を――総選挙結果へのもう一つの分析 3分の1の壁を越え、閉塞日本の再建のために」を論じる。是非熟読を。
選挙は怖いもの、を実感。巷間、野党共闘の是非が論じられているが、冷静な総括が必要だ。確かに当初の想定より立憲は減らし敗北。原因は共産党との野党共闘の結果だと批判論調が主流。立憲バッシングの嵐、枝野代表が責任を取って辞意表明。新たな代表選出へ、と。その顔は誰かともうメディアの詮索。新聞、テレビの皆さん!投票直前まで“自民党の単独過半数は微妙”とやっていたのではないか。その反省と総括が先だろう。確かに立憲民主党も共産党も思うように野党共闘の成果を出せなかったのは厳然たる事実だ。「議席数は減るとは思ってもいなかった」(福山幹事長)だから敗北だろう。しかし単純に野党共闘のせいにするなと言いたい。小選挙区では増えているし、多くの接戦区がある(これは野党共闘の成果)。問題は比例区だ。立憲は62から39へ激減し敗北。政党名を書く政党選挙である衆院選比例での敗北は深刻(参院は、個人名でも比例票<政党の比例票>になる)。福山幹事長は比例での敗北で、小選挙区での野党共闘で“比例は立憲へ”と言えなかったと弁解していたが、要素は否定しないがやはりそれは弁解。
比例は“政党への支持投票”(勿論人気投票の要素も)。党の顔である枝野幸男代表が“飽きられた”ということが大きいのではないか。もっと言えば枝野代表の“人徳の無さ”では。以前から思っていたが、枝野さんの、あの上から目線の物の言い方、人を馬鹿にしたように講釈を垂れる、普通の市民が理解出来ないような<単語>を連発する。そもそも発信の場である記者会見もなかなか開かない、など。その人徳の無さに加え、自公が大キャンペーンを張った、「立憲共産党」の野党共闘批判は効果大だった。もとより自民批判票・無党派層の票が立憲に集まらなかったことの厳密な反省と総括が必要で、これは逃げることなく真剣‣真摯に行ってもらいたい。自民が大きく踏みとどまり、維新が4倍増になったのは、立憲の力量の無さ、有権者を引き付ける理念を掲げ、心に訴える全国的運動を展開できなかったことの裏返しであり核心点だ。
▶一方、日本維新の会の躍進とは何か。これも今回総選挙の不愉快な大きな要素である。選挙前から議席増は報じられていたが4倍近くの増は想定外で当事者もビックリしている。コロナ対処をはじめアベ・スガ政治への批判、長期に収入が増えないアベノミクスの破綻など底流にある自民党政権批判は溜まっていたのだ。その批判票がなぜ維新へかだ。維新が“改革”を語ったとか、大阪での地方行政の実績とか、コロナでの吉村人気が語られている。そんなもので維新が41議席か、説明できないだろうが、選挙とはそうした水物だということ。それにしても維新は、これでもかの“不祥事のデパート政党”だ(維新の酷い不祥事の一覧はネット情報ですぐに見れる)。そもそも吉村は悪徳サラ金の顧問弁護士あがりのネトウヨ、松井は自他ともに認める大阪・八尾出身の“やんちゃ”(不良、某重大事件は憚るので触れない)。創設者の橋下徹は、今はテレビに頻出して金儲け。竹中平蔵とともに新自由主義の権化が顧問格。
自民党のテレビジャックと同様、吉村・松井はコロナ下で関西の民放に出まくり、それが公務のような有様であった。「コロナの吉村人気」とメディアは言う。しかし東京より死者数の多い大阪、自宅死も多発の現実。それは二度にわたって否決された大阪都構想にかまけた結果でもあるが批判は弱い(維新の躍進はテレビのお陰と自虐的なテレビ局員の声も聞く)。また大阪の維新が自慢する政治の根底は新自由主義に元づく公共サービスの切り捨て、弱者切り捨てによる財源確保だ(議員数の削減や公務員給与の切り下げは大阪維新の専売ではない)。そしてコロナ禍で大問題となった保健所行政の縮小を推進し人員削減などのリストラを強行。また同和教育を始めとした人権教育や文化行政の後退も指摘されている。維新は大阪ローカルでメディアなどの批判にさらされることが少なかったが、冷静な歴史的分析が必要。自民党より右の悪しき別動隊であることに変わりはない。アベやスガと裏で一体化していたと指摘されているが、岸田とは疎遠とも言われるが果たしてどうか。
そして国民民主党、3人増でいよいよ本性が出てきたのか立憲との共闘を見直すと。まあ昔の民社党への先祖帰りと思えば分かりが早い。民間大手労組(資本の意向も含め)の意向で動く党であるが、さて何処へ行く。しっかりとした監視が必要だろう。連合も同じだ。非正規をはじめ広範な労働者の代表たり得ているのか、この分析と監視も大切。
▶今回の立憲の敗北は、立憲の地力の無さ、地方組織の力量が弱い、風頼みの党の実態が露呈したと言える。小選挙区では改選前議席より増やし、野党共闘によって全国の多くの小選挙区で接戦に持ち込んだが、最後は敗北への危機感をバネにした自民の底力が勝ったということに尽きる。そして比例区で大きく議席を減らしたことが今回の結果である。政権や自民への批判票、無党派層の票の多くが立憲ではなく維新などに流れたのが厳然たる事実だ。枝野辞任はやむ無しとしても、立憲は大いなる論議はあったとしても団結して対処できるのかが問われる。大阪で敗北し比例の議席減で復活もできなかった辻元清美は“分裂だけはアカン”と叫んでいる。その通りだ。あの民主党・民進党時代の内紛・分裂だけは避けておおいなる論戦を展開すべき。それも支持者や市民に見える形で大いにやるべし。そして立憲の議員・党員・支持者の皆さん!苦しい時こそまさに踏ん張りどころだ。“一歩後退、二歩前進”を期しての奮闘を切に願う。
▶日本政治のありようについて前号で中央大学の宮本太郎さんに、自著『貧困・育児・介護の政治―ベーシックアセットの福祉国家へ』をふまえ、ベーシックアセット戦略を軸にした福祉国家の再構築、ひいては社会民主主義の再生はありうるか、を提起願った。本号では、労働政策専門家の濱口桂一郎さんと、「交錯する<磁力としての新自由主義>と<神聖なる増税同盟>」とは、「21世紀の福祉国家とベーシックアセット」という興味惹かれる概念をめぐって論議を願った。17000字に及ぶ長論考となった。また東海大の辻由希さんが、自民党総裁選や総選挙にからみ、「政治における<女性活躍>を考える」を寄稿頂いた。
ドイツでは先の総選挙の結果、メルケル政治から社会民主党を軸とする連立政権交渉が進んでいる。日本政治を考える場合も大いに参考になるドイツ政治。大阪市大の野田昌吾さんとベルリンから福澤啓臣さんに貴重な分析を頂く。
久しぶりに過去の現代の理論の論文アーカイブを掲載する。「あいまい国家日本の由来」(本誌2008年新春号)である。先の自民党総裁選でも安倍は、高市を使い、国家や民族という右派のシンボル的概念を最大限に利用して自己保身に走っていた。誤った単一民族説を払拭することもできず、曖昧な民族・国民観念によって国家統合を図っても、その目的が政治的スキャンダルを隠蔽する自己保身にあることは、あまりにも見え透いている。まさに、「愛国心は、ならず者の最後の隠れ家である」という、言い古された政治的格言そのままである。もう一度、民族とは、国民とは、日本人とは何か、考える上での重要な論稿である。
本誌の橘川俊忠、大野隆編集委員の総選挙に関する一言は以下。(矢代 俊三)
▶今回の総選挙は、マスコミ各社の予想をすべて裏切り、自公政権が従来通り絶対安定多数を確保するという極めて面白くない結果に終わった。いろいろある要因の内、結果に大きく影響したものとして政権交代をめぐる問題があった。選挙特に衆議院総選挙は、本来、政権を選ぶための選挙であるが、その直前に政権交代が実質的に終わってしまっていたとしたらどうだろうか。たぶん選挙はどこか白けたものになってしまうだろう。今回の自民党の党首交代から岸田政権の誕生の過程では、計算されていたかどうかはともかく、それなりに路線・政策・政治手法の転換をにおわせ、深みには欠けるが政策論争らしきものも実行された。コロナ感染症パンデミックの様相の急激な変化ともあいまって、自民党得意の選挙対策用党首のすげ替えが、まさに党首交代が実質的政権交代であるかのように見せかけることに「成功」した。
それに対して、野党側は、政権交代選挙という自分たちのスローガンに固執し、多くの選挙民の意識との間、感覚のずれが生じていることに気付かず、選挙の位置づけを修正することができなかった。こんなことをいってもしょせん後の祭りだが、マスコミ各社の予測も野党側の硬直性を一層強める効果を持ってしまった。それでは、今回の選挙に全く希望を見いだせないのかといえば、そんなことはない。与党右翼の別働隊である維新の「躍進」が、皮肉なことに本格的野党の再生に大きなヒントを与えてくれる。そのヒントとは、地方で頑張れば、それなりの勢力形成が可能だということである。
コロナ感染症パンデミックは、よく言われるように地方自治体の力を試すことになったが、問題にきちんと対応した自治体は中央政府に対抗する政治力を明らかに高めた。目立ちたがりの知事達の中には、ぼろを出し露出を減らさざるを得ず、影響力を低下させる者もいたが、現実に成果を挙げ政治家としての力量を高めた者も出てきたし、多少のぼろもなんのその押しの強さで一貫して「やってる感」を浸透させ、できる知事の演出に成功した者もいた。維新はそうした「やってる感」を最も上手く利用できたのであろう。
維新の躍進の原動力にもなった「地方の力」を真に体現する政治家が出れば、状況は変えられる。これは、正論でもあり、時間もかかることであるが、地方で鍛えられた政治家の出番を増やし、将来を期待される人材には地方で経験を積ませる。取次役の御用聞きが地方政治家の役割ではない。コロナ感染症パンデミックは、中央依存の指示待ちでは市民を守れないことを明らかにした。そこでは、自立したリーダーシップとマネジメント能力が問われる。本当の政治家はそういう場所で誕生する。野党には、党首交代で分裂などしている暇はないはずである。与党が、世襲による安易な政治家補充に頼っている間にこそ、本格的政治家の養成にとりかかれ。そこにしか逆転のチャンスはないのだから。(橘川 俊忠)
▶衆議院選挙前は岸田も「貧困・格差問題」に触れ、「金融資産課税」を言っていたが、そのトーンは急降下、公明党にすり寄って18歳以下への一律給付で「対策完了」となりそうだ。しかし、日本の実情をわかっているのか。OECD(2018)によると一人親世帯の貧困率は48.3%でOECD36か国中最悪。66歳以上の高齢者の貧困率が20.0%、18歳から25歳の貧困率も17.3%で、どちらもG7で2番目に高い。貯蓄ゼロは単身世帯で36.2%、二人以上世帯で16.1%であるから、子供に限定した給付では間に合わないことが明らかだ。20年以上にわたって賃金の低下が続く日本は、貧困大国なのだ。
一方で金持ちは所得を増やしており、税制がそれを支えている。消費税導入以来30年、消費税として増えた税額が法人税と所得税の減税による税収減で打ち消されている。菅隆徳税理士によると、大企業に対する優遇税制の結果、トヨタは法人税の負担率が15.3%、ソフトバンクは0%、三菱商事は1.2%だという。試験研究費の税額控除、受取配当を利益から除く制度などにより、2019年では6兆円が減税されている。企業の実質法人税率負担は、中小企業18.2%、中堅企業20.5%に対し、大企業は9.6%だ。30年間で40%から23.2%に下がった税率を上げて大企業優遇をやめ、さらに法人税を累進化すれば、法人税は30兆円を越え、現状の3倍近くになるという。大企業に対しては増税だが、中小企業は減税になる。応能負担の原則を貫くことになる。金持ちに課税するための所得増税もすべきだ。こうしたことをまともに議論し一歩でも前へ進めることが重要課題である。立憲民主党はその先頭に立て。(大野 隆)
季刊『現代の理論』[vol.28]2021年秋号
(デジタル28号―通刊57号<第3次『現代の理論』2004年10月創刊>)
2021年11月10日(水)発行
編集人/代表編集委員 住沢博紀/千本秀樹
発行人/現代の理論編集委員会
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