論壇

「児童虐待」は本当に深刻な社会問題

政府の緊急対策となお残る疑問・課題を考える

こども教育宝仙大学前学長・本誌編集委員 池田 祥子

1.二つの児童虐待の事例に想う

 2018年春から、今年2019年1月にかけて、多くの人の胸を痛めずにはおられないような児童虐待が相次いだ。いずれも父親の異常に見える虐待行為および母親の加担、無力?(DVの後遺症と言われているが)など、マスコミにも繰り返し報道された。だが、その詳細はいずれも今後の調べに委ねられるだろう。それにしても、それぞれの関係所管の対応の拙さ、不手際など、今後の対策を考える上で重要ないくつかの点は、あえて想起しておこう(それは、犠牲になった二人の女の子の命が「救えたはずなのに・・・」という悲しい悔恨を呼びさましてしまうのだが)。

一つは、船戸結愛ちゃん(5歳)のケース

2018年1月、香川県善通寺から東京都目黒区に引っ越してきた結愛ちゃん家族。父33歳、母25歳。結愛ちゃんはその母の連れ子。香川県の児相(児童相談所)では「虐待ケース」として扱っていたが、しかも児相ですでに結愛ちゃん自身が、「おうちに帰りたくない」と口にしていたというのに、家に戻し、東京に転居したのを契機に、「虐待ケース」も解除したという。

それでも、東京の転居先を把握した(1月23日)香川県の児相は、担当することになる品川児相に連絡を入れる(1月29日)。品川児相はその翌日緊急会議を開き、「虐待ケースとして受理しました」と香川県児相に連絡を入れている(1月31日)。ここまではスピーディーな対応である。しかし、実際に児相の担当者が結愛ちゃん宅を訪問したのは2月9日。その時に、担当者は結愛ちゃんに会えていない。それからしばらく空白の期間が入る。そのうち、2月20日、結愛ちゃんが入学予定の区立小学校の「入学前説明会」に来ていないという連絡が、区の子ども家庭支援センターを経由して品川児相に入る。

また、2月28日、結愛ちゃんを診た香川の病院から「虐待としか考えられないケガをしていた」という情報が品川児相に入り、すぐに病院に資料を請求したところ、資料が品川児相に届いたのは3月初旬。結愛ちゃんが亡くなったのは、3月2日である。

新聞で報道された結愛ちゃん直筆の「もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします」は衝撃的だった。

二つ目は、栗原心愛さん(小4)のケース

このケースは、心愛さん家族が沖縄県糸満市で暮らしていた頃からの追跡が必要のようだ。なぜなら、この段階ですでに、父親(41歳)の、とりわけ母親(妻、32歳)に対してのDVと心愛さんへの虐待も発生していた模様だからである。そして、この夫婦はこの段階で一度離婚し、さらに「再婚」し、父親の親族の居る千葉県野田市に転居した。誰もが、「新しい再出発」と喜び期待したことだろう。

しかし、この後まもなく父親の虐待は続いていたことが分かる。心愛さんは、2017年11月(小3)、小学校のアンケートに「ぼう力をうけています」「先生、どうにかできませんか」と書いている。それを読んだ担任が面接をし、心愛さんの語る言葉も多く書き記している。中には、「(父親が)口をふさいで、ゆかにおしつける」「自分のからだ、だいじょうぶかな」というのもあった。この日の内に、学校から千葉県柏児相に連絡がとられ、「父親からいじめを受けた」子どもの事例として一時保護の処置となる。しかし、この一時保護はその後解かれて、心愛さんは帰宅する。  

明けて2018年1月12日、父母、学校および教育委員会が同席して、今後の話し合いを持ったところ、父親の恫喝に圧されて、学校は心愛さんのアンケートの内容の一部を伝え、さらに15日、心愛さんの字で書かれた「同意書」を父親が持参したため、教育委員会はそのアンケートのコピーを渡してしまったとのことだ。子どもに「同意書」の確認を取ることは決して簡単ではないだろうが、しかしその配慮も躊躇(猶予)もないままに、課長の一存だったそうである。

それからまもなくの1月18日、心愛さんは祖父母が住んでいる隣の学区に転校する(させられる)。この後、2月、3月、児相は家庭訪問1回、小学校へ1回心愛さんに会いに行っているが、心愛さんから、自筆で「お父さんにたたかれたというのはウソ」と書かれた紙を見せられたり、その後で、それも結局は父親と母親の言うとおりに書いた・・・ということも知らされるのだが、最終的に心愛さん自身が「お父さんとお母さんと一緒にくらしたいとおもっていたのは本当のこと」と児相の職員に語ったために、その後は、児相との関わりは途絶えた形になっている。

さらに、夏休み明けの9月から、母親の体調のため、としばらく親族の家にいた心愛さんが、12月の冬休みを控えて自宅に帰るという日、父親も居るみんなの前で「うちには帰りたくない」と大泣きしたそうだ。親(とりわけ父親)のメンツが丸つぶれになったのだろうか。これから後、結局心愛さんは一度も登校していないことになる。

父親は1月7日、冬休み明けに学校に電話をかけて「沖縄にいる曾祖母としばらくいさせたいので、1月15日から登校する」と伝え、さらに、15日近くの1月11日には、再度の電話連絡で、「曾祖母の体調が悪いので、登校は2月4日から・・・」と伝える。・・・心愛さんが浴室で冷たくなっていたのは1月24日だった。

 

結愛ちゃん、心愛さん事件の後しばらく、各新聞の歌壇には、結愛ちゃん・心愛さんを悼む短歌が相次いで載せられている。多くの人が、黙ってはいられなかったのだろう。

望まれて命は生(あ)れき結愛ちゃんと心愛ちゃんの名に「愛」の字がある 篠原俊則(朝日歌壇 2019.2.24)

2.「少子社会」での「児童虐待」―私たちの直面する難問題

20世紀は「児童の世紀」とも言われた。子どもは「小さな大人」ではなく、子どもの世界を持ち、未来を切り開く存在である。貧困や過酷な労働に酷使される日々から解放されて、子どもは自ら学び、成長し、次の社会を担っていく。・・・少なくとも、20世紀は「児童」に明るいイメージを付与して始まったと言ってもいいのではないか。

しかし、考えて見れば、その「児童の世紀」の宣言自体が、親や大人から絶えず叱られ、叩かれ、折檻され、酷使され(児童労働として搾取され)てきた子どもたちのそれまでの現実の反面なのかもしれない。しかも20世紀は、二つもの大きな戦争を引き起こしたのだから、不本意ながら、現実は「子ども受難の世紀」だったとも言える。

漢字の「教」という文字の右の「つくり」は鞭を表わしているという。また「育」という文字は、人間の子どもが頭を下にして生まれて来るのを表わしている。つまり、「育」という文字の中にも、「逆さまに生まれて来る子ども」を「正常に戻す」という矯正の意味が含まれているのである。いずれにしても、「教育」や「子育て」の歴史には、すでにして「慈しむ」「愛する」側面とともに「躾・強制・罰・折檻」という側面も当たり前に併存していたことは事実である。

ただ昨今の「児童虐待」が、歴史的な「躾・折檻」と同じものなのかどうか、そこに現代的な特別な要素がありそうではあるが・・・。ここはなお難しいテーマである。

ところで、先の結愛ちゃん・心愛さん事件を含めて、日本でも当たり前に「児童虐待」という言葉が広まっているが、そもそもこの「虐待」という言葉は、英語の“abuse”の翻訳語であると言われる。事実、イギリスでは、今でいう「児童虐待」が1950年代にすでに社会問題になっていたという。

また、アメリカでも1960年代までは、気づかれてはいたがあくまでもそれは「低階層の子どもの問題」であると、見て見ぬふりをされていた。存在はしていても統計学でいう「暗数」、つまり表面からは見えず、潜在していたというのである。それが一旦、表(おもて)に出てくると、瞬く間に広がり、低階層のみでなく、中・上層階層にまでわたり、1970年代には年間200万件300万件とも言われる数に達している。

発達心理学者の故藤永保は、『「子育ち・子育て」考―子育ち困難時代への警鐘』(チャイルド本社、2016年)の中で、次のように述べている。

「筆者はその頃、アメリカにおける虐待の講義をしながら、日本ではこうも広まることは考えられないと述べていたのを思い出す。不明の至りだが、自分のなかでも子宝文化への信仰がそれほど根強かったのだろうと思う」(p.50)。

藤永保の子宝文化への信奉はとりあえず脇に置くとして、1970年代から80年代にかけて、戦後の高度経済成長を支えた「核家族」の病理が、さまざまに噴出していたのは事実である。夫(父親)の不在、地域社会の崩壊、密室子育てなどによる「子育てノイローゼ」や「母による子殺し」が社会問題化していた。

また逆に、10代の子どもたちによる「親殺し、祖母殺し」が多くの人を戦慄させた。この時期、すでに日本でも「家族」自体(さまざまな家族総体)が問われていたのである。にもかかわらず、当時は残念なことに、「性役割分業批判」や「母性イデオロギー批判」に力点が置かれて、これらすべてが、西欧の、さらには今日の日本の「児童虐待」問題と地続きであるという認識は乏しかったようだ。

しかし、1990年代に入って、とりわけ半ば頃から、日本でも児童虐待をめぐる状況は急激に変貌する。(図1)は、「児童相談所が対応した子どもの虐待件数」の2000年度以降のグラフである。2017年度は13万3778件であり、前年度より1万1203件(9.1%)の増加である。調査が始められた1990年から27年間連続して増え続けている。

 このグラフでは、2000年度以前は省略されているが、参考までに1990年からの数字を挙げておこう。

  1990年     1101
  1991年     1171
  1992年     1372
  1993年     1611
  1994年     1961
  1995年     2722
  1996年     4102
  1997年     5352
  1998年     6932
  1999年   11631
  2000年   17725

以上のグラフや数字から、それぞれ加速し始めている年は、1995年、1998年、2000年、2005年、2010年と読み取れるが、その年々の社会状況との対応は定かではない。

また、児童虐待防止法の制定が2000年5月、統計は2004年から取られ始めている。

(図2)は、全国の警察が児相に通告した児童虐待の数である。2018年では、8万104人、前年より22.4%の増であり、これまた統計のある14年間連続増を示し、18年度が最多を更新した形である。警察庁は、このような児童虐待通告の増大について、「国民の意識が高まり、(その結果)相談や情報が数多く寄せられ、警察への通報も増えた」と発表している。

図2

確かに、学校、児童福祉施設、病院などでの「児童虐待の早期発見」の義務づけ(第5条)や、それと思われる事態を発見した者の「通告」の義務(第6条)が規定されている児童虐待防止法が制定されてほぼ20年。警察庁の発表通り、この数値の上昇は、一面では各部門や地域住民の注意・関心の高まった結果であるのかもしれない。

この数値の多さに胸が痛くなるのも事実ではあるが、しかし、「虐待」「通告」「摘発」という言葉の羅列に違和感があるのもまた事実である。

一方、合計特殊出生率は、最低だった2005(平成17)年の「1.26」から昨今はやや持ち直して、「1.44」(2016年)、「1.43」(2017年)とほぼ横ばいながら、実際の出生数は2018(平成30)年、921,000人と過去最低となり、「少子社会」にブレーキはかかっていない。また、「50歳まで一度も結婚したことのない」生涯未婚率も、2017(平成29)年の国立社会保障・人口問題研究所の発表によると、男性は4人に1人、女性は7人に1人の割合にまで達している。

もちろん、「結婚」という制度自体がさまざまに問われている現在、「一人で生きる」人生も当然、選択肢の一つではある。だが、「結婚」の枠外で、多様な形態で子どもを産み育てるケースが制度的にも認められていなくて、そのため、そのようなケース自体が極端に少ない日本の現実では、男女ともにさらに拍車がかかっている「生涯未婚率」の上昇は、「少子社会」を今後、一層加速させていくに違いない。

このような「少子社会における児童虐待」問題は、一方で、「子どもの声がうるさい」という理由での「保育所設置反対運動」や、「問題児が集められているから地域の品位が下がる」という理由からの「児童養護施設設置反対運動」などとも合わせて、いまの時代の悩ましい「難問題」の一つなのかもしれない。

3.政府の「児童虐待防止対策」(概略)と残る問題点

今回の目黒区での結愛ちゃん、野田市での心愛さんの虐待による死亡事件は、児相や学校、教育委員会など、主要な関係部門の不手際などが際立ち、政府としても緊急に対策を打ち出さずにはいられなかったのであろう。

結愛さんの事件の後、2018年7月20日、政府は「関係閣僚会議」において「緊急総合対策」を決定している。続いて12月18日、「関係府省庁連絡会議」が開かれ、「児童虐待防止対策総合強化プラン」(「新プラン」)が策定された。ところが、2019年に入って、さらに心愛さん事件が重なり、2月8日、再度関係閣僚会議が開かれ、先の「緊急総合対策」の「更なる徹底・強化について」を決定している。

これらの内容は、これまでにもいくつか改善策が取られてきたものをさらにスピードアップ化すること、また児童福祉法、児童虐待防止法、民法などの関連法の改正案を国会に提出すること、また、さまざまな充実政策のための財政措置を2020年度の予算に盛り込むことなども予定されている。

内容は、児童虐待問題に絡む児童福祉関係、学校関係、弁護士や家庭裁判所に絡む司法、警察、医療、等々、関連する所すべて網羅されている。ここでは、柱だけを紹介しておこう。

1 子どもの権利擁護・・・民法の懲戒権の検討、児童相談所の業務の明確化、児童福祉審議会の活用促進、など。
2 児童虐待の発生予防・早期発見・・・女性健康センターでの妊婦の支援、乳幼児健診未受診者その他の定期的な安全確認、地域の子育て世代包括支援センターの全国展開 (2020年度末までに)、地域子育て支援の整備、相談窓口「189(いちはやく)」の認知・活用、SNS、「子どもの人権110番」「子どもの人権SOS(eメール)」などの活用、 スクールカウンセラーの活用、「法務少年支援センター(少年鑑別所)」の充実、「成育基本法」の活用、障害児とその保護者への支援強化など。
3 迅速・的確な対応・・・児童相談所の体制強化、常時弁護士の指導・助言体制、医師・保健師の配置義務、適切な一時保護や施設入所、児童福祉司2000人増、 児童福祉司の処遇改善、児童心理司の配置、児童相談所の設置促進、一時保護所の環境改善、市町村の体制強化、母子保健分野と家庭福祉分野の連携、子育て支援サービスの充実、 学校へのスクールソーシャルワーカーの配置、スクールロイヤーの配置、DV対応との連携、歯科医師との連携、児童相談所と警察との連携、家庭裁判所の適切な活用など。
4 社会的養育の充実・強化・・・里親、特別養子縁組、児童養護施設の小規模化など。

以上、あまりに広範囲に渡りすぎていて、財政措置が行き渡るのかどうか心配である。また、「家庭=あたたかな場所」という社会的幻想の下で、里親制度や、実の親とは制度的に縁を切ってしまう特別養子縁組などの拡充が目標に上げられているが、もう少し冷静に、かつ本質的な問題として論議される必要がありはしないか。「児童福祉」の根本問題にも関わるところである。

ただ、これらについてはここでは深入りしないでおこう。今回は、残されている二つの問題に限って、簡単に問題を提示しておくに留めたい。

児童相談所とは? 児童福祉司とは?

児童虐待に絡む事件をきっかけにして「児童相談所」(通称「児相」)が浮上してきた。しかし、元々は、名前の通り、都道府県が設置の権限と義務を有する「児童に関する諸々の問題の相談に応ずる」児童福祉行政施設である。主な機能は、①相談機能 ②一時保護機能 ③措置機能(里親、児童養護施設、親の同意が得られない時は家庭裁判所への申し立て)④市町村援助機能、である。

また、上記①の相談機能の内実は、「養護相談」「障害相談」「非行相談」「育成相談」であり、虐待に関連することは「養護相談」の一つであって、どちらかといえば親を支え励ます受容的な支援を中心とした所であった。しかし、児童虐待問題が増大し、2011(平成23)年の民法および児童福祉法の改正によって、親権の「管理権喪失」「親権停止」「親権喪失」などの強制的介入機能も求められるようになって、現場はいまだなお混乱しているのではないか。

また、児童相談所に置かなければならないと規定されている「児童福祉司」も未だに曖昧な役職である。実際に、児相に勤めている職員の23.6%が一般行政職から採用され、福祉の専門職(児童福祉司)は76.4%である(2018年度厚労省調べ)。しかも、この「児童福祉司」という資格自体が、1号から6号まであり、3号は「医師」(現場ではゼロ)、4号は「社会福祉士」(現場では41%)、次に多い2号の児童福祉司は、「大学で、教育学、社会学のいずれかを専攻し、保健所や児童相談所などの指定施設で1年以上相談援助業務に従事したもの」と規定されている。

上記の「緊急総合対策」の中でも、児童福祉司の「2000人増」が掲げられ、また、都道府県だけでなく、中核市や特別区でも児童相談所の設置を促進しようと掲げられているが、肝心の「児童福祉司」の専門職としての内容が曖昧であり、児童福祉政策のこれまでの貧困のつけではあろうが、あまりにも心もとない状況と言わなければならない。

混乱している「子どもの権利/親権(懲戒権)/保護者の第一義的責任」

最後に、これまた理論的に整理されていない難解な問題を挙げておく。

元々、近代法では、未成年は、名前の通り「未熟者であるがゆえに」政治的な権利主体とは見なされてこなかった。さらに、児童福祉の世界では、「要保護児童」=「社会的に保護を必要としている児童」が主な対象であったし、また、「すべての児童」が対象化される時も、「すべて児童はひとしくその生活を保障され、愛護されなければならない」と客体化されて捉えられていた。

それが、1989年、「子どもの権利条約」が国連総会で採択され、1990年に発効された後、日本でも1994(平成6)年に批准された。未成年である「子どもの権利」について、日本ではかなり根強い疑義や抵抗があったものの、ついに2016(平成28)年、児童福祉法の第1条は、「条約の精神にのっとり、全ての児童は権利を有する」と改定された。

また、それに先立つ2011(平成23)年、民法の親権に関する一部改正があり、次のように一部言葉が挿入された。

820条 親権を行う者は、「子の利益のために」子の監護及び教育をする権利を有する。
822条 親権を行う者は、第820条の規定による監護及び教育に必要な範囲内で、その子を懲戒することができる。

戦後にも、明治時代の家制度を引き継ぐ親権や懲戒権を条文化してきた日本の民法を、少なくとも「子の利益のために」という枷を嵌めることで、家父長的な親権を修正しようとしたものであろう。しかし、なお「親の子どもに対する懲戒権」を認めていることになり、児童虐待防止には、無視できない問題を残している。そのために、今回「懲戒権」のあり様が課題に上っている。

しかも、安倍内閣は、2006年の教育基本法改正の時に、教育の第一義的責任は「父母その他の保護者にある」と規定した。さらに、安倍内閣は先の児童福祉法の改正時においても(2016年)、第2条第2項に「児童の保護者は、児童を心身ともに健やかに育成することについて第一義的責任を負う」と付け加えている。子育てや教育についての親(保護者)の第一義的責任をどうしても根底に据えなければならないと考えているからであろう。

しかし、子どもの権利を軸に考える時、親の貧困や病気、虐待等々を、まずは「親の第一義的責任」を問い、その無責任さを指弾することが必要なのか。現代社会で、家庭や親はそれほどに盤石なのだろうか。そうではなくて、社会的に相互にサポートしあい、社会も親子もともに育ちあえる環境=施設や場、さらには財政的な保障が必要ではないのか。・・・ここは、理論的にも、現実的にも重要で難しい問題である。しかし、児童福祉の問題は、社会の根本問題の一つであることを忘れないでおきたい。

いけだ・さちこ

1943年、北九州小倉生まれ。お茶の水女子大学から東京大学大学院教育学研究科博士課程修了。前こども教育宝仙大学学長。本誌編集委員。主要なテーマは保育・教育制度論、家族論。著書『〈女〉〈母〉それぞれの神話』(明石書店)、共著『働く/働かない/フェミニズム』(小倉利丸・大橋由香子編、青弓社)、編著『「生理」――性差を考える』(ロゴス社)、『歌集 三匹の羊』(稲妻社)、『歌集 続三匹の羊』(現代短歌社、2015年10月)など。

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