特集●日本を問う沖縄の民意
県民投票の民意―沖縄の非暴力抵抗の象徴
立憲民主党は沖縄の歴史・文化につらなる政策を目指す
語る人 立憲民主党参議院議員・沖縄県連代表 有田 芳生
聞き手 本誌編集委員 黒田 貴史
県民投票とそれを実現した運動について
黒田今回の沖縄での住民投票の結果についての率直な評価をお聞かせください。また、投票結果に不満をもつ人たちの、「辺野古基地建設に賛成する人の大半(有権者の半分弱)は投票にいかなかった。賛成に入れた票と足し算をすると全部で75パーセントになるので、実は賛成票が大きく上回る」などというほとんどいいがかりのような論評についてお聞かせください。
有田沖縄の住民投票では、投票率が50パーセントを超えたということと、辺野古基地建設反対が得票として70パーセントを超えて72.2パーセント、約43万票を集めました。結果として、昨年9月に県知事に当選した玉城デニーさんが獲得した約39万票というこれまでの知事選の最大獲得票を超えました。この2つの事実で、辺野古基地建設反対という民意は明らかに示されたというべきです。
県民投票を実施することが決まり、実際にはじまってからも推進する人たちのあいだに2つの危惧がありました。投票率が50パーセントを割るのではないかということと、デニーさんが獲得した39万票よりも少ない結果になるのではないかというものでした。この2つを超えることができたことで運動を進めてきた人たちは大きな成果を得たという結論を出しています。
投票日は夕方から雨が降りだして、どうなるものかと現地にいた私も心配していました。夜7時半をすぎて50パーセントを超えました。車でまわっていると、投票所に大勢の人が集まって6時以降、7時から8時にかけて投票率が上がっていきました。雨が降っても投票に出かけた人が多かったということでしょう。
どういう数字・計算のいいがかりがあるとしても、事前の自民党のねらいはとにかく投票に行かない、投票率50パーセントを割らせるというものでしたから、結果はそれをみごとに超えたということです。どんないいがかりもむなしいとしかいえません。
昨日の国会の予算委員会で、「安倍政権が続いていることが民意だ」というやじが飛んでいましたが、衆議院選挙の投票率は最近では常に50パーセントを少し超えるくらいで、比較的多数をとった自民党が多数を占めてしまっています。こんどの住民投票にいいがかりをつけるなら、安倍政権の成立根拠もおかしいといえます。
こんどの住民投票をおこなった条例では、投票結果を知事は尊重するということになっています。もともと知事は基地反対ですが、同時に県民投票の基地建設反対という民意を今後の対政府の交渉において基本に置かなければなりません。今後の辺野古基地の設計変更を政府が出してきても玉城知事とともに県民の意志として条例に基づいて認めるわけにはいきませんから、工事はどんどん遅れることは明らかです。
戦後の日本の政治の歴史のなかで、2回も県民投票、直接民主主義を発揮するのは沖縄だけです(1996年、大田昌秀知事時代に日米地位協定の見直し、基地の縮小整理の賛否を問う住民投票。基地整理・縮小と日米地位協定の見直しに賛成が89.09%)。ひとつの自治体が2回も直接民主主義の投票をしなければいけなかったことじたい沖縄が抱えている問題の異常さを示しています。前回の投票とともに圧倒的な民意を示したことが沖縄の非暴力抵抗の象徴になったと思います。
黒田今回、いったん県民投票が決まったときに横やりがはいって挫折しかかったときに若者がハンストをおこなって流れを変えました。私は、読谷の村長を長く務め、その後参議院議員になった山内徳信さんの本をつくったことがありました。山内さんは、アメリカに対する複雑な思いを口にしていました。沖縄を焼きつくした国であると同時に民主主義や男女平等を教えてくれた。日本は民主主義も平等も教えてくれなかった。沖縄の運動を見ていると、民主主義の基盤が厚い、しかも新しい世代を育てながら運動をつくっています。この間沖縄に通ってそうした運動でお気づきのことがありますか。
有田県民投票についてニューズウィーク日本版が沖縄ラプソディという特集を組み石戸諭さんが長いルポを書いています。それを読んでなるほどと思ったことがあります。基地に賛成か反対とか、投票で賛成に入れるか、反対に入れるかというものではなく、もっと動かない大事な問題としてなんでこんなに沖縄に基地が多いのか、おかしいじゃないかというのが、県民投票で賛成、反対のどちらの立場の人にも共通することだというのです。たとえば、コザの飲み屋街で賛成・反対の両方の若者たちが飲んでいるところに石戸さんが行くと、ある人が昔に比べたら、基地周辺は経済的にすたれているけれども、基地があるのはおかしいという思いとともに店にくるアメリカ人はとても気持ちのいい人たちが多いといいます。彼らの感性では、事件・事故をおこす人たち、あるいは航空機事故などの基地被害とは区別して考えているといいます。
かつてはアメリカ文化を感じることが、沖縄では本土よりも濃密だったでしょう。民主主義などのいろいろな価値観が入り混じった状態を、その特集ではチャンプルー文化と呼んでいました。いろいろな人たちが沖縄を語るときに「複雑」ということばを使います。たし「複雑」というと漢字で二文字ですが、さまざまな内容がチャンプルーでないまぜになっているのだろうと思います。
県民投票についても既成の組織の人たちには玉城さんが勝ったのになんで今ごろ県民投票なんかやるのかという反対論が多かった。政党も労働組合も玉城さんが勝っているのだから県民投票の必要はない、もしやって負けたらどうするのか、公職選挙法の規制もないから買収もされるかもしれないと言っていました。
シールズにいて、ハンストをした元山仁士郎さんのほかにも金秀グループの呉屋守將会長(翁長元知事の戦友です)も県民投票をすすめる立場にいました。既成政党が県民投票を推し進めようとしていないことに対してかなり不信感を抱いていました。実際に条例のための署名運動をはじめても当初はぜんぜん進まなかった。数が集まらない。しかし、はじめてしまった以上、成功させなければ、批判の矢面にたつことになりますから、そこで連合や共産党などの組織が協力をするようになって、結果的に10万近くの署名を集めて県民投票実施の条例可決につながりました。
20代の元山さんが前面にたったことで若者たちが動きました。これはいい発想だと思ったのは、早い段階で元山さんは離島に行きました。政治家があまり行かないところに足を運んで署名を訴えてきたことは新しいスタイルといっていいと思います。立憲民主党の沖縄県連がやろうとしていることでもありますが、大票田中心ではなくて周りから中心に向かっていくというやり方です。
玉城デニーさんも選挙のときに第一声をどこでやるかが議論になったときに、既成の選挙の考え方の人たちは、みな那覇といいました。ところが、デニーさんはお母さんの出身地でもある伊江島を選びました。伊江島は那覇から車で2時間半ほど走ってさらにフェリーに乗っていきます。それはお母さんの出身地であると同時に沖縄の基地闘争の出発点でもあった場所で、非暴力抵抗の原点といっていいところです。当日、立憲民主党から、辻元清美、江崎孝、私の3人がいっしょに行きました。
ふだん政治がこないところからはじめるという発想がものすごく大事です。元山さんも同じような発想で運動をすすめたことが斬新です。3月16日に県民投票の結果を受けた県民大会がありました。名護の代表をはじめとする20代30代の3人の若者がマイクをもちました。20代の人は、最後に琉歌を詠んで訴えました。琉球から今に至る伝統を若い世代が1万人の県民大会で発言するというのは歴史が継承されているということだと改めて認識しました。
平成の30年の一番の失敗は戦後民主主義が継承されなかったということでしょう。安倍政権がつづくことが、その象徴ともいえます。それに対する沖縄が、琉球からの歴史と伝統文化を若い人たちに伝えていることのすごさを感じました。県民投票で辺野古基地賛成に票を投じた人たちのなかにもこんなに基地があるのはおかしいという思いは共通する基盤になっていると思います。けれでも、もうしようがない、どこかにもっていかなければならないから辺野古でもしかたないということでしょう。毎日、政治にかかわっているわけではない一般の住民は、賛成か反対かということよりももっと複雑な思いで投票したことは、ニューズウィークのルポを読んでよくわかりました。沖縄の民主主義の基盤にはものすごく深いものがあることを改めて思いました。
鳩山政権の失敗から何を学ぶか
黒田こうした辺野古をめぐる事態については、民主党政権とりわけ鳩山由紀夫首相の「国外、最低でも国外」に励まされたという沖縄の人たちの声は非常に強いようです。琉球新報の記事で読んだ記憶がありますが、沖縄の人がインタビューに答えて、「自分たちは鳩山さんに悪い印象はもっていない、沖縄の主張をしていいということを教えてくれた、そのおかげで今日これだけの運動をつくることができた」といっていました。鳩山さんは「国外、最低でも県外」といっていたのに、ほかの閣僚が協力的には見えませんでした。官僚のサボタージュがあり、あるいは、まちがった方向に首相を誘導していったことがありました。立憲民主党は民主党の流れにつながっているわけですから、鳩山政権の総括となぜ挫折したのかをお聞かせください。
有田鳩山政権ができたときには、私は他の政党から立候補して落選していたので、その渦中にはいませんでした。外から見ていて民主党政権ができて辺野古についても「国外、最低でも県外」といったことで、これで日本は大きく変わると、衝撃的な喜びがありました。私だけではなく、日本中で新しい政治が生まれるという希望があったから民主党政権が誕生したわけです。それに応えられなかったことは政党内部の問題、プラス主要には官僚のサボタージュが政権崩壊の主な原因です。官僚のサボタージュを許してしまった民主党の未熟さは一体のものとして捉える必要があるでしょう。少なくとも、辺野古を、国外、県外という原点は今でも変わりません。ですから、鳩山さんが今、沖縄の集会に参加すると拍手が起こります。沖縄にとって大事な普遍的な価値を語ったからだと思います。
立憲民主党の執行部、枝野幸男さん、長妻昭さん、福山哲郎さんはそのときの政権にはいっていた人たちだから同じように見られる側面はありますが、立憲民主党ができたことによって民主党政権の失敗につながるごった煮の政党、理念も政策もちがう人たちがいっしょにいたということがなくなって、今はすっきりしています。そこで努力することで沖縄の人たちに理解してもらわなければいけないと思っています。
鳩山政権のときに、小沢一郎さんが無罪になったけれども秘書の問題で裁判にかけられてしまって、鳩山さんが小沢さんといっしょに心中する形で首相を投げ出してしまった。あそこで鳩山さんが投げ出さずにいれば、またちがった展開があったと思います。いわば、権力欲のなさというものが大きな鳩山政権の失敗の原因の一つでした。
それから、菅さんになって大震災があったという不幸、それに加えて2009年に新しい議員が大勢生まれた。たしかに外資系の企業にいたとか、有名大学を出ているとか、エリートたちがたくさんいましたが、官僚とのかかわりについて、あるいは党内の関係についてまったく人間的な対応がこなれていなかった。えんえんと議論をつづけるのです。消費税についても夜中の2時ころまで敵と味方かのような議論をつづける。つまり、理念・政策がちがうからそういうことになってしまう。
官僚はすぐれた能力をもった人たちで明治の時代をみても、この日本をどうするかという高い志をもっていた人たちがいました。それがどんどん既得権益を手にして、その能力を出世のために使うようになってしまった。政権をとった民主党と官僚が対決するという構図ができてしまったところにまちがいがありました。官僚の能力を、新しい政権でどう発揮してもらうかが大事です。
民主党政権下では、衆人環視のもとで官僚に恥をかかせるようなことがしばしばありました。官僚も人間ですから、そんなことをされたら、どこかでサボタージュしてやろうか、どこかで足をひっぱろうとするか、ということになってしまう。もっとこなれた政治家と官僚の関係をつくらなければいけない。これは民主党時代の教訓でもあり、これから政権交代をやるうえで十分に注意しなければいけないことです。
鳩山さんがあきらめた国外、最低でも県外をあきらめた原因になっている、外務省の機密文書なるものがねつ造されていた可能性があるといえます。藪のなかではっきりしない、何が本当かいまだにわかりませんが……。外務省がつくった極秘の判がおしてある文書ですから、外務省が作成したものです。
鳩山さんは辺野古ではなく徳之島に移設することを考えていました。外務省の極秘文書には米軍の航空部隊は訓練場のある沖縄本島から65海里(約120キロ)以内に置く必要があるから、192キロ離れた徳之島は普天間を移設できない、沖縄本島から65海里というのは米軍の基準でそれをこえる例は世界的にないというものでした。後に米軍にはそんなマニュアルはないということが明らかになりました。真相はわかりませんが、徳之島案をつぶすために極秘の判が押された文書が作られた可能性があります。外務省はそんな文書は存在しないといっています。そうした陰謀もふくめたサボタージュがおこなわれたのが沖縄をまきこんだ普天間移設問題の事件です。
本来ならば、鳩山さんが総理大臣としてとるべきだったのは、外務省の説明が本当だったのかをアメリカ政府に確認すべきでした。鳩山さんがやらなくても外務大臣を通じてアメリカに聞けば、はっきりしたはずです。そんなこともやらなかったこと自体が民主党政権の未熟さでした。
立憲民主党の沖縄でのとりくみ
黒田それを受けて、今後、立憲民主党が政権を担うことになったときに普天間・辺野古の問題をどのように解決しようとお考えでしょうか。
有田私は、この間なんども沖縄に通っていて、辺野古に基地を作らない一番近道の解決法があるといっています。そうすると、それはなんですか、と聞かれます。非常に簡単なことで、政権交代です。
今の立憲民主党の政策でも普天間の閉鎖、除去を一刻も早く実現することと、あれだけの反対がある辺野古に基地は必要ない、工事を中断して、アメリカ政府ともう一度交渉すべきだという立場です。政権をめざすプロセスのなかで、去年の沖縄知事選挙がはじまったときに枝野さんを代表としてアメリカに行きました。アメリカの研究者、あるいはシンクタンクと接触して政権をとる前からアメリカの政府をふくめて接触をしていこうというのが今の方針です。
海兵隊も、司令部だけを置いて8000人の部隊はグアムに移転するというのがアメリカの方針ですから、それに応じた形でアメリカ政府を説得していく交渉をする。22年に普天間の返還という日米の約束があるわけですから、あと3年のあいだにどうするか、日本政府がきちんとやらなければなりません。立憲民主党としてはその方向で行動していきます。
黒田はじめの質問に戻ることになるかもしれませんが、今、有田さんは立憲民主党の沖縄県連代表として尽力されています。どのような県連を目指しているのでしょうか。
有田沖縄県連の代表をやれといわれて引きうけたなかで、これまでの日本の政党は、本部があって地方組織があって、下部組織があるというものでした。本部が政策を決めて、地方組織に伝達していくというスタイルです。そうではなく、沖縄は沖縄の、北海道は北海道の、長崎は長崎の、歴史と文化と伝統があるわけですから、そこに依拠した組織を作るべきだと私は思っています。沖縄県連でひとつの典型を作りたい。
たとえば、「琉球・沖縄セミナー」(第1期)を開いています。文化があって暮らしがあって、そのなかで政治があるというとらえ方をしています。幅広い文化・伝統のなかに私たちの暮らしも政治もある。第1回では基地問題をとりあげましたが、4月には「抗う文学」という琉球沖縄の文学が「日本」にどう対峙してきたかをやりました。3回目は「沖縄アンダーグラウンド」といって沖縄の風俗から沖縄の歴史と人間の暮らしとりあげる講座を開きます。
沖縄は現在、全国最低の所得水準で、子どもの貧困率も全国平均の2.2倍というひどい状況にあります。子どもの貧困の現状、経済の問題にとりくみます。
戦前戦中は沖縄からサイパンに多くの人たちが行っています。移民として行った人たちが、行ったり来たりしていて日米戦争のなかでサイパンの激戦のなかで沖縄から行った人たちが多く亡くなっています。今やそういうことを知らない沖縄の若者が増えています。若者に沖縄の歴史と文化を伝えていくことにもとりくんでいきます。
また、5月25日には、立憲民主党沖縄県連として朗読劇を主催します。琉球王朝から沖縄戦、今の辺野古の問題に至る歴史を劇にします。沖縄に暮らす人たちに歴史・文化・伝統を伝えていくのが目的です。そうした活動のなかで立憲民主党とのつながりを作っていく。選挙の候補者も探していきたいと思っています。
黒田沖縄の歴史教師・新城俊昭さんと前川喜平さんに対談してもらって本を作りました。今、沖縄の歴史教師の一番の悩みは沖縄の子どもたちが沖縄のことを知らないことだといっていました。読谷のチビチリガマで肝試しをして壊しにいった若者たちがいました。授業で教師が基地問題の話をすると、まるでネット右翼のような反応をする子どももいるそうです。その子どもたちにどうやって歴史教育をしていくかが、最大の課題であり、悩みだといっていました。
有田それは、沖縄だけではなく、日本全体の問題ともいえます。だから、安倍政権がのうのうとしていられるのでしょう。
沖縄政策をストーリー仕立てに
有田立憲民主党の総合的な沖縄政策の青写真については、沖縄政策をまとめたときにそれを基に基地・住宅・労働・貧困(子ども)など、とかく政党の政策は骨を並べるような政策になってしまいます。もちろんそうしたものは作りますが、それが実現されたときに沖縄がどうなるのかを文章・読み物として作りたいと思っています。
お年寄りから若者まで、それを読んでストーリーとしてイメージがわく政策をつくりたい。どの政党もやったところはありません。それに基づいたネットの動画も作りたい。モデルを示すことでアピールしていこうと思っています。
そのためには、作家にも協力してもらいたいと思っています。井上ひさしさんのような方に頼みたいところです。
黒田ご存知と思いますが、沖縄に路面電車を作ろうという計画があります。実現してくれたらとてもいいと思います。高齢者や身体が弱い方も乗りやすいし、基地を返還させて路面電車を作っていけば新しい観光資源にもなります。
有田いいですね。さっきの劇「にんげんだから」も私が大城貞敏さんという作家に依頼してできたものです。初演だけ立憲民主党が主催して、あとは自由にあちこちで上演してもらおうと思います。
先日、候補者募集ではツイッターを使いました。民主党時代も同じようにしてみたければ、一人も来なかったという人もいました。それでもやってみましょうとやってみたら、候補者が名乗り出てきました。いろいろなことをやってみたらいいと思います。
黒田最初にお話しした読谷村の元村長・山内徳信さんは、村長時代「文化だ、文化だ」といい続けたそうです。はじめは読谷で商売をしている人たちは、「村長、そんな文化なんか売れない」といっていたそうです。ところが、登り窯を作って陶芸家たちを集めて、読谷花織を再興してという具合にどんどん文化政策を進めた結果、それが資源になって観光客も来るし、それ自体が商品になりました。村長の夢物語は失敗するといっていた人たちが、「次は何をやるのか」といいはじめたそうです。
有田ストーリーとしての政策は、30代のころからやってみたいと思っていました。ようやく実現できそうです。こういう沖縄になるのか、もっといえば、こういう日本になるのかという話を政党がプロの作家に依頼して作るべきだと思います。そのためには、井上さんが『吉里吉里人』を書いたように政党の政策をイメージできるようなものを作りたいと思います。
沖縄3区補選結果を受けて
4月21日に行われた沖縄3区補選は、玉城デニー議員が県知事選挙に出馬したために行われました。結果は午後8時に「当確」が出て屋良朝博さんが予想どおりに栄冠をつかみました。ひと通りの挨拶が終わると、屋良さんと玉城さんがカチャーシーを優雅に舞いました。ときどきお2人とも涙を拭う姿が印象的でした。
与党の候補者が辺野古新基地建設を容認して選挙を戦ったのですから、県知事選、県民投票の結果からみても、勝てる選挙でした。しかし課題があります。出口調査で10代から40代の世代で与党候補に投票した比率が多かったことです。名護の市長選挙で辺野古反対市長が敗北したときと同じです。
もちろん得票数はそう多くなかったにしても、この傾向は無視できません。基地問題を経済問題と合わせて大きな構想として示していく課題です。これは立憲民主党の仕事でもあります。まずは夏の参議院選挙でも勝たなければなりません。若い世代への接近を独自に取り組んでいきます。
ありた・よしふ
1952年京都市生まれ。立命館大学卒業。参議院議員(比例代表選出)、2018年8月立憲民主党沖縄県連代表。ジャーナリスト。2007 年まで日本テレビ系「ザ・ワイド」に出演。著書に『ヘイトスピーチとたたかう!日本版排外主義批判』(岩波書店),『私の家は山の向こう―テレサ・テン十年目の真実』(文春文庫)、『「コメント力」を鍛える』(NHK出版 生活人新書)、『50分で分かる! 立憲民主党』(弓立社新書)など。2010年参議院議員初当選(現在2期目)。参議院法務委員会理事、 北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会理理事。
くろだ・たかし
1962年千葉県生まれ。立教大学卒業。明石書店編集部長を経て、現在、出版・編集コンサルタント。この間、『「韓国からの通信」の時代』(池明観、影書房)、『前川喜平 教育のなかのマイノリティを語る』(前川喜平ほか、明石書店)、『トラ学のすすめ』(関啓子、三冬社)、『ピアノ、その左手の響き』(智内威雄、太郎次郎社エディタス)などを編集。本誌編集委員。
特集・日本を問う沖縄の民意
- 自国第一主義の呪縛を解くために神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長/橘川 俊忠
- 参議院から見た立憲民主党の成立過程と真価問われる参院選後立憲民主党参議院議員/小川 敏夫
- 辺野古新基地の背後で進む危険な構想ジャーナリスト/前田 哲男
- 沖縄衆院3区補選 新人大勝の背景沖縄タイムス記者/知念 清張
- トランプに痛撃、再選さらに困難に国際問題ジャーナリスト/金子 敦郎
- 県民投票の民意―沖縄の非暴力抵抗の象徴立憲民主党参議院議員/有田 芳生
- 一帯一路と伙伴(パートナー)
関係(財)国際貿易投資研究所研究主幹/江原 規由 - 「一帯一路」は「債務の罠」ではない福井県立大学教授/唱 新
- 大量難民を受入れた法治国家ドイツの苦悩ベルリン在住/福澤 啓臣
- グローバリゼーションと労働運動(上)東京大学名誉教授/田端 博邦
- 元号でわたしの時間を支配されたくない筑波大学名誉教授・本誌代表編集委員/千本 秀樹
- “令和の喧騒” 今こそ天皇制を考える朝鮮問題研究者/大畑 龍次
- 戦後賠償訴訟の歴史的変遷と現段階弁護士/高木 喜孝