特集●次の時代 次の思考 Ⅱ
戦後政治の正統性の危機
憲法論議に基づく民主党・リベラルの再生を
法政大学法学部教授 山口 二郎さんに聞く
聞き手 本誌編集委員・黒田貴史
戦後政治の正統性の危機
――いまの日本の政治状況を見ていると50、100年後の日本研究のテーマの一つになるのではないでしょうか。ヒトラーがいかに合法的に権力を独占したといってもかなりの物理的暴力をともなっていました。それにくらべていまの日本は、物理的な暴力をともなわずにクーデターまがいの状態が続いています。
山口 二郎 いまの状態をひとことで端的にあらわすと、「戦後の正統性の危機」です。敗戦から70年を目前にひかえて、戦後を否定しようとする動きが加速しています。これは歴史的に考えると説明可能でしょう。第一次世界大戦のあとに生まれた当時先進的だったワイマール体制の正統性の危機は15年ほどではじまっています。世界大恐慌のような経済的危機が大きな要因になっています。そこにナチスが登場した。ワイマール体制にせよ日本の戦後体制にせよ、正統性のレベルで定着していなかったという共通性を感じます。ドイツの場合、賠償問題とか経済的混乱とかによって早い段階でナチスが台頭しました。
日本の戦後体制の正統性は冷戦構造によって封印されていました。白井聡さんが『永続敗戦論』で書いているようにアメリカが日本の戦後デモクラシー体制を利用する限りにおいて日本の右翼保守派は、その正統性を否定することはできなかった。国内向けに靖国参拝とか押しつけ憲法論とかといっても、外向けにはあまり大きな声では言ってこなかった。
しかし、日本の側で戦後デモクラシー体制の正統性に対しての異議申し立てをする動きが出てくる要因がいくつか現れました。一つは単純な時間の経過です。70年たてば戦後の民主化や解放を実感として記憶している人がきわめて少なくなってきました。あるいは戦争の悲惨さを直接体験している人も減ってきた。戦争の恐怖感や抑圧からの解放として戦後政治体制の誕生を祝い喜んだ人たちが減ってきた。
解放の祝福の経験が世代をこえて継承されることはなかった。ところが敗北の屈辱の経験は世代をこえて継承されてしまった。それはなぜなのか。その要因がよくわかりません。戦争の悲惨さの体験の継承は、ある程度行われました。しかし、リアリティは時間の経過とともにうすくなってきている。ところが敗戦を屈辱として記憶した岸信介をはじめとする戦前日本の指導者たちの思いが世代をこえて継承されてしまった。人間の記憶には、喜びよりも怨念や憎悪の方が残りやすいということでしょうか。
もう一つは、失われた20年の停滞、社会の閉塞、国力の衰弱、こういった問題が政治意識に大きな影響をおよぼしています。決定的だったのが大震災でしょう。経済的な停滞は、ドイツでナチスが台頭したときにも大きな要因になりました。戦後、日本の政治経済体制からの恩恵を受けられない人たちが大量にいわば「廃棄」されている。かつての総中流社会とよばれたインクルーシブな経済社会システムから排除された人たちが大量に出てきてしまった状況です。そして、排除型の経済システムを動かしている経済的エリートへの反発に向かっていない。これもよくわからない状態だし、困ったところです。排除された人びとの怨念がたとえば中国、韓国、北朝鮮などの外敵、あるいは戦後システムをいままで動かしてきたといわれるリベラルなエリートに向かっているのではないか。いずれにしても、こうした情緒や感情は精神分析の対象で、政治学では説明つかない。政治学など、無力な学問です。
アウトサイダーとして登場した安倍
山口 安倍政治はアウトサイダーの政治からはじまりました。彼は1993年初当選で、そのときは自民党が野党時代でした。そのあと自民党は社会党と組んで政権にもどります。社会党と組んだ自民党の路線に安倍はたいへんな批判をもっていました。当時の自民党の指導部には加藤紘一、野中広務、亀井静香などのリベラル派がいて社会党と組んで戦後50年の節目に向けて戦後デモクラシーが積み残した問題を解決していた時期です。慰安婦問題も戦後50年の課題の一つでした。近隣諸国との和解について、戦後デモクラシーの正統性について未解決の問題を処理していくことを目指していました。それに対して安倍たち周辺政治家たちはアウトサイダーとして疎外感をもっていました。そこから政治活動がはじまります。
さらに、戦後50年とちょうど重なるこの時期に「新しい歴史教科書をつくる会」などの歴史修正主義の動きがはじまります。そこから20年がかりでつづいて来ています。戦後デモクラシーから疎外されたという怨念をもった連中が真正保守の歴史を取り戻すという政治の到達点に来ているのかもしれません。
冷戦時代のようにアメリカが圧倒的な存在感をもっていて、日本を従えていくということもないから、あっけらかんとアメリカに対しても挑発的なことを言うし、実行するわけです。慰安婦問題の蒸し返しや過去の戦争の正当化などです。
安倍首相は日本を取り戻すと言っているが、そんな話は世界の笑いものです。安倍政権と自民党は、大言壮語して惨敗したサッカー日本代表のようなものです。ただ、サッカーの場合外国の強豪とじかにぶつかって挫折しますが、政治の世界では閉じた世界で、仮想空間の中で、井の中の蛙がいつまでも大言壮語している。
――たとえば憲法問題など、過去の中曽根政権がいまの安倍政権に近いと思いますが、中曽根はそれなりに中国とのバランスを考えるという政治センスはもっていました。いまのお話のようにアメリカの重しが外れてきつつあってどんどんアクセルを踏むことになっているということでしょうか。
山口 もちろんそれはあります。アメリカの存在感が当時とはちがっています。ただ、保守のエリートのなかにも戦争経験をもっている人たちがたくさんいたわけです。あの戦争を丸ごと正当化することはできないというある種の共通感覚があったはずです。
――そういうブレーキがはずれているという状態ですね。
山口 戦後民主体制がこんなにもろいものだったのかということを最近とみに感じます。
――高橋哲哉さんは戦後民主主義のメッキがはがれてきていると言っていましたが、同じようなことですか。地金にあったものは人権や民主主義ではなく、大日本帝国的意識だったということでしょうか。
山口 国民がそういう意味で国家意識の古層をもっているかというと、そんなこともないでしょう。各紙の世論調査では安倍政権の支持率は高いけれど、改憲路線についての賛成の割合は低い。集団的自衛権の行使や解釈改憲には反対する人が過半数です。憲法体制を支持する人は多いのですが、為政者がそれを力ずくで壊そうとしていることに対しての反対が今ひとつ盛り上がっていないという状況です。右翼的保守的政治家の地金にそういう大日本帝国意識は大いにあると思いますが、国民の側の問題はむしろ無関心とか無力感というアパシーのようなものではないでしょうか。アパシーをつくったのは民主党政権です。民主党政権が失敗したために、人々は理想や進歩を捨て去り、ずるずるべったりの現状肯定に向いた。そうした国民心理の上に、安倍が再登場してしまった。ただし、繰り返しですが、国民は安倍政権の個々の政策を支持しているわけではない。安倍政権への支持は消極的なものです。
民主党再生の処方箋
――民主党政権をみていると、まずは鳩山内閣があり、そのあと管政権になり、野田政権になってというぐあいに非常にばたばたしていたという印象があります。何を目指していたのか政権交代の選挙でいっていたことところころかわったという印象があります。
山口 本人たちは一貫していたと思っていたでしょう。変わったと思っていないはずです。鳩山内閣の普天間県外移設は初歩的なミスだった。国民の期待水準を上げてしまい失敗したという側面はある。しかし、それを除外すると「コンクリートから人へ」で社会保障を充実させる、そのために消費税を上げるということは既定路線でした。政権交代前から考えていたことです。小沢が消費税率を上げることに頑強に反対していたから話が混乱したところはあります。言うことがころころかわるという印象をもたせてしまったことは民主党の失敗です。そしてなにより、党が分裂してしまったということが最大の問題です。
――民主党再生の処方箋としてどういうことがいえるのでしょうか。片方に自民党よりも右の路線の野党とくっつこうとする人たちがいて、他方でかつての自民党のリベラルのような方向を目指そうとしている人たちが見受けられます。それはまったくちがう顔になりますね。
山口 憲法問題を中心にきちんと議論して、いまの安倍自民党と対決していく政策の軸を立てる、きっちり確立することが必要です。それで一致できない人はよそにいってもらうというのがいちばんすっきりする。いまの民主党をみていてそういう展開をしてくれるのか。党を割るという気運はない。維新とくっつきたいという人たちが出て行くというつもりもないようです。
――民主党が勝った選挙のときの小沢的な数あわせの選挙方式、政治運営の遺産、負の遺産だと思いますが、そういうものはいまでも残っているのでしょうか。維新とくっつこうというのはある種の数あわせではありませんか。
山口 本人たちはそうは思っていません。橋下的なものをいいと思っている人もいます。
――すべてが一枚岩の政党というのもむりな注文だと思いますが、橋下的なものと民主党の融合、それはかなり無理があるのではないでしょうか。
山口 それは無理です。くっついたからといってうまくいくわけではない。維新も次の地一地方選でどうなるかわからない。石原は自民党にくっつきたいと思っているのでしょう。提携相手として考えてはならない。民主党の右側は、そういう基本がわかっていない。
――行き着く先にはどうしようもない頽廃しか残らないのではないでしょうか。
山口 野党がなくなってしまうということです。安倍政権の国家主義・改憲路線と大企業優先の経済政策にノーという政党を作ればいいだけの話です。いま、民主党にそういう期待をもてるのか。憂鬱になることもあります。
リベラルを新しい革袋に
――維新のような自民より右がある一方で、社民や共産がありますが、その役割は。
山口 社民の未来はかなり厳しいものでしょう。次の国政選挙で生き残れるのか。共産党はある程度の勢力を保つと思います。そこで共産党は自共対決の時代といっていますが、はたして展望があるでしょうか。たしかに共産党が本物の野党のようにみえるけれども、それは自民党にとっていちばん都合のよい状態です。共産党には政権交代を起こすつもりはないでしょうから。つまり自民の永久政権といっていい状態です。
――いまの選挙制度に大きな問題があると思います。
山口 そうですね。小選挙区制がなければ、こういう形にはならなかったでしょう。政治家の資質もこれほど劣化することもなかったでしょう。党内での競争や異論がもっと存在できたはずです。政党そのものが中央集権化してしまいました。
――南ア研究者に聞きましたが、アパルトヘイトを導入する直前の選挙で国民党は過半数をとっていたわけではなく、選挙制度の欠陥のために議会の多数を占めてしまったといいます。
山口 しかし、そういっても選挙制度を変えるというのもリアリティが乏しい。参議院の定数是正で少しいじるというのがあるかもしれませんが、衆議院については不均衡の是正以外には根本的に制度を変えることは困難です。いまの仕組みのなかでもう一度政権交代をおこす可能性を考えていくしかありません。ひとつは公明党が鍵を握っていると思います。集団的自衛権問題でも最後は妥協することで公明党の存在理由が問われてくるでしょう。連立を組みかえて自民党はむしろ石原たちと組むほうがよほど話はすっきりしてきます。公明党が野党になるという腹をくくるべきです。
――比較的公明支持者が多いと思われる都内のある地域でバスに乗っていたときに、公明支持者の方かどうかはわかりませんが、高齢の女性たちが「あれで戦争に行くことになるのか。そうなったらいやだね」という話をしているのが聞こえてきました。公明党の支持者の庶民層にもかなりの抵抗感があるのではないでしょうか。公明党にせよ、あるいは民主党にせよ、そういう庶民の声をすくい取ることができなくなっているのではないでしょうか。
山口 そこが問題です。民主党は分裂回避を最優先に動いてきたのですが、いちど腹をくくって路線の再確立をしないと政党として続かないのではないでしょうか。民主党内をみても集団的自衛権賛成という保守派は少数であって、やはり国民の常識と近い、九条を変えるべきではないという人のほうが多いのです。
――民主党にかつての自民党リベラルグループだった宏池会の役割を期待する声があります。
山口 宏池会は、もう消えました。無い物ねだりをしても意味がありません。自民のなかのリベラル派は社会党という大きな野党の存在を前提にしてその主張をある程度取り込みながら、現実的な政権運営をするという存在意義がありました。いまの政治状況のなかでは宏池会のような理性は、現在の自民党のなかには存在できなくなりました。新しい政党によって新しいリベラルを掲げるしかないでしょう。ともかく、民主党がリベラルの旗印を掲げるしかありません。
(文中、敬称略)
やまぐち・じろう
1958年岡山市生まれ。東京大学法学部卒。北海道大学助教授、教授を経て、2014年より法政大学法学部教授。1000人委員会呼びかけ人。立憲デモクラシーの会共同代表。著書に『戦後政治の崩)、『ポピュリズムへの反撃』(角川書店)、『政権交代とは何だったのか』(岩波新書)ほか。
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