特集 ● 混濁の状況を見る視角

紛争75年、原点に返って永続和平求めよ

「無差別市民攻撃」はもう許されない――「ガザ戦争」でイスラエル、米国批判広がる

国際問題ジャーナリスト 金子 敦郎

イスラエル軍とイスラム組織ハマスの「ガザ戦争」は3週間目に入った。イスラエルのネタニヤフ首相は28日、ハマスのイスラエル市民への無差別攻撃に対する報復作戦は第2段階に入ったと宣言した。ハマス組織の完全制圧という目的達成のためには越境攻撃も地上侵攻も辞さないということだろう。国連総会休戦決議の訴えは受け止められなかった。しかし、米国を含めて国際社会はガザ市民に犠牲を強いる戦闘を続けることは容認しないだろう。バイデン氏は一日も早い紛争収拾を図る責任がある。イスラエルの「保護者」を任じてきた米国はこの危機を国連決議の原点と国際法に基づく「二国家共存」による永続的和平へ向かうチャンスに転じさせることもできるのではないだろうか。

イスラエルに大打撃

イスラエルとハマスの武力衝突事件は何回も繰り返されてきたが、今回のこの事態に至る伏線があった。イスラエルでは2022年12月政権交代があり、ネタニヤフ氏が6回目の首相になっていた。ネタニヤフ氏は1996年右派リクード党を率いて首相について以来、長期政権を担ってきた対パレスチナ強硬派。2021年に中道派を中心に反ネタニヤフ8党からなる連立政権が生まれた。12年ぶりの新政権だった。

これでイスラエルとパレスチナ国家の「二国家共存」を目指す和平交渉再開の可能性が生まれた。だが、比例制選挙法のもとで議会は小党乱立に陥ることが多く、数合わせのため一部右派も加えた8党連立政府はすぐにパレスチナ政策をめぐる対立で動きが取れなくなった。議会解散・総選挙に追い込まれて、わずか2年でネタニヤフ氏の返り咲きを許すことになった。

新ネタニヤフ政権は極右とユダヤ教原理主義派で固めた連立政権で、その右寄りぶりはこれまでのネタニヤフ政権と比べても際立っていた。和平交渉再開への期待はしぼみ、ガザ地区および西岸地域でパレスチナ住民とイスラエル住民あるいはイスラエル官憲との間で衝突が頻発するようになった。

そこでいつも「弱者」だったハマスが奇襲攻撃にでた。ユダヤ教の祭日を見計らってコンサート会場やキブツ(農村共同体)などを襲撃、市民1400人を殺害、人質200人余りを連れ去った。軍事作戦としては大成功だった。だが、これがイスラエル軍から何十倍にもなる報復攻撃を受けることをハマスは当然予測していたはずだ。なぜ、そんな挑戦に出たのだろうか。

報復攻撃と「人道危機」

ネタニヤフ氏の政権への再登場は、バイデン政権との関係もぎくしゃくなものにした。ネタニヤフ首相は長期政権の常か、2019年収賄疑惑で起訴されたが疑惑を否定したまま首相にとどまってきた。ネタニヤフ氏は首相の座に戻ると早々に野党や世論の強い反対を強権で押し切って、最高裁の権限を大きく制約する法律制定を図り強行採決で成立させた。ネタニヤフ氏自身これによって裁判中の収賄事件の無効化を狙ったとみられている。バイデン氏がイスラエルの民主主義を危うくすると懸念を表明すると、ネタニヤフ氏が内政干渉と反発、激しいやり取りの末、両者の間に深い亀裂が残ったと伝えられている。

そこに起こったのがガザの衝突だった。イスラエルはガザを封鎖するとともに空爆やミサイル・ロケット弾による激しい報復攻撃を開始、たちまち巻き込まれた市民に多数の死傷者が出た。その半分以上は子供と女性だった。イスラエルはこれに続いてハマス組織を完全に殲滅するための第2段階として地上侵攻作戦に取り掛かった。ますます多くの市民が巻き込まれる「人道危機」が迫った。国際社会からはイスラエルへの批判が広がった。

リスク抱え込んだバイデン氏

バイデン氏はネタニヤフ政権との関係がどうあれ、イスラエルの後ろ盾という米国の役割を果たさなければならない。バイデン氏はネタニヤフ氏からの招待を受けたとして、この危険な戦場に乗り込んで大がかりな報復攻撃に出たことを断固支持するとともに、市民を巻き添えにしてはならないと国際人権法などの国際法を順守するよう求めた。米国が「9・11テロ」に激高したまま衝動的に過剰な報復攻撃に出てイラクやアフガニスタンで戦争を拡大、イスラム過激派テロを世界に広めたと「米国の過ち」を例に挙げてまで説得に努めたと報道された。

しかし、イスラエルは生活必需品すべてを輸入に依存しているガザを完全に封鎖、電気、水道の供給をストップしたうえで、空爆、ミサイルやロケット攻撃を継続的に強化し、連日数百カ所にも及ぶ標的が破壊されていく。戦闘開始から3週間の23日には市民の死者は7000人を超えた。

バイデン氏はネタニヤフ氏にガザ住民への生活必需品の支援物資搬入も強く要請した。2週間かかってようやく唯一の通路になったエジプト国境ラファ検問所からトラックが入ったが1日二十台のペース。住民が必要としている物資は1日100台分というから、これがいつになるのかわからない。イスラエルはガソリンがハマスのロケット弾攻撃の燃料に使われる可能性があると搬入を拒否、このためガソリン切れの病院では医療機器が間もなく使用不能になる。

イスラエルはハマスが根拠地にしている北部の住民が戦争に巻き込まれるのを避け南部に避難するよう繰り返し呼びかけていると主張。だが、100万人もの住民が一時的にせよどこかに移り住むことは困難だし、こうした大量の住民を軍事作戦のために移動させること自体が国際法違反になるそうだ。多数の負傷者を抱え避難所にもなっている病院に避難しろというのも無理な話しだ。

「ダブル・スタンダード」

バイデン氏は帰国するとすぐ国民向けに演説し、民主主義を守る戦いを支援するのは米国の責任として、イスラエルとウクライナを合わせて両国に1千億ドルの巨額の軍事援助を行うよう議会に要請したことを明らかにした。民主党支持層は大統領選挙戦に向けてウクライナ支援打ち切りに動くトランプ氏と一部共和党の「米国第一」との違いを鮮明にして国際的なリーダーシップを発揮したと評価した。しかし、リスクが伴っていた。イスラエルの過剰な報復攻撃を抑え込んで「人道危機」を最小限にとどめることに成功すればバイデン氏の大きな得点になる。逆に多数市民の餓死や大虐殺でも引き起こせばバイデン氏も責任を問われることになる。

バイデン氏はイスラエルを米国が守るべき民主主義国としたが、3権分立の原則を破壊しようとするネタニヤフ政府は民主主義ではないと知っての上だった。グテレス国連事務総長は国連安保理事会の閣僚級会合でガザの現状を「明確な国際人道法違反」と述べて即時停戦を求めた。イスラエル外交当局者は激怒して、同事務総長は「ハマスのテロを容認」「同総長の下の国連は最悪」などと決めつけて謝罪や辞任を要求した。こうした感情的な攻撃は自ら孤立を深めるだけだと思われる。

安全保理事会で議長国ブラジルは「人道危機」回避のため戦闘の「一時停止」を求める決議を提案、15カ国のうち英国、日本など12カ国が賛成したが、米国は常任理事国の拒否権を発動して葬った。国際社会はこれに失望あるいは強く批判した。ワシントン・ポスト紙論説委員の一人は「ダブル・スタンダード(二重基準)」と非難した。米政府はイスラエルの報復作戦の進行を妨げないことも考慮した戦闘の「中断」を求める決議案を提出して対抗したが、ロシアと中国の拒否権に逆襲されて終わった。常任理事国の拒否権行使は冷戦時代にはソ連が多かった。冷戦終結後ではイスラエルに不都合な決議を米国が拒否権行使で葬るケースが目立っている。

孤立深まるイスラエル・米国

安保理事会常任理事国だけが持つ拒否権は国連の機能マヒ批判の的にされている。国連総会の意思表示の場所は総会決議しかない。戦闘の「人道的休戦」を求めるヨルダン提案の決議案は、反対が米国とイスラエルなどわずか14カ国だけ、賛成は121カ国の賛成多数(3分の2以上)で採択された。しかし、通常の総会決議には強制力はない。日本、英国、ドイツなどは棄権。カナダ提出の米国の意向に沿って「ハマス批判」を盛り込んだ修正案は、アラブ諸国やロシア、中国など55カ国が反対し、日本、欧州など88カ国が賛成したが3分の2の多数には及ばなかった。

ガザはハマスの支配下にあるが、行政はパレスナ自治政府下にあった行政部局が継続して担っている。イスラエルの報復攻撃による死傷者数は保険省が調査して公表している。現地の国連人道問題調整事務所(OCHA)や世界保健機構(WHO) も同保険省発表を引用している(共同通信など日本メディアの現地からの報道)。イスラエルの国連代表部はその数字をデマと決めつけ、ホワイトハウスや国家安全保守会議(NSC)のスポークスマンも「そのまま受け取ることはできない」と疑念を示し、バイデン氏まで「パレスチナ側が真実を語っているとは思えない」と述べたことがある。しかしAP 通信によると、死者数はガザ保険省と国連独自の調査とがほとんど同じだったという(朝日新聞現地報道)。

米政府は今、民主主義から逸脱するイスラエルの「ハマス絶滅」戦争への支持を続けている。国際社会はその米国に対してこれまでなかった冷ややかな目を向けている。国内主要メディアの現地報道も意見・論評も多くは一般市民を巻き込む恐れが強いイスラエルの「過剰報復攻撃」に批判的だ。対イスラエル政策を直接担当する国務省政治軍事局の武器援助担当部長が、自分たちが贈った兵器がガザ市民に対して使われるのは耐えられないと辞任した。しかし、イスラエルに対する批判は封じて「絶対支持」を続けてきた米政策への疑念や批判は今に始まったのではない。イスラエル支持に疑いを抱かなかったユダヤ系米国人でも新しい世代はすでに「イスラエル離れ」している。

国連決議と国際法

第2次大戦後間もない1948年国連総会は、英国の信託統治下にあったパレスチナの地をほぼ2分(ユダヤ側56%、パレスチナ側44%)して2国家を創設することを認める決議を採択した。19世紀後半欧州で起こったシオニズムによってユダヤ人は国家創設の準備ができていたが、パレスチナ人を含めてアラブ諸国にはその準備はなく同決議に反対、これが戦争を引き起こしてアラブ側が敗北した。パレスチナ住民の半数以上約70万人が戦火を避けて逃げ出し、難民化して周辺のアラブ諸国に離散した。アラブ側はこれを大厄災(ナクバ)と呼んでいる。イスラエルはパレスチナ国家に割り当てられた土地の半分以上を占領した。これが第1次中東戦争。イスラエル・パレスチナ紛争の始まりである。

中東戦争は第4次(1973年)まで繰り返され、その後も「イスラエル国家反対」と「パレスチナ人の『土地』の返還」などを求めるパレスチナ抵抗勢力のゲリラ・テロ攻撃が中東世界から世界中を揺さぶって、現在に至っている。パレスチナという一つの地にはイスラム教、ユダヤ教、キリスト教と3つの宗教の聖地エルサレムもあって、紛争を解決に持ち込むことは、確かに容易ではない。米国は国連決議採択に決定的な役割を果した後も、この紛争でイスラエルの後ろ盾になってきた。

「暫定自治合意」に「原理主義」が反発

イスラエルの新国家建設を主導したのはリベラルな労働党だった。国連決議から45 年の1993年、同党のラビン首相の率いるイスラエル政府とアラファト議長率いるパレスチナ解放機構(PLO)が「二国家共存」の最終目標に向けて、イスラエルが占領を続けているヨルダン川西岸とガザを段階的にパレスチナ自治政府の統治に移行することに合意(オスロ合意)、ホワイトハウス(クリントン大統領)で「パレスチナ自治暫定合意」に調印した。パレスチナ分割を決めた国連決議と軍事力によって領土を拡大することは認めないという国際法を基礎に、譲歩し合ってようやく希望が生まれた。

しかし、双方にはこの合意を絶対に受け入れない原理主義勢力があった。イスラエル側ではパレスチナは神からユダヤ民族に与えられと信じる「大イスラエル主義」。パレスチナ側ではイスラエルが軍事占領を続けるパレスチナ人の土地の返還という正義を譲れないとする「パレスチナの大義」。両者はそれぞれオスロ合意潰しを強めていく。

オスロ合意から3年経たない1995年ラビン首相がユダヤ教過激派青年の銃撃を受けて死去。96年初の首相公選で「大イスラエル主義」の保守リクード党首ネタニヤフが勝利し、右派やユダヤ教勢力との連立政権。占領地の自治区への移行は継続され、98年3段階目の移行開始、99年首相公選でバラク労働党首がネタニヤフに圧勝して政権を奪還。民主党クリントン大統領がバラク、アラファト両氏をワシントンに招き「二国家共存」へ詰めの会談を仲介するが、アラファト議長が最後に調印を拒否、挫折した。アラファトの理由は推測だけで必ずしも明らかではない。

イスラエルではリクード党と労働党の競り合いが続く中で2005年、リクード党のシャロン首相が飛び地でユダヤ人入植地も少ないガザを放棄、パレスチナ自治政府と対立していた「パレスチナの正義」を掲げる強硬派ハマスが支配下に収めた。ガザはイスラエルとの武力衝突の最前線となった。

 

パレスチナを分割して2つの独立国を作る国連総会決議が採択された1948年は大統領選挙の年で、第2次世界大戦勝利の直前に急死したルーズベルトの後継、トルーマン大統領は苦戦を強いられていた。側近の多くが決議は紛争の種を蒔くことになると消極的だった。一部から多くはないがユダヤ人票が取れれば越したことはないとの声があった。トルーマンの郷里ミズーリ州の親しいユダヤ人が支持を訴えてきた。トルーマンが決断して決議が成立した。

それから75年、中東は国際的な紛争の発信源の一つであり続けて、今は「ガザ戦争」が世界を揺るがせている。国際世論はこれまでとは違っている。「中東紛争」はもういい、終わりにして欲しい――そんな当たり前の思いがこの変化になったのではないだろうか。

バイデン氏には「ダブル・スタンダード」批判を受けるなど動揺も感じられるが、ネタニヤフ氏には「二国家共存」による和平しかないと迫ったと伝えられている。この危機を早急に抑え込むとともに、休むことなく永続的和平のための交渉再開を実現することが求められる。それをできるのは米大統領しかいない。(2023年10月30日 記)

 

〔追記〕――「市民巻き添え」は国際法が禁止

本稿執筆後、ネタニヤフ氏は「停戦拒否」(現地時間10月30日夜)、ガザ難民キャンプ空爆(同31日)とさらなる強硬策に出て、民間人の犠牲がでても「ハマスの責任」と宣言した。公然たる国際法無視である。

第2次世界大戦で連合国(英国、米国、中国など)は枢軸国(ドイツ、イタリア、日本など)に都市無差別爆撃を行った。市民の生命、財産に甚大な破壊を加えて国民の戦意を挫き、無条件降伏を強いることが目的とされる。チャーチル英国首相が初めに採り入れ、戦略爆撃と呼ばれた。欧州戦線ではドイツのハンブルク、ドレスデン両都市が徹底破壊された。日本では広島、長崎の原爆投下を含めて敗戦直前まで全国70近い都市が爆撃を受け、東京下町爆撃では広島並みの10万人が犠牲になった。

大戦終結後の1949年、戦争においても一般市民を保護する義務を定めたジュネーブ協定が合意され、同1950年に発効した。しかし、協定違反が繰り返されてきた。米軍はベトナム戦争で解放戦線のゲリラが潜んでいると見た村や部落は住民ごと抹殺することも辞さなかった。1968年3月ミライ村襲撃では子ども女性を含めた村民500人余りが殺害された。殺戮を止めようとした少数の兵士もいたが「反逆者」扱いされた。

米軍は隠ぺいを図ったが米メディが探知して報道、指揮官の中尉が軍法会議で有罪判決を受けた。この事件は世界に大きな衝撃を与え、国際的な反戦運動の高まり、そして米軍撤退につながった。1993年国連安全保障理事会は国連事務総長報告に従ってジュネーブ協定を国際人道法の一部とすることで合意、非加盟国にも同協定を守る義務を課した。

かねこ・あつお

東京大学文学部卒。共同通信サイゴン支局長、ワシントン支局長、国際局長、常務理事歴任。大阪国際大学教授・学長を務める。専攻は米国外交、国際関係論、メディア論。著書に『国際報道最前線』(リベルタ出版)、『世界を不幸にする原爆カード』(明石書店)、『核と反核の70年―恐怖と幻影のゲームの終焉』(リベルタ出版、2015.8)など。現在、カンボジア教育支援基金会長。

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