コラム/発信
子どもを取り巻くさまざまな貧困
乳児院で働く職員として思うこと
保育士 林 えり子
厚生労働省の虐待防止ポスターが張り出されている。生活の中で子どもに対してイラッとした瞬間や、困りごとの場面が漫画仕立てで描かれている。一見なんともないポスターだとみていたが、ポスターに描かれている場面は、日常に起きることである。親が「うるさい」などの言葉を使うと虐待?と悩み、児童相談所に連絡をするという内容である。日常の一コマで、虐待を疑わなくてはならないような啓発ポスターに、疑問を抱いてしまった。
虐待をしないようにしていくことは、大事であるし、このような連絡も必要であるが、同時にこのような相談が増えることが本当に必要な事なのか。子どもを育てる中で、社会の中でのコミュニティーが希薄になってきてないか。日常生活の中で、「子ども」と「家庭」を守ることとはどういうことなのかを改めて考えていくことも必要な事ではないだろうか。
現場での実情
児童相談所は、子育ての相談や、虐待窓口とされていることが多い。しかし、児童相談所や、家に帰れない子どもたちが生活する児童養護施設の現状は、職員が足りないという実態が常にある。ポスターのような相談が増えた場合、職員が回らず、適切な対応へと繋がらない恐れがある。
児童相談所は、公務員であるため、人数配置を考え、募集人数や、予算をかけている。その結果、人が潤っているように外からは見えるだろう。しかし実態は、専門知識を必要としている職種であるにも関わらず、教育を行う立場の職員が足りていない。新しい職員は、配属された直後から、1人の職員として動くことを求められてしまう。最初は、任された嬉しさからやる気で頑張っていく人もいる。しかし、時間が経つと、色んな人からの叱責や、関わりの困難さ、自分の感情のバランスを保てなくなり、精神的に折れてしまうことも少なくない。
テレビで取り上げられる事件があった場合や、社会の流れなどから、業務が増えることもある。そうした結果、職員がのびのびと支援を行えないことにも繋がっている。年度末までに心身ともに健康である職員はいないのではないかと思う。職員が足りない中、職員が疲労を抱えながら勤務することを考えると、とても恐ろしい。
虐待への対応、子どもや親の対応は、どれを取っても同じものはない。1つの家庭に向き合う難しさがある。役職のある人は、職員と家庭が、相互に関わりながら、どうしても家庭に対して責任のある判断を行なって行かなければならない。しかし、職員が休んだり、辞めてしまうことがあると、1年中、現場の人の配置をすることで尽きてしまうことも少なくない。児童相談所の職員は1人につき、何十件という家庭での問題や、悩み事を扱う。一件に対して、「所」としての動き、色んな立場の人たちと意見を重ねていくことは、1日24時間丸々働いても足りない。しかし、ニュースなどで事件が起きると、容赦なく電話対応に追われてしまう。今の、この時に助けないといけない家庭がある時に・・・。
児童相談所は一時保護の機能も備わっている。一時保護の期間は2ヶ月とされ、その間に色々な調査や調整を行っている。子どもを家庭から離し、保護をすることで一般的には安心とみられているが、子どもの負担は考えられないほど大きい。児童相談所としては、子どもの負担や家庭にかかる負担を考え、一時保護を必要としなくても守れる環境を作っていきたいと思っている。しかし、社会からは、問題があるのならば離したほうがいいという流れで、一時保護をすぐに行うべきだという声がテレビから聞こえてくる。一時保護を本当に必要とする家庭なのかどうかを関係機関で考え、理解を深め、支援の幅を広げていく必要があるのだと私は思う。保護をしてもらったから安心ではなく、一時保護という行政処分を下しながらも、これから先、どうこの家庭を救ったら良いかを考えるための一時保護であって欲しいと思う。
家庭に帰ることができない子どもたちは、児童養護施設や里親などに移る。成人するまで生活することになる場所を子どもたちは選ぶことはできない。大人が決めた場所で生活を送る。児童養護施設の職員体制としては、24時間子どもたちが生活しているため、夜勤や宿直を含むシフトで回っている。子どもの生活に沿って動くため、学校や幼稚園、病院との関わりはあるが、市町村の関係機関などの外部との関わりは多くはない。しかし、子どもたちの生活の様子によって、時間の拘束が長くなったり、職員同士の人間関係に問題があったり、施設の方針が合わない理由で辞職に繋がり、職員が定着していることは少ない。
子どもたちは、親と離れ(分離)、職員との関係ができ始めてきたときに職員が辞め(分離)、また新しい大人と関わらなければならない。そのような状況のなかでは、職員の多くは、子どもの方が、ここでの生活に慣れること、大人との関わりをうまく取ってほしいと、制度や職員体制の不備を、当の子どもに要求しているところがある。
研修を受けること
施設や、子どもとの関わりで問題が起きた時に、「それを改善するために研修などを行っていく」という言葉をよく聞く。もちろん、研修自体は色んな知識をインプットでき、人との繋がりもできる有効な手段である。しかし、現場で働くものとしては、業務が詰め込まれているなかで、研修の時間をさくことになる。急遽職員が休むことになったりすると、現場の職員が減る。児童福祉施設でも余裕のある職員体制をとっている所は少ない。その中で研修にでるとなると、その職員がシフトに穴をあけ、残っている職員が負担を負うことになる。当たり前のことではあるが、職員が少ない状態であると、子どもたちも不安な状態となってしまう。
また、研修に出たあとにも報告書や、会議においての発信を求められることもある。さらに、研修を受けて、より良い取り組みをしたいと思っても、職場が新しい取り組みを受け入れないことや、新しい情報を持つ職員を煙たく扱うこともある。研修の機会を持つのであれば、研修が受けただけにならないよう、各職員が向上心を持つこと、学んだことをまずは実践に移せる体制を持つこと、トライ&エラーを恐れず、繰り返し行うことで、その生活に合ったものを模索していく必要がある。
役職のある人も、問題が起きたときには騒がないことが第1である。職員に助言が必要なときにはまずは、現場の声を聞き、現場に自ら入り、問題点などを見ていく。相談後は、見守っていく姿勢で離れてみていく。そして一人ひとりの職員を受け入れていく、そういう柔軟さを見せて行けばよいと思う。
児童養護施設の場合は一つひとつのユニットに別れていることが多いため、一つのユニットで良かったことを他にも強要するのではなく、各ユニットで必要な知識が違っていていい。そういう個々の独自性、独創性を尊重できるよう、それぞれに必要な知識を受け入れ、研修を受けられる体制を組んでいくことで、本当に研修を受ける意味が生じてくるのではないだろうか。
監査―現場職員として思う
子どもを守る場所として、改善を求めるときに、やはり監査などの外部からの視察が必要不可欠となる。監査は2年に1度行われることが多いが、会計帳簿や、勤務体制、研修の実施など、書類の確認が主であり、実際に現場をみてもらえることは少ない。職員のヒアリングだけではなく、子どもとの関わり方や、施設内の不具合などもみて、壊れている箇所については修繕が終ったところもみて、施設として運営が可能かどうかを見極めてほしい。監査を上手に終わらせる施設は、子どもの姿が希薄だし、子ども達の生活の場だという手触りも感じられることが少ないのではないだろうか。監査機関として、施設などの知識が豊富である人材、そして忖度なく現場の声や子どもの声を拾うことのできる人が監査機関の人として、いて欲しい。
施設と社会生活の違い
いま、私が乳児院にいるからか、施設にいる乳幼児と家庭にいる乳幼児の違いはなんだろうと考えることがある。
私が電車に乗っている時、まず施設の子は、電車には乗らないなぁと思う。移動は基本、車である。もちろん、個人情報や、親との接触を避けるためという理由はある。食事も毎食しっかり栄養管理されたものが出る。家庭でのように、親が疲れたから、食事が手抜きだったり、貧相だったり、出来合いのものを食べるということはない。ただ、大人が疲れていたり、愉しそうだったり、色んな感情を幼少期から感じることは意味があるものではないかと思う。
施設では、大人がコーヒーやお茶を飲み、談笑している様子を見せる姿もない。職員は常時、時間に追われている。家庭で何気なく行っている一つひとつを考えてみても、施設とは全く違うのである。いまは、施設でも、「家庭的な環境」と掲げている施設が多い。特に乳児期は、感染症などの予防で、社会との関わりはほぼない。やはり、施設は施設であり、「家庭」ではない。
乳児院では、0歳から6歳まで生活することができるとされている。身体の変化が著しく、同じ年齢でも個人差が生じる乳幼児10人を1人の職員がみていることもある。一番守られなければいけない年齢のときに、職員の数が少ないため、愛着や、必要に応じた関わりができないと思うことが多々ある。施設としての職員配置基準は設けられているが、子どもの個性や、特性は除外された設定である。
新生児から扱う乳児院としては、産まれて間もない子や、病気を何度も抱えた子、授乳や、離乳食がうまく進まない子もいる。発達の遅れや発達の問題に発展しそうな子どももいる。中には、育ちゆく中で、集団ではなく、個々に見ていく必要がある子どもも居ることから、現状の2倍の職員配置基準が望ましい。夜間子どもは寝ているから、仕事もないと思われ、少ない配置でよいと見られているが、夜間は大量の洗濯物を洗い、畳み戻す。次の日の準備があったり、起きてきた子の対応だったり、授乳も行う。
そして朝・・・よく寝ていた乳幼児は朝が早く、パワーが充電され、元気である。職員は夜間の任務を終え疲れ切っている。早番が来るまで、1人で乳幼児のお世話や体調確認、泣いている子の対応などを行う。子どもの個性や、預かることになった背景を考えると、机上で考える職員配置基準は無意味だと思う。
私の務める乳児院は19人の乳幼児を夜間は2.5人で回す。すると(仮眠があるため)朝は、2人体制の時間になってしまう。タイトな職員配置でみるため叱ることも多くなってしまう。夜間に宿直、夜勤、深夜のみの職員という体制が取られていると、たとえ、子ども達が朝夕に気持ちが乱れても、そこでは、余裕を持って接することができるのではないだろうか。乳幼児と接することに日中や夜間はそれぞれの大変さがあるという、理解を得ていきたいと思う。
連日のニュースをみて・・
テレビを見ていると、子どもに対しての性犯罪や保育園や子どもに関わるニュースは毎日のように起きている。専門家たちが色んな議論を行う様子をみるが、実際に現場にきて、半年ほど従事してから、改善に向けた動きを取って欲しいと思う。子ども相手の仕事だから、可愛いでしょ、楽でしょ、と思われているのかと思う。保育士資格は、以前は「保母」(男性保育者は「保父さん」と呼ばれていた)だったが、平成15(2003)年に「保育士」という名称独占資格として国家資格となっている。保育士は小さな命を預かる大事な職業として、子どもたちを安全に遊ばせ、保護者が安心して子どもを任せられる環境づくりに務めていくとされている。保育士は責任ある職業として国家試験を行い、十分な知識を身に付けていることが求められている。
ただし、いまは、保育士が少なく、保育園の待機児童問題でニーズが高いこともあり、国家資格の中では一番安易に取れるものとして、通信教育などで資格取得ができている。そう、国が質よりも量を優先しているのだ。命を預かる現場だからこそ、看護師や、医師と同じように保育士を育てる必要がある。保育士は対人関係のスキルが一番求められ、それを学ぶためにも、いろいろな経験をすることで、子どもたちに接するスキルも備わっていくのではないだろうか。
一方、乳児院や養護施設、保育園の施設長は資格がなくともOKとされている。なぜと思うこともあるが、「社会福祉」への貢献、ということで特別視されているのだろうか。それともやはり、子ども相手だからと軽視されているのだろうか・・・
施設長こそ、保育の現場を積み、児童相談所などの理解も深く、関係機関と意見を重ねていける強さ、そしてときに助け合える穏やかな気持ちをもち、現場職員には負けない知識、また、知識をアップデートできる好奇心、LGBTQなどの対応にも、柔軟な考えを持つ人材を求めたい。
ともあれ、乳児院、養護施設、保育園など、いずれも子どもたちが育ち、そして社会に出ていく場所でもある。とりわけ、乳児院や養護施設は、子どもが選べない場所のため、施設で取り組みが違うなどの優劣をつける場所ではなく、公平さが求められる。さらに言えば、子ども全員に同じことをすることが公平さを保つことではなく、一人ひとりに合った支援を行うことが公平さを保つことであること。このことが、社会全体でも理解されていなくてはならない。子どもたちがのびのびと生活を送るためには、一人ひとりの大人が、現実に「親」になろうとなるまいと、大人としての見識を身につけ、自らをアップデートしていくことは基本的なことである。
その上で、「施設」が必要な子どもに対しては、大人が楽しみ、のびのびと行う姿がみられる職場が良い。大人の姿を見て、子どもたちが、のびのびと自分らしくいることが許されることを学び、社会へと巣立ってほしいと思う。そのためにも、「施設」や保育園という場所、児童相談所などの相談機関の職員の配置や、人材の見直しを行うことが必要である。さらに、それらを許容する社会全体の理解が求められている。
はやし・えりこ
1980年生まれ。保育士、幼稚園教諭免許を取得後、福祉系大学に編入。児童相談所の児童福祉司、児童福祉施設等で相談業務、養育業務に就き、現在は、関東近郊の乳児院で保育士として養育業務にて勤務。シングルマザーにて2児の母。
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