連載●池明観日記─第7回
韓国の現代史とは何か―終末に向けての政治ノート
池 明観 (チ・ミョンクヮン)
≫未来のための日韓関係を考えながら≪
この頃ジェーン・オースティンの『高慢と偏見』の韓国語訳を読みながら、文学とか翻訳の問題についていろいろと考えた。これまで読んだ韓国語訳に比べてとてもいい翻訳文であると思った。韓国語に翻訳した作品の中でこの程度いい文章は初めてのような気がする。その一方で漢文表記をしていない文章について多くの不便を感じた。
また『古典詩歌論』という本を読みながら、この本は専攻者の間では読むのに差しつかえがないかもしれないが、一般的な読者には誰がよく理解しえようかと思った。筆者たちに対する紹介さえ入ってないではないか。それに国文学を専攻した人々の文章がどうしてこのように固いのか。古典文学専攻者であるためなのか。そこで私はハングル表現の生硬性または後進性を考えざるをえなかった。
もともとハングルは15世紀に入ってようやく制定されたのではないか。その後も諺文(オンムン)としてさげすまされ、ほとんど近代に至るまでハングルは疎外されてきた。日本では7、8世紀に仮名が成立して仮名による表現がいかに洗練されてきたことか。日本ではそれに加えて漢文を日本化して訓読しそれを日本語の中に組み入れてきた。漢文を音読したり訓読したりしながら、それこそ自由自在に日本化してきたのであった。韓国の場合は文章においても正統を主張して漢文を尊重しこのような変化を拒否してきた。そのために近代に至るまで韓国ではハングルの表現も広く使われることなく文語と口語の区別すらそれほど明確でないほど十分な発展をとげることがなかったのではないかと思われる。中国を文化の中心にした、かつての文化地理の問題ではないかと考える。
そのようにたどってみると韓国語の文章は日本語の場合に比べて発展途上にあるといえるかもしれない。それで『古典詩歌論』の文章がそんなに生硬であるわけである。そういうことを考え合わせると、軍事政権が1970年にハングル専用に踏み切ったことは再考してみなければならないのかもしれない。この頃漢字の併用を主張する人々の動きがあるといわれる。韓国ではもともと漢字の訓を併用することがなかった。
実際、崔鉉培(チェヒョンべ)のような人の漢文廃棄論というのは韓国語文法をウリマルボンなどといった新しい用語を創製するという難しい過程の産物ではなかったか。日本は韓国に比べて漢字をもっと日本化したではないか。外来文明を導入することにおける日本と韓国の違いを比較してみる必要があるといえよう。周辺国家の場合は中心文明国家との距離において考えてみなければならないであろうが、韓国の場合は儒教の場合に見られるように朱子学一辺倒の姿勢で中国よりもっと単一化しようとしたと思える。
近代以降ハングルの発展史をほんとうに注意深く観察してみる必要があるであろう。漢字を日本国有の仮名とたくみに融合させて文語と口語に発展させてきた場合と韓国語を比較してみなければなるまい。近代になってようやく自由にハングルを使用するようになったが、日本統治によって抑圧され、軍事政権下ではハングル専用という名による非歴史的、非文化的政策によってそれはゆがめられねばならなかった。ハングルという表現媒体の発展史を歴史的・社会的に検討しなければならないであろう。
また最近の英語教育の強調はどのようにながめるべきであろうか。コンピューターの日常化によって言語の簡略化と平易化の問題もあるであろう。そこでは文章の修飾などはできるだけ排除されるだろう。それではそのような文化のなかで今までの文学的な文章はどのような意味を持つようになるであろうか。文章が単純化してくるようにおもえてならない。言語は生命体のように歴史によって変ってくる。国語の問題はこれから大きな問題となるであろう。それに将来は南北朝鮮問題が言語にも響いて。ハングルの運命は今日の歴史のなかで本当に真摯に検討されなければならないと思うのである。(2011年5月10日)
日韓関係のことをまた考える。終戦後66年、現代史のテンポからすればほんとうに長い年月ではないか。その間は過去の敵対関係を背景にして日本に追いつこうとする追従と競争の時代であったといえよう。今は日韓がほとんど対等な時代になってきたといおうか。私は日韓は文化・言語の面からしても今やどうすれば協力しあうよき時代を生み出すのかを展望しなければならないと考える。日韓がどのように協力しあって北東アジア統合の時代を生み出して行くか。中国を牽制しながらも、競争と協力のための新しいパートナーとしなければなるまい。
韓国は朝鮮半島において日中の間にはさまれて苦痛をなめてきたとすれば、これからはこの地域においていかにすれば協力と発展と平和をかもし出すかを考えなければなるまい。地政文化的に歴史を考え未来を展望しなければならない。今まで歴史の重荷をせおって苦しまなければならなかった地が、これからはその苦痛を超えてこの地に平和と繁栄を生み出す軸とならねばならない。われわれの先人たちがあれほど東洋平和を声高く叫んだのを思い浮かべながらである。
1965年に初めて日本に行った時、私が日韓協力のことを口にすると、まだ時期尚早であると考えたか、日本人たちがほんど問題にしてくれなかった。彼らは韓国は日本の先進国経済の下で農産物の生産などに従事すればいいではないかなどというのであった。このような歴史を振返って見ながら今日韓国はより貧しい経済の国々とのことを考えねばなるまい。私はこのような点では李明博をありがたく思っている。彼は何よりも大統領とは国民の上に君臨するものではないと考えているように見える。もちろんそのようなことができる時代ではあるまい。歴代大統領をそのように国民に対する姿勢または距離において評価してみたいと思っている。(2011年7月11日)
この頃の若い人たちの歌唱の世界を見ると修飾語など省いて直説法で行くような気がする。書簡文はほとんどなくなり、コンピューターの修飾語なき言語の方に行っていることは日韓同じである。言語表現の簡略化の時代といえるかもしれない。このようになっていけば、日本語のその豊富な文章言語はどうなって行くのだろうか。彼らの詩とか歌謡に現れていたあの過剰といえるほどあやのある表現はどうなるであろうか。新しく文章語消滅の過程に入ったというべきなのか。そのような文章領域は特別な保護でも必要とするというのであろうか。これからいろいろと問題になるような気がしてならない。(2011年7月14日)
今日の朝鮮日報に鮮千鉦(ソヌジョン)特派員の記事として日本の東北地方の地震に関する南相馬の桜井勝延市長とのインタビューがのっていた。タイトル“日本、少しも情報をくれないで従えという政府、信用することができなかった”ということばが揚げられていた。市長はインタビューの終わりに“韓国も南相馬に注目を続けてほしい”と語ったという。地震が起こった前後に、私が韓国の新聞とのインタビューで答えた二つのことを思い出した。日本で民主党が執に成功した時に私は革命的であるといった。革命のない日本でついに選挙で民衆が革命に成功したと考えたのであった。それから東北地方に地震が起こってあんなに多くの人命が失われた時、日本は反動的な方向へと流れるのではなかろうかとたずねられて、私はそうは思わないと答えた。何よりも今日はそのような閉鎖的な時代ではないではないかと言いながら。
今日、桜井市長のいったことばを新聞で読みながら私は今日の日本について考えざるをえなかった。自民党は民主党の失敗として喜んでいるかもしれない。しかしそれだからといって自民党を国民が支持しているのでもあるまい。革命的政権の失敗、そして反動化または与野党の極限に至るまでの対立、このようなことはいまや世界的な現象であるように思える。とはいっても国民の心が反動的な勢力に簡単に傾くようには思えない。政治不在の状況であるような気がしてならない。昔であれば一方が失敗すれば他方が反撃を加えるような時代がやって来たかもしれないが、今はそのような状況ではない。アメリカも日本も韓国もそのような状況ではないような気がする。現代政治全般に対して国民は不安を感じているのではあるまい。政治勢力の堕落とか無能力が起こっているようである。政治の周辺にはあのような人間しか集まってこないのかと国民はただそれに背を向けるようでもある。それだからといって別の政治的可能性が目に入ってくるわけでもない。何よりもかつて歴史上期待を寄せられた革命の図式など今日においては可能ではないように見える。
この前の日本の東北地方の地震の時に韓国人のあいだに現れた関心は歴史上初めてのことであると私はいった。6億ドルもの義捐金が集まったという。しかしその時再び歴史教科書問題が起こり、独島、竹島の問題が起こると、このような熱気は急にさめてしまった。日本はこのような韓国の熱気を無視するか縮小して報道するように見えた。アイススケートのキムヨナ選手が競技でえた200万円かを日本の被害者を助けるために提供した。私は今まで不幸な関係にあった国の市民のあいだに起こってくるこのような友情にとりわけ注目してくれればと思った。感謝することにことばを惜しんではならない。どうしてか北の労働党は感謝することを忘れている政府のようであった。政府とか政治権力を超えた国民が切り開く友好を大事にしなければならない。私の目には今日の政治権力はどこにおいても国民と、良心的な国民と遊離しているように見えるのである。
日本でも韓国でも国民の革命的流れに乗って台頭してきた勢力がいったん権力の座につくと恐ろしい反動へと傾くような気がしてならない。そのような現象をソ連でも、東ヨーロッパの多くの国々でも、北朝鮮でもわれわれは経験してきたではないか。革命の反動化の時代にわれわれは政治とどう向かうべきか。この状況を抜けていける人間の英知はありうるだろうか。この広大な世界史的転換をどのように把握して描き出すのかと、私は考えている。(2011年7月23日)
≫渦巻く世界とアメリカ≪
今日、日本から友人の善元さんが訪ねてきた。いろいろと彼の質問に対応しなければならなかった。以前とは違ってこの頃はこんな考えを文章にすることなどできない時代ではないかと思っているといいながら。何よりもこの齢の人間に誰が紙面を与えてくれるものか。特にそのような紙面が新聞や雑誌から消えてしまったこの頃ではないかといいあった。
日本の右翼の政治家に対して私は彼らが反歴史的であるから、無視してもいいだろうといった。そのような人間は常にいるのであり、とりわけ日本ではそういうことによっても名が知られれば選挙運動になるかもしれないなどといった。私は今の北の体制に対しては何も期待していない。食糧などで北を援助すべきであるかということに対してすら多少ためらわずにはいられなかった。延坪島事件もあるし、北のあのような脅威と虚偽には屈してはならない。北を訪問した坂本義和教授の記録を見ると、夕食をもてなすといってはシャンペンなど高額の酒をあまりにも飲み過ぎるので、その費用を考えて驚いたとある。このようなことをどう見るべきかといわれて私は迷わざるをえないと答えた。
李明博に対する国民の支持度についても語らざるをえなかった。いまだに国民の半数以上が彼を支持しているといわれる。金大中も盧武鉉も執権党を離れなければならないという圧力に屈しなければならなかったが、まだ李明博は執権党との関係を維持している。韓国の政治風土では執権者は任期末になると執権党の支持を受けるのが難しいといわれる。彼はまだその関係を維持しているということに注目していると答えた。
私は二つの点を考えている。第一は国民のあいだには彼が登用する人物について強い批判があるということである。私は権力によって引き立てられる人物に有能な者がいるか、特に清廉な者がいるかに対してひじょうに懐疑的であると答えた。この国の官僚エリートの世界を頭に描いてみた。権力志向の人でいま権力周辺に残っている人といえば皆その点においては似たような人ではなかろうかと思った。
李明博について批判をする時、私は常に彼の前の大統領たちを頭に浮かべて考える。もう大統領に後光がある時代ではない。何よりも民主選挙でその運動の過程において大統領になるべき人物の脱権威化が徹底的におこなわれる。私は歴代大統領に比べて李はそれでもいい方ではないかと思うといった。権力の座を占めると誰でもこき降ろす風土の中で彼ほどの支持度を保っているのは幸いなことではなかろうかと思っているといった。
つぎの大統領は誰にしたらという質問に対して私は一人でひそかにこのように考えていると答えた。朴槿恵(パククネ・朴正煕の娘)が出てくれば民主化時代の反目、対立が続くであろうと。彼女が国民の統合をなしうる人物を推薦して自分は退くというのが一番美しいことであるが、彼女はそのような人物ではないだろうといった。ほんとうに彼女が出てきて権力の座を占めるようになって過去のような対立が再燃するようになるとすれば、それは終戦と解放後この国の政治をいろどってきた政治的対立の最後の階段になるのではなかろうか。それでこそようやくつらい過去の清算となるのかもしれないと私は注目している。私は歴史とは実に厳しいもので、そこに例外などありえないのだとつけ加えた。
朴槿恵は李明博を嫌っているのであるから、そのような意味で、過去の民主化勢力が今は与野に別れて入っているが、これまでの失敗を超えて共同戦線をはることができるとすれば、それこそすばらしい政治風景がくり広げられると思うのだが、これは虚ろな夢に過ぎないであろう。そのようになれば韓国に巣くっている、例を上げれば嶺南と湖南とかいう地域主義もかなり克服することができると思うのだが、これこそ空想に過ぎないといわれるだろうと答えた。
日本の菅直人首相の人気没落のことも話題にのぼった。私は彼も民主的市民運動出身であるというのであれば、政治史的に足跡を残すことのできる唯一の道があると考えるといった。首相の座を離れながら「政治白書」を発表して完全に政界から退き昔の野人に帰るということだ。その自書というのは日本の政治の乱れとそのためにくる政治なき政治に対して告白的に解剖して国民に提示し国民の判断を要請しながら座を離れるのだ。とりわけ天皇制下の責任内閣制の政権がいかに非改革的にならざるをえないかを指摘しながらである。そしてアジアを見渡しながら日本が歩んでいかなければならない政治の行方を提示する。それでこそアジアの政治に対する日本の影響力も回復できるのではないかと思っているといった。
NHKを見ながらいろいろと考えた。日本は中国における高速電鉄の事故をしきりに伝えている。自分たちも東北地方の地震の時に起こった原子力発電所の被害を隠蔽しようとしたにもかかわらずである。中国の場合は政府のいわゆる言論対策に言論が抵抗したが、日本ではそれに協力したのではなかろうか。中国では体制に抵抗しようとする言論であるが、日本ではそのような意欲またはそのような傾向が欠如しているのではなかろうか。政治権力に抵抗してそれで弾圧を受けるのではなく、日本では言論がそのような意欲とか指向性を持たず、適当な線で政言連合で国民の目をふさいでいるのではなかろうか。支配層に常に現れる利益共同体的傾向が今度も日本で再現したといえば間違いであろうか。(2011年8月4日)
米中関係のことがいつも頭の中にある。たとえばシリアとかリビアのような国に現れている状況は201年代のアフリカ民主化の波の現れではなかろうかと思われる。アメリカが反カダフィの方向に行けば、中国はどうもその反対の立場を取ろうとするかのように見える。中国では航空母艦を築造しては国内用云々といったかと思うと、ひそかにそれを国際舞台に登場させたりする。ダブルスタンダードだといえようか、世界的にアメリカにつぐ国といわれるから、そのような姿勢でもかまわないと思うのだろうか。世界に現れ出したそのような評価によって中国の統治勢力は中国内で一層自信を持つようになるといえるかもしれない。国内的に不安を感じていたが、対外的姿勢によって力を取り戻すとでもいおうか。金融危機の問題に対してもそうであるといえよう。
中国がそのようなやり方で対応してもいいアメリカの政策でありまた世界経済であると安心してもいいのだろうか。人類的な普遍的であってかつ現実的な姿勢を確かめることなしにである。そのような普遍的なことを無視したのはかつてソ連が取ってきた過程ではなかったか。日本も“ジャパン・アズ・ナンバーワン”という世界に喧伝されたことばに陶酔していたが、いつの間にかつらい経験をしなければならなくなってきたではないか。中国はあいまいな二重的姿勢を取りながら国内的な矛盾を放置したままアメリカとの間で国家利益を求める政策を続けて、ある日難局にぶつかることのないようにと願わざるをえない。私はアメリカは世界の動向に彼らの世界戦略を合わせているのにと思う懸念をぬぐい去ることができない。今の中国の状況を眺めては、あのような国内情況をもってしてはアメリカとともに世界の問題に誠意をもって論議しながら対応することなど考えられないのではなかろうかと気がかりである。
アメリカが中国をそのような状態にしておいたまま世界戦略をねっているように思えてならない。とにかく中国がいま見せているそのような姿勢で世界における優位を占めるのは困難であろうと考えざるをえない。中国が今示しているような政治力とその姿勢をもってしては発展していく中国の国内政治状況にも対応し難いのではなかろうか。新疆省やチベットの問題もそれと関連してくるであろう。ソ連の崩壊とともにソ連帝国が崩壊したではないか。中国の対新疆省、対チベットの問題をアメリカのCIA は注視しているかもしれない。(2011年8月15日)
カダフィのリビアはついに敗北し、崩壊したという報道である。1960年の民主革命後に韓国が経験しなければならなかった民主化とその後を追った反動の時代を思い起さざるをえない。そして今の民主化された世の中で、経済発展を云々しながら朴正煕を押し出したり、その娘朴槿恵が大統領となる日を夢見るといわれる歴史のことを考えざるをえない。そのような反動化への道をたどることはよもやあるまいと思うものの、そのようなものが韓国現代史であるならば、私は再び韓国を離れたいと考える。そのような自由が私に許されていることはもっけの幸いといえようか。
日本では民主党による新しい政権である。しかし首相になった人は靖国神社参拝は当然であると公言する人物ではないか。日本では危機がくればいつも反動に傾くという歴史を歩んできたのではなかろうか。今日においても日本はそのような歴史の道を歩むというのであろうか。アメリカは一時、日本は経済的に世界2位であるが、間もなくこのアメリカを追い越すと騒いだのではないか。このようにおだて上げて没落へとおしやるアメリカというべきではなかろうか。ソ連も日本もそれによって苦杯をなめ、今度は中国かもしれない。表面的には4年か8年で大統領を変えるのであるが、大統領も手をつけることのできない世界政治をそのような方向へと導く力の中心がアメリカの表面的な政治の背後にあるような気がしてならない。永続的な世界戦略を追究する本部とでもいおうか。広い自由を可能にするためにはそのような隠れた力も必要であるかもしれない。民主主義というのは実はもろい体制というべきではなかろうか。
中国はチベットとか新疆省あたりで反対勢力を追放しながら、彼らの支配体制を強化している。アメリカは余裕のある姿勢で待っているのであろう。その力とはアメリカの表面的な政治力の背後にあるものではなかろうか。あるいはペンタゴンの背後にあるのかもしれない。
ソ連の場合と同じく中国の体制が弱ってくる時にならなければ、チベット等はもちろん韓国の北朝鮮問題も解決されないのではなかろうか。アメリカは余裕のある心で北朝鮮も放置して置いているのではないかと思われる。対ソ政策といおうか、ソ連を崩壊へと追いこんで行った力を考えながら、対中国問題、対北朝鮮問題も考えなければならないのではなかろうか。私は人間は常に歴史をマニピュレート(操縦・操作)しようとするものではなかろうかと考えている。中国が2030年代頃にはアメリカを凌駕するかもしれないなどというアメリカの報道に世界は驚くかもしれない。中国の権力者たちも自分たちの権力について不安を感じる時には、このような他人が造った好意的な報道にたよろうとするであろう。このような政略は歴史の流れに逆らうことなくまことしやかに示される。韓国のつぎの大統領選挙はどうなるだろうか。長い間、韓国の運命とアメリカという考えに促われてきたためにこのような荒唐無稽な考えに私は落ちこんでしまったのであろうか。
いずれにせよ韓国人はその日までこらえ抜かねばなるまい。中国が北を助けるということはその日までやむことなく続くものと思わなければならない。私はアメリカの戦略の背後にはいかなる強大な勢力であろうとも非人間的であれば崩れる日が来るに違いないという徹底した鉄則ともいうべき信念が存在していると考える。
その日を無理に人間の力で引き寄せるようとはしない。私はカーター大統領は韓国からの米軍撤退などあまりにもリベラルな政策を打ち出すことによって重任できないで引き下がらなければならなかったのではないかと思っている。それでアメリカは民主主義社会というのは保護防壁なしに放任してはならないとその原則を目に見えざる形で堅持しているのではなかろうかと思っている。それは超憲法的な政略であるが、それを憲法を守るための道としているのではないかと思うのである。(2011年8月30日)
(続く)
池明観(チ・ミョンクワン)
1924年平安北道定州(現北朝鮮)生まれ。ソウル大学で宗教哲学を専攻。朴正煕政権下で言論面から独裁に抵抗した月刊誌『思想界』編集主幹をつとめた。1972年来日。74年から東京女子大客員教授、その後同大現代文化学部教授をつとめるかたわら、『韓国からの通信』を執筆。93年に韓国に帰国し、翰林大学日本学研究所所長をつとめる。98年から金大中政権の下で韓日文化交流の礎を築く。主要著作『TK生の時代と「いま」―東アジアの平和と共存への道』(一葉社)、『韓国と韓国人―哲学者の歴史文化ノート』(アドニス書房)、『池明観自伝―境界線を超える旅』(岩波書店)、『韓国現代史―1905年から現代まで』『韓国文化史』(いずれも明石書店)、『「韓国からの通信」の時代―「危機の15年」を日韓のジャーナリズムはいかに戦ったか』(影書房)
池明観さん日記連載にあたって 現代の理論編集委員会
この連載「韓国の現代史とは何か―終末に向けての政治ノート」は、池明観さんが2008年から2014年にかけて綴ったものです。TK生の筆名で池明観さんが1970年代~80年年代に書いた『韓国からの通信』は雑誌『世界』(岩波書店)に長期連載され、日本社会に大きな衝撃と影響を与えました。このノートは、折々の政治・社会情勢を片方に見ながら、他方でその時々、読みついだ文学作品、あるいは政治・歴史にかかわる書籍・論文を参照しながら、韓国の歴史や民主化、北朝鮮問題、東アジア共同体の可能性などを欧米の歴史・政治と比較しながら考察を加えています。
今回縁あって、本誌『現代の理論』は、著者・池明観さんからこの原稿の公表・出版についての依頼を受けました。第12号から連載記事として公開しております。同時に出版の可能性を追求しています。この原稿の出版について関心のある出版社は、編集委員会までご連絡ください。
連載
- 連載/池明観日記─第7回
韓国の現代史とは何か―終末に向けての政治ノート池 明観(チ・ミョンクヮン)