特集●どこに向かうか2019
明仁天皇制・PKO・祭政一致国家
明治維新と天皇制の150年―(3)
筑波大学名誉教授・本誌代表編集委員 千本 秀樹
1.明仁皇太子とPKO
明仁天皇制の強力な統合力についてはすでに、本誌10号(2016年秋号)で、「明仁天皇自身による象徴天皇制の再編強化」として執筆した。明治維新以前の天皇と民衆の関係を考えれば、明仁天皇は、史上最強の統合力を持っているといってよいだろう。今号では、対外的な効果と、国内統合について、別の視点から考えてみよう。
明仁天皇の戦地訪問と折にふれての戦争に関する発言は、明仁天皇が平和主義者であるとのイメージをふりまいてきた。しかしそれは「保守平和感情の範囲内に留まっている」と、本誌10号で指摘した。もちろん小堀邦夫靖国神社前宮司のように、「戦死者の霊は南洋にはいない、英霊は靖国におられる、天皇の『慰霊の旅』は靖国神社をつぶすことになる」という趣旨の発言をして更迭されるというような極端な例はあるのだが。
日本で報道される外国での明仁天皇イメージは、平和主義者ととらえる表面的なものばかりである。しかも国政に関わらない象徴という重要で微妙なポイントは理解されず、「日本国の代表」という受けとめである。日本の平和外交の先頭に立っていると見られて当然だろう。これまでほとんど重視されてこなかったように思うのだが、明仁天皇の行動がPKOの、すなわち自衛隊の海外派兵の露払いの役割を果たしているということは見落としてはならない。
愛媛朝日テレビが制作した「ター、お金ください。」というドキュメンタリーがある(テレビ朝日系「テレメンタリー2019」で2019年1月13日放送)。「ター」とは、カンボジア語で「おじいさん」という意味である。主人公は1992年PKOで日本で初めてカンボジアに派遣された自衛官、高山良二である。見はじめた時、PKO讃美番組かと思ったが、そうではなかった。彼の妻によれば、帰国後、「カンボジア病にかかったみたいです」というほど、撮影してきたビデオを見続けており、定年退職3日後にカンボジアへ向かったという。
1700発の地雷を除去してきただけではなく、幼稚園、小学校、日本語学校、キャッサバ焼酎の蒸留所をつくり、日本企業4社を誘致した。NGO「IMCCD」を設立して理事長となり、日本企業などから年間3000万円を集め、さまざまな事業を展開している。高山は、心臓病の治療のために帰国するほかは、ほとんどカンボジアで暮らしている。
そこまでなら、一般的な「美談」としてすませられる。しかしこの番組は「葛藤の国際支援」というサブタイトルが付されているのが味噌である。支援によってゴミ焼却場や幼稚園を作っても、NGOが支援をやめると、自治体が運営をあきらめ、たちまち廃墟と化す。その横を高山が通りかかると「ター、幼稚園を作ってください」と頼まれる。ポンプが壊れた井戸の横を通ると、「ター、お金を出してください」と頼まれる。「ゴミ箱を作ったからお金ください」とねだられる。
高山は、「カンボジアが貧しいから、やたらに支援、支援といって、残念ながら甘やかし支援になった。まちがいなく、自立を遠のけた国家になった」と悔やむ。高山は「なんぼあげてもだめ」といいながら、捨てられた幼稚園の横に、新しく幼稚園を建てた。支援を続けざるをえないという。支援が自立を阻む。それが「葛藤の」国際支援というわけである。
PKO以来、カンボジアはドル決済の経済となった。その方が支援しやすいというが、カンボジアを、ドル・円経済のなかに組み込んだにすぎない。今、経済成長率は7%と高いが、自立できない国家であるかぎり、他国の利益になるだけである。高山が幼稚園、小学校、日本語学校を建てても、日本の大学へ行きたい、日本の技能実習生になりたいと、日本に貢献するだけである。他国からの支援を、自国のために利用する機能を持たないのである。
PKOが、目的通り、「理想的」な結果をもたらしたといえる。本稿が問題にしたいのは、明仁の皇室「外交」が、自衛隊の海外派遣をしやすい環境を準備しているのではないかということである。
明仁の国際デビューは、1953年のエリザベス女王戴冠式で、6カ月余り滞在し、ヨーロッパ各国も訪問した。続いて1960年のアメリカ、イラン、エチオピア、インド、ネパール。日本がもはや戦争国家ではないとして受け入れてもらうためには、憲法第9条はどうしても必要だった。60年代以降の明仁皇太子の訪問国を、アジアに限定して列挙してみよう。
1962年 パキスタン、インドネシア、フィリピン
1964年 タイ
1970年 マレーシア、シンガポール
1971年 アフガニスタン
1975年 ネパール
1976年 ヨルダン
1981年 サウジアラビア、スリランカ
意外と多くないのだが、他の皇族もアジア各国を訪問している。カンボジアをはじめ、インドシナ3国を訪問した皇族はいない。この期間、ベトナム戦争や内戦が続いていたから、当然であろう。しかし「平和国家」を標榜してアジア各国を歴訪したことは、「平和維持作戦」(PKO)という名のもとに各国が軍隊を派遣するのに日本も参加し、PKO以降、当該地域から利益を吸い上げる集団の一員となることに成功した。
2.裕仁天皇、明仁皇太子、明仁天皇の連続性
明仁皇太子のアジア歴訪は、裕仁天皇の戦後活動とも連動している。日本国家の戦後責任としては、強制連行、軍隊「慰安婦」など、戦後処理の無責任さを問うものがほとんどだが、わたしは、裕仁天皇の最大の戦後責任は、マッカーサーに対して、日米安保体制を提案し、実現したことだと30年前に問題提起した(拙著『天皇制の侵略責任と戦後責任』青木書店、1990年)。
1947年5月6日、裕仁天皇はマッカーサーと第4回の会談を行なった。日本国憲法施行後3日、直前の4月20日の第1回参院選、25日の総選挙でともに社会党が第1党となり、当時の第1次吉田内閣の与党自由党が敗北する。5月24日に成立する片山内閣は、国際連合による安全保障を追求することになるのだが、5月6日の段階で裕仁天皇は国連の無能さを前提に、マッカーサーに対して「日本の安全保障を図る為にはアングロサクソンの代表者である米国がそのイニシアティヴをとることを要するのでありまして、その為元帥の御支援を期待しております」と日本独立後の米軍駐留を提案した。
その後発見された松井文書によれば、当時もその後も、マッカーサーは日本国憲法第9条による安全保障にこだわっていたことが明らかになっている。しかし裕仁天皇は、有名な「沖縄メッセージ」で「五十年ないし百年間、米軍が沖縄を占領して……」と迫り、米国が朝鮮戦争を準備し始めるなかで日米安保体制を実現した。内閣の意向を無視して、内閣の頭越しに、裕仁天皇は外交を展開し、みずからの意思を貫いたのである。
その後、アメリカの強力な軍事力のもとで、日本はアジア各地へ経済的進出を果たしていく。その露払いが、明仁皇太子のアジア・世界歴訪であった。ドイツ・イタリアが、ヒトラー・ムソリーニ体制を清算し、新しい国家として再出発したのに対し、日本では裕仁天皇が居座り、新憲法も裕仁天皇による改正として施行されたために、諸外国に受け入れられるためには、明仁皇太子という新しい顔と、憲法第9条がどうしても必要であった。
裕仁天皇は外国を訪問できず、名代として皇太子を代行させざるをえなかった。ようやく1970年に裕仁天皇がヨーロッパを訪問したときも、強烈な抗議の声にさらされ、糞尿さえ投げつけられた。日本帝国主義の再デビューのためには、明仁皇太子と第9条が欠かせなかった。
明仁皇太子が天皇に即位しても、明仁天皇と憲法第9条を切り離すわけにはいかない。明仁時代が始まってまもなく開始されたPKOという軍事行動への参加も、明仁皇太子の「平和外交」という実績があったからこそである。PKOの目的は経済的権益の拡大である。日本資本主義は、他国から収奪するために、そしてかなりの数の国々が一方的に収奪されるのみではない実力をそなえてきた現在でも収益を確保するためには、天皇制と憲法第9条を利用してきたといえよう。
安倍首相は、今や日本の海外進出のためには、9条よりも軍事力のほうが有効だと考えているのだろう。それは海外進出だけを目的とするのであれば、現状認識として正しいように思える。一方明仁天皇は、9条を功利的に、言いかえれば、経済的、政略的に考えているとは思えない。本気で9条を守るべきだと考えているか、あるいは国民統合のためには必要だということであろうか。
だが、自分の行動が、憲法に違反しているということを、明仁天皇は自覚していないように見える。日本国憲法は第4条で「天皇は……国政に関する権能を有しない」としている。皇室外交が意味を持つとすれば、それは国政に関わる。「平和外交であれば、いいではないか」というのが、日本国民の大多数の意見だろう。安倍首相の積極的平和主義をふくめて、「平和」がそれぞれ勝手な意味で使われている現在、「平和」といえばそれでいいという時代ではないのは当然なのだが、皇室外交が意義を持てば持つほど、政治的な価値を生む。生物的人間を象徴としていることに矛盾の根源があるのだが、日本国憲法を基準に考えれば、天皇の平和外交は憲法違反である。天皇の外国訪問が違憲であると主張する憲法学者はいないのだろうか。
3.祭政一致国家としての日本
明仁天皇の即位にともなって、大嘗祭が予定されている。大嘗祭とは、即位した天皇が神になる皇室の宗教儀式である。大嘗祭を行なえなかった天皇もいたが、そのような天皇は「半帝」として見下されている。2018年11月、秋篠宮が、大嘗祭は予定されている宮廷費ではなく、内廷費で行なうべきだと誕生日記者会見で発言し、話題になった。天皇の公的な行事は宮廷費で行なわれ、私的な活動は内廷費でまかなわれる。ほとんどの皇室祭祀は内廷費で支出されているが、大嘗祭は宮廷費から支出されてきた。ある保守派の言論人がその理由を宮内庁に問いあわせたところ、「大嘗祭は額が大きいので宮廷費で」という回答であったという。
内廷費は毎年約3億円、大嘗祭には前回宮廷費から約22億円が支出され、そのほとんどは、1日だけ使って取り壊す建物の建築費である。明仁天皇も大嘗祭は簡略化すべきだと発言したと伝えられたが、次期天皇の大嘗祭について意見をいったとすれば、それは院政的言動である。秋篠宮も「身の丈に合った大嘗祭」と発言したが、内廷費から支出したとしても、政府予算、税金からの支出であることにちがいはない。
この件の報道について、マスコミは2点、歪曲した。ひとつは、大嘗祭を、「五穀豊穣を祈る儀式」としたこと、もうひとつは、宮廷費を「国費」、内廷費を「皇室財産」としたことである。戦前、天皇は国内最大の地主であり、莫大な株式を所有していたが、戦後、没収されたはずである。現在の私的財産は不明瞭であるが、基本的には税金で暮らしているはずである。
象徴としての天皇の家族の存在を承認する立場、天皇の仕事に意味があるとする立場であれば、内廷費は給料であるから、女性週刊誌が暴露したような、美智子皇后が深夜、女官に作らせたインスタント・ラーメンがどの銘柄であったのかということまで知りたいと思わないが、真偽は知らないけれども、天皇一家が徹底的な有機農法野菜を食べていると伝えられると、どのように食材を調達しているのかは知りたくなる。象徴であるがゆえに、国民なみのプライバシーは保障されないのである。
宮廷費の使途については、徹底的な公開が求められる。公務員が税金をどのように使っているのかを公開しなければならないのと同様である。天皇が神になる儀式である大嘗祭とはどういうものか。政治的儀式である即位式とはことなって、大嘗祭の内容は、天皇から天皇への口伝とされ、特に賢所における所作は、宮内庁職員も知らないといわれる。
これまでの天皇代替わりでは、安徳天皇の例を引くまでもなく、口伝が不可能であったと思われる代替わりは多い。特に賢所では、布団が敷かれているということと、性にまつわる儀式だということぐらいしか知られていない。
税金が使われる行為である以上、天皇の行為、天皇を補佐する宮内庁職員の行為は、すべてカメラを入れて、公開されるべきではないのか。これはいわゆる「人間宣言」にもかかわる。1946年元日の各紙朝刊に掲載された「新日本建設の詔書」は、マスコミが勝手に「人間宣言」と名づけただけであって、裕仁天皇は「自分は人間である」とはいっていない。
この詔書の文言については、GHQ,文部省、宮廷の3者で、やり取りが行なわれ、裕仁天皇の主張も盛り込まれた。明治維新の「五箇条の御誓文」以来、日本は民主主義であったことを強調する、天皇が現人神であることは否定してもよいが、天照大神の子孫であることは否定してはならない、など(前掲拙著)。天照大神の子孫であることを否定しないということは、大嘗祭を実施するということである。新穀は天照大神と共に食べ、性的儀式も天照大神とかかわりがあるとされる。
新しい天皇が神になる儀式を国費で実施するということは、日本は祭政一致国家であるということである。日本国憲法第20条3項は、「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」としている。天皇が神になるということは、宗教的活動ではないのか。そしてその神である天皇が「日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」ということは、日本国が祭政一致国家であることを示している。
それを日本国民のほとんどが支持しているのは、戦後の皇国史観教育に根拠があると考えているのだが、それについては、稿を改めたい。
ちもと・ひでき
1949年生まれ。京都大学大学院文学研究科現代史学専攻修了。筑波大学人文社会科学系教授を経て名誉教授。本誌代表編集委員。著書に『天皇制の侵略責任と戦後責任』(青木書店)、『「伝統・文化」のタネあかし』(共著・アドバンテージ・サーバー)など
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