特集●転換の時代

安倍政権と7月参院選の未来史的意義

仮想現実から脱却する道すじを求めて

日本女子大学教授・本誌代表編集委員 住沢 博紀

1.リアル世界から乖離した政治の選択肢

この6月から7月にかけて、日本、アメリカ、イギリスでは奇妙な投票が行われる。

アメリカでは11月の大統領選挙に向け、民主党、共和党の予備選挙が行われる。本来であれば、この時期には民主党も共和党も大統領候補を一人に絞り込み、次の4年間、アメリカに夢と希望を与える(というメッセージを出す)、アメリカ固有の二つの陣営を代表する(と見なされる)二人の大統領候補者が登場しているはずである。しかし共和党は、伝統的なコア支持者や主流派にとって異質な「大富豪」ドナルド・トランプが予備選に勝利しつつある。民主党は、「社会主義者」を名乗るバニー・サンダース上院議員が、元大統領夫人であり前国務長官のヒラリー・クリントンと接戦を演じている。

4月段階では、ヒラリー・クリントンの勝利はほぼ確実になりつつあるものの、私にとってはサンダースの躍進はトランプの成功以上に驚きである。欧州社会民主主義政党はグローバルなレベルで多くの社会民主主義政党やリベラルな政党と国際組織を作っているが、欧州社民とアメリカ民主党のリベラルの概念には歴史的な違いがあり、アメリカ民主党の政治家の獲得には成功していない。ほんの数人がオブザーバーとしてときおり参加する程度である。そうした「反社会主義」の国アメリカで、サンダースが多くの州で、クリントン候補に勝利したことは奇跡に近いといえる。サンダースの主張には、2010年に逝去したユダヤ人歴史学者、トニー・ジャット(『荒廃する世界の中で -これからの「社会民主主義」を語ろう』みすず書房2010)と共通するものを感じる。

いいかえれば、トランプ候補にしても、サンダース候補にしても、さらに金融業界との結びつきが強いヒラリー・クリントン候補を加えても、これまでの「大統領選挙をとおして統合されたアメリカの未来の選択」が実現されるとは考えにくい。現段階ではもっとも大統領に近いとされるクリントンにしても、民主党の伝統的な基盤であるマイノリティ―の支持はあっても、若者の支持が決定的に欠けているからである。

イギリスと日本の二つの選挙(投票)には類似性がある。イギリスは6月にEU加盟継続か脱退かという国民投票を行う。日本も安倍政権が7月に参議院選挙を迎える。その重要な争点の一つが安保法案である。共通点とは何か。

第1に、イギリスのEU継続・脱退という選択に関し、ほぼ国民の意見は拮抗している。日本安保法案に関しても、批判的な世論がやや多いとしても、基本的には日本を二分している。

第2に、こうした国民の世論を2分する選択肢が提示されるが、どちらが採択されても問題の解決にならないことである。イギリスはEUに留まってもその周辺的な地位は改善されず、脱退する場合は経済的な損失はもっと大きくなる。つまりこの二つの選択はイギリスの将来の発展をめぐる選択肢になっていない。

アメリカとの集団的自衛権を承認する安保法案に関しても、その法案が廃棄されても実行に移されても、日本の安全保障が増大するわけではない。安倍政権は、日米の軍事的運命共同体化を進めることで、第二次世界大戦後のただ一つの実在する戦争国家(地域国家イスラエルを除いて)の世界戦略に巻き込まれるリスクを持つ。他方で安保法案を廃棄できても、それで戦後の平和国家日本が維持されるわけではない。2009年~2012年の民主党政権時、鳩山・菅・野田首相や多くの幹部政治家は、東アジア外交と安全保障政策に関して多様な意見を持っていたが、韓国との一時的改善を除き、どれ一つとして具体化できなかった。中国の台頭という世界史レベルでの転換期に直面して、民主党内の平和主義からリアル軍事戦略までの幅を持つ安全保障政策は、単に党内統一が困難であっただけではなく、このスケールに見合った戦略と選択肢をそもそも準備してこなかった。これは外務省も安倍自民党も同じであり、だからこそ対米従属に終始している。

このように、21世紀は国民投票や国政選挙による決定がますます大きな意味を持ってきているが、皮肉なことにその提示される選択肢はリアル世界の問題を解決するものではない。イギリスと日本の場合、その原因は明確である。

イギリスは大英帝国の遺産と栄光を引きずり、EUへの統合を深化させてこなかった。また1980年代、サッチャーによる市場自由主義と金融資本主義(金融センターとしてのロンドン・シティ)という道を選び、2008年リーマン・ショックに端を発する世界的金融危機の中で経済的にも行き詰まっている。「99%対1%の格差社会」という言説がメディアでも広く承認されるなか、グローバル金融資本主義への民主主義的介入がますます強くなり、シティーの収益モデルはますます狭まりつつある。要するにこうした過去・近過去の「成功モデル」と決別する決意がない限り、真の選択肢を出すことは難しい。

日本も同じである。すでに『現代の理論』第2号、「西欧世界の限界と戦後民主主義の国際的意義」(2014年秋号)で結論付けたように、「失われた20年」の原因は、1985-1995年の戦後史の転換期においてその改革に失敗したことにある。明治維新、戦後改革に続く第3の改革といわれながらも、その成果は地方分権の拡大やNPO法案・介護保険など必要最低限のものに留まり、時代を切りひらく改革は何一つ実行されなかった。選挙制度改革やグローバル・スタンダードとしての市場自由主義の拡大など、結果として政治や生活の質を落とすことになった選択のほうが多いといえるかもしれない。

イギリスと同様に、この近過去の失敗を現在からリセットすることは難しい。したがって、安倍政治の経済政策とは、円安誘導と株価の人為的上昇を「アベノミクス」という仮想現実(人々の主観的期待感に依存)にすり替える政策に他ならなかった。「第3の矢」といわれる経済の構造計画が実行に移されないことも何ら不思議ではない。それこそがリアルな経済社会の問題だからである。

リアルな経済社会の課題と向き合うためには、成功した日本企業モデルの抜本的な再検討から始めなければならない。その場合に、1980年代から提起されている市場自由主義モデル、かつてはアメリカとの構造協議による規制撤廃、現在ではTPP(環太平洋経済連携)による経済・社会のグローバル化は、これまた真の選択肢ではないことを明確にしなければならない。正確にいえば、日本のグローバル企業にとっては有力な選択肢でありうるが、日本の大多数の人々や地域社会にとっては、負の選択肢でしかないことである。ここが日本では限りなく曖昧にされている。

安倍政権の安保法制については、それが必要視される選択肢ではないことをすでに述べた。安倍政権が政権目的とする憲法改正は、もっと極端な現実世界から遊離した選択肢の提起である。2005年までの憲法9条に自衛隊など最小限軍備を明示する項目を追加しようとする議論は、まだ現実世界との接点を持っていた。2012年の自民党「日本国憲法改正草案」(2012年4月27日決定)は、日本の将来の選択肢になっていない。明治憲法にしろ、戦後憲法にしろ、あるいは世界の大部分の国での憲法制定や重要項目での憲法改正は、その必然的な理由を持ち将来の国造りの基盤となった。自民党の改正案は、そうした未来志向の項目は環境権や地方分権など、法律に拠っても可能なものを除くと、何一つ存在しない。家族の扶養力はますます衰退し、東京や大都市への集中はますます激しくなり、「強い国家」はTPPなどグローバル化でますますその権限を失ってゆく。安倍自民党の考える憲法草案とは、保守回帰の倫理綱領に他ならない。

そう考えれば、少なくとも戦後70年の日本の平和とデモクラシーの安定に寄与した、つまり日本が戦争国家から平和国家へと転換したことが世界の中で承認される基盤を作った、戦後憲法の創造的発展こそリアルな選択肢であってしかるべきであろう。現在の安定した秩序や共通の価値観に立たず、未来を予感させない憲法は、おおよそ憲法の名に値しない。立憲主義は近代国家の普遍的原則なので置くとして、デモクラシーと平和主義は、今でも大多数の国民が共有する価値観である。

東芝やシャープの経営陣の失敗、三菱自動車の燃費率偽造など、現在の日本企業の失態は、おそらく例外ではなく、いろいろな問題の氷山の一角を示すものに他ならないだろう。さまざま部品の現場での調整に強みを発揮してきた日本の工業力も、IoTやAI(人工知能)の発展が示す未来社会では、そのポジションは確実ではない。1980年代に「第5世代の人工頭脳」開発で、トップを期待された日本の技術力は、当時も碁のソフト開発が一つの目安であり検証であったが大きな進捗はなかった。30年後の現在、グーグルの研究部門が開発した「アルファ碁」とその成果は、AIが切り開く未来社会を暗示するものになった。こうした新時代を創る技術革新は、社会構成や人間生活そのものに大きな影響を与える。そしてその当事者は若い世代である。

2.未来から現在を見ること(未来史的アプローチ)

いま、日本・アメリカ・イギリスを例に、国民はさまざまな投票に動員されているが、そこで政治家や政党から提示される選択肢が、国民や社会に必要な選択肢になっていないことを示した。これは世界の代表制民主主義を持つ多くの国で生じていることであり、21世紀にふさわしいデモクラシーのあり方そのものが議論され始めている。他方で、インターネットによる情報革命や、予測されるドローンによる交通・輸送革命、さらにはIoT やIAによるスマート革命など、19世紀来の工業社会が、根本的な転換期を迎えていることは明らかである。

この20世紀型政治が提起できる選択肢と、人々が日々体験している生活の変化や悪化(格差社会、国境を越える移動や難民)の現実とのずれが、どの国でも「政治不信」、正確にいえば、既成政党不信や従来型政治家への不信となって表れてきている。他方で政治の側からは、メディア操作や移民問題・対外脅威の強調など、問題をそらすことにより国民の支持をつなぎとめようと画策する。この結果、本来の課題自体が曖昧となり、国民は分裂し、さらに政治不信が増大する。  

こうした負の循環をどのようにリアルな世界に戻すことができるのだろうか。

想定される未来から現在をとらえ返すという、新しいアプローチが必要とされているのではないだろうか。過去の歴史から未来を形成するのではなく、未来のありえる歴史から現代史を創りだす手法である。こうした発想そのものは古くからある。未来社会の人間の解放から現在の革命を導く、マルクス主義の歴史観もその一つであった。多くの宗教的な救済論もこの系譜につながる。

ここでは異なる未来史的アプローチを提示したい。当然、未来に関しては「未確定」であるがゆえに、様々な予測や主張が並立し、対立する。しかし若い世代ほど、より多くの未来を体験できることは確実に言える。また多くの企業や大学でも、大きな改革を企画する場合は、若い世代をその担当者とする。10年、20年後にはこの世代が当事者になるからだけではなく、発想や知的背景、使用するメディアなど世代により大きく異なるからである。新聞・雑誌の活字世代、テレビ・ビデオ・CDなど大衆メディア世代、それにSNSなど通信・情報ネットワーク世代である。

こうした議論をするとすぐに思い浮かぶのは、いわゆる「ミレニアル世代」の問題である。アメリカの2000年代に成人となった世代、デジタル環境が生まれたときからある世代(デジタル・ネイティブ)、したがって1980年代から2000年代初頭までに生まれた世代ということになる。日本では「ゆとり世代」に相当するが、狭義の意味では現在20~30歳の世代をさす。

この世代区分は納得させるものがある。ただし日本の場合、90年代に青年期を送った、いわゆる「失われた世代」の問題がある。90年代のバブル崩壊、1995年のオウム・サリン事件と阪神・淡路大震災、それに続く就職氷河期の世代、こうした悲観的な社会像を持たざるを得なかった世代の問題である。世代区分は多様であり、その内部でも分裂している。しかしここでミレニアル世代など世代論をあえて出すのは、昨年来のSEALDsの活動がある。

第1に、シールズの活動スタイルは、最初からグローバルなつながりを持っている。2011年、アメリカのウオール街を占拠した「私たちが99%である」運動。さらには、2014年の台湾「ひまわり運動」や香港「雨傘運動」など、よく組織された占拠活動とSNSを使った巧みな世界への情報発信によって特徴づけられる。シールズに限らず、それ以後の若者の政治活動は、相互にグローバルに情報を交換し合い、連動している。

第2に、シールズのコアメンバーの数は数十人程度と少なく、また組織の拡大も目指さなかった。しかし日本の団塊世代や70~80年代市民活動にあったような、セクト化やプロ市民活動集団へのゲットー化に陥らず、外に向けた情報発信と組織間の自発的な協働という、新しい組織・活動文化(まさに欧米での70年代の新しい社会運動のタイプ)を生み出した。

第3に、その社会的影響は強大なものとなった。正確にいえば、日本には1970年代から「国会前デモによる意思表示」という政治文化が、少数者の抗議運動や福島原発事故に端を発した反原発運動以外では、途絶えていた。そうした「大衆的・政治的街頭デモ」と個々人による積極的な意思表示という政治文化を、再度、復活させた。彼らは「民主主義ってこれだ」と宣言したが、それは戦後デモクラシーをおそらく40数年ぶりに活性化させた。

政治の刷新に向けて未来史的アプローチをとる場合、以下のような重点政策が大事になるだろう。

(1) 若い世代に負の遺産を残さないこと。これは年金問題から1000兆円を超える財政赤字の問題まで、政治の中心的な課題であるといってよい。そして安倍政権はこの真の課題から逃亡し続け、「我が亡きあとに洪水よ来たれ」という無責任な「異次元の金融緩和政策・マイナス金利政策」を続けている。

(2) 若い世代が、若い世代の発想や手法で活躍できる社会環境を形成すること。これは学生の有利子奨学金問題から子育て支援(待機児童問題)や「一億総活躍社会」まで、まさに緊急に対応すべき政治課題である。4割に達した非正規雇用、雇用機会均等法30年にもかかわらず低い女性の就業継続、結婚格差など、若い世代の活躍を妨げる多くのバリアがある。企業や教育現場、地域社会における若者の自立を妨げる権威主義的文化の残存。

この関連では、安倍政権の国家保守主義よりは、安倍自民党を支える「草の根保守主義」のほうがリスクは大きいかもしれない。各地の市議会や市行政において、保守的議員や政治的中立の名のもとに、行政の手で自立した市民活動が選別され、支援が削減される現状では、未来史の視点からは若者による未来の先取りを阻害していることになる。その結果、彼ら保守派が唱える日本の発展を、自らの手で妨げているのである。

3.民進党にできること、できないこと

ページ数もないので要点だけを書いておく。2016年3月27日、民主党と維新の党が合同して、民進党が結成された。英語名は The Democratic Party と以前のままである。党綱領においても「生活者」「納税者」「消費者」「働く者」の立場に立つとあり、民主党を継承している。また結党の理念として、「自由」と「共生」のほかに、「私たちの立場」にあった「未来への責任」が加わった。上で述べた「未来史の視点からの政策提示」と合致する理念である。

基本政策においても、「現実的な外交安全保障」、「立憲主義の確立」、「新陳代謝のある経済成長」、「居場所と出番のある共生社会」、「2030年代の原発ゼロ」、「身を切る改革」、「地域主権改革」など、維新の党の市場改革・規制緩和路線に配慮した表現もみられるが、内容は民主党の基本政策を踏襲しており、改革政党の基本政策としても承認できるものである。このように、民進党は合同前に想定されたものより、内実のある政党として成立したといってもよい。

ただしすべてはこれからであり、7月参議院選挙がその一歩となる。すでに述べたように、政党制度や代議制民主主義自体が機能しない時代になっており、人々の間に大きな政治不信が残り、政治が真の選択肢を提示できない時代にあっては、民進党がこのままで政権政党に発展するとは考えられない。さらに一度か二度か、大きな転機が訪れるだろう。

現段階で注目したいことは、7月参議院選挙で統一野党候補を擁立することである。北海道5区の衆議院補選では、民進党・共産党・社民党・生活の野党統一候補が擁立された。惜しくも自民候補に敗れたが、「市民代表」という枠組みで参議院選挙の一人区への野党統一候補擁立に一つのモデルとなった。参議院選32の一人区のうち、すでに過半数でこうした野党統一候補擁立が確定していると報道されている。

ここで注目することは、シールズや「学者の会」などが参加する「安全保障法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合」が、野党統一候補の擁立に一役買っていることである。野党統一候補は、基本的には民進党と共産党がどこまで選挙協力できるかという問題である。政党間の関係に限れば、とりわけ民進党の側で大きな問題を抱えている。そこで政党間の関係を超えた新しい枠組みが構想されることになる。シールズは、とりわけ若者世代や新しい政治文化と既成政党・政治家集団をつなぐことで、さらには民進党と共産党を媒介することで、見た目以上の役割を果たしている。ただしシールズも、新しい18歳の有権者を代表しているわけではない。18歳の青年たちは、自らの「シールズ」を形成しなければならない。団塊世代と若者世代の中間にいる民進党の中堅政治家たちは、こうした新しい有権者に政治との接点を示す義務がある。自分たちの政策的関心だけではなく、若者の心に響くような言葉を発信し、これまでにない「異次元の」知恵を出すことができるかどうか、そこに民進党の将来がかかっている。

すみざわ・ひろき

1948年生まれ。京都大学法学部卒業の後、フランクフルト大学で博士号取得。現在、日本女子大学教授。本誌代表編集委員。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。主な著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房、2003)、『組合―その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版 2013年)など。

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