コラム/沖縄発

5・15の不発弾処理

終わりのない沖縄の戦争

出版舎Mugen代表 上間 常道

3月中旬、タクシー運転手をしている友人Kから、自分の書いた小説を本にできないか、という相談を受けた。話し合いの結果、短編1編、中編2編の3作品を収録し、自費出版の形で刊行することが決まった。 本のタイトルにも選んだ、メーンの作品「砂上の眸」は、第16回織田作之助賞(大阪文学振興会、毎日新聞社などが主催、1999年)で、応募総数493編の中から選ばれた最終候補作5編に残った102枚の中編である。

ある日、保育園に通う母子家庭の兄と妹は登園後、園内で遊び始める。妹は兄の側で遊びたがったが、兄は妹を「砂場に追いやった。それから数分も経たない、9時ちょうど、凄まじい轟音が激しい地響きを伴って襲い、……砂場は真っ赤な血で染まった」。不発弾が爆発、妹は即死したのだ。自責の念に駆られた幼い兄は、青年になってもその記憶を消し去ることができず、自衛隊に入隊し不発弾処理係となって実際に不発弾を爆破させることで贖罪することを決意。とうとうその機会が来た日、朝から逡巡しながら作業を始める。その作業中、ミンダナオ島で戦死した、一度も見たことのないオジィ(祖父)の幻影がリアルに現れ、彼の妄念を阻み、作業は無事終了する――というプロットである。

この物語が、沖縄の日本「復帰」の2年後に起こった「小禄不発弾爆発事故」を題材にしていることは、事故を知っている読者には自明である。実際の事故は、1974年3月2日午前11時半ごろ、那覇市小禄の聖マタイ幼稚園内の園児たちが「ひな祭り」の歌を合唱している最中に、園の外塀沿いの下水道工事現場で起こった。3歳の幼児を含む4人が死亡、34人が重軽傷を負い、家屋86棟、車両51台が全半壊する大惨事となった。原因の不発弾は戦時中に日本軍が埋蔵した改造地雷だとみられた。

事故のちょうど1年前に東京から那覇市に移り住んだ私にとっても衝撃的で、沖縄には東京などでは考えられない独自の危険な状況が日常的に存在していることを端的に思い知らされた。事故翌日の『沖縄タイムス』は、1面の社説で「戦後終わらぬ爆発惨事」と題して論評を加え、社会面は見開きで「戦争の置きみやげ―不気味! 地中に潜む鉄の塊―よみがえる戦争の悪夢」として、現場近くの声などを特集している。戦後29年を経、「復帰」を経てもなお「戦後」どころか、「戦争」そのものが継続し、住民を足下から脅かしている状況が浮き彫りになった。

あれから42年後のことし3月1日、豊見城市に移転した同園で、事故を語り継ぐ「平和の祈り」が開かれたことを伝える記事が、翌日の地元新聞に掲載された。その後、小説集を編集している最中にも、新聞には「不発弾処理」を予告する記事が間断なく掲載されている(『沖縄タイムス』朝刊の見出し、いずれも地図が付されている)。

・4月16日:沖縄市諸見里で17日不発弾処理、正午まで交通規制

・4月19日:不発弾処理、国道58号封鎖 浦添市牧港、5月15日実施

・4月20日:糸満市照屋山林跡、あす不発弾処理 午前に交通規制

・4月21日(4月23日に再掲):25日不発弾処理、避難対象1700人余、那覇市長田

・4月27日:港川の工事現場、あす不発弾処理、浦添午後に交通規制

といった具合である。

とくに4月19日の記事は驚きだった。かなり早い時期の予告であるうえ、実施予定日が、沖縄が日本に「復帰」したとされる象徴的な日付だったからである。

「浦添市牧港1丁目の解体工事現場内で3月26日に発見された米国製5インチ艦砲弾1発の不発弾処理作業が5月15日午前10時10分から、牧港の国道58号を一時封鎖して発見現場近くで行なわれる。避難半径は156メートルで、206世帯、39事業所が対象」――記事にはそう書かれている。

地図で見ると、この一帯は、沖縄戦最中の1945年4月18日、米軍第27師団の予備攻撃の一環として、「浦添村断崖に対する夜間攻撃」と米軍戦史が名づけた戦闘が行なわれた地帯だ。戦闘の結果、米軍はここを掌握し、「太平洋戦争における今までにない最も大量の集中砲火が、夜明けの攻撃の前奏として鳴り響いた。軍団と師団の27個の大隊の火砲、105ミリから203ミリまで距離測定された榴弾砲、総計324門が、6時に第1回の砲弾を発射した」(アメリカ陸軍省戦史局編、喜納健勇訳『沖縄戦―第二次世界大戦最後の戦い―』、出版舎 Mugen、2011年)。

新聞記事には、なぜ5月15日に実施するのかは記されていないから、その意図はわからないし、意図などはそもそもない、たまたまそうなっただけというのかもしれない。しかし、戦後71年、沖縄が日本に「復帰」した1972年5月15日から42年目のこの日に、なお、不発弾処理をしなければならない現実があることを印象付けることとなったのは事実だ。

この島々の不発弾処理にはあと70年はかかると言われている。沖縄では第二次世界大戦もその戦後も、まだ終わっていないのである。地上でも地下でも。

うえま・つねみち

東京大学文学部卒。『現代の理論』編集部、河出書房などを経て沖縄タイムスに入る。沖縄タイムス発刊35周年記念で『沖縄大百科事典』(上中下の3巻別刊1巻、約17000項目を収録)の編集を担当、同社より83年5月刊行。06年より出版舎Mugenを主宰。

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