コラム/時々断想
戦争と戦後にこだわり続けることの意味
日高六郎さん死去の報に接して
神奈川大学名誉教授・本誌前編集委員長 橘川 俊忠
講義は新聞を読むことから始まった
日高さんの講義に出たのは、大学の三年生か四年生のことだった。法学部の学生の私が新聞研究所の日高さんの講義にどうして出るようになったのかも今では忘れてしまった。その講義は、聴講生はせいぜい十数人で、講義室も新聞研究所の小さな部屋で、ゼミナールのようなものだったと記憶している。
フロムの『自由からの逃走』の訳者であり、『現代イデオロギー』の著者で、戦後革新の代表的知識人の一人である日高さんの講義だから、さぞかし鋭く現代社会の諸問題に切り込む論理が聞けるだろうと期待していたら、いきなり「新聞を読みましょう。皆さんも一週間の新聞記事の中から気になることがあったら問題提起してください」ときたので、正直にいって拍子抜けしてしまった。また、日高さんがとりあげる記事も一面のトップ記事ではなく、社会面や家庭欄・文化欄などの記事が中心で政治の話題の場合でも短信欄や囲み記事ばかりであった。それはそれで面白くはあったが、当時は新聞研究所だからこんなものか程度にしか受け取っていなかったような気がする。だから、具体的にどんな話があったのか、どのくらいに真面目に講義に出席したかすら覚えていない。
ところが、気がついてみると、毎日、新聞を読む、日高さんの講義で扱ったような記事に必ず目が行く、そういう習慣が身についてしまっているのである。高校生までに、新聞を読みなさいとか、社説を読めというようなことを教えられたが、日高さんのような読み方は初めてだった。だから、そういう新聞の読み方は日高さんの影響に違いないと思う。時々、大学の講義の前振りに、そういう小さな記事を使って話をすることがあるが、その度に日高さんの講義を思い出している。
実際、社会の動き、それも自覚的ではない、知らず知らずに人々の思考の中に浸透してくるような動きは、そういう小さな記事の中に反映されていることが少なくない。一時、マスコミを騒がせた日大アメリカンフットボール部の問題が一段落したころ、防衛大学校の学生アンケートについての小さい記事が掲載された。そのアンケートによれば防衛大学校の学生の半数近くが、新入生当時上級生から理不尽ないじめ・いやがらせを受けた経験があるという。「一年畜生、二年奴隷、三年平民、四年神様」というかつて体育会系のサークルなどで言われていたような言葉も残っているらしい。
ほんの小さな囲み記事であったが、その事実は、極めて重い。かつての日本の軍隊の初年兵いじめの構造がそのまま残っているとさえ思わせる。事は日大の一運動部の問題にとどまらず、戦前以来の軍隊体質にもつながる問題だからである。見逃しがちな小さな記事に深刻な問題が隠されている一例である。
戦後を問う視点
日高さんの新聞の読み方に現れているものの見方は、戦後の問題を論じる姿勢にも貫かれている。日高さんの著書『戦後思想を問う』(岩波新書)、こんなエピソードから始まっていた。それは、海外駐留アメリカ兵のための新聞『スターズアンドストライプ』の二人の記者が、三木清の消息を尋ねて、三木が収監されていた奥多摩刑務所を訪問した事から始まる話である。彼らは、そこで三木が九月二十六日にすでに死亡していたという事実を知らされる。ポツダム宣言受諾後一月以上が過ぎているにもかかわらず、治安維持法違反の容疑者の逃亡を助けたという疑いで拘留されていた著名な哲学者が獄死したという事実に驚いた彼らは、GHQに強く抗議したという。彼らの抗議を受けたGHQは、全政治犯の釈放を決定し、いわゆる解放指令が出されることになった。
この二人の記者の話は、新聞のトップを飾るような話ではないかもしれない。しかし、そこには戦後の出発点を問う重大な問題が含まれている。戦争が終わっても、戦争に反対して捕らえられた政治犯が依然として獄中にとどめおかれ、死者まで出していたという事、それにGHQ当局も日本政府もほとんど関心を持っていなかったという事、それらの事実は、戦争の非人間性は、戦争が終わってもなお、かつての敵味方双方の多くの人々を蝕み続けていたという事を示しているからである。
三木清の死に責任があるのは誰か。不当に拘留を続け、疥癬患者の衣服を洗濯もせずに三木に着せ、死の原因となった病気に罹患させた日本の当局に第一の責任があることはいうまでもない。また、占領政策を開始した占領軍当局も積極的に解放の処置をとらなかった点で責任を負っている。さらに、敗戦の混乱の中にあったとはいえ、政治犯の解放に自ら動こうとしなかった日本の国民にも責任は問われなければならない。国家と国家の争いとしての戦争は、かくも無残に個人の命を踏みにじるものなのである。
日高さんは、こうした事実を述べながら、責任の追及にけっして重点をおいてはいない。重点は、二人の記者の行動の方においているように読める。二人の記者は自分の意志で奥多摩刑務所を訪れ、自分の意志でGHQに抗議した。そのことの意味を問おうとしている。個人の行動が事態を動かし、戦争の非人間性をさらけ出したことの意味を重く受け止めようとしているようにみえる。日高さんの視点は、戦争と個人にしっかりと据えられているといってもよいだろう。
そういう日高さんが、自分個人にとっての戦争を語りだしたのは必然であった。『戦争の中で考えたこと――ある家族の物語』(筑摩書房)がそれである。その本で日高さんは、自分が生まれ少年時代を過ごした中国青島での出来事、家族や出会った人々との交流、東京の高等学校、大学あるいは海軍技術研究所での経験などについて実にたんたんと書いている。その中には、海軍技術研究所で、軍とも密接な交流があり、激烈な皇国主義者であった平泉澄の面前で報告をした時に恐怖を感じた事なども率直に書かれている。詳しくは同書を読んでもらうしかないが、88歳になった日高さんが個人としていかに戦争と向きあい続けているかが直截に伝わってくる。その文章は、けっして声高に反戦を主張したり、戦争の悲惨さを訴えたりしている文章ではないが、一人の人間として戦争と向きあうことの重みが理解できる文章である。
「人間の類」の一人の個人として
「人間の類」とは、イタリアの作家ヴィットリーニの『シチリアでの会話』に出てくる言葉である。人間は一人一人違った生活を持ち、違った性格を持ち、違った顔をしている存在であるが、その違いを抱えたまま同じ人間であるということを表現しようとしてヴィットリーニが作り出した言葉である。人類とか個人とか、どこか抽象的な印象を与える言葉ではなく、一人の人間としての固有性を失わせることなく、それでも繋がりあっている人間というものの存在の仕方を表現しようとしているといってもよいかもしれない。日高さんが個人という場合、独立した人格としての個人とか、自立した市民というような言葉とはニュアンスが異なるような感じがしていたが、ヴィットリーニの言葉を借りて「人間の類の一人としての個人」と言えば、日高さんの個人のイメージに近くなるかもしれない。
ここでなぜ『シチリアでの会話』などという小説を持ち出したかというと、この小説も個人が戦争と向きあうことを主題としている小説だからである。しかし、『シチリアでの会話』には、戦争のことなど全く出てこない。人間の類の一人である主人公が、故郷シチリアに一人で住む母親に十五年ぶりに会いに行き、その旅の途中で出会った様々な人々と交わした会話が、象徴主義的な手法で描かれているだけである。1941年に出版されたそんな小説が、イタリアの反ファシズム運動に大きな影響を与え、反ファシズムパルチザンの精神的基盤となったとまで言われているのである。
もちろん『シチリアでの会話』には、シチリアやイタリアの民衆の悲惨な状況も描かれている。しかし、その現状を見聞きし、その歴史に向きあうのはあくまで人間の類の一人としての主人公なのである。向きあうとは、目をそらさずに見、聞き、感じ、考えることにほかならない。けっして、民族や国家あるいは階級というような集合表象に隠れてしまわず、あくまで一人の人間として向きあうその姿勢こそが、ファシズムという全体主義と決定的に対峙する。イタリアの反ファシズム運動は、『シチリアでの会話』にそういう姿勢を見出したのではなかろうか。
戦争の真最中に書かれたものと、戦後に一応平和な状況で書かれたものとを同列に並べることはとうていできないことを承知の上で言えば、社会全体の動きに対して、あくまで一人の人間として向きあい続けることの重要性を読み取れるという意味で両者には共通点があるといっても許されるであろう。戦争という状況は、否応なしに個人を厳しい状態に追い込んでいく。いかなる形にせよ「向きあう」ことを余儀なくさせる。他方、平和な時期は、「向きあう」こと自体を忘れさせてしまう。忘れてしまっているうちに、戦争がいつの間にか忍び込んで来ないとはかぎらない。戦争と戦後にこだわることの意味は、人間の類の一人として社会に「向きあう」ことの重要性を再認識し続けるところにあるのである。
きつかわ・としただ
1945年北京生まれ。東京大学法学部卒業。現代の理論編集部を経て神奈川大学教授、日本常民文化研究所長などを歴任。現在名誉教授。本誌前編集委員長。著作に、『近代批判の思想』(論争社)、『芦東山日記』(平凡社)、『歴史解読の視座』(御茶ノ水房、共著)、『柳田国男における国家の問題』(神奈川法学)、『終わりなき戦後を問う』(明石書店)、『丸山真男「日本政治思想史研究」を読む』(日本評論社)など。
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