この一冊

『抵抗の拠点から―朝日新聞「慰安婦報道」の核心』(青木理 著 講談社、2014年)

朝日バッシングに異議アリ!

ジャーナリスト 秋田 稔

朝日新聞の「誤報」問題で、読売・産経などのライバル紙、週刊誌、右翼などが激しい朝日バッシングの集中砲火を浴びせ、安倍首相も鬼の首を取ったように同紙批判を繰り広げる。それは日本第二の読者数を持つリベラル紙・朝日の変質を目指す権力・右派・メディア一体となった罠だ。しかし朝日はバッシングにたじろぎ、言論防衛よりも企業防衛第一に追い込まれているようだ。

そんな中、朝日叩きの大合唱を「一新聞批判の次元を超えた日本社会やメディアの歪んだ変質を示す歴史的事件」とみる筆者は、「慰安婦」報道を中心に、それがなぜ同紙の屋台骨を揺るがすほどの大問題に仕組まれていったのか、同紙叩きの大合唱がなぜ起きているのか……などを探り、朝日バッシングに真正面から異を唱える。共同通信時代、オウムなどの公安事件やソウル特派員などで敏腕をふるい、フリーに転じた筆者の気骨あふれるレポートで、関連年表と主な関連記事も添え、問題の全体像を知る上でも役立つ。

第1章「朝日バッシングに異議あり!」と第2章「歴史を破壊する者たちへ」は、筆者が雑誌に寄せた朝日叩き批判のルポやコラム。メーンの第3章「全真相 朝日新聞『慰安婦報道』」は、大手メディアがほとんど無視してきた朝日新聞関係者の証言を軸に真相を検証し、この問題で同紙を孤立に追い込んだメディアの危機的な状況を明らかにする。

第3章には朝日新聞元記者の植村隆、元主筆の若宮啓文、前報道局長の市川速水、元報道局長の外岡秀俊らが登場する。

植村は1991年、最初に「従軍慰安婦だった」と名乗り出た韓国の金学順さんの証言テープを記事化した元朝日新聞記者。歴史修正主義者たちは植村に「慰安婦問題捏造記者」のレッテルを貼り叩きまくる。筆者は「その狙いは朝日叩きにこそあり、それを表象する者の筆頭格として、またわかりやすい物語の持ち主として、植村氏に低劣な攻撃が押し寄せた」と分析する。

さらに『週刊文春』の「〝慰安婦捏造〟朝日新聞記者がお嬢様女子大教授に」の悪質な暴露記事で、植村の採用を内定していた私大が脅迫を受け、植村は採用取り消しとなった上、娘までもがネットなどで「売国奴のガキ」「自殺に追い込むしかない」などと脅されている。言論の自由、大学・研究の自由を犯すこんな悪質な暴力にも、メディアは委縮して批判報道に二の足を踏む(詳細は『文芸春秋』2015年1月号の植村手記、本誌『現代の理論』本号の西村秀樹「抗う人―慰安婦「捏造」=朝日新聞攻撃に抗う~植村 隆」を参照)。

朝日は慰安婦を「暴行加え無理やり狩り出した」という「吉田清治証言」を取り消したが、同様の証言は他紙も報じている。そして「吉田証言」のような暴力的連行は裏付けに乏しかったとしても、慰安婦制度への旧日本軍の深い関与や強制性などの国際法違反があったことは裁判所でも認定されている。結局は、「朝日の慰安婦問題捏造のせいで、日本が国際的に批判を受けている」とし、朝日に「売国」「反日」のレッテルを貼りつけることが歴史修正主義者たちの狙いだというのが著者の見立てだ。 

若宮も論説主幹時代に書いたコラム「竹島と独島 これを〝友情島〟に…の夢想」などで「売国奴」などと激しく叩かれ、安倍首相からも名指しではないが「安倍叩きが朝日の社是だと言った」と事実無根の批判を受けている。若宮は、「朝日叩きは、世間の空気と新聞の経営危機が二重に重なっている時代の出来事」と言う。その指摘のとおり、ネット情報の主流化などによる既存メディアの経営危機と、社会ムードの右傾化が同時に強まる中で、今回の朝日叩きが起きた。そして読売や産経は「朝日叩き」による販売拡張さえも目論んだが、それはかえって新聞不信をあおり、新聞全体の読者離れを加速した。

「誤報問題」で対応に当たった市川は、慰安婦問題報道にも深くかかわっており、福島原発の「吉田調書」問題や、「池上コラム」不掲載問題など朝日迷走の顛末をかなり率直に語る。そして朝日が、今日の政治状況やメディアの現状など時代を読み誤ったため、想像を超えて孤立無援状態になり、過剰防衛に陥ってしまったと反省する。

朝日が入手した福島第一原発事故の吉田昌郎所長調書は「未曾有の原子力火災の恐怖と実相を浮き彫りにする一級資料」であり、原発が「チャイナシンドロームを起こすかもしれない」ほどの危機にあったことを示す大スクープだった。たしかに「所長命令に違反、原発撤退」の主見出しはミスリードで、朝日はその点をライバル紙に突かれる隙があった。だが「調書」を産経などが入手して朝日のスクープを批判したのは「朝日にさらなる打撃を与えようと官邸、産経、読売がコラボレーションしたと考えるのが自然」と見る。

エピローグでは外岡が「朝日が満州事変をきっかけに社論を転換することによって、それまで軍部に批判的で翼賛体制にならないように幅を保ってきた言論界が急速に変わっていく。そして朝日はその先頭を走り、煽ってしまった」という歴史の教訓を語る。そして「朝日がそういう過去を繰り返さないでほしい」と期待し、他のメディアにも「日本の言論がねじ曲がっていかないように、互いの責任を果たそう」と呼びかける。

しかし日本のマスメディアは朝日を含めて多くが、そんな訴えとは逆方向に雪崩をうちかねない瀬戸際に立つ。多様な言論を有形・無形の圧力や「反日」「売国」などのレッテル貼りなどで封じ込めようとする動き。そして、それに迎合することで生き残りをめざすマスメディア――。本書はそれらに対して強く鋭い警鐘を鳴らす。

あきた・みのる

『現代の理論』23号(2010年春)「メディア時評 マス・メディアは55年体制の最終ランナー?」/同25号(2010年秋)「メディア時評 NHK告発・大相撲とマスコミ・天安門沈没」など。

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