特集●戦後70年が問うもの Ⅰ

雇用・労働の現在

「仕事のための生活」か「生活するための労働」か

東京大学名誉教授 田端 博邦

1 はじめに

19世紀末から20世紀前半に活躍したイギリスの経済学者アルフレッド・マーシャルは、その『経済学原理』でつぎのように述べている。「しかし、普通の人にとっては、…ほどほどで十分に安定した仕事があり、それによって得られるほどほどの所得が、身体と心、精神の習慣の成長にとっての最良の機会を提供するのであり、ここにこそ真の幸福がある。」(同書、第3部第6章)

ここでマーシャルが「しかし」と述べているのは、この引用の前に、ビジネスや芸術、科学、人道運動などに熱中することは「強い喜び」を与える、そうした高度に積極的な仕事(労働)はしばしば過剰な緊張と脱力状態との繰り返しを伴っている、ということを書いているからである。そのような過剰な労働と疲労困憊を繰り返すような「特別の野心」を持った働き方も人間の性質としてありうるかもしれないが、そのような野心をもたない「普通の人」にとってはそうでない、というのが「しかし」のついている理由である。マーシャルは、この直前に「生活は労働のためのものである」という考え方は誤りで、「生活するための労働」が本来の労働のあり方だと述べている。これも重要な点である。

およそ1世紀も前に書かれたこの文章は、今日の雇用・労働の世界を支配する考え方とは大分異なっているように思われる。成果主義と効率性に追われる職場では、スピードと密度が競われ、果てしない過重労働がまんえんしている。「ほどほどに働く」というような甘い考えでは企業も日本経済も立ち行かないというのが、支配的言説である。しかし、それにもかかわらず、マーシャルのいう「ほどほどの働き方」というのは、今日でもなお、「普通の人」にとってはもっとも望ましい働き方と考えられているのではないだろうか。そのような「普通の人」の常識は、今日の職場社会では通用しないのであろうか。

いまホットな議論になっているホワイトカラー・エグゼンプション、労働政策審議会における「高度プロフェッショナル制度」なる構想では、成果で労働を評価するので、労働時間は意味がない、したがって、労働基準法の労働時間間規制の規範は適用しない、とされている。1日8時間1週40時間というような法律規制があると十分に働けない、こんなルールはなくしてのびのびといくらでも働けるようにしよう、というわけである。しかし、このような制度が実際に意味するのは、「成果」を競い、「成果」を上げるための、歯止めのない長時間労働が、しかも正々堂々と横行するということにほかならないであろう。のびのびと働かせることができるようになるのは、労働者を雇用する企業の側である。

また、マーシャルのいう「十分に安定した仕事」をほとんどすべての非正規雇用労働者が奪われていることはいうまでもない。安定した仕事のない不安な生活は、働く者にとっての「幸福」と正反対の「不幸」にほかならない。しかも、正規雇用労働者にとってさえ、「安定した雇用」の保障は確実ではない。少なくとも「ほどほどに」働こうとする労働者にとっては大いに危うい(だからこそ、ほとんどの労働者は成果への競争に参加せざるをえないのである)。労働時間法の問題と並んで、廃案になった派遣法改正案もまた早晩国会に提出されることになるであろう。「安定した仕事」の危機は止まるところをしらないようでさえある。「ほどほどの所得」が非常に多くの人から奪われていることについては、もはや述べる必要はないであろう。

一言でいえば、「ほどほどの」労働時間は失われ、「安定した仕事」はますます稀になり、「ほどほどの所得」を欠くワーキング・プアが増加している。労働者の「真の幸福」はますます遠ざかるように見える。

いったいどうしてこのようなことになってしまったのか、それが問題である。

2 どうしてこのようになったのか?

一般に、歴史の流れにおける一つひとつの「現在的判断」が積み重なることによって、それぞれの時点における判断をこえた「結果」が生み出されることがある。雇用・労働の現在の状況もまた、そのようなケースのひとつであるように思われる。今日にいたるいくつかの歴史的時点をとりあげてみよう。

石油危機

1973年の石油危機が日本経済に、実はさらに世界経済に、大きな衝撃を与えたことを知らない人はないであろう。このときに、日本の企業社会では、“賃金より雇用”が幅広い労使のコンセンサスになった。天然資源の乏しい日本にとっては、石油価格の高騰が製品価格を引き上げ、企業利潤と賃金を圧迫することは明らかだった。それまでのような毎年の賃上げをすすめる余裕は企業になく、企業経営が不振になれば雇用は失われる。そうであるとすれば、当面のところは賃金を自粛して企業の危機を乗り越えよう、というのがそのコンセンサスの内容である。

しかし、この賃金自粛・抑制のコンセンサスは、間もなく日本企業の強い国際競争力を生み出した。79年にはエズラ・ヴォーゲルの『ジャパン・アズ・ナンバーワン』というベストセラーが出版され、80年代には日本の“集中豪雨的輸出”が国際的に問題視されるまでになったのである。おそらく、この時点では、石油危機という一時的な危機を回避するための賃金抑制は考え直すべきだったであろう。しかし、賃金抑制と、これもまた石油危機後にはじまった減量経営というコストを徹底的に削減する経営方式は、見直されることなく持続した。企業経営が順調な回復軌道に乗ったにもかかわらず、労働への分配は低いままに推移することになったのである。

労働への低い分配は、アウトソーシングや非正規雇用導入(はじめはもっぱらパート)などさまざまな面で新たな問題を生み出すことになったが、なんといっても賃金が大きな問題だった。マスコミによって“春闘連敗”と評された賃金抑制の持続は、労働組合の魅力を減殺し、組織率の低下と交渉力の弱化を生んだのである。とりわけ労働組合の側からすれば、“賃金より雇用”の方針がこのような「結果」をもたらすということは予測しなかったものだったといえよう。さらに、大規模な輸出(大きな貿易黒字)によって獲得された資金は、労働に十分に配分されなかった結果、余剰資金として滞留し、80年代後半の“バブル経済”を生み出したのである。石油危機時の「現在的判断」は、その当時まったく予測しなかった「結果」を生んだといってよいであろう。その間、たった10数年ほどでこのような「判断」と「結果」のあいだのずれが生じている。

たしかに、それぞれの時点でこのように、あるいはあのように判断すべきだった、というように後から論じることはたやすい。しかし、それにしても、それぞれの時点でもう少しましな判断はできなかったのか、という問題は残るのである。

バブル崩壊と雇用劣化

90年のバブル崩壊から本格的な雇用劣化がはじまった。賃金抑制を伴う企業のもうけすぎがバブルを生んだのだが、そのバブルの崩壊による不況によって再び賃金抑制の必要が強く意識された。

バブル崩壊の衝撃がどの程度大きいものであったかは詳しく述べることはできないが、不況に対応するために、最も大胆な労働コスト抑制の手段として、新規採用の停止や削減が多くの企業でなされたのである。“就職氷河期”として知られているとおりである。

おそらくそれは、個々の企業の短期的な判断としては避けられない方策であったに違いない。そして、労働組合もそのようなものとしてそれを受け入れたのであろう。しかし、ここでも、そうした「現在的判断」は思わぬ「結果」に導かれることになった。それは、企業活動上必要な人員が生じてからも、新規採用抑制は続いたということである。新規採用抑制を継続しつつ、必要な人員の補充を派遣や有期の非正規雇用によってまかなうという方策がとられたのである。なぜ、新たに必要な人員が生じたときに、以前のように正規雇用の採用によって補充することがなされなかったのか、これは究明すべき大きな謎である。この時点において、そうした「判断」がなされていたとすれば、おそらく、今日にまでつながる膨大な非正規雇用の蓄積という事態は避けられたはずである。

この非正規導入の時期における「判断」はおそらく、初発の新規採用停止・削減という緊急避難的な判断とは異なるものになっていたとみるのが自然であろう。この時点における「現在的判断」は、グローバル化やコーポレート・ガバナンスの議論に触発された新しい企業経営の考え方に支配されていたといってよい。労働力は、他の物的生産要素と同様に、必要なものではあるが可能な限りそのコストを削減すべきもの、というのがそれである。そこでは、労働力の担い手である労働者の人間としての健康や生活は無視ないし軽視されていた。そのような経営思想は、しかし、グローバル競争という一語で正当化されたのである。

こうした「判断」は今日まで尾を引いており、また雇用世界の様相を一変させたという点できわめて重大な「判断」であった。しかし、それにもかかわらず、労働者の労働や雇用をどのようなものと考えるべきか、単なる企業経営のコストとみなしてよいのか、というような根本的な問題は十分には議論されなかった。不況(「失われた10年」、「20年」など)だからやむをえない、がまんするしかない、といった思潮が世論を覆っていたように思われる。労働組合自身も、こうした根本問題を正面から掲げて議論するという姿勢に欠けていたのではないであろうか。つまり、ここでは、「現在的判断」の仕方自体に問題があったといえる。グローバル化には従わざるをえない、不況は回復するまでどうしようもない、というような考え方ではまったく不十分なのである。さらに、仮にそのようであったとしても、それゆえに、労働者の雇用や賃金を劣悪なものにしてよいのか、してよいとすればなぜそういえるのか、ということについては山のように議論すべきことがらがあったはずである。周到な分析と徹底した議論を欠いた判断は、「判断」ともいえないような現状追従、大勢順応を生み出したにすぎないのである。

そして、皮肉なことに、バブル崩壊による不況だからやむをえないとする方策は、それが再編強化されることによって、雇用労働者所得の長期低迷と、その不況自身の深化と長期化をもたらした。

財政再建と規制緩和

最後に、もうひとつ財政再建と規制緩和の問題をとりあげることしよう。これもまた、今日に深い影響を及ぼしている重要な問題である。

財政再建が大きな政策問題となった時期は二つある。一つは、1979年から80年代前半の第2臨調(第2次臨時行政調査会)による改革で、「増税なき財政再建」の旗印のもとに公共部門の徹底した合理化が追求された(国鉄分割民営化、電電民営化など)。先にあげた民間部門の好調な経済と対比して、公共部門の不効率がもっぱら問題にされたのである。ここでもまた、「財政再建」という政策目標のもとで、労働運動に甚大な影響が及ぶという思わざる「結果」がもたらされている。二つ目は、90年代半ば以降の行政改革、規制緩和である。その山場は「小泉構造改革」であった。

90年代の財政再建問題の源は、バブル崩壊である。崩壊後の長期不況に対応するために政府は数次の経済対策支出を行っている。しかし、内需不況型の長期不況は財政支出のみによってはほとんど上向かなかった。注目すべき点は、この時期に、財政危機と並んで、民間部門を含む日本経済の体質自体が問題にされるに至ったということである。バブル崩壊自体は金融的現象にすぎなかったにもかかわらず、企業経営のあり方を含む日本経済のシステム全体が問題を含むものとされたのである。ただ、こうした議論はひとつの重大な事実を見落としていた。それは、ほんの10年ほど前に、「日本的経営」は世界に冠たるすぐれたシステムとみなされ、日本企業もそれを自認していたということである。そのような経営システムが状況が変わったからといってまったく駄目なものになると主張するにはよほど周到な議論をしなければならないであろう。また、財政再建のための行政改革が(90年代の改革の出発点は行政改革委員会だった)、およそ経済社会全体のあり方にかかわる規制緩和問題に発展したのも同様に不思議な現象であった。規制緩和は、ついに「自己責任」論に発展し、個人主義や利己主義が正統的なものであるという議論にまで発展したのである。

今日の複雑な経済社会を個人の自己責任だけで割り切れるはずがないにもかかわらず、そうした議論は社会現象にまで発展し、非正規雇用の青年までが、その境遇を自己責任として自らを責めるというような倒錯した雰囲気を生み出した。そして、そうした規制緩和と自己責任という考え方は、労働法制の規制緩和を促進し、非正規雇用のさらなる拡大を生み出した。

こうした一連の事態の中で、やはり、個々の決定や「判断」が必ずしも予期していなかった「結果」が、それらの積み重ねの結果として生み出されたのである。いわば、当事者自身が十分に自覚しないままに、あるいは成り行きのままに、今日の「雇用劣化」状態がつくりだされたのである。したがって、その解決の方向についても確たる見通しは、どこからも出されない、そのような状況が続いている。意識されない過誤が積み重ねられてきたといってもよい。

3 誤りは回避できないのか

では、こうした誤りは回避できないのであろうか。

上に挙げた例示は、それぞれの時点で“もっともな選択”と思われるような「判断」の積み重ねが予想しなかった大きな、あるいは意図に反した「結果」を生み出してきたということである。これを短期的な、近視眼的な判断の誤りといえばそれはその通りかもしれない。しかし、なぜ、長期的な見通しに欠けた近視眼的な判断しかできなかったのかということも問題にしなければならないであろう。

以上のような事例から導き出される常識的な教訓は、広い視野と長期的な視野をもつことが必要だという決まり文句になるが、そのような当然のことに欠けたのは、なんらかの別の問題があったからであるように思われる。それは、個々の時点で考える上での前提的条件、どのような関心で、何のために考えるのかという「判断」の姿勢、心構えという基本的な出発点にかかわる問題である。

雇用・労働の問題に関しては、ここでもまたマーシャルの「生活するために労働する(working for life)」のであって、「労働のため生活(life is for working)」というのは誤りだという考え方が参考になる。石油危機における企業の生き残りのための賃金抑制、バブル崩壊期の、これもまた企業のためのコスト抑制と非正規雇用導入というような「判断」の基礎には、単にそれぞれの経済状況においては避けられない選択だというだけでなく、企業のためには生活を犠牲にしてよいという暗黙の考え方が潜んでいたのではないだろうか。企業を「仕事」、「労働」に置き換えれば、まさに、日本の労働者は、「仕事のための生活」という考え方のもとに置かれてきたのである。

こうした考え方の基本的な出発点が変わらない限り、企業の考え方であれ、労働組合のそれであれ、さらには行政のそれであっても、「現在的な判断」は結局のところ、経済環境の変化が雇用・労働にしわ寄せされ、労働者の生活が犠牲になるという重大な「結果」を生み出すのである。

そうであるとすれば、おそらく、誤りを繰り返さない(なんらの誤りもないということはありえないが)ためには、考え方のパラダイムを変えることが必要なのである。

4 そして今

このように見てくると、今またわれわれは誤りに陥っているのではないかと自らを疑いうる十分な理由がある。

財政危機と消費税、「好循環」のための賃上げ、「女性の活躍する社会」、などなど、これらの問題は、これよりほかに解決策がないかのように、近視眼的に議論されている。しかし、そこに重大な欠陥があることはすでに明らかである。雇用・労働の領域に限定したとしても、「好循環」や「女性の活躍」を主張する半面で、派遣や有期、そして労働時間の規制緩和などの施策が同時に推進されるのはまったく、二律背反といってもよいような論理矛盾を内包している。それにもかかわらず、これらの個々の施策が狭い視野の中だけで議論されれば、そのようなことにも気が付かれない。そして、そのような個々の施策が将来的にどのような「結果」を生み出すかということについては、ほとんど関心が向けられていない。

「現在」もまた、少し将来の時点から見れば歴史的1時点にすぎないことは自明のことである。そうであるとすれば、「現在」を「過去」と「未来」をつなぐものであるという視点から見通す努力をすることが必要である。また、個々の問題が思わざる波及効果をもっていること、個々の事象が多様な事象との連関を有していること、したがって、総体的な視点をもつことが欠かせない。

現在の雇用・労働のあり方とそれをめぐる諸政策の動向をみると、いくつかの重大な欠落があることに気がつく。

例えば、現政権の雇用改革といわれるもののほとんどは、日本企業の国際競争力をその根拠としている。しかし、日本企業の国際競争力はそんなに問題なのかということについてはほとんど議論がされていない。少し時期を下ってみれば、“不況不況”といわれた「失われた10年」においても、日本企業の国際展開はめざましく、外国への新規設備投資は国内のそれを凌駕するほどになっていた。また、国際競争力は強ければ強いほどよいというものでもない。国際競争力のために賃金を自粛し、コストを限界点まで切り下げるという企業の努力は、強い競争力のために通貨高(円高)を生んできた。そしてそのためにさらなるコスト・カットを強いられるという悪循環をこの20年から30年の日本企業は経験してきたはずである。

国際競争はおそらく、国際協調でもなければならない。いわんや、労働者の雇用労働条件をむりやりに押さえつけて競争力を維持し、あるいは強めるという発想は、一種の“ソーシャル・ダンピング”というべきものであって、公正な国際競争とはいいえない。

そのようなことを一切無視して、国際競争力を雇用・労働の規制緩和の理由とする発想は、途上国的発想ともいいうるものかもしれない。ここには、考え方のパラダイムが依然として変わっていないことが示されている。

マーシャルは、冒頭の引用のなかで、「普通の人」について、「その程度には高いものも、あるいはそれほど高くないものもあるとしても、そうした強い野心をもたない」という修飾句をつけている。今日の日本のように、すべての人がそのような普通の人ではないような人間に、「強い野心をもつ人間」にならなければならないのだとすれば、そのような社会は、異常な社会ということになるだろう。

たばた・ひろくに

1943年生まれ。早稲田大学法学研究科博士課程単位取得退学。同年東京大学社会科学研究所助手、助教授を経て90年教授。現名誉教授。専門は労働法。比較労使関係法、比較福祉国家論など。著書に、『グローバリゼーションと労働世界の変容』(旬報社)、『幸せになる資本主義』(朝日新聞出版)など。

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