論壇

マクロン仏大統領発言の波紋

その意図と影響についての一考察

明海大学准教授 福井 英次郎

マクロン発言の波紋

2023年4月、フランス大統領エマニュエル・マクロンは、台湾問題に関して、注目を集める発言をした。日本経済新聞が4月12日に伝えたところによると、「最悪なのは米国のペースと中国の過剰反応に欧州が合わせるべきだと考えることだ」と発言したという。そして、欧州が「自分たちのものではない混乱や危機にとらわれる」とし、「第三の極」を目指すべきだと述べたという。

しかし、ロシア・ウクライナ戦争の真っただ中で、西側の結束を乱すようなマクロンの発言は、欧米各国から多くの批判を浴びることになった。迂闊に聞こえるマクロン発言だが、なぜこのような発言をしたのだろうか。本稿ではこの疑問を出発点として、マクロン発言の背景にあるのは何か、マクロン発言の問題は何か、そして日本が検討するべきことは何かを検討していこう。

フランス政治史上の解釈――「偉大なるフランス」と対米「自立」の伝統

マクロン発言の内容自体は、欧州研究者にとっては特に驚くものではなかったといえる。フランスは冷戦期より、西側の一員でありながら対米追随を回避し、フランスの独自性を発揮しようとしてきたからである。

この伝統はシャルル・ドゴール大統領まで遡ることができる。簡単にドゴールの経歴を振り返ってみよう。ドゴールは第二次世界大戦時に自由フランスを結成して抵抗運動を続け、最終的にはフランスを戦勝国へと導いた英雄である。戦後は権力の中枢から離れたが後に復帰し、1959年に第五共和制の最初の大統領となった。その後、1969年に大統領を辞任するまで、フランス国内に留まらず、西欧の政治の中心人物の1人だった。

ドゴールに率いられたフランス外交のキーワードは「偉大さ」と「自立」である。ドゴールが大統領となったのは、米国とソ連により世界が二極化していた東西冷戦の時代だった。前世紀は世界の中心だった欧州、その中心的な国家の1カ国であったフランスは、かつての栄光を失っていた。そのため、ドゴールは米ソに埋没しない第三極としての「自立した欧州」を目指し、そのリーダーとして「偉大なるフランス」を復興させようと試みたのである。

実際に、ドゴールは北大西洋条約機構(NATO)の軍事部門から離脱するなど、米国からの自立を目指した。ただしあくまで西側同盟内での自立の範囲であり、完全なる自立ではなかった。また、東欧諸国との関係改善を図りソ連陣営の切り崩しを図りつつ、中華人民共和国を承認した。このように、米ソに対抗するための影響力を確保しようと試み続けていった。

ドゴール後の大統領もまた、外交では「偉大さ」と「自立」を追求していった。歴代のフランス大統領は右派左派に関係なく、程度の差はあるものの、ドゴールの思考に沿っているのである。このように見てくると、マクロン発言は、ドゴール以降のフランス外交の延長線上に位置しているといえよう。

マクロン発言のタイミング

それでは、なぜマクロン発言が問題になったのだろうか。マクロン発言自体は、問題はあるとはいえ、これまでの延長線上にある。そうだとすると、発言を取り巻く状況に目を向ける必要がある。最も重要だったのは発言の時期である。

2023年4月はロシア・ウクライナ戦争の開始から約1年1カ月が経過した時期であり、この戦争の行く末が見通せていない時期である。2022年2月24日ロシアのウクライナ侵攻後、米国やEU加盟国は強くロシアを批判してロシアに制裁を科し、ウクライナ支援を続けていた。一方、中国はこれらの動きには組せず、むしろロシア寄りの姿勢を示していた。世界的に米国と中国が対立を深めている中で、さらに中国の台湾進攻が取りざたされる中で、冒頭のマクロン発言だったのである。

マクロン発言に対しては、多くの批判が上がった。ウクライナへの支援額が最も多い米国では、米国政府はすぐに事態の鎮静化を図ろうとしたものの、共和党議員を中心に激しい批判にさらされた。例えば、マルコ・ルビオ上院議員は、欧州が台湾問題で米中のどちらにもつかないのであれば、米国も同様にロシアとウクライナのどちらにもつかないことになるとし、ウクライナ問題を欧州に任せればよいと批判した。

フランス政府は火消しに追われることになった。AFPが12日に伝えたところによると、マクロン側近は、「マクロン大統領はフランスの立ち位置について、米国との距離と中国との距離は同じではないとたびたび発言している。米国は同盟国であり、価値観を共有している」と述べたという。

マクロンに対して、同情がないわけではない。なぜならば、この発言は、4月の訪中時に、フランスの経済紙レゼコーなどのインタビュー中の出来事だったからである。そうなれば、中国と経済について発言するだろう。ただ、マクロンは率直な物言いが特徴であり、その率直さゆえに、失言も多い大統領であることも事実である。しかし、繰り返される失言は、単なるアクシデントで済むことではなく、より根本的な問題を抱えているということもできるだろう。そこでドゴール時代とマクロン時代の違いに目を向けることから始めてみよう。

1960年代と2020年代の相違

前述したように、外交面では、ドゴールとマクロンの主張や行動は似ているにもかかわらず、なぜマクロン発言は深刻に受け止められているのだろうか。そこでドゴール政権時の1960年代とマクロン政権時の2020年代の相違を見ていこう。

第1に、米国の立ち位置が大きく変化していることがあげられる。1960年代は冷戦の真っただ中であり、米国は西側陣営の盟主として、世界各地の諸問題に関与し続けていた。そこには関与するという意思と共に、関与できる国力が存在していた。2020年代になると、米国は意思と国力を失っており、米国は世界の警察の役割を降り、例えばアフガニスタンからは撤退している。そしてその分を東アジアなどに注力するようになっている。その結果、冷戦期に比べると、米国にとって欧州の重要性は下がっている。

第2に、西側陣営と相対する側の関係が大きく異なる。冷戦期の東側陣営は、西側に対抗するために一枚岩だったわけではなかった。1950年代より中国とソ連との間には路線対立が生じていたが、1960年代はその対立は深刻化し、1969年には両国軍が衝突するに至った。ドゴール政権は1964年に中華人民共和国を承認したが、その時期はすでに中ソ対立が生じていた時期だった。一方の2020年代に目を向けると、西側陣営と相対するロシアと中国は対立しているわけではない。全面的に信頼し合っているのではないにしても、対米国の観点からは、中露両国は良好な関係にある。

第3に、フランスと米国の首脳間の個人的関係が大きく異なる。ドゴール政権の外交は、米国にとって、あまりに身勝手に映っていた。中華人民共和国の承認時には、米仏関係は悪化している。ドゴールの周辺には東側のスパイがいるのではないかと疑われたこともあったという。このように米仏の国家間関係が軋む一方で、ドゴールはドワイト・D・アイゼンハワーとジョン・F・ケネディという2人の米国大統領とは個人的な強いつながりがあったという。一方のマクロンは今のところは、ドナルド・トランプ前大統領、そしてジョー・バイデン現大統領と個人的なつながりがあると報じられたことはない。

これらの3つの相違点からは、ドゴールと比べてマクロンの方がより厳しい環境にいることがわかる。マクロンはドゴールと同じように振舞うわけにはいかず、より繊細な対応と入念な戦略が求められているはずであった。

「欧州」の変容

1960年代と2020年代の相違には、欧州の相違も含まれる。ここでは欧州に注目して検討してみよう。

1960年代は東西冷戦期であり、ドゴールの主張する「欧州」は西欧諸国であった。欧州統合の面では、1950年代に欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が設立され、1960年代にはECSCと欧州経済共同体、欧州原子力共同体が合併し、欧州諸共同体(ECs)が設立された。この加盟国はフランス・西ドイツ・イタリア・ベルギー・オランダ・ルクセンブルクの6カ国だった。フランスにとっての欧州の中核はこれらの国々となる。

現在のEUは、英国が離脱したものの、27カ国まで拡大している。東側に目を向けると、ロシア・ベラルーシ・ウクライナなどの旧ソ連諸国と国境を接している加盟国も多く、エストニア・ラトビア・リトアニアのバルト3国は旧ソ連の国々である。マクロンが欧州の自立を求めるのであれば、この27カ国を含む「欧州」を視野に入れて発言する必要がある。

ところがマクロンは、これら東欧諸国への配慮に欠けた対応を続けている。実際に、隣国ロシアのウクナイナ侵略を目にして、フィンランドやスウェーデンが伝統的な外交や安全保障の政策を大きく変化させつつあったにもかかわらず、ロシアへの甘い対応により、多くのEU加盟国内から反発を受けた。またロシア寄りの姿勢を見せる中国との関係を重視することは、西側陣営の結束を崩壊させない行為であるにもかかわらず、繊細さに欠ける対応を続けているのである。

今回のマクロンの訪中では、2つの点を考慮して検討する必要がある。1つは、マクロン訪中には、フランス大手企業トップなど約50人が同行していることである。もう1つは、マクロンは中国から異例の厚遇を受けたことである。

今回の訪中では、マクロンはフランスのセールスマンとして大活躍をした。中国との間で経済協力協定を結んだだけでなく、エアバスは中国企業から160機の受注を得ている。フランス大統領はフランスの国益の最大化を図って当然であり、フランス国内では称賛されるだろう。しかしロシアの脅威を感じている国にとっては、マクロンは自国を含めた欧州の安全保障を考えて行動する偉大なる人物ではなく、フランス企業のセールスマンとしか映らないだろう。

このように見てくると、欧州の自立を主張しながらフランスの利益をむき出しで行動するマクロンは、欧州の結束の破壊者のようにも見えてくる。実際に、ロシアとベラルーシと国境を接するポーランドのテウシュ・モラウィエツキ首相はマクロンの名前こそ挙げなかったが、欧州の自立と言いつつ、米国から中国に重心を移そうとする動きを強く牽制した。

ドゴール時代と大きく異なるのが、EUの存在と発展である。フランスがロシアや中国にソフトに接する一方で、EUはロシアと中国に厳しい対応を示し続けてきた。その結果だろうか、マクロンが訪中時に異例の厚遇を受けた一方で、同時期に中国を訪れたウルズラ・フォンデアライエン欧州委員会委員長は冷遇されることになった。ただ、フォンデアライエンは台湾問題で平和と安定を求めると釘をさす発言をした。またジョセップ・ボレルEU外務・安全保障政策上級代表(EU外相に相当)は、コロナ陽性のため出席がかなわなかったため、G7外相会合に合わせてオンラインで記者会見した。その際に、フォンデアライエンと同じように、武力による台湾の現状変更を容認しないことを強調した。これらから、EU加盟国の中には、今後は、自国のセールスマンとなったマクロンよりも、EU側の人物の信頼性が増大する可能性もあろう。

日本外交への示唆

これまではマクロン発言を軸に、フランスの動向から欧州情勢を検討してきた。それではこれらの日本への示唆は何だろうか。第1に、欧州と日本の地理が違うことである。日本とEU加盟国は、政治や経済で共通の価値に沿っており、国際社会で同一歩調を取ることも多い。その結果、日本の懸念や反応を、欧州諸国も共有していると考えてしまうこともあるかもしれない。しかし欧州にとって、東アジアは隣国ではなく遠い場所にある。ロシアと中国は日本にとってはどちらも隣国であるが、欧州にとってはロシアは隣国であるが中国は隣国ではない。この当然の事実は、決して変わることのない現実である。そのため日本の対中認識は自然には欧州と共有されないのである。日本は絶えず現状を説明するだけでなく、関係を強化しておく仕組みを構築する必要がある。

第2に、マクロンの行動は、日欧関係に影響が出る可能性がある。現在は、日欧の安全保障協力が進んでいる状況にある。しかしこのような動きを止めようとする可能性がある。実際に、NATOが検討していた東京連絡事務所の開設に、マクロンは反対を表明した。反対理由の1つは、米中対立に巻き込まれたくないことだと推測される。マクロンとフランスに対応するためには、フランスだけでなく、英国やドイツなどとの関係を強化し、欧州内で複数のアンカーを維持しておくことが求められよう。

ふくい・えいじろう

福岡市生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、慶應義塾大学法学研究科博士課程単位取得退学。慶應義塾大学法学研究科グローバルCOE市民社会ガバナンス教育研究センター特別研究助教などを経て、2021年4月より明海大学外国語学部准教授。専門は欧州研究、政治学、国際関係論、公共政策。編著に『基礎ゼミ政治学』(世界思想社)、共著に『民主政の赤字-議会・選挙制度の課題を探る』(一藝社)など。

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