特集 ● 内外混迷 我らが問われる
EUとドイツのエネルギ-転換と水素戦略
ガイヤーEU議会議員(独・社会民主党)にロシアのウクライナ侵攻後の動向を聞く(注1)
京都大学名誉教授・(公財)地球環境戦略研究機関シニアフェロー 松下 和夫
はじめに
「G7広島サミット2023」が開かれた直後の去る5月下旬、ドイツ社会民主党(SPD)のイェンス・ガイヤー欧州議会議員が来日した。議員は、2009年からSPDの欧州議会議員団長として活動し、産業・研究・エネルギー委員会の委員を務め、欧州連合(EU)の水素戦略構築の中心的なリーダーである。議員は、ロシアのウクライナ侵攻がEUのエネルギー政策に与えた影響と対策、そして今後の課題等につき、上智大学で講演し、EU大使館でのパネルディスカッションにも登壇した。さらに筆者と住沢博紀日本女子大名誉教授、スヴェン・サーラ上智大教授はフリードリヒ・エーベルト財団で、日・EU(ドイツ)の水素戦略も含めて、ガイヤー議員にインタビューの機会を持つことができた。
ガイヤー議員は、平和と持続可能な未来に向けた再生可能エネルギーへの移行がもたらす可能性、エネルギー効率向上と省エネの必要性、そしてロシアへのエネルギー供給への依存を減らすことの政治的・経済的な意味を論じた。以下はガイヤー議員の講演とインタビューの概要に、筆者による日本の政策に対する考察を加えたものである。
(注1)本稿の前半部分は拙稿『EUとドイツのエネルギ-転換と水素戦略:EU議会ガイヤー議員(独・SPD)にロシアのウクライナ侵攻後の動向を聞く』(「グローバルネット」、2023年7月号)に加筆したものである。
ロシアのウクライナ侵攻によるエネルギー危機とその対応
2022年2月に始まったロシアのウクライナ侵攻により、EUはロシアからのエネルギー依存をいかに減らすかという課題に直面している。実際に2020年時点では、EUの総エネルギーの25%がロシアから供給され、一部のEU諸国はロシアのガスと石油にほぼ完全に依存していた(図1)注2。ロシア依存から決別したいEU首脳は、パリ協定の目標達成の道筋を堅持しつつ、省エネルギーの徹底、天然ガスの輸入先の転換、再生可能エネルギー拡大の加速などを通じてエネルギーの独立性を高めることを決定し、それを実行してきた。
ドイツでは2023年4月15日、最後の原発3基が閉鎖された。何が起こったか?電力供給不足などの懸念されたことは何も起こらなかった。むしろ電気料金は安くなったのである。
図1は、2020年におけるEUとEU加盟国の総利用可能エネルギーに占めるロシアからの輸入量の割合を示したものである。EU全体の平均では約25%、ドイツは30%強をロシアに依存していた。
ロシアのウクライナ侵攻後、EUは次のような措置をとった。
・2027年までにロシアからの化石燃料輸入の段階的な完全廃止。ロシアのエネルギー輸出部門に対して複数の制裁を行う。
・2022-2023年の冬季の天然ガス消費量を2017-2022年の期間と比較して15%削減する(この措置は2024年3月まで延長された。後述するように、実際には19%以上の削減が達成された)。
・エネルギー外交の展開: EUおよび加盟国は、米国、ノルウェー、アゼルバイジャンをはじめとする他国と約100件のエネルギー協力協定を締結した。これはロシアへの依存を減らし、エネルギー源を多様化するためである。その結果、カタール、米国、エジプト、西アフリカなどからの液化天然ガス(LNG)輸入やアゼルバイジャン、アルジェリア、ノルウェーなどからのパイプライン経由の天然ガス輸入を増加させた。
・EU各国は、企業や消費者のエネルギー料金の上昇による影響を緩和するため、政府の支援策として6000億ユーロを計上した。
・2250億ユーロ規模の「リパワーEU」注3の実施と再生可能電力や水素など再生可能エネルギー拡大の加速化を図る。「リパワーEU」とは、EUがロシア依存からの脱却のために2022年3月に策定したエネルギー転換計画である。欧州のエネルギー転換を加速し、ロシアの化石燃料への依存を減らすためのロードマップで、再生可能エネルギーの拡大、エネルギー効率化の強化、グリーン水素と産業の脱炭素化の推進、天然ガス輸入先の多様化を内容としている。
(注2) 図1から3はガイヤー議員提供。
(注3) REPowerEU at a glance(EU公式ページ:英語)
EUのエネルギー政策に関連するロシアへの制裁
以上のような措置に加え、EUはロシアのエネルギー輸出部門に対して次のような制裁を行っている。
・エネルギー産業向けの機器、技術、サービスの輸出制限(22年3月15日)
・ロシアからの石炭およびその他の固形化石燃料の輸入禁止(22年4月8日)
・ロシアからの原油および石油製品の輸入禁止(パイプラインによる原油は臨時的に例外) (22年6月3日)
・ロシアからの原油、石油製品、瀝青鉱物からの油の価格上限を1バレルあたり60ドルとする(22年12月3日)。
・TFEU (EUの機能に関する条約)の「EUの犯罪」リストに制限的措置の違反を追加(22年11月28日)
・ロシア産原油の第三国向け海上輸送の価格上限設定(22年10月6日)
・ロシアからのCNコード注42710に該当する石油製品の2つの価格上限設定(23年2月4日)。
(注4) CNコード(Combined Nomenclature code)とは、関税同盟外の諸国との輸出⼊の際に商品を分類し共通関税を設定するためのEUのコード番号であり、合同関税品⽬分類表と呼ばれる。CNコードの分類に基づくEUの共通関税率などの情報は「EU統合関税率(TARIC:Integrated Tariff of the European Communities)」というデータベースにまとめられている。CNコードは8桁で、国際的に使われるHSコード(1〜6桁⽬)にEU独⾃のCN下位品⽬分類(7〜8桁⽬)を加えたもの。
これらの措置の成果など
これらの措置を取った結果はどうだろうか。
ロシアの化石燃料への依存度は大幅に減り、天然ガス消費量はEU全体で19.3%削減され、ドイツでも19.4%減った(図2)。そしてEUはロシアからのガス輸入を大幅に減らした(図3)。これらの成果の背景には、ロシアからの化石燃料の輸入と消費を続けることは、ロシアのウクライナ侵攻に加担することになるとの認識が、国民の多くに共有されていたことがある。
「リパワーEU」では、再生可能エネルギーへの迅速な移行により脱却を実現できるとして、2030年の温室効果ガス削減目標(1990年比で少なくとも55%削減)を達成するための政策パッケージ「Fit for 55」注5を土台とした上で、省エネ、エネルギー供給の多角化、再生可能エネルギーへの移行の加速など追加政策を示している。再生可能エネルギーへの移行の加速については、Fit for 55の一部である再生可能エネルギー指令案における2030年のエネルギーミックスに占める再エネ比率目標を、40%から45%への引き上げを提案し、具体策として太陽光発電(PV)を強化するEU太陽光戦略を発表し、現在の2倍以上となる320ギガワット(GW)以上のPVを2025年までに新設する。2030年までに約600GW分の新設を目指す。
ロシアによるウクライナ侵攻を機に、EUにとってロシアが安全保障上の脅威であり、ロシアへのエネルギー依存はEUの脆弱性につながるとの認識が加盟国間で広く共有された。そしてロシア産化石燃料への依存の解消が急務となった。2022年3に採択された「リパワーEU」は、エネルギー安全保障政策であるが、エネルギーの効率化や再生可能エネルギーへの移行など、EUの気候変動対策の中核をなす「欧州グリーン・ディール」の推進を前提とし、2030年温室効果ガス削減目標(1990年比で少なくとも55%削減)を達成するための政策パッケージ「Fit for 55」の実施を軸としている。
一方で、暖房等に必要なエネルギーは何としても確保し、エネルギー危機の影響を受ける市民や企業には財政的支援を惜しまない。そして市民の側でもかつてないエネルギー節約を実施し、それがEU全体での19%以上の天然ガス使用量の削減につながったのである。その背景にはロシアへの化石燃料依存から脱却することがロシアのウクライナ侵略をとどめることにつながるとの意識があったのである。
(注5) 2021年㋆14日に欧州委員会が発表した、2030年の温室効果ガス削減目標(1990年比で少なくとも55%削減)を達成し、「欧州グリーン・ディール」を包括的に推進するための政策パッケージ。一連の施策は、EUの気候変動対策として最も野心的な計画である。その主な内容は以下の通り。
• 自動車の排出量制限を強化する。これにより、2035年までにガソリン・ディーゼル車の新車販売は実質的に禁止される見込み
• 航空燃料に課税するとともに、低炭素の代替燃料を使用した場合には10年間の免税措置を実施
• EU域外からの鉄鋼やコンクリートなどの輸入について、いわゆる「国境炭素税」の導入
• EU域内の再生可能エネルギーの拡大目標の強化
• エネルギー効率の悪い建物の改修を迅速化するよう、加盟各国に要求
EUの水素戦略 注6
既述のように、EUはウクライナ危機を受けてロシアへのエネルギー依存の脱却と代替エネルギーの確保を迫られ、短期的には天然ガス調達の多様化や省エネ、太陽光発電拡⼤の前倒しなどの緊急的な対応を行った。他方、中⻑期的には⽔素戦略をさらに加速することとしている。注目すべきは、EU のグリーン水素戦略が脱炭素化に向けた戦略であると同時に、脱炭素時代の新たなビジネス戦略にもなっていることである
「リパワーEU」では、ロシア産化⽯燃料の代替エネルギーとして各種再エネの拡⼤に取り組む⽅向性を⽰しているが、その中で特に⼤きい役割を果たすのが再⽣可能な⽔素(グリーン水素)である。「リパワーEU」では、⽔素の⽬標(2030年の年間供給量ベース)は従来の10百万トンから20百万トンに倍増され、さらに、「Hydrogen Accelerator」と銘打つイニシアティブが新たに提案され、⼤規模な⽔素サプライチェーン構築と量産体制整備に向けた計画が提示された。
欧州は脱炭素化の観点から2030~2050年を見越して水素展開を準備してきたが、ウクライナ危機を受けて早急な脱化石燃料が喫緊の課題となり、天然ガス代替手段として水素展開が加速している。このことは、今回の「リパワーEU」において一連の水素アクションに「Hydrogen Accelerator(=水素加速制度)」という名称をつけたことからも分かる。
2020年7⽉に採択された「EU⽔素戦略」では、「EU が優先するのは再生可能エネルギー由来の水素を開発することであり、主に太陽光と風力のエネルギーで生産される」とグリーン水素に重点を置くことを明確にしている。また脱炭素のエネルギーキャリアとして、再生可能エネルギーの長距離輸送や大量のエネルギー保管にも役割を果たしうると位置付けている。
水素の用途に関しては、「脱炭素化が困難な部門、電化が困難あるいは不可能な用途」における排出削減に用いられるとし、具体的には鉄鋼生産のような産業部門、重量車両などの運輸部門を例示している。
具体的な導入目標としては、2030年までに電解⽔素の製造能⼒40GW、再⽣可能な⽔素10百万トン⽣産を⽬標に掲げ(「リパワーEU」で20百万トンに倍増)、2050年までの⽔素社会実現を⽬指してきた。官⺠連携によるクリーン⽔素アライアンスが着実に投資計画を推進し、⽔電解装置の量産やコスト削減を進めてきた。
2023 年2月には、「グリーン・ディール産業計画」を発表し、その政策メニューの一つとして「欧州水素銀行」(EU Hydrogen Bank)を創設している。同銀行においては、再生可能エネルギー由来水素の域内製造を支援するため、10 年間にわたり、製造した再生可能エネルギー由来水素1kg あたり固定されたプレミアムを補助するための競争的入札を、2023 年秋に実施することを予定している。また、「ネットゼロ産業法案」により、規制環境の整備と許認可を迅速化する。そして電解槽技術を含むネットゼロ戦略分野においては、2030年までに域内供給比率40%を目指している。
(注6) Key actions of the EU Hydrogen Strategy(EU公式ページ:英語)
日本の水素戦略とエネルギー転換 注7
欧州連合、欧州各国の水素戦略はまさしくカーボンニュートラル時代の水素戦略として策定され、ロシアのウクライナ侵攻によってそれが加速されている。
一方で日本政府は2017年にいち早く「水素基本戦略」を策定し、2023年6月にはそれを改定し新たな「水素基本戦略」を作成した。
改定のポイントは以下の通りである。
① 2040年における水素等の野心的な導入量目標として、2040年に1200万トン程度とする
② 2030年の国内外における日本企業関連の水電解装置の導入目標として、2030年の世界の水電解装置の導入見通しの約1割に当たる、15GW程度とする
③ 大規模かつ強靭なサプライチェーン構築、拠点形成に向けた支援制度を整備する。そのため、2030年頃の商用開始に向けて、大規模かつ強靭な水素・アンモニアサプライチェーン~現時点で、官民合わせて15年間で15兆円のサプライチェーンの投資計画を検討~
④ 「クリーン水素」の世界基準を日本がリードして策定し、クリーン水素への移行を明確化~水素の製造源ではなく、炭素集約度で評価する基準の策定、クリーン水素へ移行するための規制的措置~
以上の改定「水素基本戦略」は、依然として脱炭素社会への戦略とはなっていない。脱炭素化に向けたエネルギー戦略を明らかにせず、どの分野に水素が優先的に必要であるかを明確にしないまま、大規模サプライチェーンの整備を進める構想となっている。サプライチェーンは、本来、水素の需要量や需要地が定まり、これを効率的に供給するために整備されるもののはずである。ところが、政府の戦略では、サプライチェーンの整備自体が自己目的化し、大量の水素需要を想定し、大量の水素需要を作り出すためグレー水素も含め使えるようにする、という論理になっている。そのため、改定戦略では「クリーン水素」(「グリーン水素」ではない)という用語をあえて用い、その世界標準の策定を日本がリードする、としている。しかしながら日本政府が提示する低炭素水素の基準値は主要国の中でも最もレベルが低いものであり、国際社会で説得力を持つとは思われない。
また、現状では脱炭素社会への移行とエネルギー安全保障という重要な課題解決に向け、鍵となるグリーン水素の国内生産で、日本は欧州各国、中国などに大きく水をあけられている。これは、日本政府が排出削減に効果のないグレー水素やブルー水素を優先し、しかもそれらの多くを輸入に頼るという誤った戦略をとってきたことの反映である。また、グリーン水素の開発が遅れたことは、そもそも政府の消極的な再生可能エネルギー開発政策に起因する。
国際再生可能エネルギー機関(IRENA)では「水素は現在代替手段がない用途に限って使用するのが最善」と結論付け、水素は成熟度が高く、より中央集約型の用途に優先的に利用すべきとしている注8。水素は製造、輸送、変換に多大なエネルギーが必要で、水素の使用がエネルギー全体の需要を増大させるからである。最も優先度が高いとされた用途は、化学製品の製造や石油精製であり、次いで鉄鋼生産や国際海運とされている。最も優先度が低いのは住宅の暖房であり、都市部の自動車、中温の熱供給、短距離航空なども電化の優先度が高いとしている。既述のように、EUも水素の用途に関し、「脱炭素化が困難な部門、電化が困難あるいは不可能な用途」における排出削減に用いられるとし、具体的には鉄鋼生産のような産業部門、重量車両などの運輸部門を例示している。
以上のように、水素は他に脱炭素化の手段がない分野に優先して使うべきものであり、優先度の低い用途に用いるべきではない。その代表例は 電気自動車(EV) という有力な選択肢のある乗用車であり、ヒートポンプが利用できる個別建物のコジェネレーション(発電+給湯)であった。ところが2017 年の水素基本戦略は、エネファーム(家庭用燃料電池コジェネレーション)と燃料電池乗用車(FCV)の促進、それを支えるインフラとしての水素ステーションの拡大を優先課題としてきた。この戦略の策定から6年、エネファームとFCVの普及は目標を大きく下回り、全国各地に作られた水素ステーションの利用率は低迷している。
さらに「新水素基本戦略」では、水素の天然ガス火力との混焼、水素専焼ガスタービンの開発、および石炭火力へのアンモニア混焼発電などを脱炭素型発電として推進することも示されている。しかしながら、水素・アンモニアの混焼発電を火力発電の排出削減対策として、積極的に位置付けることには問題が多い。とりわけアンモニアの混焼は石炭火力の存続を前提としており、そのCO2削減効果は疑わしく、結果としてエネルギー転換を遅らせ、発電部門の脱炭素化に逆行することにつながる。
日本は、脱炭素戦略を根本から見直し、1.5℃目標実現にむけた脱炭素戦略と整合した水素戦略としての再構築を行う必要がある。どの分野で水素が脱炭素化に貢献できるかを明確にし、まずは国内外からグリーン水素を確保する方策を立て、移行過程でブルー水素を使う場合でも、国際的な排出基準を満たしていくことが必要なのである。
(注7) 本節の記述に当たっては、「日本の水素戦略の再検討:「水素社会」の幻想を超えて」、自然エネルギー財団、2022年9月、 および「脱炭素への道が見えない「改定水素基本戦略」」、自然エネルギー財団、2023年6月を参考にしている。
(注8) IRENA “Geopolitics of the Energy Transformation: The Hydrogen Factor” (2022 年1月)
まつした・かずお
1948年生まれ。京都大学名誉教授、(公財)地球環境戦略研究機関(IGES)シニアフェロー、日本GNH学会会長。環境庁(省)、OECD環境局、国連地球サミット等勤務。2001年から13年まで京都大学大学院地球環境学堂教授(地球環境政策論)。専門は持続可能な発展論、環境ガバナンス論、気候変動政策・生物多様性政策・地域環境政策など。主要著書に、『1.5℃の気候危機:脱炭素で豊かな経済、ネットゼロ社会へ」(文化科学高等研究院)、『気候危機とコロナ禍:緑の復興から脱炭素社会へ』(文化科学高等研究院)、『地球環境学への旅』(文化科学高等研究院)、『環境政策学のすすめ』(丸善)、『環境ガバナンス』(岩波書店)、『環境政治入門』(平凡社)など。
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