創刊号・目次

題字は
勝井三雄+中野豪雄

  デジタル版『現代の理論』創刊にあたって

今どこにいるのか定点示す灯台たらん

本誌代表編集委員 住沢博紀



『現代の理論』終刊号(2012年春号)に、私は「未完の平成デモクラシー」という論文を書き、民主党への最後のエールを送った。私は今でも、「野党第1党民主党」を残すことが最大の政治課題と言い続けている。デモクラシー派の政治戦略としてはそれでいかもしれないが、理論誌『現代の理論』は何を提言できるだろうか。

私たちは20世紀の思想や理論の「在庫」をなおもたくさん抱えているが、これもかつてのソ連社会主義の生産物のように、消費者のニーズに合っていない。「フォーラム90‘s」が、平田市民社会論と廣松物象化論の幅で、安藤紀典が編集長として1990年に発足したが、その8年後には、「60年安保からの新左翼の理論的な枠組みでは、もはや21世紀と向かい合うことができない」と批判的な総括も飛び出し、解散した。

第3次『現代の理論』は、2004年秋に再刊され、その間に、2008年リーマンショックとグローバル金融危機、2009年8月30日、鳩山民主党による初めての政権交代、そして2011年3月11日、東日本大震災と福島原発事故を体験した。この21世紀の大事件に際して、日本社会も私たちも、新しいパラダイムを提起できたわけではない。今では、知のアナーキズムとでもいうべき、結果オーライのニヒリズムがはびこっている。

今、デジタル版『現代の理論』を発足させるに際し、私たちができることは多くはない。グローバルな激動期とうつろいやすい社会の中で、今どこに位置するのか、一つの定点を示す灯台になること。もう一つは、「60年代からの新左翼思想」とはまったく接点を持たない、しかし社会の将来を考えようとする10代から20代の青年男女との対話の場をめざすことである。


国家を突破する新たな民衆思想の創造を

本誌代表編集委員 千本秀樹


国家による強制力が急速に強まっている。特定秘密保護法の制定、九条改悪を見通した集団自衛権容認のもくろみ、教育の国家統制の強化、国家主義的外交の推進。一方で20代の青年の60%が日本の現状に満足しているという。しかし就職難と不安定雇用の拡大のなかで、かれらは本当に満足しているのだろうか。反韓・反中外交や東京オリンピックの開催決定というナショナリズムの醸成や、「アベノミクス」という小手先の経済政策によって、将来に期待を持たざるをえない状況に置かれているだけではないのか。

先の見えない資本主義経済、日本維新の会の躍進と都知事選における田母神60万票、レイシズムの蔓延、デマゴギーの多用などを見れば、日本史上初めての正確な意味でのファシズムが到来しているといえよう。

2011年3月の東日本大震災と東京電力福島原子力発電所のメルトダウン事故は、時代を大きく転換させる必然性をわたしたちに決意させた。原発事故はいまだに継続しているにもかかわらず、また被災者の生活再建はほど遠いにもかかわらず、当事者以外の関心は、当面の生活に追われてうつろっている。震災直後、暴動も起こらず秩序が維持されたことについて、外国のメディアでは賞賛の声があふれる一方で、「奴隷の従順さ」と評するものがあったことを思い起こさせる。

このような時代にあって、休刊を余儀なくされていた『現代の理論』が再起する。2011年を含む現在を文明史的転換期とする大事業は、緒に就いたばかりである。歴史は必然性と、その時代の人びとの意志によって展開する。暴走する安倍政治は、それへのはかない抵抗だとも見える。

ナショナリズムを鼓吹しようとも、ボーダレス化の波のなかで日本列島の人びとは多くの友人を海外に持っている。橋下大阪市長の仮面ははがれたし、安倍内閣にすべてを委任したわけではないことを人々は自覚している。問題は国家を突破して連帯する民衆自身の思想を構築できるかどうかにある。少なくとも東北の若者や、彼らにつながろうとする人々は大きな可能性を見せている。『現代の理論』はその一翼を担いたい。