大阪市長選挙の結果をどう読むか
「橋下現象」研究会
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勝井三雄+中野豪雄

論 壇

大阪市長選挙の結果をどう読むか

ボイコットの次に準備すべことは?

「橋下現象」研究会 水野博達


突然の「辞任劇」から「出直し市長選挙」

実質20%の最低投票率と白票・無効票の山

投票ボイコットも人民主権の発揮方法

議会制民主主義の機能不全と新自由主義の政治

危機の時代、社会民主主義勢力の取るべき態度とは?


突然の「辞任劇」から「出直し市長選挙」

本年2月1日、橋下徹市長は「出直し選挙で民意を問う」と突然辞任。

大阪都構想を検討する大阪府議会・市議会合同の法定協議会は、1月末、幾つかの大阪市の区割り案から一つに絞り込む提案を否決した。橋下市長は、議会の妨害・抵抗を押さえ、計画を進めるためには市民の後押しが必要。今回の選挙は、市長の私が、区割り案を一つに絞り、都構想設計図(=「特別区設置協定書」)を作ることの是非を問うものだと趣旨説明を記者会見などで行った。区割り案を一つに絞り、設計図を作れないと、今秋に予定した都構想の是非を問う住民投票、そして任期中に大阪都構想を成し遂げるという公約の実現ができなくなると主張した。

また、これまで大阪府・市政で同伴してきた公明党が反対に回ったのは裏切りだと、公明党への批判を展開するとともに、6億3千万円余りの予算が必要な選挙を予算審議の時期にぶつける市長の身勝手さへの批判に対して「民主主義の当然のコストだ」「必要なら2回でも3回でも選挙をする」「都構想に反対なら対立候補を立てて私の首を取りに来い」と市会各派への挑発を繰り返した。

突然の橋下の行動に、自民・民主・公明3党が「対立候補を立てない」「独り相撲をとらせる」という方針を確認した。後日、共産党もこの流れに合流し、橋下が議会に提出した辞任届を維新の会以外の多数で不承認とした。橋下は、2月27日の自然失職の日まで市長職に縛り付けられた。

主要4会派の「大義のない選挙に対応しない」という態度に「やはり対立候補を立てて堂々と戦うのが筋」という意見・主張がマスコミを含めて多くの場面で語られた。共産党の態度決定には、こうした考え方が影響していたと推測される。

実質20%の最低投票率と白票・無効票の山

さて、選挙の結果は、橋下が37万7472票、他の3人のいわゆる「泡沫候補」の合計得票は、5万3895票であった。投票率は、史上最低の23.59%、白票4万5098を含めた無効票6万7506票(13.53%)であった。白票が大量であったので、漂白を票数確認器に通して確認作業がなされたという。また、無効票の多くには、「6億円の無駄」「橋下辞めろ」などと選挙自体への批判の言葉が書かれていたという。この無効票6万7506票を引くと有効投票率は20.4%。やっと20%を超えたに過ぎない結果であった。これらの「珍事」は、大阪市長選挙始まって以来のことであった。

橋下候補の絶対得票率は、前回選挙の35.96%からガタンと落ちて、17.85%。さすがにこの結果に橋下は落胆したのか、25日午後まで雲隠れしていた。この得票では、法定協議会のメンバーを差し替えるという圧力に使える結果ではなかった。選挙前と都構想を巡る環境は、何も変化をおこしようがないからである。

ところが、25日午後、1995年の選挙で磯村隆文市長の得票が35万1382票、2003年の関淳一市長が36万8433票、05年が27万8914票、07年の平松邦夫が36万7058票で、自分が獲得した「38万票を議会は無視できない」と強気の発言を再開し始めた。「議会は直接民主主義制の補完的な役割で、最終判断の場ではない」と大阪都構想について住民投票で決着をつけると強弁した。

投票ボイコットも人民主権の発揮方法

橋下が仕掛けた「出直し選挙」に対する主要4会派の態度に「やはり対立候補を立てて堂々と戦うのが筋」という意見がマスコミも含め多くの場面で語られた。この点について、まず考えておきたい。

「政治と選挙はマスコミなどの世論操作によって『民意』なるものが作られる」という今日の政治的現実に対する批判も多い。正当な批判であるが、ここでは、この議論には立ち入らないでおく。

現実社会の中には複数のニーズや多岐にわたる政策や方針の選択肢がありうる。しかし、選挙は住民の代表としての議員(首長・大統領等)を選ぶことになる。また、ある政策体系をもった政党を選ぶことが強要される。その結果、代理制民主主義が人々の意識・意思と離れた政治を実現することになることが多い。議会制民主主義の限界といわれる側面である。

議会制民主主義の限界を超え、人民主権を発揚するために歴史的にも世界中で、様々な取り組みや努力がなされて来たし、現になされている。住民自治を発展させるために、基礎自治体の単位を小さくし誰もが自治体運営に参加できる機会と条件を拡大する取り組みや、政策や開発計画などの是非を問う直接住民票などがその例である。もちろん直接国民投票が常に正しいかといえば、ナチが独裁政権に登り詰めていく途上で、議会での議論をスルーして、国民投票を多用した例もきちんと教訓に入れておく必要があろう。

こうしたことを踏まえると、大義のない選挙や直接(住民・国民)投票をボイコットする方法も大切な人民主権の行使の方法であることが了解できる。選挙・投票ボイコットは、戦後日本ではあまり実例がないので、「選挙・投票は棄権せず投票することが正しい権利の行使である」と考えることが常識の様になっている。しかし、選挙・投票ボイコットは、権力者が権力強化のために用意した同じ「舞台」の上で踊らされるのを避けるという消極的な抵抗である場合もある。また、独裁的な憲法や邪な施策の選択を民衆が強要された時、その選挙や投票の政治的ペテンを暴露し、その強いられた選択自身が民意にそぐわないことを立証する積極的な方法である場合もある。消極的か積極的かは別に、ボイコット戦術は、民主主義、人民主権の行使の大きな一つの方法であることをまず確認しておきたい。

議会制民主主義の機能不全と新自由主義の政治

今日、選挙や直接(住民・国民)投票という「民主主義の手続き」を誰が、何の目的で使おうとしているかを具体的に評価・分析する階級的観点が重要であると考える。

なぜなら、今日の政治状況は、戦後のフォーディズムによる「福祉国家」の一時代のような議会制民主主義による国民・住民の利害調整が機能不全となり、新自由主義的な、あるいは排外主義的な勢力が跋扈することが可能な時代となったからである。

戦後の「福祉国家」は、国民国家の枠組みのもとで、生産と消費、社会的な富の再配分を国家の金融・財政・経済政策を通じてコントロール・規制することによって実現しようとした。「社会主義国家」の存在を意識しながら、資本家と労働者・農民の相互の妥協によって成立し、また、新植民地主義による経済的支配を通じて第三世界から安価な資源・労働力を収奪する世界体系を先進資本主義国家間の協調によって作り上げていた。階級間の対立は、国民国家の枠組みの内側で調整され、政党と労働者や農民の組織(労組や農協、協同組合や職能団体、業界団体など)によって利害調整がなされた。その調整機能の集約点が議会であった。

1990年代に世界的に展開され始めた新自由主義とは、「福祉国家」の一時代を過去のものとして排撃し、金融資本の赤裸々な搾取・収奪を可能にする世界の改造運動で、いわば国家の規制・管理の下の福祉国家を打倒し、新たな世界支配を獲得しようとする金融資本の「革命運動」である。『「橋下現象」徹底検証』(インパクト出版会)の「あとがき」で、橋下が主導する日本維新の会の「(反)革命運動」は、「世界的な過剰生産・過剰資本による不況という条件のもとで進められる周回遅れの新自由主義の経済成長・競争力強化の路線であるので、資本のための『自由空間』をより広く用意するために、極めて性急で強引な政治手法による新しい統治機構の再構築を目指すことになる」と指摘した。議会制における多元主義的な政策や・政治的主張の調整機能ではなく、一人のリーダーによる一元的な政治支配体制の構築を目指すことが、橋下・維新の会による、今回の「出直し選挙」の目的であったからである。

多元主義的な民主主義が機能しないのであれば、人民の主権の発揮の仕方をどうするか、戦後の一時代の常識を超えて、毎回の選挙・直接投票に際して、具体的に人々の智を集め十分考え抜かねばならない。この観点から言えば、今回の各会派が取った「消極的選挙ボイコット戦術」は、新しい時代の「まだ自信のない暫定的な戦術行使」であったと評価しておきたい。

危機の時代、社会民主主義勢力の取るべき態度とは?

問題は、今回の選挙で各会派が取った、あるいは取らざるを得なかったボイコット戦術の意味であり、また、今後、選挙・直接投票に際して、具体的に人々の智と力の集め方についてである。

私は、社会民主主義勢力、すなわち住民の多数である労働者・勤労者階級の利益を代表できる勢力が極めて弱小になっている事態を起点にしてこの問題を考えたい。「自・共対決時代」などいう独りよがりの時代認識ではなく、一強・弱小多党(野党)の今日とは、社会民主主義勢力が弱体であるということで、そのイデオロギーにおいて新自由主義勢力の強勢な時代であるということである。

しかし、新自由主義の時代とは、資本主義の危機の時代であり、従来の資本主義を支えていた原発を含めた科学技術・文明・文化への懐疑・批判が渦巻く時代である。労働者・勤労者階級だけでなく、全ての階級・階層が従来通りではやっていけないことを認識せざるを得ない時代なのである。(そこでの新自由主義とは、金融資本だけが栄華を享受しようとする「(反)革命思想」である。)

都市は、かつて農漁村(第三世界)の資源・労働力を集積して資本主義的世界を地球上に広げ、繁栄を遂げて来た。そのほんの一握りの都市が「グローバル都市」として生き残りをかけた競争を展開している。しかし、それらの都市を含めて、少子・高齢化による人口減少へと向かい、都市空間の中に「限界集落」にも似た貧困層の停滞的集住地域が生まれている。例えば、大阪の都市の現実は、世界的な「都市現象」といえる傾向でもある。こうした現実を直視するとき、誰もが、従来通りではやっていけないことを認識せざるを得ない。その認識を共通にし、選挙や投票に際しての行動に限定されない、自治の在り方、原発に頼らない生産と消費の在り方等、従来と異なった人民主権的・民衆的「出口」を求める共同の思考と共同の活動・事業を生み出していくことが必要である。

製造業や商業などの少なくない資本家や農家でも未来への新しい構想への努力が始まっている。所謂、組織労働者は、各企業の利益に従属した企業主義、男性優位主義であったことからの脱却を目指さなければならない。これなくして、社会民主主義勢力の再興は、困難で遠回りが求められるからだ。

今回の選挙で各会派が取らざるを得なかったボイコット戦術の意味は、橋下の得票結果に表れている。37万7千票は、橋下の勝利とは言えないし、同時に、ボイコット四会派の勝利だとも言えない。どの会派・党が次回(来年の統一地方選で「出直し選挙」や住民投票がダブル、トリプルで実施される可能性が高い)の市長選挙で候補者を立てても、単独、あるいは複会派の統一候補では勝つことは困難であり、党派を超えた市民的共同候補以外に勝利の展望は描けないことを示した。

この現実を見るならば、大阪市政について、従来と異なった人民主権的・民衆的「出口」を求める共同の思考と共同の活動・事業を生み出していくための市民共同の活動に各会派を含めて、労組、住民・市民団体、弁護士会などの民主的団体等が着手することであろう。新自由主義的グローバリズムの時代における謂わば「反ネオリベ民主主義統一戦線」の形成へと進めねばならない。

なお、大阪都構想・地方自治制度に関わる論点は、他の筆者が問題提起をすると考えて割愛した。


みずの・ひろみち

名古屋市出身。関西学院大学文学部退学、労組書記、団体職員、フリーランスのルポライター、部落解放同盟矢田支部書記などを経験し、その後、社会福祉法人の設立にかかわり、特別養護老人ホームの施設長など福祉事業に従事。また、大阪市立大学大学院創造都市研究科を1期生として修了。現在、同研究科の特任准教授。大阪の小規模福祉施設や中国南京市の高齢者福祉事業との連携・交流事業を推進。また、2012年に「橋下現象」研究会を仲間と立ち上げた。