この一冊
『あなたのセックスが楽しくないのは資本主義のせいかもしれない』(クリステン・R・ゴドシー著・高橋璃子訳/河出書房新社/2022.5/2,090円)
女性解放のために社会主義の政策を取り入れよ
社会主義アレルギー大国からのマイルドな提言
全国高等教育ユニオン 吹田 映子
ベルリンの壁崩壊
著者のクリステン・R・ゴドシーは東ヨーロッパおよびロシアを専門とする研究者で、米ペンシルベニア大学の教員である。ベルリンの壁が崩壊した時、1970年生まれの彼女はアメリカでの大学生活を中断し、バックパッカーとしてヨーロッパを旅していたところだった。期せずして「民主化」直後の人々の希望にあふれた様子を目の当たりにするも、その後人々を見舞ったのは新自由主義の導入による政治的・経済的混沌だった。以来彼女は、社会主義から資本主義への国家体制の移行が「普通の人びと」に与えた影響を20年以上にわたって調査し、とりわけ女性に焦点を当てて論文や学術書を発表してきた。
本書は、そんな彼女が2017年にニューヨーク・タイムズ紙に寄稿したコラムを元に執筆した、初めての一般書である。原著の題はコラムと同じくWhy Women Have Better Sex Under Socialismで、2018年に刊行された。直訳すれば、「なぜ女性は社会主義のもとでより良いセックスができるのか」となる。
アメリカの「社会主義」アレルギー
筆者は、「セックス」を前面に押し出した刺激的なタイトルと、ポップなカバーに惹かれて本書を手に取った。ところが、その主張はいたってマイルドなので驚いた。
――この本の言いたいことはシンプルです。規制なき資本主義は女性を苦しめる。社会主義のやり方を取り入れれば、私たちの暮らしはもっと良くなる、ということです(p.14)。
とは言ったものの、この主張を「いたってマイルド」と受け取る読者はアメリカではどうやら少数派らしく、著者はたびたび弁明する。
――誤解しないでほしいのですが、私は20世紀の国家社会主義に戻ろうと言っているわけではありません。当時の実験は、自身の内部にある矛盾の重みで潰れていきました。表向きの理想と、現実の独裁的な政治とのあいだに、とても深い溝があったからです(p.40)。
近年、社会主義への関心が若い世代を中心に高まりつつあるとはいえ(p.20)、「社会主義」を「全体主義」と混同する精神的アレルギーが、冷戦終結から30年以上経つアメリカに蔓延している様子がよくわかる。
「女性」を通して見る社会主義と資本主義の違い
こうした状況ゆえに、本書は資本主義と対比させて社会主義をわかりやすく紹介し、前者を相対化する視点を提供する。注目されるのはもっぱら「女性」だが、それは「女性のほうが圧倒的に資本主義のしわ寄せを受けやすいという事実」が存在するからだ(p.14)。そのことを説明するに当たり、ゴドシーは友人のエピソードから始めている。専業主婦の友人が夫のクレジットカードを使わせてもらえない。かろうじて現金を渡されるものの、要求されたセックスに応じるのと引き換えという、屈辱的な現実。「個人的なことは政治的なこと」というが、こんな風にして資本主義システムは家父長制を利用し、男女の性別分業を推し進め、女性を男性の「奴隷」にすることで拡張し続けているのだ。
一方、これとは対照的な状況が、旧社会主義国にはあったとゴドシーは言う。
――雇用差別や賃金格差をなくすために、社会主義国では女性の労働参加を促進したり、義務化する政策を打ち出してきました。東ヨーロッパの社会主義国には例外なく、すべての女性を労働力に組み込むための制度が存在しました(p.57)。
多くの社会主義国では、子どもが幼稚園に入ると、母親は強制的に職場復帰させられたという。働かねばならないという重圧に加え、家事をこなさねばならないという伝統的な重圧もあったため、旧社会主義国の女性たちは一見すると現在のアメリカや日本の女性たちに似た過酷な状況に置かれていた。加えて消費財の欠乏に見舞われる困難もあったのだが、労働者としては一人前で経済的にも自立し、子育て福祉も充実していたので、当時の暮らしは現在に比べて「楽」で「より良い」ものだった、と感じている女性の割合が高いという。
「男性」から見た社会主義
反対に、旧社会主義国の男性たちはこう感じていた。
――「東ドイツの女性は本当に厄介だった、と彼らは口々に言う。セックスに自信がありすぎるし、経済的にも自立しているからである。お金が役に立たないんだよ、と彼らは嘆く。医師の給料が、たとえば劇場で働く人よりいくらか高いとしても、女性を口説くには何の役にも立たない。西洋ならば金に物を言わせればいいが、『面白い人でないと』相手にしてもらえないのである。何というプレッシャーだろうか。ある男性はこのように本音を漏らした。『ドイツが統一されたおかげで、共産主義時代よりもずっと強い立場になれたよ』」(p.25)
このように、フェミニズムが目指す社会は社会主義によってこそ可能になるというヴィジョンを提示するにあたり、著者は「仕事」「子育て」「リーダー」という項目を立て、第1章から第3章にかけて論じている。
「セックス経済理論」
肝心の「セックス」が取り上げられるのは第4章と第5章においてである。ゴドシーはまず、2004年に発表された「セックス経済理論」を紹介する。これは男女の駆け引きを市場モデルで理解するもので、女性がセックスを売り男性がセックスを買うという単純な仕組みに還元する。資本主義システム下でのセックスの有りようを的確に説明するものであり、提唱者らは気づいていないようだが、「社会主義者による資本主義批判の伝統をそのまま受け継いでいる」ような理論だという。
――つまり、資本主義は人のあらゆる関わり合いを商品化し、女性を単なる財産と見なす、という考え方です(p.152)。
皮肉なことに、この理論がアメリカの右派に利用され、社会問題の責任を女性になすりつけるのに使われている。
――これは誇張ではありません。〔右派の〕人たちの考えでは、最近の若い男性が親の家に住み、1日中ゲームをしてドミノピザばかり食べているのは、スマホのメッセージひとつで安いセックスが手に入るからです。避妊の手段がなければ、セックスの値段は高くなる。中絶ができなければ、セックスの値段はもっと高くなる。さらに女性の教育や就労の機会が少ない場合、セックスの対価は結婚になる。そうやってセックスの値段が高騰すると、セックスに飢えた男性たちは外に出て仕事を探し、金を稼ぎ、女性と結婚してセックスができるくらい立派な人間になろうとするのだ、というのが彼らの理屈です(p.149)。
――このような考えから、超保守派の人たちは「アメリカをふたたび偉大に」するために避妊と中絶を禁止し、同時に女性の就業機会を奪ってセックスなしでは生活できなくするべきだと主張します(p.151)。
性を経済から解放せよ
このように資本主義下では、女性は自分を性的な商品とみなさざるを得ず、そんな条件ではセックスを心から楽しめるわけがない。そうではなくて、とゴドシーは、アレクサンドラ・コロンタイ(1872-1952)の考え方を提示する。
――「性的行為は恥でもなければ罪悪でもなく、空腹や渇きと同じく生物の健全な欲求と見なされねばならない。そうした現象は道徳によって裁かれるものではないのである」。そして社会主義のもとでのみ、人は自由な個人として恋愛やセックスを楽しめるのだ、とコロンタイは言います。お金や地位と関係なく、おたがいの気持ちと愛情に基づく関係が持てるからです(p.156)。
社会主義の理論家であり、1917年に誕生したソヴィエト政権によって社会福祉人民委員に任命されたコロンタイ。当時、国際社会主義女性会議で採用された方針には、「働く女性に家事や育児まで担わせるのではなく、保育園や幼稚園をつくり、公営の食堂や洗濯所を整備して、女性の負担を減らそう」(p.83)というものがあったが、初期のソ連はこれを推進し、コロンタイはそのための制度設計に尽力した。あいにく、その後の情勢(第一次世界大戦による打撃、内戦、飢饉)の中こうした女性解放の気運は頓挫してしまうが、当時の状況はいかに先進的であったことか。
社会主義国は性科学の先進国だった
ソ連が崩壊すると案の定、ロシアの女性は再び性的商品となった。セックスは個人の肉体的快楽の追求となり、女は男に従属し、結婚は打算となった。それでも、コロンタイが提唱した「新しい」性倫理そのものは消えたわけではなく、1970~80年代の社会主義国に広まっていたという。
例えばこの時期、ポーランドの性科学研究は国の援助のおかげで「黄金時代」を迎えたが、それは生理学的反応を重視するアメリカの性科学が製薬企業の利益追求に利用されたのとは対照的な様子であった。ポーランドの性科学では、セクシュアリティの多元性が考慮され、性科学は人文社会科学の様々な分野と不可分な包括的学問だと認識されていた。
――「どんなにうまく刺激を与えても、女性が疲労やストレスを感じていたり、自分の将来や経済状態に不安を抱えていたら、快感に達することはない」(p.186)
到底「カネ」を生むとは思えない研究結果である。
同様に、チェコスロヴァキアでは早くも1950年代初頭の時点で、女性の快楽に焦点を当てた研究が行われていた。「良いセックス」は男女が社会的に平等である場合にのみ可能であり、そのためには避妊・中絶のしやすさ、女性の完全な労働参加が必要だと主張されたという。
社会主義国における性科学はこのように、経済的利害に囚われない恋愛とセックスを称揚する。国を挙げての研究であれば(あるいはそうでなくとも)、当然そこには冷戦構造が反映しているはずである。けれど、それを差し引いても瞠目に値する成果だとゴドシーは考えている。その後の展開に鑑みれば尚更だろう。
――国家社会主義が崩壊すると、ポーランドでは一気に保守的なジェンダー観が巻き返してきました。中絶がふたたび禁止され、社会主義が積み上げてきた女性の権利はどんどん壊されていきます。ナショナリズムが台頭してきたこともあり、同性愛者や外国人、ユダヤ人に対する嫌悪も高まりました(p.186)。
投票へ行こう!
こうした状況を変えるにはどうしたらいいのか。最終章の第6章で提案されるのは、拍子抜けするけれども「投票に行くこと」だ。
――女性がいっせいに立ち上がって投票所に足を運んだら、世の中は確実に変わります。だから超保守派の人たちは女性の投票権を取り上げようと必死なのです(p.217)。
社会主義を部分的に取り入れた北欧諸国も参考にしつつ、社会主義から学ぶべき政策として第3章までに言及されていたのは、ジェンダー平等のための「ベーシックインカム」と、雇用保障のための「公共部門の雇用拡大」、さらにロールモデルとしての「女性リーダー」の増加と、それを可能にする「クオータ制」の導入である。より良い性生活を営むためには、こうした政策を重視する政治家を選びましょう、というのが本書の結論であるようだ。
既存の国家体制は維持して議会制民主主義に引き続き期待しましょう、という主張には「マイルド」な印象を受けるが、日本においても、本書で提案されている政策の実現には程遠い状況なので、広く読まれてほしい一冊である。
すいた・えいこ
教員・研究者。1982年、青森県生まれ。2019年より自治医科大学医学部総合教育部門(文学)に勤務。専門は画家のルネ・マグリットを中心に19世紀末から20世紀にかけてのベルギー美術およびシュルレアリスム。『わたしを忘れないで』(翻訳、アリックス・ガラン著、太郎次郎社エディタス)、『ベルギーを〈視る〉:テクスト―視覚―聴覚』『ベルギーの「移民」社会と文化:新たな文化的多層性に向けて』(ともに共著、松籟社)。
この一冊
- 琉球人のすすむべき道と行動を指し示す沖縄近現代史家・伊佐 眞一
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