この一冊

『学知の帝国主義――琉球人遺骨問題から考える近代日本のアジア認識』(松島泰勝著/明石書店/2023.1/6380円)

琉球人のすすむべき道と行動を指し示す

「沖縄学」の桎梏を克服するために

沖縄近現代史家・首里城再興研究会共同代表 伊佐 眞一

『学知の帝国主義――琉球人遺骨問題から考える近代日本のアジア認識』(松島泰勝著/明石書店/2023.1/6380円)

400ページの大冊ともなると、大抵は読む方が途中でくたびれてしまうのが普通だが、そうならないのがこの本。読む者をして、息もつかせぬ緊迫感があるといえば、ご機嫌とりのお世辞だ、誇張だと思われるかもしれないが、あえてそうした表現をしたくなる。

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ただし、読者といっても、琉球人と日本人とではその緊張感の中身は大いに違うだろうことも、あらかじめ言っておいたほうがいいと思う。虚心坦懐にこの本に向き合うとしたら、おそらく琉球人は日本国に武力で琉球王国を滅ぼされて以後、一世紀余の今日に至るまで、日本の琉球・沖縄政策が、植民地支配として深く根をおろし、容易なことでは克服・解消されるものでないことを再確認するにちがいない。そして他方、日本人はその支配の根源にあるものが、過去の済んでしまったことだと弁明することが出来ない我が身を思い知らされるだろうと想像する。つまり、両者ともに、じつにおぞましい琉日関係史を目の当たりにして、湧き出る不快な感情に襲われるだろうと思うのである。

いや、のっけからプロテクターで身構えさせるようなことを書いたが、この本はアームチェアにゆったりと座って、うまいコーヒーを飲んだにしても、決して安楽な読書にはさせてくれない。論より証拠、開巻の「はじめに」の冒頭で、著者は「1879年の琉球併合は、日本政府が軍隊、警察をもちいておこなった組織的で、計画的な国家侵略である」と書く。遠慮会釈もなく、いきなり冷厳なる歴史事実を読者目がけて剛速球を投げつける。しかも、それだけにとどまらず、あとに続けて、ロシアが昨年、ウクライナ侵略をしたけれども、琉球は日本によって沖縄戦の「戦場とされ、おおくの琉球人が殺され、戦後も米軍基地がおしつけられるという『犠牲の構造』のなかでの生活を余儀なくされている」、と追い打ちをかけるのである。私としては、読者は読む前に深呼吸をして気を鎮めた方がいいのではないかと、別に脅かすつもりはないが、正直そう思う。

アドバイスをしたついでに、もうひとつ申し添えたいことは、第1章の「学知の帝国主義の起源」から、終章の「先住民族の遺骨をとりもどすことの意味」まで、全部で14章あるが、それを順を追って読んでもらいたい。その方が、この本で論じられている問題の発生か ら展開をへて、2022年現在に至るまでの歴史的経緯が、筋道立ってはっきりとわかるからである。加えて、著者がこの本を執筆した動機がスムーズに納得できるだけでなく、問題の解決に向けた行動の足跡も、すんなりと頭に入るだろうからにほかならない。

とにかく、じかに本を読めば、おのずと何が書いてあるのかがわかる。だからここでは、必要以上に内容の梗概紹介することは、サスペンス映画を見る前に、あらかじめプロットを教えてしまうのと変わらない。それで、以下私の文章は、読後の頭に残ったものを、ただアトランダムに抜き出しただけである。研究者らしい緻密な検証とか問題提起はどこにもないし、ごく平均的な一般市民による感想だと承知してもらいたい。

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そこで、まず最初に、これは新たな知見でもなく、普通の常識だともいえようが、改めて再確認させられたことを書く。それは何かといえば、ある異民族を政治的に、また社会をまるごと支配するにあたっては、武力による威嚇とカネと情による民心の懐柔は当然のことながら、学問と総称される知識が総動員されることである。外部からの強制力だけでなく、被支配者みずからがすすんで支配者の統治に共感し取り込まれていく心性をつくりだして、ついには支配を支える共犯になる。その突破口となるものが、被支配者の言語を奪い取り、支配民族のコミュニケーション圏内に引きずり込んで、そこでの社会体系があたかも本来の世界なのだと思わせる方法。

琉球の場合で言えば、日本が琉球併合後にすぐさま、『沖縄対話』の教科書を導入して、琉球語から日本語へと琉球人の口と思考を転換させるべく、思想形成の基盤を回収する政策がそれである。アカバナー(仏桑華)からサクラへ、伊江島タッチューから富士山へ、琉歌から和歌へ、左巴御紋から菊の紋章へなど、ささいな事柄が日常のなかで知らず知らずのうちに変化させられていく。そして最後は、琉球人から琉球国の身体性を完璧に抜き去って、天皇を頂点とするヤマト国家の絶対性を埋め込む。そうした言葉と教育による文化の価値基準をごっそりと入れ替えるという琉球の日本化(同化)に、圧倒的とも言えるほどの威力を発揮したのが、科学を標榜する学問であった。  

だが、かくまでしても朝鮮も台湾もそうだが、琉球が日本になりきることは出来なかった。どんなに悪知恵をめぐらし策を弄しても、これらの3者は日本からは遥かな遠距離に位置していて、同居の第一条件に欠けているばかりでなく、歴史と文化がこれまた高い異質性を含んでいるのでは、帝国大学の優等生がどんな理屈をこねてもみても無理というものであろう。それを胸中に予感し、同時に自己と同一ではない異族だとわかっているからこそ、日本国家と日本民族は、琉球統治に政治・経済・社交とともに、帝国の学術を最大限にフル活用した。

もともと天皇の赤子せきしで皇民である他の46都道府県とは、決定的に違う異民族だけに、琉球の「皇民化」に血眼ちまなこになったともいえよう。そうした異民族の支配を正当化し、以後長期にわたる安定した統治の目標を、ヤマト国家あげて追究したのが、この1世紀余ということになる。ゆえに日本人研究者にとって、日本に近接している諸民族の肉体は、まさに興味津々たる研究対象であり、それは国家の目的とも合致していた。形質人類学が御用学となるのは自然の成り行きであって、それと二人三脚の優生思想がみごとに癒着した。日本のアジア侵略を糊塗する「学知」のトップ・ランナー(先兵)と名づけてもよいだろう。

なお、形質人類学とは何か、それを簡単にまとめれば、例えば頭の大きさや形、皮膚の色がどうだとか、身体の特徴を無機質のデータで数値化・定量化し、それでもって知能の上下を決定する。そこから「人種」を捏造して、人間の優劣に結びつけ、帝国内の人間序列化に学問がお墨付きを与える役割を担った。そこで形質人類学者たちは、これはすべて科学に基づいた不動の普遍性をもつのだと、あたかも全能の最終判定者であるかのように振舞う。言うまでもなく日本人の優秀性を基軸に据えて、それとの異同・距離関係で他の民族や人間集団を支配構造のなかに配置する意図をもっていた。

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以上、七面倒臭い硬い説明になったが、ザッとこれだけのことを踏まえて読めば、あとは難なく各章の内容が頭に入るのではないか。そして、この帝国の独善的学問が日本で起こったものではありながら、決して日本だけの、また琉球人を対象にしただけの狭い問題でもないことがわかるはずである。琉球が日本国家の植民地状態から脱出するには、こうした帝国の論理を相対化して打ち破ることが必須となる。でなければ、相変わらず袋小路に押し込められて忍従を強いられるだろう。それゆえに著者は、世界的視野での思考、なかんづく国連を舞台とする行動の重要性を強調する。

それにしても、この本を読んで思うことは、東京帝国大学と京都帝国大学という、日本では最高の学術レベルを誇るとされる大学の、倫理もクソもない救い難いほどの罪深さである。こんなハレンチが、いま現在も続いている大学はおそらく世界でも稀ではないかと思うが、どうだろうか。この本に何度も出る清野謙次を始めとして、琉球の墳墓から遺骨を盗ませ、盗んだ金関丈夫や三宅宗悦たちの教授、助教授、講師たちは、大学の学術に名をかりた盗賊団以外の何者でもない。そして、彼らの学統・托鉢をいまに受け継ぐ学者たち、例えば京大総長だった山極壽一や岩崎奈緒子に見られる京大当局の態度は、行政職員も含めて、まさに盗人猛々しさでなくて何であろう。

琉球には古来、「シミぇー っちょーてぃん、ムノー らんぬー」という琉球語の俚諺がある。「学問はしていても、人倫・道理をわきまえない者」という意味で、「論語読みの論語知らず」を最低限に悪くしたものといったところか。だから私は彼らを、「学知」でなく、沖縄でいう「学狂ガクブりー」、勉強をしすぎて?、窃盗と収集の区別もつかなくなったという意味の「学痴」と表記した方がいいのではないかと思う。しかもそれが、一世紀以上前の過去の出来事でなく、現在も生々しく継続している事実を、いま生きている日本人はどう思うのか、私は空想をめぐらす。この事実を知って驚き呆れて遺骨の返還を支援するのか、それとも大学側や形質人類学者たちの説明に納得するのか。勝手な想像だが、案外に後者が多数を占めるような気もするが、私の思い過ごしだろうか。

で、話をもとに戻すが、琉球王国を滅亡させて出来たのが「第一次沖縄県」(1879~1945年)で、そのスタートから約20年後に起こったのが、いわゆる「学術人類館事件」(1903年)である。東京帝大の坪井正五郎と鳥居龍蔵たちが大活躍するのだが、彼らも琉球にはことのほか関心を向けていた。それは興味とか学問的探究心の域をはるかに超えた、ある重大使命を内に秘めていたというべきものであった。いま流行りの表現をすれば、「琉球・沖縄に寄り添った」学者ということになろうが、どんなことをしたのか、詳しくは本についてもらいたい。

ただひとつ注意を促したいのは、その当時、琉球人知性を代表していた伊波いは普猷ふゆうと彼らとの関係である。しかし、それはたんなる偶然ではなかった。会うべくして会うことになる邂逅かいこうの必然性であったところに、琉球・沖縄の今日があるとも言えなくもない。「学知の帝国主義」が成り立つためには、琉球のソト(ヤマト)からの押し付けと同時に、琉球人及びヤマトからの琉球移住者による受容と迎合が、どうしても必要だったのであり、それが統治者と一体化した事実を見落としてはならない。

この、ウチなる琉球学者たちのほとんどが、後年、私たちが「沖縄学」と呼ぶ「学知」の知名士である。島袋源一郎や眞境名まじきな安興あんこうといった沖縄学の研究者がそれだが、彼ら琉球人が同じ琉球人を「学知」の対象にした研究は、その内実を病理解剖してみれば、それがその後、どのように琉球人の日本「同化」を加速させて、今日に至っているのか、開けてビックリ、知って魂消たまげるのではないだろうか。すなわち、研究者は言うに及ばず、フツーの琉球人の脳髄に深く染み込んだ「沖縄学」の桎梏(ガン・ウィルス)が、世に言う「日琉同祖論」なる言説である。学術人類館をはじめとして、京都帝大の金関らによる墓荒らしを幇助ほうじょした「日本同化」琉球人たちのイデオロギーにほかならない。

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かくて、著者・松島泰勝の視線は、個々の事件や言説を逐一丁寧に問題として俎上にのぼせながら、日本が抱えるもっとも深刻な思考形態を浮き彫りにする。本書の副題にある「琉球人遺骨問題から考える近代日本のアジア認識」がそれであるが、そこから琉球人はいかにすれば、この一世紀余に及ぶ日本の植民地状態を克服して、あるべき自尊の道を切り拓くことが可能なのか、へと私たちを導く。遺骨という小さくはあるものの、民族の尊厳が凝縮されたものの窃盗事件が、ページを繰って読み進むうちに、近代日本国家と日本人の精神構造を根底から批判する大問題を叙述していることに気づくはずである。これまでにない異色の、本来はこうあるべき琉球近現代史研究といってよい。

しかし、この書を、さらに一段と魅力あるものにしているのは、卓上における研究の論理考察だけではない。口舌の徒という言葉があるが、それとはまるで逆の、タコ壺の研究室を飛び出して、社会に直接打って出る行動力に、読者は目を見張るにちがいない。一研究者であるまえに、ひとりの琉球人であるとの強烈な自覚が、彼の背骨をなしていると読者はわかるはずである。京都と大阪での京都大学に対する「琉球民族遺骨返還請求訴訟」があって、次には那覇での沖縄県教育委員会を相手の「情報公開請求訴訟」があり、その他さまざまな活動との連携を実践していることが、世間一般の文弱学者とは大いに異なる。そして、それが国際的視野に立っての研究と活動だけに、いよいよ説得力をもっているようにみえる。むろん、かような活動は彼一人ではできないのであって、当然のことながら、彼と行動をともにしてきた人たち、とりわけ「ニライ・カナイぬ会」と「琉球遺骨返還請求訴訟支援全国連絡会・関東・関西・琉球」をはじめとして、大学等の研究者仲間、そして裁判弁護団が、彼の周囲に陣取っているのも、社会変革へのつよい共感があるからであろう。

奪われた「遺骨」を取り戻すというのは、いかにも些細なことのように思われるかもしれない。しかしそれは、琉球先住民族としての自尊自立をしかと手中にして、その先にはさらなる大事業が控えている。この本は、琉球民族の独立を研究する経済学者でもある著者の、日本と琉球の諸権力及び思想との真剣勝負の記録である。松島でなければ、果たしてここまで出来ただろうかとも思ったりするが、それだけに、私としてはこの著述にふれて、彼のあとに続く者がひとりでも多く出ることを切に願わずにはおれない。

いさ・しんいち

『アール・ブール 人と時代』(私家版、1991年)、『太田朝敷選集』(全3巻、共編、第一書房)、『謝花昇集』(編著、みすず書房、1998年)、『伊波普猷批判序説』(影書房、2007年)、『沖縄と日本の間でーー伊波普猷・帝大卒論への道』(琉球新報社、2016年)

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