論壇

2019年の「心優しき叛逆者たち」―――
井上光晴と現在

関東学院大学客員研究員 神谷 光信

1969年の若者たち

井上光晴(1926‐92)の『心優しき叛逆者たち』(1973)は、1969年5月を物語の現在とする長編小説である。単行本は函入の上下巻。原稿用紙1400枚の大作だが、描かれる時間は僅か3日間だ。新宿、下北沢、野方、下落合など、小田急線と西武新宿線の沿線を舞台にして、数えきれぬ人々が登場するが、主役は、並行して描かれる4人の若者たちである。

右翼の父とその一族に反撥し、ある事件で大学を中退した錬若四郎は25歳。女に目がない詩人の左門長兵衛は彼より少し年下だ。女子大時代に男を刺して服役した過去を持ち、同居する大学生の弟に知られぬよう売春している江府安子は30歳に近い。朝鮮人を父に持ち、インチキな男との別れを考えている李陣春子は32歳である。それぞれの人生を懸命に生きている彼らは、1930年代後半から1940年代半ばに生まれた世代という設定だ。ちなみに『世界』に連載を開始したとき作者は43歳、単行本刊行時は47歳だった。

それから50年が経った2019年、練若四郎と左門長兵衛は70代半ば。江府安子と李陣春子は80歳前後である。虚構の人物だが、社会への反撥と若者特有の鬱屈を抱えていた彼らの目に、現在の日本はどう映るかと、私はふと考えることがある。それは、今日を生きる心優しき叛逆者たちを考えることでもある。

政治的抵抗の時代

現在から振り返れば、1969年という年は、東京オリンピックから5年後、東大安田講堂事件から幕開けした激動の年だった。日本万国博覧会開催と三島由紀夫自決はその翌年、沖縄はまだ本土復帰しておらず、ヴェトナム戦争の先行きは見通せなかった。

佐世保エンタープライズ寄港への大規模な反対闘争(1968)が、本作執筆のモチーフになっている。単行本刊行時のインタビューで、井上は「たくさんの若者が拘置所に入ったり、転向したり挫折したりしたわけですね。そういう青年の内面を見詰める場所からこの小説は出発しました」(「心優しき者たちは」『波』新潮社、1973年8月号)と語っている。

エンタープライズ闘争には多くの大学生が参加した。とはいえ当時の大学進学率は、男子25%、女子は6%である。ちなみに大卒初任給は34000円。週刊誌は70円。LPレコードは2000円と高額だった。東京・新大阪間を3時間で結ぶ東海道新幹線がすでに開通していたものの、九州や北海道では、石炭を燃料とする蒸気機関車が現役で活躍していた。街角にはマクドナルドもセブンイレブンもなかったが、いたるところに赤い公衆電話があった。留学生も少なく外国人技能実習制度もなかった当時、観光客以外の外国人の姿を見ることは少なかった。新宿を中心とするこの小説にも、朝鮮人を除き、外国人は登場しない。

江府安子は、女子の大学進学率が3%未満の時代に、浪人して進学している。今は自分を見失い売春で生きているが、恵まれた境遇だったのだ。オルグに行った九州の炭鉱町で少年に襲われた錬若四郎は、相手に重症を負わせて2年半服役していた。現在は無職であるにもかかわらず、スクリャービンやシェーンベルクといった現代音楽を含むかなりのレコードコレクターなのは、博多の姉から十分な仕送りを受けているからである。

叛逆者錬若四郎の肖像

右翼の父錬若元は72歳。母紀子は10歳年下。長男は県庁勤務。次男は銀行員。三男は早世、そして四男の四郎。だが、四郎の母親は、実は16歳年上の姉、槇なのだ。戦時中、羽振りがよかった錬若元は、戦後は公職追放になったようだが、四郎から見れば、天皇崇敬を看板にしているだけの贋物だ。物語の最後、一族のなかで唯一自分を理解していた姉自殺の報を受け、博多に駆けつけた四郎は、自分を責め立てる兄や兄嫁たちへの反撥を隠せない。「痴れ者は去れ」という芝居めいた元の台詞をきっかけに通夜の場を後にした彼は、海岸を夜通し歩きながら、事件を起こす決意を徐々に固めていく。一族は世間から完全に疎外される。「もしかすると、現実に抹殺されるかもしれないのだ」と考えながら。

物語の初めの方で、唯一の友である田歌秀雄を下落合のアパートに訪ねる印象的な場面がある。部屋に上がると見知らぬ先客がいた。3歳か4歳くらい年下らしい青年は、綾川という京大生だった。

「綾川君の友人にね、暗殺者のリストを作っている者がおるそうだ」
練若四郎は黙って田歌秀雄を見返した。
「正確にいえば暗殺すべき人間のリストというのかな。そういうリストを準備しているんだそうだ」
「何のために」練若四郎はいった。
「何のためにって、そりゃ……」
「もちろん、それはテロをやるためですよ」口を濁した田歌秀雄を助けるように、青年はいった。
「君は実際に、その暗殺者のリストとかいう代物を見たんだね」
「見たからいってるんだけど……」決まっているじゃないか、という口調を綾川薫はあらわにした。
「政治家や財界より、知識人が多いんだそうだ。大学教授や作家がずうっと並んでいて……どういう名前があがっていたかな、例えば宇川健。……」
「子供騙しだな、それは」練若四郎は田歌秀雄に皆までいわせなかった。
「子供騙しだって」綾川薫が突っかかるようにいった。
「どうしてそれが子供騙しになるんです」
「そうじゃないか。だって君はそのリストというものを見せられたんだろう。そこに並んだ名前まで知っている。君はいまリストを作製した目的は実際にテロをやるためだといったけど、そんなふやけたテロリストが何処にいる。自分がやろうとする相手を、実はこれこれですと吹聴するような人間に何ができるっていうんだ。そんなことみんな嘘っぱちか、頭だけのマスターベーションに決まってるよ」
「それじゃあなたは……あなたはどうなんです」綾川薫は声を詰まらせた。「さっき日本のサヴァンコフとかきいたけど、あなたはテロリズムを否定するんですか」
「そんな問題じゃないよ。君や田歌が、おれだっていい、誰かがスパイならいっぺんにお陀仏になるようなことを、そんなに軽々しくはいえないだろうといってるんだ。本気でテロをやるつもりならね」
「あなたは本気なんですか」
「やめろよ、綾川君」田歌秀雄が制した。「そんなにむきになることはないじゃないか」

尖った言葉のやりとりがさらに続いたあと、練若四郎は「失敬するよ、今日は。どうも場違いなようだからな」といって立ち上がる。そして「おい待てよ。自分だけ本物面しやがって」という綾川の声を無視して部屋を出ていく。もし行動に出るとしたら、彼は単独で実行する「ローンウルフ」の可能性が高いことが、すでにここで暗示されている。

当時、テロリズムは現実味を持っていた。石原慎太郎(1932‐)が国会議員に初当選したのは1968年7月だが、その3週間後、内閣官房内閣調査室のメンバーが本人に忠告し、暗殺の危険性について話している(志垣民郎著・岸俊光編『内閣調査室秘録』文春新書、2019)。

『心優しき叛逆者たち』は、その後、文庫本にはならず、『新潮現代文学48 井上光晴』(1981)に収録され、さらに『井上光晴長篇小説全集』(1984)に収録された。後者が実質的な定本だが、実はテクストに変更が加えられている。定本では、四郎が最後に登場する場面の末尾2行が削除されているのである。「かあさん、と練若四郎は胸の中でさけぶ。自らの激情に耐えられずに自殺した父親の息子であり、槇姉さんの血そのものと化したおれは、明日という時間を精一杯輝かしい未来にするために、いちばんおとなしい人間を撃つのです」という文章である。単行本刊行から10年余、最終的な決意を固める台詞を削除することで、作者は彼が事件を起こす可能性を不確かなものとした。

練若四郎はそもそも理想化して描かれてはいない。純粋さや強い正義感を持つ反面、経済的自立もできておらず、青春の弱点を絵に描いたような若者だ。だが、優れた小説がそうであるように、読み進めるうちに、彼がこの小説で描かれたように生きるしかないことを、読者は胸の痛みとともに納得せざるを得ないのである。

「上べだけの変革的人間や革命的人間、犯罪的人間を書くのは楽なんですよ。そんなふうに書けばいいのですからね。しかし犯罪なら犯罪を、それを犯した人間の全容をそこにこめて自分も読者も納得いくように書くとなると、それは大変なのですね」。作者はこのように語っているが、この試みは成功を収めているといってよい。

「叛逆とか革命の本質は、徹底して心優しきものだということですね。心の冷たい叛逆者は、本来ありえない。叛逆者に値しない。だから〝心優しき〟という言葉をつけると二重になるんだけれども、本当の意味での叛逆的な叛逆者でなければならないことを強調したわけです」と井上は語っている。「真の叛逆者と現実の党とはあまり関係ない。〔中略〕要するに何処まで見えるか、何処まで人間的でありえるか、それこそが叛逆者の条件だと思いますね」(前掲インタビュー)。

弱者に向かうテロリズム

定本で削除された「いちばんおとなしい人間を撃つのです」という四郎の謎めいた言葉が強い衝撃を与えるのは、「津久井やまゆり園」で、26歳の青年が入居者19人を次々に殺害した相模原障害者施設殺傷事件(2016)を我々が経験しているからである。信じがたいことに、元施設職員による犯行だった。「障害者は不要な存在」とする犯人の供述からは、「生産性」に乏しく社会に「役に立たない」ものは排除してよいという優生思想がうかがわれた。

事件に先立つ5ヶ月前に、犯人は、衆議院議長宛の書簡を携えて、永田町にある議長公邸を訪れている。書簡には、事件を予期させる「作戦」の内容と、逮捕後の自らの処遇を「心神喪失による無罪」にすることなどの要望が記され、「ご決断頂ければ、いつでも作戦を実行致します」として、内閣総理大臣への「相談」を懇願していた(『ハフポスト』2016年7月26日)。また、内閣総理大臣宛の書簡も、同時期に自由民主党本部に持参したと供述している(『朝日新聞デジタル』2016年9月3日)。

倒錯した犯人の行動は、我々を混乱させる。首相が障害者殺害計画を聞き届けると彼が思い込んだのは何故だろう。現政権による社会保障費削減などの事実から、権力の光背に包まれた首相に内面を投影したあげく、自らが影の分身であるとの妄念に取り憑かれたのだろうか。殺人罪などで起訴され、横浜拘置支所に収監されている犯人は、事件から3年が経過した現在でも障害者を不要なものとする思想を変えず、殺害行為も反省していないと伝えられる(『週刊朝日オンライン』2019年7月26日)。

思えば、東アジア反日武装戦線による連続企業爆破事件(1974‐75)は、練若四郎と大きな年齢差がないグループの犯行だった。その後、朝日新聞東京本社銃撃事件(1987)に始まる赤報隊事件(1987‐90)は現在も未解決、オウム真理教による地下鉄サリン事件(1995)と同年に起きた警察庁長官狙撃事件(1995)も未解決である。企業や新聞社、政府要人を標的にしたテロリズムが、不特定の民間人や社会的弱者を標的にしたものに変容していることには注意が必要だ。「いちばんおとなしい人間」が標的にされているのである。

ヘイトクライムとSNSの時代

半世紀前、週刊誌では『朝日ジャーナル』、月刊誌では『世界』や本誌のような硬派の雑誌が多くの読者を持っていた。保守系の月刊誌『諸君!』の創刊は『心優しき叛逆者たち』の連載が始まった1969年、『正論』の創刊は、この小説が単行本化された1973年のことである。今にして思えば、当時の執筆者には、政治的立場は異なるにせよ、豊かな人文学的教養とともに、知識人としての誇りと権威、そして良心があった。現在のように、歴史修正主義や排外主義の主張を堂々と掲載した月刊誌が書店で平積みにされるまでの頽廃した知的状況ではなかったのである(上丸洋一『「諸君!」「正論」の研究』岩波書店、2011 参照)。

現在では、世間名のある政治家や文筆家が、差別的な発言をSNSで発信し、支持者がそれを拡散し、賛同のコメントを寄せるのはありふれた光景である。生活保護受給世帯、在日外国人、女性や子供、老人といった弱い立場にある者を攻撃して恥じない人々が、社会の明るい場所に姿を現している。相模原事件は、近年のそうした状況と照応しているといってよいだろう。事件の犯人を英雄視する投稿がインターネット上で多数見られたという戦慄的事実も、現代日本人の意識の深層に、弱者への強い差別感情が蠢いていることを示している。

入国管理センターでの長期収容に対して、抗議のハンガーストライキをしていた外国人男性が「餓死」したとの報道が、この10月にあった。収容者を死に至らしめたことについて、法務省出入国在留管理庁は「対応に問題はなかった」とし、SNS上では、亡くなった男性の自己責任であるとの意見が早速投稿されている。冷血の時代である。

李陣春子と朝鮮人の血

李陣春子は、5年間同棲し、子を身ごもったこともある男に愛想を尽かして、経堂のアパートを出て行こうとする。そのときに、相手の男が「持って行くものはそれだけかね。ほかにまだ朝鮮服か何かあったんじゃないか」という場面がある。

李陣春子は憐れむような眼で、まがりなりにもそれまで同棲していた男の顔を見つめた。
「あなたの口から初めて、あたしの血筋についての意見をきいたわけね。あたしの父親が朝鮮人だってことを、そんなふうないい方で侮蔑できるって、どうして考えられるのかしら。こんな人間が、仮にも転向なんて言葉を口にするんだから、情けないというより、もっと始末が悪いわ」
「ひがんじゃいけないよ。朝鮮人だから朝鮮人といっただけじゃないか。情けないのはどっちだい」
「真底から駄目な人間ね、あなたという人は」李陣春子はいった。
「父親が朝鮮人だからといってあたしが何時、ひがんだりしたことがあって。考えたこともない。あたしはむしろ誇りにさえ思っているわ。……それより、朝鮮服なんかあたしが持っていないことを百も承知の上で、わざわざ朝鮮服があったんじゃないかという、あなたのその、見えすいた根性よ。あたしが情けないっていうのは。……」〔中略〕
河原愛は口を開けて、指の先で下唇をなぞった。それは相手を軽蔑しきった時、彼のよく用いる動作のひとつだが、妙にわざとらしかった。

この小説では、フォークナーの影響を受けた「意識の流れ」の手法を駆使して、主役たちが背負う過去の出来事や、親兄弟、一族の記憶が重層的に描かれているが、抑圧された民族の記憶を最も重く背負っているのが李陣春子である。彼女は「御真影」を安置した奉安殿がある国民学校に通った世代だ。5歳から育ててくれた養父李陣正夫は、春子の実父丁重達(ヂョン・ジュンダル)を「立派な男」と語っていた。「とてもあんな日本人はいない。どんなに小さい歪んだことでも、お前の父さんは正面からむかっていった」。

春子、お前の父さんは安東という町で日本人の警官から囲まれて、逃れようがないと知ると、二階から身を投げて死んだんだ。道路に落ちた時、父さんはまだ息をしていたが、それを日本人たちは寄ってたかって嬲り殺しにした。頭を打って動けない父さんを寄ってたかってみんなが殺したんだよ。戦争が終ったから何もかもはっきりいえるんだけども、お前の父さんは日本人に嬲り殺しにされたんだ。
春子、お前は父さんの血を大事にしなければいけないよ。お前の体には、父さんの立派な血が流れているんだから。

在日韓国朝鮮人に対するさまざまな差別は、今日なお日本社会が克服できない問題のひとつである。徴用工訴訟問題などで日韓関係が悪化するなかで、メディアの頽廃を象徴する出来事が今年9月に起きている。『週刊ポスト』(小学館)が「韓国なんて要らない」という特集記事を組んだばかりか、各紙が特集の見出しをそのまま広告に掲載したのである。強い批判を受けて編集部は謝罪したが、半世紀前に李陣春子が受けた嫌がらせや差別は、そのまま、現代日本社会に生きる在日コリアンのものなのである。

2019年の叛逆者たち

叛逆者は、いつの時代にも若者の姿で現れるようだ。2015年から約1年間活動したSEALDs(自由と民主主義のための学生緊急行動)は現在も記憶に新しい。特定の政党と繋がらない、自立した個人の結び付きによる若者の政治活動であり、新しいデモのスタイルを示した活動だった。SEALDsに限らず、今日では、旭日旗を掲げるヘイトデモへのカウンター行動なども、SNSによる市民の自主的参加が普通である。集会、デモ(パレード)、スタンディングなどの活動は、大都市部に限られるとはいえ、現在では珍しい光景ではない。そして、そこには女性を含む若者の姿がある。

2013年以来、ヘイトデモが繰り返されてきた川崎市では、全国に先駆けて、ヘイト罰則条例を制定しようとしている。その一方で、総理大臣や与党国会議員の街頭演説に野次を飛ばした市民が、警官に取り囲まれたり、移動させられたりする事態が、札幌、大宮、大津で発生している。法令根拠が不確かな対応であり、看過するわけにはいかない。

国外に目を向けると、逃亡犯条例改正を巡る香港市民による抗議活動の先鋭化は、行政長官が撤回動議を香港立法会に提案すると表明したことから、第二の天安門事件化という当面の危惧はとりあえず回避された。催涙弾を放つ香港警察とマスクを付けた市民との攻防は、SNSを通じて世界中に拡散されたが、スマートフォンの液晶画面に映る若者たちの姿を見ながら、年配者のなかには、パリ五月事件(1968)や佐世保エンタープライズ事件を想起した人も少なくないだろう。『心優しき叛逆者たち』の冒頭には、エンタープライズ闘争で機動隊員から頭部を殴打されて以来、周期的に訪れる頭痛に苦しむ若者が登場するが、香港では、警棒どころか、ゴム弾で複数の若者が失明と伝えられる。中国建国70周年記念式典が天安門広場で開催された10月1日には、警察の実弾発射による負傷者まで出てしまった。

私が強い印象を受けたのは、大通りを逃げる若者たちの後を、やや遅れて追う警察隊の前に、老人たちが手を取り合って横並びに立ち、阻む意志を示したことである。もちろん、実力で阻もうとするわけではない。警察隊が目の前まで迫った瞬間に、繋いだ手は離すのである。実際に「役に立つ」行為ではない。だがそれは、世代を超えた若者への連帯の意志を、世界中に示すことである。彼らもまた、心優しき叛逆者たちなのだ。

練若四郎も李陣春子も、虚構の人物であるがゆえに、その姿は時代を越えて生きている。左門長兵衛の最後の姿は、自分を袖にした女子学生のアパートに窃盗目的で侵入しようとして住民に通報され、白バイのサイレンが近づいてくるというものである。だが、そんな彼が書く詩でさえも、解放のスローガンとして人々を鼓舞するかもしれないのだ。作者は「700ページの中にたった1頁しか登場しない焼鳥屋の主人でも、電車の中でとりとめのない会話をかわすあんちゃん達でも、添え物としては絶対に書かない。〔中略〕つまり主人公を書く時と同質の筆で断片的人物を書くということですね」と語っている。実際その通りに描かれており、おびただしい人物が登場するこの小説は、実は日本社会の一隅に生きる我々ひとりひとりの物語なのである。

東京、沖縄、香港、あるいはパレスチナに、現在も心優しき叛逆者たちはいる。若い男女と、白髪の老人の姿をして。

かみや・みつのぶ

1960年生まれ。日本近代文学専攻。博士(学術)。著書に『評伝鷲巣繁男』(小沢書店)、『須賀敦子と9人のレリギオ』(日外アソシエーツ)、『ポストコロニアル的視座より見た遠藤周作文学の研究』(関西学院大学出版会)など。

  

第21号 記事一覧

  

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