論壇

県民から遊離した愛媛国体

国体は誰のために、改革の道は遠し

松山大学教授 市川 虎彦

1 国体の問題点

上京した際、大学時代の友人と、彼が行きつけの飲食店に行ったとき、東京国体はどんな様子だったのか尋ねてみた。すると、その場に居合わせた店の人、客すべてが、「東京で国体なんて、いつあったんだ」という反応であった。東京国体は2013年開催で、比較的近年のことである。とはいっても、毎年のように各種競技の最高水準の国際大会の試合が行われたり、様々なプロスポーツが日夜開催されている東京にあって、国体は人々の興味関心をまったく惹かない存在であったのだろう。

しかし、この事情は東京に限らないといえよう。国民体育大会と銘打っていても、開催県の人々を除けば、それがどこでどのように行われているのか知らない国民が大半ではないだろうか。全国紙をみても、国体の記事などほとんどなきに等しい。正式競技ではない高校野球(特別競技)の結果が、もうしわけ程度に載るぐらいである。

だが、これが地方の開催県のマスコミとなると、まったく異なる様相をみせる。今年の国体は愛媛県で開催された。開会前から愛媛の地方紙、テレビ・ラジオのローカル局は、国体関連報道に血道をあげた。競技は今年の9月30日から11日間行われた。同時期、9月28日に衆議院が解散され、10月10日の衆院選告示に向けて政界が激動する最中、国体が開幕すると地元紙(地方紙)の『愛媛新聞』は連日一面トップで「愛媛県選手団の活躍」を報道していた。それが地元紙(地方紙)だと言ってしまえば、それまでなのだが。

この国体に関しては、すでに何十年も前から、その問題点が指摘され続けてきた。いくつかあげてみよう。第一に、各県持ち回り開催という方式によって、開催県に重い財政負担が生じること。例えば今回の愛媛国体では、既存プールの深さが日本体育協会の求める規格に数十(10)センチか足りないということで、8億5千万円かけて仮設プールを設置していた。国体翼賛会と化した県内マスコミは、恒久施設を建設するよりも費用が削減できたと、仮設プールを好意的に評価していたので、あいた口がふさがらなかった。開催地がある程度固定化されていたり、広域開催にしていれば、このような無駄な費用はそもそも発生しない。愛媛県のマスコミに、国体の在り方そのものを問おうという視点は皆無である。

第二に、無意味な都道府県対抗式の天皇杯(男女総合優勝)争いにも、以前から廃止を主張する声があった。ふつうに競技を行えば、人口が多く、競技施設が整備され、一線級の指導者が集結している東京都が、毎年天皇杯を獲得して当然であろう。しかし、よく知られているように1964年の新潟国体で開催県が天皇杯を獲得して以降、開催県の天皇杯獲得が至上命題のようになり、特別な例外を除いて実際に開催県が天皇杯を得てきた。開催を予定している県は、県外から有力選手を移入して強化を図った。そのため開催県を渡り歩く、いわゆる「ジプシー選手」が生まれた。

また大会中は露骨な地元贔屓判定があるとも聞いた。愛媛国体では、剣道成年男女、少年男女を愛媛県が制した。なぜこのようなことが可能だったのか、と体育関係者に聞いたところ、陸上競技や競泳と違って勝負に明確な基準がない剣道は、毎年、開催県が優勝しているのだという。ボクシング成年で愛媛県代表は2階級で優勝したけれども、あるボクシング関係者は「立っていれば勝ちだから」と言っていた。つまり、KOされずに判定に持ち込めれば勝てるという意味である。こういうことが関係者の口から出るということは、国体とはそういうものだという意識が浸透しているということなのであろう。

第三に、各種の競技の頂点に立つような選手が必ずしも出場するわけではないということ。国体が国民の関心を呼ばず、マスコミが国体にニュースとしての価値を認めない最大の理由は、これであろう。一流選手は、国際大会や各競技別に行われる日本選手権での好成績を狙う。最高水準の選手が参加しない国体というのは、いったいなんのためにやっているのであろうか。大金かけて開催するわりには、存在価値が希薄なのである。

こうした国体に、かつては廃止論や改革論も出されていた。しかし、今ではあまりにも国民が国体への関心を失ってしまったがゆえに、そうした議論すら聞かれない。安倍首相にしろ、稲田前防衛相にしろ、批判論が噴出するのは国民の注目度が高いことの裏返しでもある。国体は批判の対象にもならなくなっている。

2 四国の国体

1988年の京都国体から、国体開催は2巡目に入った。実は、この2巡目に入ってから四国で行われた国体は、国体の新しい姿を提示するものであった。一つは、1993年に行われた東四国国体である。これは、国体創設まもない頃の第7回東北三県国体、次の第8回四国国体で絶えていた共同開催を行ったものである。共催ゆえのもめごともあったという。最終的には、開会式を徳島県に、天皇杯は香川県に、ということで決着が図られたという話である。人口減少時代に入り、財政負担を軽減する意味でも、国体を継続するならば小規模県はこのような共催という方策を講じなければならなくなるだろう。そのモデルを示したと言える。

そして、より意義深かったのは2002年の高知国体である。当時の橋本大二郎知事の下、あえて天皇杯獲得を目標にせず、身の丈にあった簡素で効率的な国体が目指された。橋本知事は、県外から有力選手を獲得するのに使う費用を「無駄金」と切って捨て、あえてそのようなことを行わなかった。このため、高知国体は開催県が天皇杯を獲得しなかった「例外」の年となった。そのことによって国体のあるべき姿の一つを示したと言える。だが、これに続く県は現れなかった。翌年の静岡国体では元に戻ってしまった。

このように四国は、広域開催、開催費用削減といった新しい国体の方向性を示してみせたのである。唯一愛媛県のみ、批判されつくしてきた従来型の国体を、唯々諾々と開催したのである。2002年の国体では、東四国国体に続き、高知県と共同開催で西四国国体という案も浮上していた。これを蹴ったのは、愛媛県である。県は単独開催にこだわり、さらに天皇杯獲得にもこだわり、県外から有力選手を移入するためのスポーツ専門員制度を今回の国体のために導入した。

それでは、四国4県の競技力はどの程度のものなのだろう。まず、4県の人口規模を都道府県別順位でみると、愛媛県28位、香川県39位、徳島県44位、高知県45位である。仮に運動能力に長けた人たちが日本中に同じ比率で出現するのならば、天皇杯順位もほぼ人口規模の順位に近いところに落ち着くであろう。国体開催にあわせた選手強化の効果がかなり薄れると思われる高知国体から4年後の2006年から、愛媛県が地元開催を控えて本格的に選手強化に乗り出す前の2012年までの7年間の天皇杯順位をみると、徳島県・高知県はすべて40位台で、しかも最下位争いの常連である。高知県は7年間で4回、徳島県は2回、最下位となっている。これは人口規模からして仕方ないことである。香川県はこの間、10位台から20位台を維持している。逆に愛媛県は25位が1回あっただけで、他は30位台に沈み、一度は42位にまで落ち込んだことがある。人口規模以上の好成績を収めていたのが香川県で、それ以下の成績しか挙げられなかったのが愛媛県なのである。

このような愛媛県が天皇杯をむりやり獲りにいこうとしたならば、様々な手立てを講じねばならない。前述のスポーツ専門員を含め、県内企業や団体、自治体が受け入れた有力選手は260人以上にのぼるとされている。『愛媛新聞』は「地元のジュニア選手にとって専門員は、一流の技や競技姿勢などを直接学べる貴重な存在だったのも事実だ」(2017年10月13日付)と、あくまで県の施策を擁護してみせている。

3 国体離れの愛媛県民

さて、それでは愛媛県民は実際のところ、国体をどう受け止めていたのであろうか。私は、今年(2017年)9月21日から10月2日までの期間で、宇和島市において郵送による市民意識調査を行った。選挙人名簿から無作為抽出した1450名に対して調査票を発送し、639名からの回答を得た(回収率44.1%)。この調査票の中に国体に関する質問項目を含めていた。宇和島市は、愛媛県の南西部に位置する都市である。城下町起源の都市で、愛媛県西部一帯の、商業・サービス業の中心である。また主たる産業としては養殖水産業がある。しかし、人口は77606人(2017年9月30日現在)で、人口減少傾向が著しい。愛媛国体では、サッカー女子、卓球、レスリング、軟式高校野球の会場となった。

調査期間は、国体の開催直前から開幕直後までの時期にあたっており、いわば県民の国体への関心が最も高まっていた時期だといっていい。にもかかわらず、「あなたは、愛媛県で開催される国民体育大会に関心がありますか」という質問に対し、「ある」と回答した人は21.8%にすぎず、「どちらかといえばある」まで含めても約6割にとどまった(表1参照)。

表1 国体への関心

 度数(人)
ある13921.8
どちらかといえばある23036.0
どちらかといえばない15924.9
ない7712.1
無回答345.3
合計639100.0

表2 県外からの選手集めと天皇杯獲得

 度数(人)
思う274.2
やや思う8212.8
あまり思わない24838.8
思わない27743.3
無回答50.8
合計639100.0

小規模都市で、選手や競技関係者と市民との距離が比較的近かった宇和島市でこの数値なので、都市化が進んでいる松山市などではもっと無関心な人の比率が高いことが、容易に予想できる。県内マスコミは馬鹿騒ぎを繰り広げていたけれども、県民はそれよりもずっと冷めていたように感じる。

また年代別にみると、国体に関心が「ある」「どちらかといえばある」と回答した人をあわせると、70代が72.3%、60代が62.8%であったのに対し、他の年代は50%台にとどまった。スポーツに縁遠いように感じられる高齢層の方が、むしろ関心を持っている人が多いという結果であった。これは、競技自体への関心というよりも、地元ではめったにない大きな行事ごとということでの関心だと考えられる。

図表は省略するけれども、「あなたは、愛媛県や県内各市町は国民体育大会に予算を費やすよりも、他にお金をかけるべきことがあったと思いますか」という質問に対しては、「どちらともいえない」が半数の49.8%を占めた。「国体につかってよかった」は23.2%、「他にかけるべきことがあった」が26.6%で、賛否はほぼ同じであった。しかし、前述の仮設プール8億5千万円などということが広く知られれば、また違った数字になったと思われる。

天皇杯については、「あなたは、開催県が天皇杯を獲得することが当然になっている国民体育大会のあり方についてどう思いますか」という質問を行った。「よいと思う」7.8%、「どちらかといえばよいと思う」13.6%で、是認する人はあわせて2割強であった。「どちらともいえない」は35.5%で、「よいとは思わない」24.3%、「どちらかといえばよいとは思わない」17.7%と、開催県の天皇杯獲得に否定的な人は開催地でも4割を超えた。 

さらに、「あなたは、県外から強化選手を呼び集めてまで、愛媛県に天皇杯を獲得してほしいと思いますか」という質問には、「思う」はわずか4.2%にすぎず、「やや思う」が12.8%だった。それに対して「思わない」43.3%、「あまり思わない」38.8%と、全体の約8割が  県外から有力選手を移入してまで天皇杯を獲る必要はないと回答している(表2参照)。今や、天皇杯などという代物を欲しがっているのは、県知事と競技団体関係者ぐらいに限られるということを如実に示す数字である。天皇杯獲得競争は、もはや県民の希望から遊離したものになっているといえる。 

愛媛県の中村時広知事は、こうした県民の民意を酌まず、また高知県の橋本知事のような見識を示すこともなく、天皇杯獲得の音頭をとって「無駄金」を費やしたのである。県知事にとっては、なにか露出する機会が増え、その上に天皇杯を獲得すれば、県民に強く訴える良い機会になるのであろうが。「国体開催は地元の政治家にとっては、彼らの政治生命を保証してくれるまたとない行事であった」(権学俊『国民体育大会の研究』P.215)との専門家の指摘もある。

4 天皇来県と過剰警備

愛媛国体で最も盛り上がったのは、競技とはまったく関係のない天皇の来県だったように感じる。天皇を見に行った、天皇を見たという話をよく聞いた。あれほど天皇に人気があるとは思いもよらなかった。その人たちによると、天皇をみるにあたっては細かい指示がなされるのだそうだ。日の丸の小旗は胸の前で振るようにだとか、カメラは肩より上に手をあげて撮影してはならないとか。

そして、天皇の移動にはあれほどまでの警備がなされるとは、これまでついぞ知らなかった。天皇の通過する道路沿いの建物に部屋を借りていた人の話では、事前に警察官がやってきて、天皇通過時には2階から天皇を見てはいけないとの通達がなされたそうだ。テロ対策上の配慮とはいえ、天皇を迎える側というのは神経を使うものである。天皇の滞在時には、全国各地から警備のために応援の警察官が投入され、松山市中心部は警官であふれかえっていた。あの費用も、国民の税金から支出されているのかと思うと、あまりにも馬鹿馬鹿しい。交通規制も、私にとっては迷惑な話であった。

5 事の次第

新潟国体から昨年の岩手国体まで、例外的に天皇杯を獲得できなかった県は、高知県と昨年の岩手県のみである。高知県はすでに述べた事情であえて獲ろうとせず、岩手県は震災復興もままならぬ中で国体に無駄金を使っている場合ではないという県民の意識があり、8位以内というのを目標に置いていたと聞いている。そして今年の愛媛県は、天皇杯得点で2位に終わって3例目となったのであった。そしてこれは、天皇杯を獲得しようとして獲得できなかった最初の事例となったのである。他の四国で行われた国体と並んで、愛媛国体は期せずして歴史に残る国体となったのであった。

前述のように、県民は天皇杯獲得になんのこだわりもないので、愛媛県が天皇杯を獲れなかったことに対する批判の声は聞かない。一方、伝え聞くところによると来年の開催地である福井県は愛媛県を他山の石とし、ジプシー選手獲得にさらに力を入れ始めたため、そうした選手たちの相場が上がっているのだという。国体改革の道は遠し、である。

いちかわ・とらひこ

1962年信州生まれ。一橋大学大学院社会学研究科を経て松山大学へ。現在人文学部教授。地域社会学、政治社会学専攻。主要著書に『保守優位県の都市政治』(晃洋書房)など。

論壇

ページの
トップへ