コラム/ソウル発―2017年5月1日
火の海になる街?ソウルいたって平穏
煽る日本、在韓米国人に警告や避難の動きなし
ジャーナリスト 西村 秀樹
ソウルへ
薫風という時候の言葉そのままに、ツツジの綺麗な韓国に気のおけない友人二人とともに、大統領選を実際に見ようと4月下旬にソウルにやって来た。旅行前、こんなことがあった。いつもはオヤジの動向に至って無関心なわが息子がわたしに、なにげを装って質問する。
「ソウルに行って大丈夫なの?」
もちろん、理性で判断することをやめると事実上宣言したトランプが世界の超大国の大統領になって以来、世界が不安定になった。そのことを背景に、かのアメリカが北朝鮮に先制攻撃をするのではないか、てなことになれば、オヤジがお気楽に遊びに行くソウルは火の海になるやもしれぬ、と息子なりに心配してくれていることは、ありがたい。でもオヤジの権威のため、さりげに「いや大丈夫」と答えて日ごろから会話のない親子のコミュニケーションは途絶えた。
北朝鮮訪問6回というヘンな元放送記者であるわたしは、あの国のシステムを翼賛する気はさらさらないものの、かの北朝鮮がなにを世界に求めているかは、よーく理解する。
一言で言えば、小学生の意地悪。好きな女の子に振り向いて欲しいので、わざと意地悪をするのだ。心の叫びは「ルック アット ミー」。好きな女の子に振り向いて欲しいだけなのだ。目指すのは、アメリカとの国交であり、朝鮮戦争の休戦協定から講和条約の締結だというのは朝鮮の専門家の間では常識。むしろ、アメリカファーストの国家が目指すのは、産軍共同体にとっての利益であり、北朝鮮が暴発しない範囲で「ならず者」であり続けることが利益なのだ。だから、アメリカは北朝鮮を攻撃しない。
ここで近現代史を振り返る。
朝鮮は大日本帝国によって植民地にされた(1910年韓国併合)。アジア太平洋戦争の末期、連合軍(=連合国)はポツダムで首脳会談を開き、1945年7月26日に無条件降伏を日本政府に通告した。が、絶対主義的天皇制の下、大日本帝国政府の高級官僚や軍人、政治家たちの関心は「国体護持」=天皇制の維持であり、すぐにはポツダム宣言を受け入れなかった。
沖縄の放送局=琉球朝日放送が、この事実を鋭く追究した番組のタイトルは「遅すぎた聖断」。この番組は、1945年8月14日よりもっと早い時期に日本政府がポツダム宣言を受け入れていれば、広島や長崎へのアメリカの原爆投下はなかったと、歴史的事実をハッキリ伝えた。
そして、大事なことは、植民地である朝鮮半島が南北に分断されたが、もっと早く天皇制の日本政府がポツダム宣言を受け入れていれば、朝鮮半島の分断はなかったと。
ちょっとだけくわしく朝鮮半島の南北分断の歴史をたどれば、1945年7月26日のポツダム宣言通告後、ソ連が日ソ中立宣言を破棄し、ソ連赤軍が満蒙国境を越え朝鮮総督府の支配下にある朝鮮半島を南下したのが8月9日。そうした行動を目にしたワシントンのアメリカ合衆国が、ソ連邦に北緯38度線による朝鮮半島の南北分断を提案したのが翌8月10日なのだ。
なにが言いたかというと、朝鮮半島の分断の直接の責任は米ソ超大国である。そして、日本も大きな責任を背負っている歴史的な事実だ。
ミサイル発射後のリアクション
いつもは日本からの観光客で賑わうはずのゴールデンウィークのソウル。今年はなにやらちょっと趣が異なる。日本人観光客の姿が至って少ない。
景福宮(キョンボックウ、李氏朝鮮時代の王宮)に、明成皇后(=かつて閔妃と呼ばれた皇后)が日本人によって殺された場所を見に行っても、いつも数多くすれ違う日本人観光客が見えない。
お昼ご飯を食べに行った明洞(ミョンドン、ソウルの繁華街)で「親からソウル行きは心配と注意されたけど、旅行を取りやめたらキャンセル料を取られるから予定通り来ました」と元気よく答える長野からの女性会社員や、同じく福岡からの女性二人組みと会話を交わした。 そのソウルで、大統領選でムンジェイン候補の街頭演説を聴いた。お祭り騒ぎという言葉がぴったり。成熟した民主主義を感じた。 わたしたち三人が計画した、南北朝鮮分断のシンボル板門店訪問に対し、旅行社が5月中旬までの中止を発表した以外、ソウルに緊張感はまったく感じられない。中国が、韓国国内へのアメリカ軍のTHAAD(サード。終末高高度防衛ミサイルと翻訳されているらしい)配備に抗議して、中国国民の韓国旅行自粛を呼び掛けた結果、いつもは中国語が飛び交う明洞や東大門市場は賑やかだが歩きやすい。 ソウル滞在中、何よりびっくりしたのが、4月29日北朝鮮によるミサイル発射後の日本国内のリアクションであった。インターネット大国である韓国のホテルは無線ランが充実、そのおかげで毎朝、日本国内同様にネットニュースを確認している。29日早朝、北朝鮮がミサイルを発射したあと、東京メトロ(首都圏の地下鉄)と北陸新幹線が10分間ほど列車の運行を停止したとのニュースであった。韓国メディアも日本の過剰反応だとの記事を掲載した。
ソウルには、戦争前夜の雰囲気などなにも感じられない。むしろ、大統領選のポイントは、南北朝鮮にどう向き合うかであり、故金大中大統領による「太陽政策」の継続の有無だ。
本当に南北朝鮮が戦争状態に突入するのであれば、在韓米軍の家族に真っ先に退避命令が出ると考える(在韓米国人20万人、日本人は6万人)。これが一番のメルクマールではないのか。しかし、そうした報道に接したことはなく、ソウルの街中に欧米人はいつもどおり、街中を大きなコーヒーの入れ物を手に闊歩している。その表情に緊張感は見られない。
4月29日夕方、同志社大学での教え子の梨花女子大生と夕食を一緒にしたが、彼女も毎朝ネットニュースをチェックしているが、「北朝鮮のミサイル発射なんか、先生のお知らせで初めて知りました」と涼しげな表情であった。
結局のところ、東京メトロやJR西日本がミサイル発射直後、10分ほど列車の運行をストップした事態をどう考えたらいいのだとろうか。40年間、大阪の放送記者を勤めた身から推測するのは、安倍政権が北朝鮮のミサイル発射を口実に、日本国内の緊張感を高めたいという願望ではないのか。
ではなんでそうした緊張感を高めたいのか。それは昨年強行した「戦争法案」による日米の軍事一体化はじめ戦争できる国へ。北の脅威を煽り、防衛力の増強、憲法改正、核武装まで画策しているのかと思う。日本人の哀しき国民性から転がったら早いと危惧する。いま国会で審議中の「共謀罪」法案成立を目標にして、北朝鮮の脅威やテロ対策を口実にしているのではないかとすら思った。
ソウルにいて感性が鈍っているのか。あるいはソウル市民の平静さが間違いなのか。
追記;この原稿は、ソウルの学生街・新村(シンチョン)で、大統領選挙のムンジェイン候補の街頭演説を2万5千人(主催者発表)の聴衆といっしょに見聞きした直後の5月1日未明に執筆した。そしたら帰国後の5月1日(アメリカ時間)、トランプ米大統領が北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長に対し「適切なものであれば、当然、会談をすることを栄光に思う」と対話に言及した。かつて朝鮮戦争で戦った米朝は、ソウル市民を人質に二度と戦争はできない、最終的には外交努力しか道はないことを改めて示したと、感じた。やっぱり日本国内で安倍政権の言動はそうとうにおかしいことを、他ならぬ、トランプ大統領の言説が明らかにしたと、わたしは強く感じた。
(この4月中~下旬は、今にも米軍による北への軍事攻撃、北によるソウルや日本への反撃など、戦争前夜のような報道が日本の新聞やテレビで躍った。当事者の韓国ではどうか。本号の連載「抗う人」の執筆を終え、ソウルに滞在しているジャーナリストの西村秀樹さんに、急ぎソウルの街からの一報をお願いした―編集部)。
にしむら・ひでき
1975年慶應義塾大学経済学部卒業後、毎日放送入社。主にニュース番組、ドキュメンタリー番組制作を担当、北朝鮮を6回訪問するなど南北朝鮮を取材。主な著書に『北朝鮮抑留〜第十八富士山丸事件の真実』(岩波現代文庫)、『大阪で闘った朝鮮戦争』(岩波書店)ほか。現在、近畿大学人権問題研究所客員教授、同志社大学・立命館大学非常勤講師。日本ペンクラブ理事・平和委員会副委員長。
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