特集●資本主義のゆくえ
「高齢者の人権宣言」運動の提案
シルバー・パワーの可能性を考える(その3)
大阪市立大学創造都市研究科教員 水野 博達
はじめに
2014年の介護保険法改定によって介護事業者と介護労働者、市民団体、利用者や高齢者・市民など多方面の人々の中に今後の介護事業と高齢社会の未来に対する不安が高まっている。
こうした中で、大阪では、二つの動きが生まれている。いずれ各地方でも、さらには全国的にも大きな共同の運動に発展すると予測されるので、この点から報告をする。
その<一つの動き>は、10月1日、国際高齢者デイに大阪市立社会福祉センターにおいて「10・1 新しい共同・協働の活動のキック・オフを」と題した集会が40名ほどの参加でもたれた。介護事業者、ボランティア団体、労組・介護労働者、市民団体などの中心的メンバーのあつまりであった。
「国際高齢者デイ」は、1990年の国連総会の議論の中で、日本の提案によって定められた日である。しかし、最近は、すっかり忘れ去られている。この日を選んで「10・1 新しい共同・協働の活動のキック・オフを」と題した集会が準備された意味は、後に触れることにする。
さて、10・1集会は、今年2月、4月、6月に、毎回100名を超える参加で開催された3回の介護問題連続シンポジウム(大阪市立大学創造都市研究科都市共生社会分野主催、市民団体・NPO等共催の実行員会)が開かれたが、そこでの討論と、その後の夏季の1泊総括討論の結果にもとづいて急遽準備された。
2014年の介護保険法改定により、2017年4月からは、全ての地方自治体で、要支援など要介護度の低い人のサービスは全国一律の介護保険サービスから地方自治体による新「介護予防・日常生活支援総合事業」に移されるからである。介護保険制度が大きな曲がり角を迎えており、この新「総合事業」への地方自治体への移行は、今後、要支援1や2と判定された高齢者へのサービスを介護保険から切り離す「発射台」になろうとしているからである。こうした危機的現状を座視せず、介護事業者、労組・介護労働者、市民団体、高齢者・市民、研究者は、何とかするために集まろう、介護の社会化とよりよい高齢社会を目指す願いや要求を実現していく新しい共同・協働の活動を作り上げようと呼びかける集会であった。
この集会で提案された「新しい共同」の運動の柱は、2つ。その1は、各市町村へ介護保険法改定による新「総合事業」に係る質問と要望、及び厚労省や厚労省の審議会へ意見・要望書の提出を当面の重点とするもの。介護保険者である各地方自治体の取り組みを問い、「介護の社会化」を後退させない活動である【注―1】。また、何としても要支援1や2の高齢者へのサービスを介護保険から切り離しをさせないように国に要求することである。
2つ目は、「高齢者の人権宣言」運動の提起である。高齢者が自らを社会福祉の受動的な受け手から権利の主体として考え、行動する高齢当事者の運動・組織の創設準備についての提案であった。(1の活動を先に進め、2つ目は後から進める)。
1つ目の「各市町村への質問と要望」の取り組みは、11月初旬~中旬に各自治体へ「質問・要望書」を提出。11月末~12月初旬に市町村からの回答をもとに、担当部署との面談・話し合い・交渉を求めるという当面の活動のスケジュールなどが確認された。また、「高齢社会のための共同」(仮称)の組織の結成は、年末、年始の継続した活動と来年7月に新事業及び介護保険に対する市民・高齢者、事業者からの苦情・相談を受け付ける「ホットライン」(電話相談)の開設準備活動などを積み上げながら、ゆっくり共同で検討していくことになった。
<二つ目の動き>は、11月25日にエルおおさか南館で「介護の切り捨てアカン!本気の大集会!」と銘打って開かれる大衆的な集会の準備である。主催者は「介護・福祉総がかり行動(準)」で、呼びかけは、みなと合同ケアセンターや労組で構成される「安心できる介護を!懇談会」や「大阪社会保障推進協議会」などである。
集会には、認知症の人と家族の会 副代表理事の田部井康夫さんを招く。「過酷な処遇と人手不足の悪循環は止まらず介護職は『つぶれる』か辞めるしかない現実。もう黙ってはいられない ! 利用者も家族も介護関係者も、総がかりでこの動きを止め、安心できる介護を実現していきましょう」と利用者も家族も介護関係者も全員集合を呼びかけている。この集会決議(共同声明)をもとに大阪市などに申し入れを行うことを予定している
1、新しい闘いのうねりが始まった
こうした大阪で出現した二つの動きは、2014年の介護保険法の改定が、引き起こした民衆の運動の新しいうねりの始まりを示唆している。
2014年の法改定は、国による意図的解体か、制度それ自体が孕んでいた自壊作用の必然なのかは別にしても、介護の社会化を目指した介護保険制度が崩壊していく起点となりかねない。こうした危機迫る介護問題は、高齢者(利用者)とその家族、介護事業者、介護労働者の3者が共に政府や自治体のやり方に怒りを感じ、共に闘いに立ち上がる条件を用意してしまったのである。
介護保険実施から16年の経過の中で、高齢者(利用者)とその家族、介護事業者、介護労働者の3者は、それぞれ利害の対立する関係に置かれ、それぞれの関心事が相違していたなどの状況があり、共同の意思形成や課題に対する共同の取り組みはできてこなかった。
概観すれば、以下の様な状態であった。
・介護関連事業者は、サービス利用者をどう獲得するかという点とサービス単価と介護報酬に関心が集中していた。介護人材不足と外国人介護者導入に関する要求も必ずしも利用者や介護労働者の利害を考えて政策提言をしてきた訳ではない。経営をいかに成り立てるかに関心が向いたのである。
・専門学校などの介護人材養成機関は、若者の介護離れの進展の中で、介護福祉士の資格制度などについての議論以上に経営的な立場を優先し、生き残りに汲々としてきたとも言える。
・介護保険サービスの利用者(高齢者・利用者家族)は、介護保険料と介護サービス利用料やサービス内容に関心が集中しており、介護現場で働く労働者の権利や状態に関心が向けられていた訳ではない。また、自治体などへの意見具申を積極的にしてきたのは少数の人々であった。
・介護保険者である地方自治体は、地方自治の試金石としての介護保険と言われてきたにもかかわらず制度改定のテンポの速さや制度の煩雑化・複雑化に対応するのに精一杯で、保険者としての権能、あるいは高齢者福祉施策の責務を住民とともに果たしてきた訳ではない。
・認知症家族の会の要介護認定システムへの批判と認定システムの廃止要求なども、介護関連事業者や利用者(高齢者・利用者家族)や地方自治体、さらには社会福祉研究者においてもほとんど重視されて来なかった。
このように、市場化された介護サービスの制度的環境の中で、介護保険制度のステークホールダーのそれぞれは、それぞれの立場に分断され、介護保険制度そのものに対する共通の意見・要求の形成はできてこなかったのである。
ところが、介護保険制度の崩壊への転換点というべき危機的な事態の進行によって、3者の共同の活動・取り組みの可能性と条件が開かれたのである。現在は、まだ先端部の共同の活動であるが、いずれ国民的運動への広がりが始まるであろう。希望と展望は大いにある。
しかし、大阪で産み出されようしている新しい可能性についても幾つかの留保条件を付けて考えて置くことが今後の運動の展開にとって大切であると筆者は考える。
その一つの側面は、大阪で現れてきたこうした共同の関係について地域的な特性・条件を見ておくことである。従来の政治党派や労組の系列などによる民衆運動が分断されて来た政治的枠組みを超えていく共同の活動が、今、大阪ではかなり自然に生まれてきている。
それは、おそらく大阪都構想を問う大阪市の住民投票において、従来の政治的な枠組みを超えて政党も労組も市民団体も「反対」の一点で共同・協働の闘いを折り重なるように取り組んだ。そのことによって勝利した成功体験が政治風土として生き残っているからであろう。つまり、2014年の介護保険法の改定が、高齢者(利用者)とその家族、介護事業者、介護労働者の3者の共同の闘いを生み出す政治的・社会的な条件となっているとしても、それを実際の共同の運動に繋いでいくための各地方それぞれの工夫や努力が必要である点を忘れてはならないということである。
もう一つの側面は、大阪を含めたどの地方の運動形成にとっても必要な自己認識である。
闘いに立ち上がり、立ち上がろうとしている介護事業者は、小規模の地域密着・住民参加型の事業者が中心であり、大きな事業を展開する社会福祉法人や民間の営利事業者には運動は未だ波及できていない。40歳から64歳の2号保険者である現役稼働世代の大きな塊を組織している労働組合には、手が届いていない。また、退職高齢者の組織である退職者組合や退職者会に期待を寄せたいが、内部での議論もこれからであると言える。社会福祉士会、介護福祉士会、さらにはケアマネ協会などの職能団体は、これまで厚労省の施策に抵抗したり異論を呈したりする経験を持ってはいない。
こうした介護保険制度に関わるステークホールダーの構造的な状況を冷静に見れば、今回の改定で収益増を見込めると考えたり、「出番が回って来た」と考えたり、あるいは、制度の変更に無関心な事業者や団体のリーダーなども多く存在する。このことを軽視すべきではない。始まった共同の取り組みは、まだ先端部の共同の活動であるという自己認識と自覚をもつことである。
2、「うねり」を発展させるために振り返りを
筆者は、前回の「シルバー・パワーの可能性を考える(その2)」で、以下のように述べた。
「この15年間、高齢者を権利の主体ではなく『受益者・消費者』としての個人に分解して管理するシスムであった介護保険制度が揺らぎ始めた。それは、冒頭に述べた団塊の世代が65歳以上の高齢者となったこともあり、高齢者が生きる権利の主体として自らをとりかえす大きな条件の一つとなる。(中略)とりわけ高齢者の介護を受ける社会的条件が制限され、狭き門となっている。とするなら、この現状を共同の場で、集団的に考え、話し合うことを始めなければならないであろう。それは、高齢者を管理するシステムとして機能した介護保険を相対化し、その枠組みから一歩脱した立場を高齢者と人々が獲得する回路の発見・開発から始めることになる」と。
ここでは、その「高齢者を管理するシステムとして機能した介護保険を相対化し、その枠組みから一歩脱した立場を高齢者と人々が獲得する回路の発見・開発」について考えて見る。
「はじめに」で述べた今回の大阪の二つの動向は、共に、各市町村に問題の新「総合事業」を問う活動を展開しようとしている。それは、「上(=国)を向いて歩いてきた市町村が、責任をもって事業に当たらねばならい。否応なく、地域と住民に向き合わねばならない。この時、高齢者と家族が、住民が、介護労働者や事業者が、目を光らせて事態の推移を監視し、住民の要求・政策を持って対峙すれば、いい加減な審議会の審議は通用しない。」新「総合事業」の在り方は「高齢者の在宅生活、地域での暮らし向きを制限し、さらには、介護労働市場に大きな影響を与える結果、保険制度全体を大きく揺さぶることになる」のである。介護保険者である地方自治体を高齢者が、家族・住民が、介護事業者と介護労働者が揺さぶり、ここから抵抗と反撃の展望を開いていくことになるであろう。
こうした地方自治体に対する取り組みは、おそらく全国各地で展開されていくであろう。しかし、介護保険制度制定に係る運動と政府の彼我の関係を改めて振り返っておくことが必要と思われる。
一般的に言って、こうした住民からの「制度・施策要求」の運動は、その要求する主体の継続的で発展的な形成がなされなければ、地方自治体や国のご都合主義的な<選択的な政策の取り込み>によって運動の継続と発展の条件を奪われる結果となるからである。
介護保険制度前後の問題を改めてふり返って見よう。
第1に、介護の社会化を求めた、介護保険制定運動の推進力は、介護の担い手の役割・位置を押しつけられて来た世代の女性であった。高齢当事者の要求ではなかった。この点は、これからの運動展開にとって最も大切な点であるので、後で考える。
第2は、政府の基本政策体系が、「官から民へ」の規制緩和路線であり、その根底には新自由主義的な市場主義と自己責任論があった。当時、こうした新自由主義の政策体系に対する批判は極めて弱く、介護の社会化が<介護サービスの市場化>の回路を通して設計され実施された。つまり、人々の要求は、政府の大きな政治路線の下に取り込まれて制度化されたのである。
第3は、これらの結果、「介護保険は地方自治の試金石」と言われながら、介護の社会化を求めて運動に参加した人びとの意思を置き去りにして国主導の制度運営・管理となり、制度の変更、また変更と制度の改定が繰り返し行われ、住民が主体的に意見を提出すのも困難な煩雑で複雑な制度へと変容していった。こうして、地域密着・住民参加型の介護改革運動を展開して来た団体・グループさえも介護事業の経営と運営に忙殺され、目指していた「安心・安全に暮らせる地域」実現の活動を展開する余力を奪われて来たのである。
1990年代から「国家の目標」は、もはや福祉国家ではなかった。今日の新自由主義的であり排外主義的でもある日本の政治状況を冷徹に見れば、介護を巡る新しい運動の継続的で発展的な展開を可能にする主体をどう作り上げていくか、この点がやはり重要であることは明らかであろう。
3、なぜ、「高齢者の人権宣言」運動なのか?
高齢者が生きる権利の主体として自らをとりかえすため、介護保険を相対化し、その枠組みから一歩脱した立場を高齢者自身が獲得できるためにはどうすべきか。
筆者は、「高齢者の人権宣言」運動を提起する。その理由と位置付けを先に「介護の社会化を求め、介護保険制定運動の推進力は、・・・高齢当事者の要求ではなかった」と述べた点から説明を始める。
介護保険による「介護の社会化」は、稼働世代(ことに女性)の「介護」の苦しみを緩和さたが、高齢者自身の要求から作られた訳ではない。
国・地方自治体(コミュニティー)は、『世代間の連帯』という美名のもとに作られた介護の保険制度によって、高齢者の生きる権利、死に至る老後生活の安寧を保障する責務を「免責」された。介護保険は、国・地方自治体の行政が果たすべき「介護責任を免責する装置」として機能したのである(*)。「装置」が、財政難や人材難などの要因で機能不全になると、再び、介護の責任は、各家庭・家族、そして地域(主に女たちへ)に回帰してきた。高齢者の生きる権利が、社会的にしっかりと根付いていない社会を放置しておいて、「保険制度」の枠組みだけで進んできた日本の高齢社会の結果である。
(*)詳しくは、本誌の「シルバー・パワーの可能性を考える(その1)」の「3、<介護責任の免責装置>としての介護保険」を参照されたい。
改めて高齢者が、尊厳を持って生きていける権利を明確に宣言し、その権利実現のための新たな闘いを始め、政策を明確にしていく道を切り開くこが求められる。
高齢者が生きて行く上での、あるいは、死に至る老後生活の安寧を確保する上での権利の基本的骨格とは何か?
現状では、まだ、漠然としている。各人、各階層によって、相違があるかも知れない。しかし、それらを超えて高齢者の譲ることのできない共通の権利を、明確な『宣言』にまとめ上げ、それを旗印に各地で活動を進めることは有効であろう。抑圧された人々が、一つになって闘いに立ち上がり、あるいは活動を支持するためには、眠り込んでいた権利意識を覚醒させ、権利の主体として、考え、発言し、行動することが必要である。
『高齢者の人権宣言』とは、そのような高齢者の動きを作りだす『檄文』である。だから、さまざまなグループで集まり、それぞれで論議し、それらを比較検討し、交流し、討議して一つのものに仕上げていく過程そのものが大切なのだ。それが「高齢者の人権宣言」運動の意味であり、意義である。
この討論の過程は、志を共にする介護労働者や介護事業者、社会福祉関係者などを排除しない。ただし、これまでの介護保険制度の下で、善意に満ちていたとはいえ事業・活動が、高齢者を権利の主体ではなく、福祉事業の対象であり、受益者・消費者として個人個人に切り分けて管理して来た結果について、自己点検を求めたい。高齢者自身が自らの権利の所在を『高齢者の人権宣言』としてまとめていく過程は、自らの位置を福祉事業の対象者、受益者・消費者として客体化されてきた歴史を跳ね返し、老齢者の社会的・政治的自立意識を生み出す活動であるからだ。
次に、この「高齢者の人権宣言」運動の国際的な位置をみることにする。
世界は、21世紀を迎え高齢化と高齢社会へと進んでおり、人類がこれまで経験したことのない様々な社会問題を引き起こしている。かつて高齢者は、その社会が積み上げて来た経験・技術・文化・知識を体得している存在として尊敬され、人々の生活の中で役割を持っていた。ところが、科学技術と産業の日進月歩によって高齢者の経験・知恵は陳腐化させられ、また、定年制などにもより高齢者は社会の脇に、家庭の隅に押し込まれてきた。こうして、高齢者の人権が改めて問われるようになった。
国連では、こうした点について検討がなされた。国際高齢者年の1990年の総会で、日本が提案して10月1日を「国際高齢者デイ」と定めた。1991年総会では「高齢者のための国連原則」(自立、参加、介護、自己実現、尊厳の5つの領域における高齢者の地位について普遍的な基準)が採択されるなど、国連で高齢者問題に対する多くの取り組みがなされてきた【注―2】。
筆者が提起している「高齢者の人権宣言」運動は、この国際的な高齢者の生きる権利に関する様々な検討・議論・宣言からも学び、今日の日本の高齢者の人権宣言運動を展開できたらと考える。その中核的な考えは、おそらく以下のことであろう。
科学技術などの進歩(高齢者の経験・知恵の陳腐化)と定年制などにより、高齢者は社会の脇に押し込まれている。しかし、高齢者は、お恵みを受ける福祉の一方的な受給者ではなく、生きる権利の主体者であるという主張。
高齢者に関係することを高齢者抜きで決めるな!という主張(例~勝手に、年金基金をカジノ金融市場で政府の政策意図実現のために浪費されているのを黙って見ていることはできない)
筆者たちが、10月1日にこだわって、「新しい共同・協働の活動へキック・オフを」と集会を呼びかけた意味は、日本の「高齢者の人権宣言」運動をはじめとする高齢社会の問題に対する新しい共同・協働の活動は、世界的な高齢化現象が生みだす矛盾や社会的課題に取り組む国際的な動向からも学び、それらと連帯した活動でありたいと望むからである。それは、ヨーロッパ、とりわけ北欧の社会福祉にキャッチ・アップすることを求めてきた従来の日本の社会福祉の政策・理論を超えて、アジア・アフリカ、全世界の民衆の苦悩を共有すること、すなわち、日本と全世界で虐げられ、無権利状態に追い込まれている高齢者の尊厳の再獲得への闘いと共同し、連帯できる活動へ成長することを願うからである。
4、「人権宣言」運動と「高齢者会議」(案)の立ち上げ
介護の社会化とよりよい高齢社会の実現のための運動の当面の焦点は、各市町村に問題の新「総合事業」を問う高齢者(利用者)とその家族、介護事業者、介護労働者の3者の共同の闘いであることは言うまでもない。
しかし、介護保険という「介護責任の免責装置」の機能不全が、再び、介護の責任を家庭・家族と地域(その中心は相変わらず女たち)に回帰させている今日の事態を直視するならば、高齢当事者である高齢者自身が生きる権利(自分らしく死ぬ権利)を社会的に明確に打ち出していくことが求められていると筆者は考える。
高齢者が自らの主張を主体的に表現・表明し、自由に議論できる「場」として、地域の仲間と、職場や仕事仲間で、退職者会や様々なグループで「高齢者会議」(名称案)を産みだしていきたい。「団塊の世代」が65歳以上となった今日、高齢者は、自らの権利を明確にし、高齢者の集会や運動を組織することに着手できるはずである。高齢者が3人寄れば、「○○高齢者会議」ができるはずなのだ。
やがて、自主的なこの活動と組織は、准公的な性格を持ったものへと発展する可能性をも考えて見たい。スエーデンなどの「高齢者会議」の機能・権限が示唆する政治的な可能性である。まさに「高齢者に関係することを高齢者抜きで決めるな!」という権原が、地方自治体や国政の運営にも波及する未来への展望である。
こうした将来展望からも「高齢者の人権宣言」運動は、じっくり準備・展開されるべきだと考える。当面、国際人権規約などの研究者や弁護士、福祉・介護の研究者などの協力を得て勉強会を行いながら、「宣言」の骨子と組織化の方法を検討する作業から始めたい。これらの勉強・検討会では、障碍者とりわけ精神障碍のある高齢者の権利、女性の高齢者の権利、シングルマザーや単身高齢者の権利、低所得の高齢者の権利、日本に居住する外国籍の高齢者の権利、あるいは病気の高齢者の権利などにも着目し、『一般的な高齢者』像による権利の宣言ではなく、高齢者相互の連帯をも生み出す人権宣言を模索できるように各層の協力と協働作業を進める必要があろう。
以上の「人権宣言」運動の提起にあたって、本誌前号の「シルバー・パワーの可能性を考える(その2)」で述べた一節を再録して、本稿を終えることにする。
「改めて考えれば、制度の危機的な転換点で、多くの人々は、黙って見過ごすことができない事態が押し寄せている。このことに警鐘を鳴らし、考え、行動する活動の中心になれる個人と組織はいたるところに潜在しているはずである。思い切って、少人数からでいい、勉強会、討論会、違った立場の人々・グループとのシンポジウムを開き、連帯と協働の輪を広げていくことは可能だ。
このような努力の中から、高齢者のサービス受給に矮小化されて個人の、家庭・家族の私的な問題として分断されて来た老後の問題や介護の問題を高齢者の生きる権利の再確立の課題として、社会化・政治化できる可能性があると言えるであろう。」
【注1】 各地方自治体への「要望書」(案)は以下のとおり
自治体への要望書(案)
2000年度発足の介護保険制度は「家族介護に依存」することなく、「介護の社会化」を基本として制度設計され、今日までさまざまな基盤整備が行われてきました。
しかし、「通所介護」「訪問介護」を「介護予防・日常生活支援総合事業」として自治体の事業へ移行させることは「制度の基本」を揺るがしつつあります。さらに政府は、財政審等が求める「給付の見直し」として介護保険の給付対象を「要介護3以上」とし、それ以下は市町村の地域支援事業に移行させるか、全額自己負担化を計画しました。社会保障審議会介護保険部会では年内にもこの点について方針を定めるため検討が急ピッチで進められています。
要介護2以下の認定者数は認定者全体の65%以上を占めており、見直し案は、要介護(要支援)認定者の約3分の2を介護保険の給付から排除することを意味しています。まさに「保険あって給付なし」の介護保険に陥ろうとしており、制度発足後16年目にして、介護保険は制度の根幹にかかわる事態が起こっています。
介護が必要になっても、自分の望む地域で家族に負担なく生活し続けることが出来る「地域包括ケアシステム」を確立することは急務です。そのために介護保険制度を充実させ、基盤整備の促進を行っていくことが重要であると考えます。
2017年度に全面移行となる「訪問介護」の生活援助サービスは、要支援者にとっても、要介護者にとっても重度化を防ぎ、自立生活を営む生命線である事は、「高齢社会をよくする女性の会・大阪」の2013年度アンケート調査、2015年度ヒアリング調査でも明らかです。
また、地域で支えるための住民組織やボランティア組織も高齢単身世帯や老々世帯の増加で事実上機能しない地域が増えています。住民主体の助け合い活動は新「総合事業」の肩代わりはできません。現在、地域に活動の担い手はおらず、地域のつながりはますます希薄化しています。
こした現状を踏まえ、貴自治体の2017年度の介護保険関連事業の実施にあたって下記のことを実現されるよう要請するものです。
なお、本要望書に対して( )月( )日までに、文書にてご回答お願いします。
記
1.新総合事業は、介護保険法の給付に準ずるサービスであることを確認の上、現在の要支援者に対する給付水準を絶対に維持すること、さらに、より充実した内容の設定により、利用者の日常生活維持を図ること。そのため、対象者の要介護認定調査をまず実施すること。 具体的には、保険者、地域包括支援センター、新総合事業に関わるすべての事業体が、対象者に要介護認定調査を受けるように案内すること。
2.新総合事業の策定・実施に当たっては、その進行状況・内容を市民、介護保険関係事業所、関連団体等に随時公開し、分かりやすく説明し、意見を聴取すること。とりわけ、現行利用者への説明は、必ず行うこと。
3.新総合事業は複雑多様なサービス体系となっている。そのため保険者、地域包括支援センター、新総合事業に関わるすべての事業者は、利用者の選択権を尊重して新総合事業の全体像とサービスの流れを繰り返し説明し理解を得たうえで一層適切なアセスメントの下、利用者が自己決定できることを保障すること。
4.利用者の状況の変化(改善、悪化)によって新総合事業と介護保険サービスの利用を行き来することが想定されるが、利用者や家族が混乱しないよう十分な説明を事業者が行えるよう支援すること。
5.「いつでも、どこでも、だれでも」気軽に相談できる窓口の充実を行うこと。「医療と介護・福祉の密接な連携」のための有効な方策を講じること。
6.国は「要介護1・2」のサービスについて、「地域支援事業への移行」あるいは「軽介護者の全額自己負担化」、「福祉用具貸与・住宅改修については自己負担(一部補助)」を検討している。しかし、要支援者の「地域支援事業(新総合事業)」への移行とその実施状況を点検・評価を行うことなく、先に進むことは暴挙である。貴自治体においては、その検証作業を実施するとともに、全国的な検証作業抜きに、「要介護1・2」の「地域支援事業(新総合事業)への移行」を行わないよう国に働き掛けること。また、国の財政優先による介護保険制度の改悪には同意できないと訴えること。
7.介護人材の育成・確保は、待った無しの状況にあり、貴自治体の責任ある取り組みを求める。介護事業に関わる職員の待遇改善や人材育成に対する自治体の施策を策定されたい。
また、地域の助け合い活動を担う自主的な人材の育成に対する年次計画と目標を設定し、継続的な取り組みを行うこと。
全国で小規模事業所の倒産があいついでいる。これへの対策も含めて、新総合事業の実施にあたって報酬が現行75%とすることをあらため、現行通りとすること。
8.新しい地域経営の在り方、地域づくりを行政主導や審議会の議論だけで立案するのではなく、住民の自主的・主体的参加を促して計画策定を行うこと。
地域の助け合いの活動は、新「総合事業」の受け皿ではなく、本来、多様な生活ニーズにこたえる自主的な「地域おこし」の活動である。したがって、地域の人材の発掘、活動場所の提供や運営経費の負担などを自治体として行い、広く地域住民が誰でも利用できる活動を促進・支援する施策を求める。
9.未だ、介護保険制度や高齢者福祉制度への市民の理解は十分でない。各自治体は、あらゆる機会と方法によって、くり返し、わかりやすい周知・広報を行うこと。
とりわけ、生活困難者や認知症、あるいは単身高齢者で通知・広報が十分理解できない住民に対する懇切・丁寧な説明を行うこと。
10.介護保険料未納者への差し押さえが全国一である大阪市の介護保険料督促の方法を市民に寄り添ったものとすること。まして、公務権限を逸脱した介護保険未納者に対するサラ金の取り立て業者まがいの脅迫的な文書通知や電話対応は厳禁とされたい。
(資料等問い合わせ先は、「10・1 新しい共同・協働に活動にキック・オフを」事務局
e-mail:npofa@oct.zaq.ne.jp へ)
【注2】 国連の高齢者問題に関する動きの紹介
・ 第1回高齢者問題世界会議(ウィーン、1982年)は、「高齢化に関するウィーン国際行動計画」を採択した。行動計画は雇用と所得の保障、健康と栄養、住宅、教育、社会福祉の領域でとるべき行動を勧告した。
・ 高齢者のための国連原則。この原則は国連総会が1991年に採択したもので、自立、参加、介護、自己実現、尊厳の5つの領域における高齢者の地位について普遍的な基準を設定した。「参加」の項目では、「社会の一員として、自己の直接影響を及ぼすような政策の決定には積極的に参加し、若年世代と自己の経験と知識を分かち合うべきである。高齢者の集会や運動を組織することができるべきである。」と述べている。
・ 第2回高齢者問題世界会議(2002年、マドリッド)は、21世紀のための高齢者に関する国際的な政策を策定した。会議は「高齢化に関するマドリッド国際行動計画」を採択した。それによって加盟国は「高齢者と開発」、「高齢に到るまでの健康と福祉の増進」、「望ましい、支援できる環境の整備」という3つの優先すべき領域で行動を取るとのコミットメントを行った。
(資料等問い合わせは、「高齢者の人権宣言」運動
e-mail mizuno@gscc.osaka-cu.ac.jp へ)
みずの・ひろみち
名古屋市出身。関西学院大学文学部退学、労組書記、団体職員、フリーランスのルポライター、部落解放同盟矢田支部書記などを経験しその後、社会福祉法人の 設立にかかわり、特別養護老人ホームの施設長など福祉事業に従事。また、大阪市立大学大学院創造都市研究科を1期生として修了。現在、同研究科の特任准教授。大阪の小規模福祉施設や中国南京市の高齢者福祉事業との連携・交流事業を推進。また、2012年に「橋下現象」研究会を仲間と立ち上げた。著書に『介護保険と階層化・格差化する高齢者─人は生きてきたようにしか死ねないのか』(明石書店)。
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