特集 ● 内外の政情は”複雑怪奇”

新自由主義を終わらせ、社会を立て直す

立憲民主党は無党派層を支持者に組織する努力を

ジャーナリスト 尾中 香尚里

聞き手 本誌編集部

立憲民主党の「上げ潮」基調は変わっていない

――― 都知事選が予想外の結果で、蓮舫さんが負けました。その結果を受けて、政権交代を目指す立憲民主党はどうすべきでしょうか。

尾中: 都知事選の結果と衆院選をリンクし過ぎない方がいいと思っています。都知事選と衆院選の小選挙区は、選挙制度として違いすぎます。選挙制度によって戦い方も違ってくるし、結果の出方も大きく違ってくるからです。

都知事選は選挙区が広くて、有権者も多い。無党派層の比率も非常に高いです。国政選挙で言えば、参院の比例代表とか、昔の全国区に近いと言えます。

一方で、衆院の小選挙区は、多少大げさに言えば、有権者一人一人の顔が見えるような選挙です。どこか一つの選挙区であれば、大きな無党派旋風を起こして勝つことはできるかもしれませんが、それを小選挙区全てで展開するのは、簡単なことではありません。あえて言えば2005年の郵政選挙は、衆院選としては「無党派旋風で勝った」形に近い選挙でしたが、それができたのはバックに自民党という組織があったからです。都知事選で起きたことがそのまま衆院選で起こる、と短絡的に考えるべきではないと思います。

立憲民主党はここまで、国政選挙の補選や地方議会選などでは比較的結果を出しつつあり、支持率も上がってきたところです。これから都知事選で負けたアナウンス効果が出てきますから、それに煽られて支持率が下がることはあると思いますが、党勢を拡大しつつある基調は、あまり変わっていないと思います。都知事選に負けたことへの反省や総括はしなくてはいけませんが、この結果から「衆院選の戦い方を変えなくてはいけない」などと変に考えると、却って衆院選で負けることもあるとも思います。そこは気を付けた方がいい。

――― 枝野幸男さんが代表選に立つというような話もあると聞きましたけれども。

尾中: 現時点で代表選の構図を語ることはできませんが、誰が立つか立たないかに拘らず、代表選が都知事選の影響を受けて「誰と組むべきか」を対立軸にして戦われるのは馬鹿馬鹿しいと思います。どんな構図になっても、そんな選挙にはしてほしくないです。

「誰と組むべきか」に注目を集めるのは、主にメディアなど外部から仕掛けられていることだと思いますが、党内がそれにあおられて「私は共産党を切ります」「いや、私は連合を切るべきだと思います」などとやっていたら、それこそ選挙で負けるでしょう。「どこと組むか」ということで党内に対立軸を作ることからは脱却すべきです。

自民党の安倍政権は、最右翼から公明党まで、大きく一つにまとめていました。都知事選でも、立憲の中では保守系とされる野田佳彦さんと、共産党の田村智子さんが街頭に並んだりしていました。そのぐらいの幅のある層を一つにまとめられなければ、自民党に勝てるわけがありません。

「どこを切る」とかと贅沢なことを言っていられる人たちのことが、私には全くわかりません。例えば連合の人が「共産党は嫌いだが、共産党が私の見えないところで応援してくれることで、結果的に自分が応援している立憲の候補が勝てるならそれでいいじゃないか」と思うことが、どうしてできないのでしょう。もちろん逆もしかりですが。

――― むしろメディアがそういう話を作りたがっているようにも見えます。

尾中: メディアはあまり野党のことに詳しくないので、野党について書こうとしたら党内のガタガタしか書けない、というのが一つあると思います。あと、野党に支持が集まらず、与党が安泰であることを望む深層心理があるようにも思います。私が新聞社にいた頃からそうですが、基本的に政治部の記者は自民党の政局にしか関心がありません。野党が力を増して、自分たちの取材対象である自民党の政治家が力を失うことは、面白いことではないのではないでしょうか。

メディアの劣化が進んでいる

――― メディアについて言うと、都知事選でも候補者を集めて議論することは全然やらなかった。小池百合子さんが討論会に出ないことが理由になったようです。「この人は出ません」として、他の人だけで行えばよいと思いますが、やはり強いものには忖度するのでしょうか。

尾中: 「候補者を平等に扱わなくてはいけない」という、一種の強迫観念があるのかもしれません。でも、彼らは選挙が終わった後に小池さんの「勝因」をこう書くわけです。「議論の場に出ずステルスに徹したことで、蓮舫さんたちをかわした」と。

そう書くということは、彼らは「小池さんが議論に出てこないのは選挙戦術である」ことを理解しているわけです。それなのに小池さんが出てこないのを理由に討論会をやらなかったとしたら、それは「小池さんの選挙戦術に手を貸した」ということでしょう。

最初からそれが選挙戦術だと理解しているにもかかわらず、討論会をやろうとしないし「小池さんが出てこないのはおかしい」という論陣を張ることもない。いくらなんでもメディアが酷いと思います。

話を「共闘の枠組み」に戻しますが、そもそも都知事選における立憲の敗因は「どこと組んだから負けた」ということではありません。立憲というより、旧民主党当時からの歴史的な問題ですが、東京では旧民主党系の地盤がほとんど築けていません。自民党、公明党には地盤があり、あとは広々とした無党派層だけです。

東京の無党派層を大きくしたのは、旧民主党系の責任もあります。要するに、地力が足りないのです。

東京では無党派層が多いことは変わらないと思いますが、少なくとも東京に立憲の地盤と呼べるものを、自民党に匹敵するとまでいかなくとも、それに迫るレベルで作れなければ、話になりません。そのために立憲は、選挙を自分たちの責任で戦う必要があります。都知事選で言えば、市民連合が候補者を選ぶのを待つばかりで、それに乗って「私たちも後方で応援しています」とアリバイのように訴える選挙を続けていては、負けても自分たちの責任だと思えず、他人ごとのようにしか考えないでしょう。今回の都知事選は、旧民主党以来そういう選挙を続けてきたことが積み重なった結果なのだと思います。

ただ、今回の都知事選では、蓮舫さんが出馬したことによって、外から見たらとても「立憲の選挙」に見える選挙戦が展開されました。もしかしたら、過去の都知事選を市民連合の枠組みで文化人的な人を擁立して、気持ちよく並んで街頭演説していたような人たちは「面白くない」と思ったかもしれませんが、私はこれで良かったと思います。

蓮舫さんで負けたら、参院議員としての彼女を失った党も、それなりに傷つきます。立憲の皆さんは悔しかったでしょう。まず、そういう「悔しい」という気持ちを持つところからがスタートです。だから、立憲は敗戦を共産党や連合といった外部の人たちのせいにしてはいけません。「負けたのは自分たちだ」という意識を持つことが大事です。そう思わないと、次にもう一度勝とうという気持ちになれません。

都知事選はともかく、都議選は来年に迫っています。まず都議選で勝ち、地力をつけることを目指すべきです。少なくとも、都議会で共産党よりも議席が少ない現状を何とかすることから始めなければいけません。

――― 選挙では、政党の組み合わせでどうこうするのではダメで、立憲がしっかり旗を立てて、それを支持するように求めるということですね。

尾中: そうです。これから起こる衆院選では、ますますそれが求められると思います。小選挙区制中心の選挙制度に合わせた戦略が必要です。弱い野党が横並びにつながって「どこに旗があるのかよくわからない」という状態ではだめなのです。

野党が政権交代を目指す時、「次の政権与党」として政権担当能力を持つ中核となる存在は、現状ではどう見ても立憲しかありません。他の中小政党は、自民党と立憲のどちらが中核となった政権が望ましいかを自ら判断して、小選挙区ではそれが実現するように行動する。そして自分の党の党勢拡大は比例代表で行い、議席を増やして政権の中核政党に対して影響力を強める。これが、現在の選挙制度に合わせた戦い方だと思います。

未だに野党同士が「あそこの選挙区を譲ったからこっちはおれたちに譲れ」という形の選挙協力を求める声が根強くありますが、そろそろやめるべきではないでしょうか。もちろん選挙戦を「与野党一騎打ち」に持ち込むことは死活的に重要ですが、基本的に小選挙区では「立憲の旗のもとに自民党政権を倒しに行く」ことを基本とすべきでしょう。選挙区のすみ分けは「自民党を倒す」ために協力できる必要最小限の選挙区で、地域事情を勘案しながら行えばいいと思います。

「石丸現象」は都知事選では起きうること

尾中: 「石丸現象」が話題になっていますね。確かに選挙戦術として真剣に考えるべき面はあると思いますが、そもそも、少し特殊な選挙結果にメディアが過剰に飛びつく現象は、過去の選挙でもたびたびありました。最近で言えば、れいわ新選組やN国(NHKから国民を守る党)現象も似たようなものです。せいぜい2議席くらいしか取っていないのに「これはすごい」と持ち上げる。何年かしたら、もう見向きもしない。メディアは単に「○○現象」を消費しているだけなのです。

都知事選で言えば、私が政治部の駆け出し記者だった1995年の選挙で、青島幸男さんが勝った選挙がありました。あの時に与野党相乗りで出馬した石原信雄・元内閣官房副長官は、少なくとも都知事のような大きな行政の長を務められる資質という意味で言えば、この30年ぐらいの都知事選に出馬した候補者の中では一、二を争うキャリアの持ち主だったかと思いますが、それでも選挙運動を全くしなかった無党派候補に、簡単に負けるわけです。ああいう選挙を記憶しているので、石丸現象に特に驚くことはありません。

もちろん、YouTubeを使って若い世代に浸透した事実は、重く受け止めるべきです。YouTubeが若い世代にとって、投票行動を決める際のインフラになっていた、ということですから。立憲民主党に限ったことではありませんが、政党や候補者が自らの訴えを届けるためにどうYouTubeを使うのか、ということは、真剣に考えるべきです。ただ、それと、今回の結果を「旋風」だと大きく取り上げるのは、少し意味が違うと思います。

「無党派層に目を向けろ」は立憲への呪いの言葉

尾中: こういう選挙結果が出ると、すぐに「無党派層対策」という声があふれますが、正直この言葉は好きではありません。「無党派層に目を向けろ」というのは、もしかしたら立憲への「呪いの言葉」なんじゃないか、と最近は思っています。

だいたい「無党派層の方を向け」というのは「党に関心のない人にしっぽを振れ」ということですよね。この後に続く言葉は、得てして「党派性を薄めろ」ということになります。「右に寄れ、改憲を言え、原発を認めろ」みたいな。要するに「無党派に合わせて党の立ち位置を変えろ」というわけです。

おかしいのではないでしょうか。目指す社会像という「旗印」があって、みんながそれを共有して、一つの党に集まってきたわけです。それを実現するために、政党があるわけです。なんで無党派に合わせて自らの立ち位置を変えなければいけないのか。それこそ「選挙目当て」を見透かされ、無党派層を遠ざけることになるのではないでしょうか。

無党派に合わせて党の立ち位置を変えるのではなく、自らの立ち位置に無党派の人たちを引き寄せて「支持層に変える」ことこそ、本当に考えるべきことのはずです。

――― 立憲が旗を立てて支持者がしっかり支持をするという構造をどう作るかということですか。

尾中: そうですね。基本的に立憲民主党の課題は、結党当時から何も変わっていないと思います。

――― 政策の軸というか、立憲が訴えるべきポイントはどこにあるのでしょう。

尾中: 立憲民主党は旧民主党、民進党の中から、 言ってみれば「小池百合子成分」を外して生まれたような政党です。新自由主義の、自己責任の社会はもう終わらせる。所得格差が広がって、普通の人がこれほどまでに生きづらい世の中を反転させる。そういう「旗」を立てている。そこは変わるべきではないと思います。

ただ、その旗印が、実際にそういう社会変革を必要としている人たちに、十分に届いていません。「支え合いの社会」というような抽象的な言葉では、有権者は「私のためを思って政治が立ち上がってくれている」とは受け止めないように思います。まともに正面から訴えても、今は通じないのですね。都知事選の結果はそのことに気づかせてくれたと思います。

立憲は掲げた理念を変える必要はありませんが、「どんな言葉でなら届くのか」ということは、今回の都知事選を機に、少し考え直す必要があるように思います。

――― 例えば最低賃金問題などは伝わっていないようです。

尾中: あまり個別の政策によって有権者が動くという政治状況は、そもそもないのではないでしょうか。

労働政策については、今回の都知事選でいくつか蓮舫さんの街頭演説を見ましたが、それなりにしっかりと語っていました。でも、そういう政策的な話はなかなか通らない。例えば「医療介護の分野で働く若者の奨学金返済を支援する」と言えば、ほかの分野で働く若者は、自分は関係ないと感じてしまう。「非正規の人を正規化する」という話もよく聞かれますが、そもそも雇用されていないフリーランスの人には届きづらい。

蓮舫さんに投票したという女性から「投票はしたけれど、自分に直接刺さる、自分のために言ってくれている、という公約が見当たらなかった」という声を聞きました。本当に「支え合いの社会」が必要な人ほど、追い詰められすぎてその言葉が届かない。

掲げている理念や政策は間違っていないにしても、そういう人たちにちゃんと届く、安心して支持をしてもらえる言葉を、何としても探さないといけないと思います。

「新自由主義を終わらせる」を若者に届ける

――― 今40代から50代にかかるような人たちは、この30年間ずっと新自由主義の空気の中で育ってきています。ちょうどそれが金利のない世界に重なっている。だから、社会・経済に対する感覚が上の世代とは全く違うのではないでしょうか。

尾中: まさにそれです。今の40代以下くらいの人たちは、新自由主義は「所与のもの」であって、勝ち組、負け組があるのが当たり前です。だから、それを終わらせる、とただ言われても、おそらく伝わりません。負けたことを責められてばかりいて、生きづらいのを自己責任という言葉で片付けられて、でもそれが当たり前だと思っている人たちに対して「それはあなたのせいではない」ということをどうやって分かってもらうのか。難しい問題だと思います。

――― フリーランスとして個人事業主扱いされているような人たちも、普通の雇用で働いている人たちも、自分のいる場所がどこなのかについて、関心が薄い。責任は自分にあると思っている人がほとんどだから、社会全体が見えなくて、自分の周りだけ見て、それがSNSで繋がっているという感じかなと思うのですが。

尾中: そうですね。「自分の周りだけ見ている」というのは、もしかしたら「リアルなコミュニティーがない」ということと結びついているかもしれません。東京はコミュニティーが希薄な土地だから都知事選があのような結果になったとも言えますが、地方は人口が減少し、別の意味でコミュニティーが失われつつあります。

国民が一人一人バラバラになってしまい、議論がどこにもない。意見が違っているからこそ、熟議をして合意形成するのが政治だと言えるのに、今は熟議ではなく、むしろ真逆の「論破」になってしまう。こうなると、もはや与党とか野党とか以前の問題で、政治を成り立たせること自体が非常に難しくなってしまいます。

――― 立憲民主党はただ政策をきちんと整理して言うだけでは、とても間に合わない。

尾中: 間に合わないと思います。

――― かつての自民党には、特に地方へ行くと、町内会などの「草の根」を基盤にしてきた政治家がたくさんいた。それも壊れているし、逆にそれはまずいと批判する自民党の議員も少ない。むしろ、保守政治自身が新自由主義によってコミュニティーを壊しているようです。

尾中: ここ30年の日本の政治は、旧来型の保守に改革型の保守がぶつかる、保守二大政党という形がずっと模索されてきた歴史でした。やがて自民党は小泉政権を経て、自らが改革保守的、新自由主義的な政党となりました。そして、自ら旧来型保守の岩盤を掘り崩して東京への一極集中を進め、結果として地方に人がいなくなりました。

旧来型保守の自民党は、ある意味地方の社会の同調圧力をうまく利用して集票してきたわけですが、その仕組みが機能しなくなってきました。自民党の裏金問題とは、もはやお金を配らないと地盤を維持することさえできない、ということなのかもしれません。

第2次安倍政権以降に自民党で当選した議員たちは、安倍晋三元首相の人気に乗っかる形で楽に選挙に勝ってきたので、かつてその地盤を守っていた先輩政治家のような有権者との関係を、そもそも作れていないのでしょう。自民党は今、地盤が作れなくて選挙に弱くなった人たちがかなりいると思います。

こういう変化を政治の力で簡単にどうにかできるものではないでしょうが、世の中、もう少し「組織化」されるべきではないかと思います。一人一人が砂粒のようにバラバラになって、若者ばかりでなく、みんな孤独です。誰かに助けてもらおうにもできない。もちろん、昔の同調圧力が苦しかった地域コミュニティーから都会に出てきて自由になった人もいるのでしょうが、ここまで個人が細分化されると、社会としてちょっとどうなのか、と思います。

考えるべきは、地縁とも血縁とも違う、新しい形のコミュニティーでしょう。何もどこかの大企業の労働組合組織を再構築するみたいな話ではなく、例えば異なる世代がシェアハウスでゆるくつながる、といったものでもいいのではないでしょうか。

人と人が「リアルにつながっている」実感を、もっと具体的に作り出す仕掛けをつくる。これは立憲の選挙戦術とかいう小さな話ではなくて、社会の基盤を作り直すという、もう少し大きな構想です。そのようなことを考えるべき時が来ていると思います。

リベラルは立憲へ 自民党は新自由主義政党だ

――― 自民党の政治家の中に、昔のように優れた人がいなくなってきているということでもあるわけですね。

尾中: 山崎拓さんや古賀誠さんが自民党の長老としてメディアに登場すると、どこかほっとすることがあります。私がこの人たちの話すことにほっとするようになったのか、と思うと感慨深いです。

――― 例えば宮澤喜一さんとか伊東正義さんとか・・・。

尾中: 自民党の中のリベラル派、良識派といった存在に期待する声は、野党系の識者の方々の中にも、いまだに一定程度ありますね。でも、一つ指摘しておきたいのは、先ほども申したように、自民党は新自由主義的政党に変わっているということです。実際に野党時代に党の綱領を変え、自らを新自由主義的な政党と規定しています。

だから、宮澤さんや伊東正義さんのような方は、今の自民党とは相いれません。彼らのような人たちは今後、自民党からは出てこないと思います。

自民党の中にリベラルを求めてはダメです。もしそういう政治を求めたいなら、立憲に期待するしかありません。実際、昔で言えば保守本流に位置するような人たちは、今は立憲にいます。岡田克也さんや野田佳彦さんには、そういう要素がありますよね。

政権与党も経験した立憲のベテラン政治家には、政策の幅広い層を包摂できる力があると思います。左派的といわれる菅直人さんや辻元清美さんも、地元では結構ど真ん中の人に支持があります。自民党と違う「旗」はしっかり立てているけれど、自分の目指す政策とは少し遠いところにいる人たちからも、一定の支持を受けられる。逆に、野田さんや岡田さんたちだって、真ん中から左ぐらいの人たちの中に一定の支持があります。

いつまでも自民党内の疑似政権交代に期待するのは、もうそろそろやめましょう。リベラルな政策を求める人は、立憲を支持して政権を代えることでそれを実現する。小選挙区制が求める政権選択選挙とは、そういうものではないでしょうか。

――― セウォル号沈没事故の直後に韓国の方が、自分たちは日本の左派の政党と意見交換したいが、韓国の政党には自分たちのシンクタンクがあるが、日本の政党はどうして持たないのかと言っていました。

尾中: 日本の野党がシンクタンクを持てないのは、はっきり言ってお金がないからです。まだ民主党だった頃に、亡くなった仙谷由人さんがシンクタンクを作ろうとして頑張りましたが、できませんでした。

野党の存在を一種の「公器」として認めて、いざ与党がダメになった時の「次の与党」として育てておく意識が、日本には足りなさすぎるのだと思います。よく比較されるのはイギリスで、野党に対しても一定の公金が出る。国として野党を育てる仕組みがあるわけです。

韓国で野党にシンクタンクがあるという話は、恥ずかしながら不勉強で知りませんでしたが、うらやましい話です。韓国は日本よりも民主化が遅いのに、政権交代が頻繁に起こっています。私が物心ついた時にまだ軍事政権だった韓国が、民主主義のあり方としてこんなに軽々と日本を追い抜いたことが、うらやましくてなりません。

でも、そんな日本も「意外と捨てたものではない」状況は、徐々に作られようとしていると思います。

日本ではこの30年間、旧来型の保守の片方に新自由主義的な「改革」を置いて、これで政治全体を埋め尽くそうとする策動が、断続的に続いてきました。与党と野党第一党が同じ保守なら、憲法改正も簡単ですからね。日本国憲法の前の時代、つまり戦争に負ける前の自分たちに戻ろうという狙いがあるとしか思えません。

現在の改憲議論の焦点は、もはや9条より緊急事態条項に移っています。つまりは国会をなきものにして、行政が何の監視も受けず、好き勝手に振る舞いたい、ということです。大日本帝国憲法の世界を取り戻す動きと言えます。

そういう状況にこの30年間、いわゆる民主リベラル勢力はよく耐えてきたと思います。野党第1党は改革保守の新進党から「民主中道」の民主党に移り、さらにリベラル系の立憲民主党となりました。今や政権交代の可能性さえささやかれ始め、あの自民党を恐れさせるところまで来ているわけです。率直にすごいと思います。立憲の皆さんには「都知事選に負けたぐらいのことでしおれているひまはないよ」と言いたいですね。

おなか・かおり

1965年福岡県生まれ。1988年毎日新聞に入社し、政治部で主に野党や国会を中心に取材。政治部副部長、川崎支局長、オピニオングループ編集委員などを経て、現在はフリーで執筆活動をしている。著書に『野党第1党:「保守2大政党」に抗った30年』(現代書館)、『安倍晋三と菅直人――非常事態のリーダーシップ』(集英社新書)、共著に『枝野幸男の真価』(毎日新聞出版)。

特集/内外の政情は”複雑怪奇”

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