特集 ● 内外の政情は”複雑怪奇”

労基法の改悪・解体を阻止しよう

日本の労働基準は大幅に引き上げるべきだ

東京統一管理職ユニオン執行委員長 大野 隆

厚生労働省の労働基準関係法制研究会(以下「労基研」という)が急ピッチで回を重ねている。ここでは、労基法改訂以前に、日本の社会では人権が守られず、労基法もなお不十分であったりきちんと適用されていない実態について述べたい。その上で、労基研の議論の展開に関して、雇用共同アクションの主張を紹介して、労働者の立場からの意見表明をする。ただ、労基研での論点を具体的に指摘するには大きな紙幅を要するので、要点に留まることをお断りしたい。

なぜそんなに急ぐのか

私は本誌37号(前々号)に「動き始めた労働基準法の解体を止めよう」を寄稿した。だが、その後の労基研の進み方が余りにも急テンポで、いつを目処に何をしたいのか、全く見当がつかない。

直近では7月31日に第10回目の労基研が開催された。この間のテーマは、第8回(6月27日)が「労働者」(労働者の範囲などいわゆる「労働者性」問題)、第9回(7月19日)が「事業」(これも基本的な事業や事業場の概念など)と「労使コミュニケーション」だった。労働者や事業は、いずれも労基法を議論するときの基本概念で、さらに労使コミュニケーションは、労働者代表の選出や役割に及ぶ課題だ。すべて我々には極めて重大な問題である。第10回のテーマは「労働時間、休憩、休日及び年次有給休暇」で、これは労働条件の根幹をなす部分だ。

研究会を傍聴して進行状態を見ていると、各回2時間で、10人の研究会構成員の学者先生からいろんな意見が出る。労働者側の主張を支持する意見も少なくない。が、厚労省(事務局)からの資料が前日(それも夜になってからが多い)出るので、それも細かな字でA4サイズで60頁にも及ぶことがあり、朝10時からの会合の前に目を通すことはとても難しい。構成員の先生方にも、それより早く資料が渡っている様子はないので、事前の検討がなされていることはないと思われる(もっとも初回の研究会で大部の資料が出されているので、学者の構成員のみなさんにはそれで十分なのかもしれないが)。

最終的に労基法の「改正案」を作る厚労省が、どのように考えるかにかかっているのだろう。いささか先入観をもって言えば、厚労省(事務局)側が一通り意見を聞いたという「形」を作るために研究会が行なわれているという感じがしないわけでもない。最後は政府の方針を盛り込むので、研究会の中身がそのまま反映されるわけでもないだろう。

ただ、第8回の研究会の時に「労働者」をめぐって、研究会構成員の水町勇一郎教授が「無駄に長い時間かける必要はないが、すぐ来月・再来月に答えが出るような問題でもない。EU指令がこれから正式に公表されて、(中略) 2年以内に各国が法令の整備をすることになっているので、その状況等も勘案しつつ、日本の制度設計をどうするかを、さらに専門的な観点から研究した上で、もう一度議論のテーブルにのせるのがふさわしいのではないか」と発言した。そのため、もしかしたらそれぞれの問題の重要性や深刻さを考えて、労基法改訂の時期をいくつかの段階に分けることもあるかもしれない。ただ、厚労省が急いで進めていることは間違いない。

労働基準法を見直すなら、もっと根本的に幅広く!

厚生労働省は、労働基準法の「根幹にかかわる概念の見直しを含む包括的、中長期的な検討」を行なうとして、労基研を始めた。上述のように7月末まで10回の研究会を開催して、事務局は「主要な論点について議論は一巡した」と言っている。

しかし、「包括的、中長期的な検討」ということであれば、労働基準法本体のみならず、最低賃金法、労働安全衛生法、労働者災害補償保険法、労働契約法などが俎上にのせられるべきであろう。パート有期法も対象になると思われる。さらに加えて、法律を見るだけでなく、その法律で定めた「労働基準」がどのように実際に行なわれているのか(守られているのか)の実態を検討・確認した上で、法律自体の検討に入るべきだと考える。つまり、「立法事実」があるのかどうか、あるいはあるべき基準がどこにあるのかを考えるべきだろう。

なぜそんなことを言うのかといえば、現状の労働基準法等が必要な基準をしっかり定めているかどうか、かつそれが守られているかどうかということの実際が明らかになって、それが前提にならなければ、紙の上で条文をいじるだけになるのではないかと思うからである。要するに、日本の労働基準がどの程度のレベルで、さらにそのレベルが労働者の労働・生活にとって十分かどうか、あるいは実際にそれが守られているかどうかの実態をしっかり確認する必要があるということだ。

その観点から、今の日本の状態を考える。少し迂遠なようだが、この研究会を進める厚労省が考えている「現在の労基法が時代に合わなくなった」ことが、実際には労基法が(資本・経営者によって)しっかり守られていないことの別表現にすぎないのではないかと思うので、考えてみる。

現在の日本社会は、超格差・分断社会

新自由主義の浸透が社会のありようを大きく変えたといえる。1985年ごろ(中曽根内閣)から30~40年間、1世代の長さを越えて(それは金利のない世界と重なる)日本社会の基底に新自由主義が重しのように居すわってしまっている。だから、今40代ぐらいまでの世代とその上の世代では、暮らし方・考え方におおきなギャップができているようだ。

バラバラな個人が、対立、競争するのが普通の社会と受け止められており、「仲間」や「団結」は後景に退いてしまっている。「勝ち組」「負け組」が当たり前に語られ、助け合わない、助け合えない社会になっている。相手を「論破」するのがポイントで「話し合い」や「妥協」は価値を認められていない。トヨタ会長が16億円を当たり前のように取る一方で、フードバンクや炊き出しで食料を確保する人がどんどん増えている。

人と人がSNSで繋がる世界は、バラバラな個人を横につなぐことはできない。だからますます人を孤立させる。そしてコロナ禍が社会の「解体」を加速した。

とりわけ若者の考え方にそうしたことが影響していると、都知事選の「石丸現象」について東京大学大学院准教授、藤田結子さんは、次のように語る(毎日新聞)。

今、Z世代の最も切実な関心事は、将来不安の大きいこの国でいかに稼いで暮らしていくかなのです。彼らは「右肩下がりの社会でも成功して」という親の期待を背負い、首都圏では多くの小学生が中学受験で競争を体験します。学生生活は「まじめ化」し、大学のサークル活動まで就活に有利になるような「ガクチカ」(学生時代に力を入れたもの)を得るのが目的になっています。このネオリベ(ネオリベラリズム、新自由主義)な社会で、「起業家のようになれ」「自己責任だ」というメッセージを浴びてきました。そんな彼らにとって、選挙時の格差是正だ、平等だ、少子化対策だ、という訴えは、目下の悩みとかけ離れていて、「は?」というのが正直な感想ではないでしょうか。

 

ただ、だからと言って個人主義が確立されているわけでもない。徹底した個人主義であれば、個々人の人権が守られることによって十分心地よい社会であるはずだが、現実は全く違う。個人・人権の確立のためには、「対話」が絶対に必要だと言われる。そして、怒りと対話は相互補完的で、怒る原因を消すには対話するより他ないとも(暉峻淑子さん)。そうして「連帯する相互承認社会」へ向かいたいが、しかし個人はバラバラなままで、さらに(国家)権力が権威主義的になり、人権が蔑ろにされる状況が進んでいる。

労働者の人権を支えるのが最低労働基準を定める労基法体系である。「人権」という観点で見ると、日本の状況はどうなっているか。労働者の基本的人権は保障されているだろうか。労基法は、力の弱い労働者が団結して使用者と相対することを前提にしている(36協定を見られたい)。しかし、例えば厚労省の「新しい時代の働き方研究会」報告では、団結権を前提にしない「労使コミュニケーション」が謳われており、労基研で中心的なテーマになっている「労働者代表」問題などは、その団結権解体の入口になる。労働者と使用者の関係が変わり、「最低基準」が危うくなる。

これからの基準が危うくなるばかりではない。後述の通り重大な(最低)労働基準である最低賃金は未だにそれだけでは生活できない水準だし、さらに非正規労働者の状況は、「同一労働同一賃金」の掛け声とは裏腹に、格差が拡大して人権保障が極めて不十分だ。

外国人については、育成就労制度を持ち出すまでもなく、奴隷労働を容認し続け、永住取消制度の創設など、入管行政が人権侵害の実行者になっている。ジェンダー平等に至っては、世界最低に近い。

社会の仕組みも壊れている

アメリカではすさまじい貧富の差が現実になっているという。1989年から30年間で格差は大きく拡大、2019年の統計では、上位1%の世帯が総資産の3分の1以上を有し、逆に下位50%の世帯の総資産は全体の2%に過ぎないという。そして教育費が極端に高くなって格差が拡大・固定され、階層分断が進んでいる。アメリカの後追いをする日本もそれに近づいており、貧富の格差がどんどん大きくなっている。

新自由主義はすべてを市場に任せろと言うが、その結果が今の格差・分断の日本社会を生み出した。市場だけで社会を編制できるはずがなく、民主的な手続きによって調整することが絶対に必要だ。それが社会なのだが、新自由主義はそれを破壊し、市場と競争だけで世の中を動かそうとしている。繰り返すが、その結果貧富の格差が極端に大きくなり、社会が壊れてしまった。

分断と格差は、私たちのまわりでは企業間格差としても現れる。大企業と中小企業の差はもちろん、中小企業の間でも今にも倒産しそうな状況のところもある。どこで働こうと生活できる社会からはほど遠い。その中で、居直るかのように「うちの会社は有休はないからね」という会社まで出てきているとのことだ。

そこで、強調すべきはやはり「人権」だろう。人が人として生きる権利だ。労働者にとっては、普通に働けば十分な生活ができる権利だ。それを規定している日本の労働基準の水準は次に述べるように極めて低いが、だからこそ労働組合が労働者の人権を守るために闘わねばならないということだろう。戦後まもなくできた労働者の人権保障の仕組みも壊れており、それを作り直すのが労働組合の仕事だと言ってよい。

要するにこの国では基本的人権が守られないレベルに、(最低)労働基準があるということであり、その改善を労基研に任せるわけにはいかない。以下、具体的問題を指摘する。

最低基準その1――最低賃金の現状

今年度はこの7月末に全国一律で時給50円の引上げという目安が、中央最低賃金審議会によって提示された。言うまでもなく、とてもそれでは暮らせないレベルにすぎない。人権保障からほど遠い。一人分の賃金では暮らせない低賃金労働者が極めて多く、時給で最低賃金から+100円の間の低賃金で働く労働者が全労働者の3分の1を占める。

生活できない水準であることに加えて、今回の目安により引き上げられたとして、賃金が新しい最賃より低い労働者が2割を超える地方もある。国際的に比較しても、日本の倍額程度を最低賃金としている国も多い。ともかく、日本の最低賃金は低すぎる。

厚生労働省が示している労働者の10円刻みの時給額による人数分布を確認することによって、低賃金問題は非正規の問題が中心であることが分かるし、最低賃金に張りついた賃金で働く労働者が極端に多く、逆に言えば、最賃引上げがこれらの労働者の賃上げにストレートに繋がることも分かる。厚労省の資料により、2006年の労働者の賃金分布と現在を比較すると、労働者の総数は大きく変化していないようだが、低賃金労働者が大きく増加している。最賃が追いついてきたというより、賃金がずっと上がらなかったことが明らかだ。最低賃金・時給1500円はすぐにも実現すべきレベルだということも分かる。最賃は少子化や地方の格差を解消するカギであることも容易に理解できる。

EUの「最低賃金に関する指令」では、適正な最低賃金の目安として、賃金の中央値の60%という数値を挙げているという。フルタイム労働者の賃金の中央値に対する最低賃金の割合(2023年)をみると、日本は46.0%となっている。主要国は、フランスが62.2%、韓国が60.9%、英国が59.6%、ドイツが51.7%、米国が26.0%となっている(浜銀総研・遠藤)。仮に60%になっても1500円には届かないが、日本の最賃水準が国際的にみても低いことは明白であろう。

また、今回最賃が上がると、国家公務員の初任給がそれを下回るケースが200件以上あると報じられている(朝日新聞)。非正規公務員(会計年度任用職員)でも同じ問題が起こっている。国は人事院勧告などで公務員給与の引上げを図るべきであり、それが民間中小・零細企業にも影響することを考えると、最賃引上げが政府の課題であり、全労働者に関わってくることもはっきりしてきた。

最低基準その2――同一労働同一賃金

同一労働同一賃金はどうか。キステム裁判の不当判決を見れば、それに関しても人権保障がなされていないことは明らかだ。

NTT関連の警備業をしているキステム社は、1100人規模の中堅の警備会社だ。しかし正社員は150人程度で、8割以上が契約社員などの非正規である。その格差は大きい。正社員には年間5.5か月の賞与が出るが、非正規社員はゼロ。その中で東北支店管轄の営業所のAさん(58歳女性)が同一労働同一賃金を求めて裁判を起こした。Aさんは営業所の事務の仕事をフルタイムで一人だけでこなしている10年勤続のベテランだ。東北支店管轄には、4つの営業所にも同じような仕事をしている事務担当者がいるが、そこの4人は皆正社員。Aさんだけが「契約社員」で、基本給でも5万円低く、賞与もゼロである(同じ仕事だが、社員は賞与5.5か月)。

ところが、盛岡地方裁判所は細かな違いを持ち出して、Aさんが実際には他の正社員がやらない仕事もしているのに、差別を認めた。「契約社員は事務担当正社員よりも業務範囲が少なく、責任も軽い」、「契約社員は配転がなく、正社員は過去に配転がなくとも将来可能性がある」、「契約社員も正社員になれば賃金格差を解消できる」等、実態を無視して、小さな違いを針小棒大に評価した不当判決だ。これではパート有期法8、9条は絵に描いた餅だ。行政に留まらず、司法の責任も大きい。

原告のAさんは、安倍働き方改革の報道を見て、「その同一労働同一賃金は間違いなく自分にあてはまる」と考え、それを求めたが、日本の人権保障水準は、その思いとはほど遠いものだったということになる。「均衡待遇」も考慮されていない。

いずれにせよ、最低賃金も同一労働同一賃金も、日本の労働基準は生きることを許さないレベルに留まっているのだ。さらに日本政府は、日本の少子高齢化と労働力不足の中で、「入管難民法改悪」を強行した。外国人技能実習生(今後「育成就労」と名を変えるが)は移動の自由のない奴隷労働(明らかな労基法違反)に従事しており、今般新設された「永住取消」制度は、文字通り命と生活を奪う。外国人労働者を移民としてその基本的人権を保障するのではなく、使い捨て奴隷として扱う。そしてそれにより、政府がヘイト(排外主義)を煽っている。

労働基準も含めて、未だ日本では生存権が保障されていないのである。こうした低水準の人権しか保障していない日本政府が、その低水準の労働基準法の適用をゆるめることを画策しているわけで、次にそのことを述べる。

労基法、実際に必要なのは規制強化だ

前述のように、労基研が急ピッチで開催されている。大きな狙いは「労働基準法の一律規制をやめる」ことにある(研究会構成員の水町勇一郎教授が昨年その主張を新しい時代の働き方に関する研究会で公表していた)。一方それに呼応するかのように、経団連は「労使自治による労働基準」を作ると言い、社内で基準を決めるから労基法は不要であるかのような主張をしている。

狙われているのが「デロゲーション」だ。「適用除外」という意味。そもそもこんな言葉を使うこと自体が労働行政としては許しがたいことだと思われるが、要するに、労基法を適用しないことを目指している。このとき問題になるのが、法の適用除外を労使で合意するための労働者代表だ。私たちは当然労働組合がその役割を果たす、と主張するが、経団連は「親睦団体も代表に」と言っている。前述の通り、ここには労基法の前提となる団結権を解体する狙いもある。

さらに、フリーランス(個人事業主とされる人たち)等に適用する新たな低い基準を作ったり、あるいは労働時間の例外を増やす仕組みを作ることによって、労基法の水準自体を下げることも狙われているとみるべきだろう。

既に見たように、日本の「労働基準」の実際は、生活できる水準にすら到達していない。求めるべきは基準(規制)の強化であり、実効ある監督である。

雇用共同アクションの厚労省申入れ

政府の雇用破壊に反対して長く運動を続けてきた雇用共同アクション(構成団体等については末尾参照)は、去る7月初旬、労基研の審議内容に関して、厚労省に要旨次の通り申し入れた。以下にその内容を紹介して、労基法改悪批判の論点を提示しておきたい。

 

確かに、現在の労働基準法には、改正すべき点や欠落している点が様々あり、私たちも改正要求をあげてきた。しかし「新しい時代の働き方に関する研究会(新時代研)」報告書は、労働者保護の拡充を求める私たちの立場からすれば、あるべき検討とはかけ離れた方向を志向しており、およそ賛同はできない。新時代研報告書を受けた労基研の議論では、労働者のニーズを言いながら、実際には使用者の要望にそって労働基準法の見直しを進めようとしている意見もあふれている。労働基準法が使用者に課している規制を有名無実化し、労働基準行政による監督指導を弱体化させる工作が始まった、という印象が強い。

とりわけ、私たちが懸念しているのは、働き方の多様化・柔軟化を口実とした、デロゲーションの仕組みの容易化をはかろうとする議論である。それは憲法27条2項(労働条件法定主義)にも、労働基準法1条(労働条件の原則:人たるに値する生活を営むための必要を充たすべき、労働関係当事者による労働条件の向上を図る努力義務)等の規定にも反するものであり、認めるわけにはいかない。「労使自治」とか「職場レベルでの労働基準のカスタマイズ」といった表現は、あたかも良いことであるかのようだが、労働基準関係法が前提としている労使の力関係の違いを無視、もしくは隠蔽する主張にほかならない。デロゲーションの容易化は、雇用・労働条件の劣化をもたらし、公正競争ルールを破壊し、日本の企業活力と経済にもマイナスとなる。

現行法にも、労働基準を下回るデロゲーションの仕組みはあるが、その趣旨は本来、事業運営上、予見できないような特段、臨時の必要性が発生した場合に、やむをえず使用者が労働者に要請をして合意してもらい、それをもって、法的には違反でありながらも免罰される仕組みである(時間外労働は本来使用者が刑事罰を課されるものだが、36協定があれば逃れられる)。現状はこの「必要性」の判断基準が曖昧で濫用されており、原則が守られるようにする必要がある。ところが、研究会の議論では、36協定における労働者代表の「同意」要件をなくし、意見聴取で足りるものとすればよいといった規制緩和を語る構成員もいる。断じて認めるわけにはいかない。

現場では、男女差別、雇用形態間の差別、不安定雇用の蔓延、労働者性を偽装した働かせ方、パワハラ・セクハラが蔓延し、業務起因の心身不調や過労死の多発、シフト制労働(ゼロ時間契約)の濫用、スポットワーク(スキマバイト)による労働者の権利侵害など、問題山積である。使用者優位の労使コミュニケーションへのデロゲーション機能の付与や規制緩和ではなく、労働基準法による罰則と規制の強化が必要であり、そのために、労働組合の組織率を上げる環境整備が必要である。労働組合の組織率の低さから、労使委員会的なものに期待する意見もあるが、その前に、労働組合結成に対する使用者の妨害行為の横行、労使対等どころか、労働基本権の行使すらままならない職場の実態を適正化するための法的対策を検討するべきである。さらにAI・IT技術を活用したプラットフォーム・ビジネスや労務管理におけるアルゴリズム活用、テレワークの普及、財界・政府が促進する副業・兼業等の働き方の変化などに対し、労働者保護の範囲の拡大と、罰則付きの新たな規制の創設、労働基準行政の体制強化と監督指導の手法の開発を検討し、提言するべきである。

必要なのは、「労使自治」による一律規制の見直しではなく、労働基準法が一律規制であることの意義の再確認と労働時間法制における多様な例外規定の撤廃、労働時間の原則の改善(法定労働時間の短縮等)、労働者保護に資する規定・罰則の拡充、法の適用対象の拡大(労働者性判断基準の改善)、そして法の履行確保をはかるための労働基準行政の充実と司法警察権行使の活発化、それを可能にするための正規職での労働基準監督官、厚生労働技官、事務官の増員確保である。

そもそも日本政府は労働時間に関するILO条約を一つも批准することができていない。労働時間の規制強化をはかることが、ジェンダー平等の観点からも、少子化対策の観点からも求められている。

 

(雇用共同アクション構成団体:日本マスコミ文化情報労組会議(MIC)、全国港湾労働組合連合会、航空労組連絡会、純中立労働組合懇談会、中小労組政策ネットワーク、コミュニティ・ユニオン首都圏ネットワーク、東京争議団共闘会議、けんり総行動実行委員会、全国労働組合総連合、全国労働組合連絡協議会)

おおの・たかし

1947年富山県生まれ。東京大学法学部卒。1973年から当時の総評全国一般東京地方本部の組合活動に携わる。総評解散により全労協全国一般東京労働組合結成に参画、現在全国一般労働組合全国協議会副委員長。一方1993年に東京管理職ユニオンを結成、その後管理職ユニオンを離れていたが、2014年11月から現職。本誌編集委員。

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