特集●終わりなき戦後を問う
戦争を論じない戦後論の陥穿
「長い戦後」が提起する問題についての考察
神奈川大学名誉教授・前本誌編集委員長 橘川 俊忠
戦後七十年、それでも戦後は終わらない
七十年という歳月は、七十年前に起こった出来事を歴史年表の一項目の中に閉じ込めるのに十分な時間であろうか。たぶん、その出来事の当事者でなければ、十分な時間だと答えてもよさそうなほどの時間であろう。ちなみに、簡単な計算をしてみよう。たとえば、私は、現在七十歳なので、七十年前に生まれた時は一九四五年になる。その私が、大学で教えている学生達は二十歳前後なので、一九四五年は彼らにとって生まれる五十年前ということになる。
私にとって、生まれる五十年前、一八九五年はどういう出来事があったか。年表をくくってみると、その年には、日清戦争が終わり、下関条約が結ばれ、三国干渉があった。それらの出来事が、二十歳の頃の私にとってどういう出来事であったかといえば、もう完全に歴史年表上の項目以外の何物でもなかった。それとの類推でいえば、現在の学生達にとって、一九四五年の出来事も、年表上の一コマにすぎないといってもよいかもしれない。
ところが、その学生達にアンケートをとってみると、六割から七割ぐらいの学生が「まだ戦後は終わっていない」と答えるのである。つまり、彼等にとっても、戦争が終わってからの七十年間は、ずっと一続きの「同時代」として感じられているということである。その理由は様々であるし、明確な論理が必ずしもあるわけではない。その時その時の状況、たとえば中国や韓国からの対日批判が影響を与えていることもあるかもしれない。しかし、その影響は意外に小さい。ここ二十年ぐらい同じ質問を繰り返しているが、その変動幅はそれほど大きくないのである。二百名前後の、日本政治史を履修している学生が相手なので安易に一般化するわけにはいかないが、それでもこの結果は注目してよいであろう。
また、「戦後は終わっていない」と認識している学生が、戦後に否定的な評価をしているわけでもない事にも注意すべきであろう。彼等は、戦後日本が一度も戦争をしてこなかった事、戦後復興を成し遂げ、「豊かな」生活を実現したことには誇りすら持っている。戦後処理の問題への取り組みが不十分であることを認めても、歴史修正主義者が、よく口にする「自虐」的感情に支配されているわけではないということである。
もちろん、現代史を十分に教えられてこなかった世代である彼等が、具体的歴史的事実について不完全な知識しか持たない事を考えれば、その「戦後」という時代認識も多分に感覚的あるいはムード的な面があることは否定できない。その点、直接の戦争体験者がますます高齢化し、経験の伝承が困難さを加えるにしたがって、戦後という時代認識も後の世代の自覚的努力なしには希薄化し、不明確化していくことは避けられないこともたしかであろう。そういう状況だからこそ、歴史修正主義者が戦後という時代認識の解体を狙って攻撃的言動を強めているのである。
そういう歴史修正主義者の一群が期待し、応援したのが安倍首相である。安倍首相は、「戦後レジームからの脱却」を掲げ、憲法改正を目論む歴史修正主義に極めて近い政治家であるが、その安倍が戦後問題に決着をつけると意気込んで、自ら戦後七十年首相談話を出すと言い出した。安倍にとっては、戦後という時代は、戦争と日本の侵略への反省を迫られる時代であり、そんな時代は早く終わりにしたいという強い思いが首相談話へのこだわりになって表れたのである。
しかし、実際にだされた首相談話は、主体不明の極めて中途半端なものであった。侵略や謝罪という言葉は、村山談話や小泉談話を継承するという形で間接的に言及されるにとどまり、幕末以来の日本近代化の努力を称賛し、侵略を西洋帝国主義へのやむを得ざる行為として是認し、次代の国民に謝罪し続けることがないようにするといい、自国の戦争犠牲者数はあげても、日本が他国・他地域で生み出した犠牲者については概数すらあげていない。この最後の点は、フィリピン訪問に際しての天皇が、フィリピン人戦争犠牲者に最初に言及し、それを日本人として忘れてはならないと発言したのに比べても、あまりに自国中心主義と言われてもしかたのないことである。
このように中途半端な内容になったのは、アメリカの歴史修正主義批判に配慮し、東アジアの政治情勢に迫られ、それでも歴史修正主義的見解をなんとかして滑り込ませようとした結果にちがいない。これまでの首相談話に比べて破格に長い談話であったにもかかわらず、結局なんのために出したのか分からないようなしろものに終わってしまった。それどころか、「戦後は終わっていない」ことを改めて思い起こさせるという逆の効果すら発生させたのである。
それでも安倍政権は、首相談話では期待した成果は上げられなかったが、立憲主義無視の強硬姿勢で安保法制を成立させ、実質的に平和と民主主義という戦後的価値否定への道筋をつけようとしており、戦後意識への挑戦を諦めようとはしていない。従軍慰安婦問題についての日韓交渉において、今回の「合意」が「最終的決着」であって、韓国側がこの問題を二度と持ち出すことがないようにという点ばかり強調しているのがそれである。日韓交渉には、アメリカ政府の強い意向が働き、日韓両国政府とも妥協を余儀なくされたというのが実態であろうが、その場合でも安倍政権は「最終決着」にこだわった。
日本政府は、戦後、日本が戦争によって他国・他地域に与えた被害についてほとんど調査らしい調査はしてこなかった。従軍慰安婦問題しかり、南京大虐殺事件しかり、その他戦争に伴って合法・非合法を問わず発生した膨大かつ多様な被害・犠牲者についてまともな調査をすることなく、従軍慰安婦は職業的売春婦であったとか、大虐殺は無かったというような歴史修正主義者の宣伝を野放しにしてきた。ろくな調査もしないで、「最終決着」をいうのは、問題を無かったことにするに等しいではないか。事実かどうか確かめないで、「政治決着」として金で始末するという態度ととられても仕方がない。第一、問題に主体的に取り組む姿勢がまったく見られない以上、問題解決ではなく、本質的には問題自体の存在を認めないのと同じだからである。
戦争が引き起こし、現在でも解決を求められながら、調査さえ行われていない問題は、まだ枚挙にいとまないほどある。そんな状態が続いている限り、七十年たとうが何年たとうが「終わらない戦後」が続くのは当然であろう。終わらせなければならないのは、そういう主体的には戦争が引き起こした問題に取り組もうとしてこなかった日本という国家のあり方である。さらに、問題は、戦争が、日本という国家だけがかかわっていたわけではなく、世界中が巻き込まれた大戦争であったということである。その人類史的大戦争の全貌は、まだ完全には明らかになっているとはいえない。
戦後七十年、日本では遅れているが世界各国で情報公開が進み、新しい事実が次々と明るみに出てきている。人類史的大戦争の中で日本という国家がどのような役割を担ったのか、一人一人の人間に戦争はどのような悲惨をもたらしたのか、もたらし続けているのか、現在世界でやむことなく続いている戦争は、あの戦争と無関係なのか、問われるべき、明らかにされるべき問題はあまりにも多く、あまりにも重大である。そのことの自覚なく、戦後は終わったとか、終わらせるという言説は、あまりにも安易である。
戦後に終わりはあるか
ところで、戦後は「終わった」とか、「終わっていない」ということが議論になったのは何時ごろからのことであろうか。「もはや戦後ではない」と『経済白書』が宣言したのが一九五六年、これは鉱工業生産指数が戦前を越えたという事実について言われただけだったが、このころから戦前型の保守勢力の台頭が目立つようになった。次に問題になりはじめたのは、明治維新から百年目を迎える一九六八年ころ、「明治百年」か「戦後二十年」か、ということで議論が起こった。明治百年を主張する側は、維新以来の日本の近代化の成果を強調し、アジア・太平洋戦争もその近代化・反西洋帝国主義のための戦争と位置づけ、戦後二十年の民主化の意義を最小化しようという今日の歴史修正主義のさきがけとなる論理を展開した。
それに対して戦後の民主化を評価し、平和憲法を擁護する立場からの反論が行われ、論争となった。その論争の中から、戦争を「大東亜戦争」として再評価しようとする論調が登場してきた。ついで、中曽根政権が誕生すると、中曽根は「戦後政治の総決算」を掲げ、一九八五年八月十五日に内閣総理大臣として靖国公式参拝を強行した。戦後的価値への本格的攻撃のはじまりであった。その後、自民党の長期政権を支えていた高度成長が終焉を迎え、さらにバブル経済が崩壊すると政界の再編が始まり、保守側の反動攻勢もしばらくなりを潜めたが、「空白の十年」からの脱却を目指す小泉政権が登場すると、再び攻勢がはじまった。その流れを引き継いだのが現在の安倍政権である。
こうした保守側の動きをざっと見ただけでも、奇妙な事実に気づかざるをえない。保守勢力は、戦後ほぼ一貫して政権を握り続け、現憲法の改定を掲げ、戦後的価値の否定に躍起になってきたにもかかわらず、その目標は依然として達成されないという事実である。その奇妙な事実の背後に何があるのか。そういう奇妙な事実をもたらした要因は何かという問題は、けして単純ではない。アジア諸国からの厳しい批判、日本国民の戦後意識、硬性憲法の規定、保守勢力の分岐等が複雑に絡み合って、保守勢力の独走を阻止してきたことは間違いないが、それだけでは十分ではない。その要因の中にアメリカの巨大な影を見ないわけにはいかないのも事実である。
たとえば、安倍の戦後七十年談話をめぐる問題にも、安倍は認めたくないであろうが、明確にアメリカの影が浮かんでくる。アメリカでは、安倍政権発足当初から安倍の歴史修正主義的傾向についての警戒感があり、マスコミにもそういう論調の記事が出されていた。アメリカには、第二次世界大戦は民主主義のための正義の戦争であるとする意識が強固に存在しているし、それは神話化されていると言っても過言ではないほどの強さがある。したがって、ポツダム宣言を否定する、あるいは東京裁判を批判するような言動には強い拒否反応を示すし、これまでも示してきた。また、東アジアの緊張が、歴史認識問題を巡ってこれ以上高まってアメリカの国益に反するとなれば、その抑制を要求してきた。中曽根も小泉も日米関係の緊密さをアピールしつつ、日本の戦後からの脱却を図るという矛盾を内包した政策をとってきたが、その結果は、政治的・軍事的にアメリカの従属下にあることを鮮明にする以上のものではなかった。安倍といえども例外ではない。あの中途半端な七十年談話には、そういうアメリカの影が色濃く映し出されているのである。
こうした日本の国家的自立を戦後意識の解体によって達成しようとしながら、アメリカの世界戦略の一部に組み込まれ、対米従属状態を強めてしまうという戦後保守勢力のジレンマを、戦後日本の根幹にある構造的問題としてとらえ直そうという動きが出てきた。加藤典洋、孫崎亨、白井聰等の議論がそれである。彼等の議論を少々乱暴に集約すれば、「敗戦の帰結としての政治・経済・軍事的な意味での直接的な対米従属構造が永続化される一方で、敗戦そのものを認識において巧みに隠ぺいする(=それを否認する)という日本人の大部分の歴史認識・歴史的意識の構造が変化していない、という意味で敗戦は二重化された構造をなしつつ継続している。無論、この二側面は相互に補完する関係にある。敗戦を否認しているがゆえに、際限のない対米従属を続けなければならず、深い対米従属を続けている限り、敗戦を否認し続けることができる。かかる状況を私は、『永続敗戦』と呼ぶ」(白井聰『永続敗戦論』)ということになるだろう。
この議論は、直接的には、戦後、権力の座を占め続けてきた保守勢力への批判のつもりらしい。そこに限定すれば、この議論は、画期的とは言えないが、まちがってはいない。しかし、日本人の大部分が対米従属の下で平和と繁栄を謳歌してきたような戦後は終わったという認識には従うことはできない。「日本人の大部分」などという言い方は不遜ですらある。また、戦後を「対米従属の下での平和と繁栄」と定義すれば、そんな戦後は終わったと言おうが終わらせなければならないと言おうが、ご自由にと言うしかない。自分で定義して、それを自分の論理で否定するというやり方ならば、どんな結論も自由に引き出せるからである。「戦後は終わった」という言い方が、保守勢力の戦後攻撃を利するなどと野暮なことは言いたくないが、少なくとも「終わらない戦後」の問題についてもっと深い考察が要求されるということだけは言っておきたい。
ナショナルヒストリーを越えて
ところで、「終わらない戦後」の問題は、実は、日本の研究者よりも早くアメリカの日本研究者の中から「長い戦後」の問題として取り上げられていた。いまから二十年以上も前になるが、『歴史としての戦後日本』(二〇〇三年に同タイトルで邦訳されている)という研究書が出版されている。その中で、「長い戦後」ということが言われている。その議論を紹介しておこう。
同書所収の「現在のなかの過去」という論文でキャロル・グラックは「ほとんどの国で、自国史を語るさいに第二次大『戦後』という形容が冠せられるのは一九五〇年代後半までのことで、それ以後は『現代』という扱いになる。日本の『長い戦後』は、日本独自であるとともにアナクロニズムである」とことわった上で、日本の「公共の記憶」が「戦後」という時代名称にこだわった理由として、「新しい日本の建国神話、一九四五年の再出発」をあげ、さらに「現在の日本は、民主主義も、平和も、繁栄も、すべて『戦後』に起源をもち、真正さを負っている。戦後にしがみつくことは、すなわち現状への満足の表現であった」というのである。他のところでグラックは、日本の対米従属についても論じているので、この点に限れば白井の議論との共通性は疑いようもない。(ただし、白井は、その著書でグラックから該当部分を引用しているので、別に密輸入しているわけではない。また、グラックの論文は、全体的には評価すべきところも少なくないが、ここでは批判すべき点だけを取り出していることを断っておく。)
この議論には、大きな問題が少なくとも三つある。一つ目は、ほとんどの国では戦後は五〇年代後半までであるとしている点である。ほとんどの国という事が正しいかどうかは分からないが、アメリカはそうなのであろうことは想像に難くない。しかし、問題はそれでいいのか、という事である。あれほどの大戦争の「戦後」が、十年ほどの時間で意識されなくなるとはどういうことか。アメリカは、たしかに戦勝国である。それも「正義の戦争」の勝利者であると自己主張もできる。その意味でナショナルヒストリーの上では、精神的にトラウマを負うこともない。そうであれば、「戦後」を意識の上で消し去るには十年で十分かもしれない。しかし、ナチスによるユダヤ人迫害の問題について、アメリカは無関係と言えるのか。人種主義の根は絶たれているのか。そういう問題を考える時、あの戦争の記憶を戦勝と正義のみで塗りつくすことはできないはずである。十年余で「戦後」を終らせてしまったことが、ベトナム戦争やイラク戦争の誤りをもたらしたといっても過言ではなかろう。
二つ目は、「戦後」を歴史として対象化しようという意図は理解できるが、その前提となるあの大戦争についてほとんど検討していないという問題である。「戦後」のあり方は、その前提となる戦争の性格によって決定される。戦争が植民地や領土をめぐる戦いであれば、「戦後」の問題は、領土の割譲や賠償金についての交渉とその取り立てで終わる。二十世紀初頭までの戦争はそのようにして終わった。また、戦争が、基本的に軍隊と軍隊の武力衝突に限定されていれば、戦後補償の問題も軍人とその家族への補償の問題で済ませることができる。
しかし、第二次世界大戦は、それまでとは決定的に異なる戦争であった。犠牲者の数の桁違いの多さだけでも、その範囲が軍人には限定されていないという点でも、戦争が「正義」というイデオロギーをめぐる闘争であったという点でも、人類滅亡の可能性すら垣間見せてしまったという点でも、決定的に異なる戦争であった。その戦争の後の時間を「戦後」とすれば、その戦後が簡単に終わらないはずである。アメリカ人の中にも、そういう「長い戦後」を生きている人間がいないわけがない。そういう視点を欠落させた「歴史の対象化」にどれほどの意味があるのか、はなはだ疑問とせざるをえない。
三つ目の問題は、「公共の記憶」のみを取り上げ、「個人の記憶」について論じていないことである。戦争は、国家間の武力抗争であると定義すれば、問題はすべて国家という枠内で論じればよいことになるかもしれない。しかし、あの大戦争は、国家が人間一人一人の内面にズカズカと入り込み、内面から丸ごと戦争へ動員しようとした戦争であった。もちろん、勝者と敗者の間には程度の差などという言葉では表現できない大きな相違があったことは確かである。しかし、方法、程度、内容においてどれほどの差があったとしても、国家が個人を内面的にも動員しようとしたことはまぎれもない事実である。
したがって、あの戦争が終わって動員が解除されても、動員された個人にとっては物理的な解放を意味するにとどまるにすぎなかった。どれほど多くの個人が、戦後、戦争のトラウマに苦しまなければならなかったか、想像するだけで苦しくなるほどである。そういう「個人の記憶」を抜きに「戦後」を語ることは、「公共の記憶」すなわちナショナルヒストリーという「幻想」の領域に個人を閉じ込めることになるだけである。
以上、グラックの議論に対する批判を述べてきたが、その批判は、グラックだけに向けて行ったつもりはない。三つの問題として論じてきたのも、その問題の根底には国家という枠組みで戦争と戦後の問題を論じることへの疑問があるからである。ここで取り上げた戦後終焉論――願望としてであれ、事実認識としてであれ――には、その点で共通の問題がある。敢えていえば、新しいナショナルヒストリーを組み立てて、「日本人としての誇り」を取り戻せという主張は、その「誇り」が民主主義と平和主義を基礎にしたものであっても不十分である。
もちろん、国家が現に存在し、個人の生存を維持する上でも、平和を実現する上でも無視することができない重要な役割をはたしていることを否定するつもりはない。しかし、その国家を相対化する視点、すなわち一人一人の人間の尊厳を基礎にする視点を持つこと、少なくとも戦後を論じようとする者にとって、それは不可欠であることだけは強調しておきたい。
きつかわ・としただ
1945年北京生まれ。東京大学法学部卒業。現代の理論編集部を経て神奈川大学教授、日本常民文化研究所長などを歴任、名誉教授。前現代の理論編集委員長。著作に、『近代批判の思想』(論争社)、『芦東山日記』(平凡社)、『歴史解読の視座』(御茶ノ水書房、共著)、『柳田国男における国家の問題』(神奈川法学)、『終わりなき戦後を問う』(明石書店)など。
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