この一冊

『在日朝鮮人―歴史と現在』(水野直樹・文京洙著、岩波新書、2015.1)

ともに社会と歴史を形成する隣人を知る

本誌編集委員 黒田 貴史

大阪市市長橋下徹と在特会会長桜井誠が直接会い、たがいに罵倒しあった映像を記憶している読者も多いだろう。「あんた」「おまえ」の応酬ではじまり、ののしりあっていただけだから、さして中身のあることはなにもなかった。文字におこされたものを読むと、桜井が唯一主張らしきことをいっているのは、以下の部分だろう。 「橋下:国会議員に言えって言ってるだろ、だから。 桜井:特別永住者制度については(国会議員にも)言ってるよ。 橋下:だから、市役所の前で……。 桜井:そして何よりもね、特別永住者制度を無くすためには、日本人自身が強くならないとしょうがないだろ」  つまり「特別永住」が、どうやら「在日特権」だといいたいようだ。

これには後日談があって、その場では桜井とけんか腰でやりあっていただけの橋下が、やはり特別永住は見直さないといけないと、桜井の主張を一部肯定する発言をした。両者とも「特別」だから「特権」だと思っているのだろう。

そのものずばりのタイトル『在日朝鮮人 歴史と現在』と名づけられたこの本を読めばわかるとおり、在日朝鮮人という存在自体は近代の日本と朝鮮半島との歴史的な関係のなかで生まれた「特別」な存在だということがわかる。

そもそも、なぜ「在日朝鮮人」というカテゴリーをもった集団がこの国に生まれたのか。ある時期に「強制連行の神話」が存在し、在日朝鮮人の大半は強制連行の被害者だったという考えがあった。それが正しければ、在日朝鮮人は、1939年以降にとつぜんできあがった集団になってしまう。これはある種の政治的な主張を含んだ説と考えていいのだろう。

もちろん本書ではその説は採用されていない。日本による植民地支配前からつづく主に労働力の移動の結果として形成されたこと、とりわけ植民地支配以降の経済的困窮が朝鮮人を日本に押し出す要因になったことが具体的に解説されている。つまり、日本による朝鮮半島の植民地支配という歴史事実の結果生み出された「特別」な集団であることが意を尽くして書かれている。歴史的な経過は異なるが、日本の労働力不足を補うために導入された「日系ブラフル人出稼ぎ者」もやがてはある「特別」な存在としてその歴史が記述されることになるだろう。「特別」なのはあくまでも形成過程が「特別」なだけであって、その人たちが特別な人たちということではない。そこをはきちがえてはならない。

歴史的な経過のなかで生まれた特別なカテゴリーをもつ外国人にたいして、特別な在留資格や特別な権利を与えることはほかの近代国家がふつうにおこなっていることであり、それを称して「特権」だとばかげた主張をかざして行動するのは、たしかによほど特別な考え方をもった人というべきだろう。

イギリス留学の体験をもつある弁護士は、ある日、留学生仲間と話をしていたら、全額授業料をはらっているのは自分だけだったといっていた。ほかのアジア・アフリカから来た留学生たちは、かつてイギリスが植民地支配した地域から来ていて、その人たちには学費免除の特権があった。「せめてものイギリスの罪滅ぼしでしょ」と笑っていた。それをあげつらって在英特権を許すな、というばかげた運動をおこす人がいるのだろうか。

むしろ、本書でも指摘するとおり、現行憲法施行直前(47年5月)に最後に出された勅令「外国人登録令」に目を向ける必要がある(わざわざ新憲法の効力が発行する直前に法律ではなく出された)。この勅令によって、在日朝鮮人は退去強制を含む外国人管理下に置かれることになった。この勅令を分岐点に、個人の人権を制限すべき特別な集団として在日朝鮮人に対する法的差別に基づく政策が次々に実行されていく。高校無償化について総連系の民族学校を除外する問題がつづいているが、戦後の在日朝鮮人の民族教育に対する差別的な政策は先の勅令直後からはじまっている。

また、戦後(解放後)の在日朝鮮人運動は、日本と分断された朝鮮半島、アジア情勢(とくに中国との関係)などの複雑な方程式のもとで、それぞれの立場を背景に国際関係に翻弄され、厳しい内部対立のなかですすめられてきた。うちに日本社会の差別、外に分断された祖国という困難をこえて今日までその歴史はつづいている。(とくに北朝鮮との関係は、日朝国交が樹立した後に本格的な研究がはじまらないと未解明の部分も多いだろう。)

本書は、そうした基本的な事実に立脚した視点を教えてくれる、この問題を考えるにあたっての基本中の基本を押さえた本だといえる。文字通り、必読の一冊だ。

さて、そう書くと、歴史事実を冷静に記述した本なのだろうが、あまり面白そうではないと思われるかもしれない。しかし、そのような過酷な歴史をいきながらも生み出されてきた在日朝鮮人の文化に目を向けてみよう。

「空手チョップ」「お口の恋人」を抜きにした戦後日本の大衆文化を考えられるだろうか。力道山もロッテ創業者も在日朝鮮人だ。しばしば在日を代表する産業と言われるパチンコ、焼き肉などを抜いた娯楽産業の戦後史がはたして書けるだろうか。スポーツや食文化に限らず、芸能や文学その他、「戦後日本を代表する」と形容される多くの文化や産物を生み出したのも在日朝鮮人、ないしそこにルーツをもつ人びとだ。李恢成の芥川賞受賞や張本勲の新記録達成など、往時を思いながらこの本のページを繰ってみるという楽しみ方もあるのではないだろうか。

本書の後半では、「日立就職差別裁判」など事実上はじめて展開された日本の公民権運動にたちあがる2世や多民族化する日本での在日朝鮮人がはたす役割などにも言及している。

もはや「殺せ」とか、「出て行け」という相手ではなく、ともにこの時代、社会を形成する隣人であるということを知るためにまずは本書を手にとってほしい。

くろだ・たかし

30年近い出版社勤務を経て会社員を卒業。現在フリーで編集・出版にかかわる。

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