特集●戦後70年が問うもの Ⅱ

〔連載〕君は日本を知っているか ⑤

ポツダム宣言は何故読まれないか

神奈川大学名誉教授・前本誌編集委員長 橘川 俊忠

今回は、前回に引き続いて海外神社について論じるつもりであったが、あまりにも呆れた事実が発覚したので、急遽話題を変えることにした。その事実とは、内閣総理大臣安倍晋三が、ポツダム宣言をどうやら読んだことがない、あるいは彼自身の言葉によれば「つまびらかには読んでいない」という事実である。まず、これがどれほど呆れた事実であるかということから説明しよう。

戦後レジームからの脱却?

安倍総理が、第二次安倍内閣を組織して再登場したとき、もっとも重要なキャッチフレーズとしてかかげたのは「戦後レジームからの脱却」であった。キャッチフレーズは、しょせんキャッチフレーズで、人の注目を引きさえすればよいのだから、正確な定義などはいらないともいえるが、とにかく「戦後レジーム」が何をさすのか明確ではなかった。しかし最近、安倍は、特定秘密保護法を制定し、武器輸出を解禁し、集団的自衛権の行使を容認する安全保障法の成立を狙うなど、閣議決定によって憲法の大原則を踏みにじり、「憲法改正」への道を突き進むという方向性が明かになってきた。それで、これが安倍のいう「戦後レジームからの脱却」なのか、と納得できる形がみえてきた。

もちろん、歴代内閣の閣議決定・憲法解釈を強引に変更し、さらに閣議決定でなんでもできるかのような立憲主義を無視したやり方は、まったく容認できるものではない。また、やり方だけではなく、法案・政策の内容にもまったく同意できない。したがって、「納得できる形」といったのは、その意味が客観的に分かったというだけであって、内容・方法ともに認めるという意味ではない。

ところが、ポツダム宣言を「つまびらかには読んでいない」というのだから、また訳が分からなくなってきた。というのも、ポツダム宣言こそ、戦後日本の在り方を決定した歴史的文書だから、それを「つまびらかには読んでいない」というのは、脱却すべき対象を明確に認識していないということを自ら認めているということになるからである。「脱却すべき」と主張するからには、脱却すべきレジームとは何かを明示することが何よりも必要なはずである。それをやっていないというのだから、安倍のいう「戦後レジームからの脱却」は、結局意味不明というほかはない。

そこで、安倍のブレーンとされる八木秀次麗澤大学教授の解説をみることにしよう。八木は、6月13日の『朝日新聞』朝刊で、記者のインタビューに答えて、次のようにのべている。「『戦後レジーム』とは、ポツダム宣言に基づく『ポツダム体制』のこと」で、その前半期に「日本を敵視し、弱体化させる政策」がとられたが、後半期には日本を「同盟国として取り込み、反共の防波堤にしよう」という政策に転換した。その流れが、「サンフランシスコ講和条約に引き継がれ、日米安保条約の締結と自衛隊の創設へとつながっていく」。これが「サンフランシスコ体制」で、二つの体制は原理的に矛盾している。それで、現行憲法が立脚している「ポツダム体制」を脱却する、つまり憲法改正が必要だ。以上が、八木による安倍の「戦後レジームからの脱却」の解説である。

これが、安倍の真意だとすれば、「サンフランシスコ体制」すなわち冷戦状況で形成された反共軍事対米従属の原則に基づいて現憲法改正を企てるという時代錯誤の発想に安倍も、八木もおちいっているということになる。ベルリンの壁が崩壊し、ソヴィエト連邦が解体し、東ヨーロッパの民主化が進み、中国も開放改革路線に転じ、あきらかに資本主義対社会主義という体制原理の相違にもとづく二大陣営が、相互に地球を何回も破壊する威力を持つ大量の核兵器をもって相対峙するという冷戦はすでに過去のものになりつつある。にもかかわらず、冷戦がもっとも危機を作り出していた時期の原理によって「戦後レジームからの脱却」を図るというのだから、それを時代錯誤といわずしてなんというべきか。

本論は、安倍批判が目的ではないのでこれくらいにしておくが、いずれにしてもポツダム宣言をろくに読んでもいない者が、ポツダム体制批判を主張するというのだから、その主張もまったく説得力に欠けていることだけはまちがいない。

知っているが中身は知らない

ところで、ポツダム宣言は、どれほど読まれているのだろうか。安倍の場合は、総理大臣であり、先にものべたように「戦後レジームからの脱却」を主張していることからすれば、当然に読んでいてしかるべきであった。それでは、他の政治家はどうであろうか。質問をした志位日本共産党委員長が読んでいるのはまちがいないが、他はどのくらい読んでいるであろうか。いまさらアンケートをしても正直には答えないであろうから、実態は分からない。まさか、ポツダム宣言を知らないという政治家はいないだろうが、読んだ、それも「つまびらかに」読んだ政治家となると、最近の知的に劣化した政治家達をみるかぎり、それほど多いとは思えない。

それから、この問題に対するマスコミの反応も気になった。テレビのニュースで、志位委員長との党首討論の場面を見たので、さぞ明日の新聞は大きく取り上げるだろうと思っていたが、全国紙各紙は、党首討論のひとコマという程度で、見出し付で報じているところはどこにもなかった。筆者が確認した限りでは、『日刊スポーツ』だけが見出し付で報じていただけであった。その後も、この問題について本格的に取り上げている記事は、残念ながらまだ目にしたことがない。まさかとは思うが、マスコミ関係者も読んでいないのではないかと疑いたくなるような状況である。

それで、少し嫌味かなと思いながら、筆者の周辺で読んだことがあるかないかを聞いてみた。世代的には、二十代の学生から六十代の大学教授を含む三十人ほどであるが、驚くべきことに、あの報道があったので読んだという数人を除いて、ほとんどが読んだことがないというのである。例の「玉音放送」を直接聞いた世代のことは分からないが、戦後生まれの世代は、政治学や現代史の専門家か、よほど政治的関心が強く、読む必要に迫られた者以外は、読んだことがないのではないか、と考えざるをえない状態なのである。

かくいう自分自身について振り返ってみると、いつ読んだのかはっきりとは思いだせないのが正直なところである。大学生の時には、たしかに読んでいたと思うが、それ以前にはほとんど記憶がないのである。中学生になって、社会の授業で日本国憲法は全文暗記させられたことは鮮明に覚えているが、ポツダム宣言についてはそういう記憶はない。筆者の記憶に間違いがなければ、歴史の用語ないし事項としては教えられても、その内容はごく簡単に触れられただけだった。

これは、筆者だけの個人的体験なのであろうか。しかし、どうもそうではないらしい。実際、受験勉強が優先される状況で、現代史の部分はあまり教えられていないという現実がある。大学側では、現役の受験生を想定して入試問題を作成する場合、三年生の二学期までの学習を前提にする。現代史は三学期になることが多いので、作問範囲からはずすということになる。入試に出題されないということになれば、高校教育の現場では時間はかけられないということになる。その結果、ポツダム宣言は十分には教えられない、という事情も一つの要因であろう。また、現代史上の出来事は、まだ評価が定まっておらず、とかく論争や問題を引き起こす。教員の側に、そういう厄介な問題に巻き込まれたくないという配慮が働くことも、ポツダム宣言を単に年表上の事項としてしか扱わないということに作用している可能性もある。

しかし、いかなる要因があるにしても、ポツダム宣言がまともに読まれていないという事実は消すことができない。それは、日本がポツダム宣言に面と向かってこなかったということを意味するのではないだろうか。そして、それは「敗戦」という現実に正面から向き合おうとしなかったことと対応する。つまり、「敗戦」を「終戦」と言い換えている、そしてその言い換えを不思議と思わない精神構造のあらわれでもあるのである。あえていえば、ポツダム宣言から目をそらさせるような無意識的心理がはたらいているために、用語としてはだれでも知っているが、その中身はつまびらかには知らないという現実が作り出されてしまったのである。

ポツダム宣言の目的と論理

さて、ここからは、ポツダム宣言そのものの検討に移ろう。といっても、宣言の本文自体は、インターネットで検索すれば英文もその日本語訳も簡単にみられるので、ここでは全文の紹介はせず、内容の概略を述べるにとどめる。

宣言は、全十三カ条で構成されている。第一条から第四条までは、ドイツ降伏後の世界の軍事情勢を述べ、圧倒的な軍事力の誇示と戦争完遂の決意を披歴し、日本に降伏を迫る内容となっている。第五条は、降伏後の日本に関する第六条以下の条項につなげるための接続詞のようなもので、具体的な内容はない。ただ、この五条にあるtermという英語の訳をめぐって、これを条件と訳し、それをもって日本が無条件降伏したわけではないという主張がなされることがある点について簡単にふれておこう。termを、条件と訳そうと、条項と訳そうと、そこに示された内容は一切の交渉なしに、一方的に宣言されたものであり、それゆえ変更の可能性はまったくなかったことを考えれば、その受け入れは無条件であったという意味で無条件降伏というべきである。したがって、前記の主張は、無条件降伏を認めたくない者の無意味な自己満足の主張といわざるをえない。

そのような本質的ではない議論はさておき、第六条以下の条項を要約しておこう。まず、世界征服を企てた軍国主義者の権力および勢力の除去、戦争犯罪人の処罰、軍隊の武装解除、軍需産業の解体、領土の限定が宣言され、民主主義と人権の確立、平和的かつ責任ある政府の樹立がもとめられ、その実現まで軍事占領を継続することがうたわれていた。また、復員軍人の家庭復帰、平和的経済活動と国際貿易への参加などが保証されていた。ようするに、連合国は日本の徹底的な非軍事化と民主化を要求してきたのである。

このポツダム宣言は、一九四五年七月二六日、アメリカ、イギリス、中国(中華民国)参加国の共同宣言として発せられた(ソ連は、八月八日の対日参戦後に参加)。この宣言の目的は、日本をできるだけ早期に降伏させることにあった。したがって、その内容は、いわば恫喝と懐柔の二つの側面をもっていた。また、連合国間およびアメリカ政府内部の対日強硬派と知日派との対立――戦犯裁判において国際法廷を設置するか否か、天皇制存続の保証を与えるか否か、宣言そのものを出すべきか否か、などをめぐる方針の相違に起因する――のため、宣言の文章に曖昧さがあることも否定できない。

たしかに、日本に非軍事化と民主化を要求する点においては、曖昧さはない。連合国にとって、戦争は、民主主義対ファシズムの戦いであった。現実には、戦争の原因は、帝国主義国間の勢力争い、資本主義対社会主義という体制間対立、植民地政策に対する民族主義の台頭など様々な要因が複雑にからまりあっていた。そうして始まった戦争の進行につれて、連合国は民主主義とファシズムという対立軸を強調し、民主主義のための戦いとして自らの戦争を正当化する傾向を強めていった。したがって、戦争の勝利は、ファシズムに対する民主主義の勝利であり、ファシズム国家を解体し、民主主義体制に移行することを敗戦国に要求するに至ったのである。

しかし、その民主化の要求には、戦争を開始し、指導したファシズムあるいは軍国主義者に一切の責任を負わせ、一般国民にはその責任を問わないという論理がともなっていたことにも注意しなければならない。その論理の背後には、戦争を終結させるために、権力と国民の間にくさびを打ち込み、国民の離反を誘うという狙いがあった。そのことは、戦争を終結させる上で効果を発揮したとはいえないにしても、戦後日本の在り方には大きな影響を与えた。

戦後日本とポツダム宣言

戦後日本は、このポツダム宣言を受け入れることから出発した。世界の大勢利あらず、敵は残虐な爆弾を使用し人類文明破壊の危機を招いた、国体護持という戦争目的は達成した、耐えがたきを耐え、さらに国体の精華の発揚につとめよという奇妙な論理によって構成された「詔書」は、それでもたしかにポツダム宣言を受諾し、日本は降伏した。連合国は、宣言通り日本を占領し、軍隊を武装解除し、民主化のための指令を次々と出し、戦犯裁判・公職追放によって軍国主義者の処罰・追放を実施し、憲法の改正を指導した。戦後数年間で、ポツダム宣言の条項はほぼ達成された。日本の国民も、そうした戦後改革を全体的には積極的に受け入れた。占領統治の責任者連合国最高司令官マッカーサーが離任するにあたって、日本国民は、虎ノ門のアメリカ大使館から羽田空港までの沿道に列をなして見送ったのである。

そして、沖縄をアメリカの統治下に放置することを承認するという条項を含むサンフランシスコ講和条約を締結し、その後国際連合への加盟も認められ、「独立」の回復と国際社会への復帰をはたした。講和と同時に日米安全保障条約を締結し、アメリカへの軍事的従属の下で、戦後日本は復興から経済の高度成長へと走り出した。その結果、課題が達成されたポツダム宣言は、過去のものとして歴史年表の中に放り込まれ、閉じ込められてしまった。ポツダム宣言を読む必要性は失われたと錯覚したと言い換えてもよい。ポツダム宣言が、あまり読まれることがないという事実の背後には、そうした錯覚が潜んでいるように思われてならない。

しかし、宣言を発した側からすれば、戦争を終結に導くためという目的は果たされたかもしれないが、それを受諾し、降伏=敗北の現実を突き付けられた側にとっては、そのような事態に立ち至った原因はどこにあったのか、そして戦争によってどのような悲惨を誰にもたらしたのかを主体的に問うという課題が残るはずであった。にもかかわらず、その課題は徹底的に追及されることなく、戦後の時間は経過してしまった。日本は、ある部分は意識的に、大多数は無意識的に、ポツダム宣言の軍国主義勢力と一般国民を分離する論理にのってしまったといわざるをえない。その結果、加害者として国民も分有すべき責任の自覚が希薄になったことは否めないであろう。責任の意識がなければ、真剣な反省もなされるはずはない。

さらに、ポツダム宣言が読まれないという事態が広がっていく一方、侵略の意図はなかった、あくまで自存自衛と万邦共栄のために開戦にいたったという動機の釈明から始まるあの奇妙な詔書の論理が生き残り、次第にその影響力を拡大しつつあることも看過できない。日本は無条件降伏したわけではないという主張の根拠としてポツダム宣言第五条がもちだされることの背景には、詔書の論理がちらついている。安倍の「戦後レジームからの脱却」というスローガンにも、根底には詔書の論理がよこたわっている。安倍が固執する「戦後七十年談話」の内容が、「同盟国」アメリカの意向や東アジア情勢への配慮によって、安倍の意志通りのものにはならないとしても、その根底にある詔書の論理を注意深く摘出することが必要になるかもしれない。

それはともかく、ポツダム宣言は、戦後日本の方向を決定した最も重要な文書である。今日の日本を考える上でも、それを読み直す必要性は減じてはいない。それを知らないことは、今日の日本を知らないことでもある。 ただ、それを読む場合、注意すべきことがある。ポツダム宣言は、大戦末期に日本の降伏を勧告するために発せられたという状況に規定された性格と、人権や民主主義の実現をめざすという普遍的立場に立った主張とが混在している点に留意しなければならないということである。ポツダム宣言は、日本を叩き潰すためにだしたという見解は、まさに状況のみに視野を限定した読み方、それも日本だけが悪いわけではないという感情にひきずられた読み方によるものである。そこからは、何の反省もでてくるはずはない。ここにも詔書の論理の残響がある。

ファシズムに民主主義を対置したポツダム宣言の論理は、あきらかに基本的人権という人類の普遍的価値に基礎をおいた政治システムの優位を主張するものである。その主張が、誰によって、どういう状況の下でだされようとも、その普遍的価値を認めなければならない。その普遍的価値にしっかりと根を下ろして、日本の過去と未来をみすえること、もし日本人の誇りをとりもどすことが必要だと考えるならば、そのこと以外に道はないことを自覚すべき時がきているのではないだろうか。

きつかわ・としただ

1945年北京生まれ。東京大学法学部卒業。現代の理論編集部を経て神奈川大学教授、日本常民文化研究所長などを歴任、昨年4月より名誉教授。前現代の理論編集委員長。著作に、『近代批判の思想』(論争社)、『芦東山日記』(平凡社)、『歴史解読の視座』(御茶ノ水書房、共著)、『柳田国男における国家の問題』(神奈川法学)、『終わりなき戦後を問う』(明石書店)など。

特集・戦後70年が問うもの Ⅱ

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