特集●戦後70年が問うもの Ⅱ
東アジアの新しい秩序と二つの道
沖縄の選択と日本の立ち位置―琉米和親条約等の意味
神奈川大学外国語学部准教授 後田多 敦
琉球国の条約に高まる関心
琉球国が19世紀後半にアメリカ(1854年)、フランス(1855年)、オランダ(1859年)と結んだ条約に対して、沖縄で関心が高まっている。地元の新聞『琉球新報』がそれらの条約の存在を積極的に打ち出し、琉球が国際的主体だったことの論拠の一つとして紹介したことが大きな契機となっている。以前から歴史に関心のある市民が条約の存在と接収されたままであることを話題にしていたが、『琉球新報』のキャンペーンで沖縄内でも理解が一気に深まることになった。
琉球国が3か国と結んだ条約は、琉球が欧米諸国から国際的主体として承認されていたというだけでなく、幾つかの点で重要な意味をもっている。一例をあげれば、「琉米和親条約」は現在の日本国が保有する最古の条約書原本だという点だ。徳川幕府は1854年、琉球国より先にアメリカと条約を結んだが、その日本側原本は江戸城火災で消失し存在しない。現在日本国にあるのはアメリカ側原本からの複製だ。そのため、日本にある最古の条約原本は「琉米和親条約」の琉球国側原本である。それではなぜ、「他国の条約書原本」を保管しているのか。簡単に言えば、日本が接収したからだ。この「琉米和親条約」原本を日本の外務省が保管していること自体が、まさに近代日本が行った琉球国併合の証拠の一つなのである。
最近の沖縄の動きを見れば、これから先その条約の有効性への主張など活用の機運が高まっていく可能性もでてきた。それに加えて、沖縄県はかつての締結国との関係を強調しながら「条約締結のセレモニーを観光イベントとして再現しよう」「友好関係を結びましょう」という動きを始めかねない。また、フランスやオランダが何か言い出すかもしれない。つまり、琉球の国際的主体性を再評価する方向へと動きだす「火種」が、いまだにくすぶっているのだ。
このような状況では、日本政府が火種を完全に消しておきたいと考えても不思議ではない。どうすれば、日本はこの火種を消すことができるのか。なかなか難しい問題だが、一つの方法としては歴史資料にして、現在の有効性を否定することが考えられる。何らかの文化財に指定することも可能だろうか。そうすれば、歴史に封印できるだろうが、自国の侵略行為を証明する資料を文化財にすることになる。なかなか厄介だ。しかし、そのまま放置もできない。「琉米和親条約」原本は、日本政府ののど元に刺さった棘なのだ。
この事例だけでも、『琉球新報』が条約を積極的にとりあげた意義は大きい。一連の報道で、主体としての琉球についての関心も高まり、歴史の歯車が確実に回り出したといっていいだろう。このことで、沖縄県が公的にフランスやオランダに対し、条約の有効性確認や新たな関係構築へと動くことも可能になった。沖縄県が具体的に踏み出せば、新しい局面が始まる。
前近代東アジア国際秩序のなかの琉球国
琉球国が米仏蘭の各国と結んだ条約を強調することの光の部分(沖縄にとっての)を書いてきたが、そこには影というか、注意すべき点もある。3か国が琉球国と条約を締結したのは、「アジア進出」の一環だった。これらの条約は、欧米諸国が行ったアフリカやアジア侵略の枠組みの延長線上にあることも忘れてはいけない。
前近代の東アジア国際秩序の中心にあった清国は、アヘン戦争に始まるように欧米諸国の激しい攻勢にさらされ、さらには欧諸国を後追いした大日本帝国によって、いわば「トドメ」を刺されて崩壊する。欧米諸国とそれに加わった日本は侵略側であり、東アジアの国際秩序を破壊する側だった。それに対し、琉球は清国や朝鮮とともに侵略され、併合・解体させられる側である。
琉球がおよそ500年にわたって一国たりえた理由の一つに、中国(明・清)の冊封体制の存在がある。琉球国は14世紀後半、明の冊封体制に加わることで、東アジアの国際舞台に政治主体として登場した。その点で、政治主体としての琉球の存在は、冊封体制と深く結びついていた。明治政府の琉球国併合の際、多くの琉球人が清国へ亡命し救国運動を行ったのも、琉球と冊封体制の関係の重要性を示している。その体制を破壊した力の一つは帝国主義の欧米諸国であり、最終的には「脱亜入欧」の近代日本だった。
明治日本は統治体制を整備しつつ、冊封体制に挑みかかっていく。明治政府はその一員だった琉球国併合に着手し、その最中に最初の国外派兵となる台湾出兵(1874年)を行い、さらに朝鮮と清国との間に楔を打つべく日朝修好条規を結んだ(1876年)。そして、明治日本は琉球国の王権を接収(1879年)し、沖縄県を置いた。それによって、まず冊封体制の優等生だった琉球が消えることになる。
東アジアの国際秩序(冊封体制)と欧米の国際秩序(条約体制、万国公法)との対比でみれば、東アジアにとって万国公法は「侵略の論理」である。明治政府は台湾出兵や琉球国併合の際、万国公法の論理を利用している。万国公法は琉球国を解体させる論理の一つになっていた。このことを思い起こせば、琉球の政治主体としての根拠として、米仏蘭との条約を強調することに「ネジレ」があることに気がつく。それは「影」の部分と言ってもいい。
審判されることへの日本の「怖れ」
琉球国が一国たりえたのは、「条約」が根拠ではない。冊封体制のなかで主体として成立していたからこそ、条約を結ぶ対象とされたのである。琉球・沖縄の主体性や主権を考えるなら、冊封体制の重要性を思いこさなければならないだろう。
琉球国では、王権の正当性を担保するための二つの仕組みが存在していた。一つは、王権が「琉球の神」から承認されているということ。つまり、「王権神授」である。この仕組みは民族宗教と深く結びつき、古くから存在していた。もう一つが、東アジア国際秩序への参加である。冊封体制の一員となることで、琉球の王権は明・清をはじめ、近隣諸国からも承認されたのである。歴史を踏まえれば、琉球の国際的主体性にとって根幹的なのは冊封体制であり、民族宗教なのである。
それではなぜ、政治主体としての琉球を考えるなかで条約のみが強調され、冊封体制や民族宗教が置き去りにされているのか。そこには現在の東アジアを取り巻く状況、特に日本社会の立ち位置が影響している。つまり、現在の日本の事情だ。
東アジアはいま、経済的にも力をつけた中国を中心として回り始めている。やがて中国中心の新しい秩序が確立されるだろう。そして、日本はその新秩序の中心に位置することはできない。この新しい東アジア秩序が確立すれば、冊封体制を破壊した日本、「脱亜入欧」のスタンスで周辺地域の侵略へと突き進んだ近代日本の在り方が問われることになる。
現在の日本社会に瀰漫している中国や韓国への「反感」や「嫌悪」の背後には、やがて具体的に実現する新秩序への「怖れ」や「不安」があるように感じられる。それは、審判される近代日本の歩みに対する不安の裏返しだ。沖縄で「条約」が強調されたのは、日本社会にあるそのような「怖れ」や「不安」への「遠慮」が背景にあるのかもしれない。それけではなく、東アジアの中の琉球という歴史を強調するなら、中国や韓国への「嫌」はやがて沖縄への「嫌」となりかねない。それゆえに、欧米の枠組みで琉球の国際的主体性が話題となったのだろう。
東アジアの地殻変動のなかで、日本社会は自らの近現代の歩みを省みるのではなく、中国や韓国に牙を剥くことで「怖れ」や「不安」を乗り越えようとしている。その潮流が現在の安倍政権の誕生につながり、日本を戦争体制の整備へと突き動かしている。しかし、日本社会が怯えているものの実態、それは他の国ではなく、近代日本の姿そのものだ。日本社会は鏡に映る過去の自分に怯えているといっていい。近代のアジアで破壊と殺戮を繰り返したのは、中国や韓国ではなく大日本帝国だった。
新しい東アジア秩序のなかでどう生きるか
第二次世界大戦によって、米国に占領され米軍基地となった沖縄は「アジアの要石」と呼ばれた。さらに遡れば、琉球は小国ながら冊封体制の優等生でもあった。それは沖縄が軍事だけでなく、平和や交流を含めて、東アジアの秩序にとって重要な位置にあることを示している。
経済力を蓄え、国内を整備しアジアや世界の中心へと進み出る中国。それに対し、過去の歩みを清算できずに怯える日本。日本社会は「怖れ」や「不安」を解消しようとして、東アジアの紛争の火種(火薬庫)になろうとしている。一方で沖縄は、「火薬庫」化していく日本とは異なり、平和への道を模索している。現在の動きを全体としてみれば、東アジアにおける「近代」の清算過程と位置付けることができるかもしれない。そのなかで日本と沖縄は別々の道を歩もうとしているのである。
東アジアの秩序再編という新しい時代に、沖縄にとっては琉球国が500年にわたって積み重ねてきた冊封体制への一員だったという経験が生きてくる。さらに、近代においての沖縄も「破壊された側」だった。日本の「脱亜入欧」のなかに琉球国併合があり、その延長線上に沖縄戦や米国の沖縄占領と軍事利用がある。大日本帝国が侵略した周辺諸国や地域と同じように翻弄されてきた沖縄は、その歴史を再確認することで新しい時代を切り開く術を得ることができる。先人たちの生きた苦難こそが、新しい秩序のなかで反転し大きな力となる。沖縄にとっては、まさに先人の正の遺産だ。
日本は東アジア再編の時代に、「怖れ」や「不安」から日本ナショナリズムと力で対応しようとしている。自他を等身大で理解できなくなっているようだ。その姿勢は政府だけではない。現在の日本政府を支える国民も、その流れを後押しする。自国の社会や政府への甘いスタンスと、中国や韓国への厳しい姿勢という東京メディアのダブルスダタンダードや、日本社会や皇族への過度の賛美はナショナリズム涵養への仕掛けでもある。やがて、その日本ナショナリズムが戦争体制の内実を満たすなら、日本社会は後戻りできない世界へ足を踏み出すことになるだろう。
日本は「近代の負債」を清算すべき時期にしなかった。「近代の負債」と「その未精算」という二つの「負」を抱えながら、東アジアの秩序の主役が変わる時代に立ち向かわざるを得ない。二つの「負」の裏返しとしての「不安」「怖れ」が、日本を「火薬庫」へと向かわせているように見える。しかし、新しい秩序の時代は、二つの「負」を改めて清算する機会でもある。また、そうすべきだろう。そのためにも、日本は立ち止まり、近代の歳月を見つめ直す必要がある。
沖縄にとって、琉球国の条約の再評価は新しい局面を開く力となった。しかし、そこにはネジレも存在している。沖縄は怯える日本に翻弄されてはならない。日本の不安に共振してもいけない。そのためにも、沖縄もまた立ち止まり、東アジアのなかで生きた歴史を見つめなおす必要があるだろう。琉球の過去の歩みのなかには、新しい東アジアの秩序で豊かに主体的に生き抜くだけの知恵が刻まれている。沖縄は、その道を進んでいけばいいだろう。
しいただ・あつし
1962年石垣島生まれ。神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科前期課程修了。沖縄タイムス記者、琉球文化研究所研究員などを経て、2015年4月より神奈川大学外国語学部准教授。著書に『琉球救国運動―抗日の思想と行動―』(出版舎Mugen、2010年)、『琉球の国家祭祀制度―その変容・解体過程―』(出版舎Mugen、2009年)。
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