連載●池明観日記─第26回

韓国の現代史とは何か―終末に向けての政治ノート

池 明観 (チ・ミョンクヮン)

 

≫またやってくる日本のオリンピック≪

歴史において良心的な少数者を発見して継承しようとする歴史観が必要ではなかろうか。力のある邪悪な者たち、そのような多数者の群を眺めて絶望するのではなく、平和を求めて苦しむ少数者をさがし当てて励まし、それに感謝する史観とでもいおうか。聖書にあるような、それこそ聖書的に神の御働きに従って歴史をさがし求めることとでも言おうか。

2020年のオリンピックは日本で行われるという。私は今度もまたアメリカの頭脳集団(Think Tank)が気を使ったかと考えた。歴史の正しい方向を見定めながらもっともリアリスティックな道を求めるともいうべき頭脳集団のことである。アメリカのそのような動きにヨーロッパが合流するとでもいおうか。日本のオリンピックによって日本の反動化を防ぎ、北東アジアの平和と繁栄を追い求めるという世界史的なもくろみをそこに投影したとすればどうであろうか。このような夢を描いてみることは私の愚かな空想に過ぎないといえようか。私はそのようなことを期待しているのだが。そのような姿勢がなければ世界のリーダーになりえない時代になりつつある歴史ではなかろうかと私は思うのである。

すでにふれたようにこのような歴史の中で、日中韓の間において、私は常に平和の中間者の役割を韓国が担うべきではなかろうかと考えてきた。これが近代の侵略の時代に日中の間においてわれわれの先達たちが夢見てきた東洋平和の思想ではなかったかと考えてきた。日中は力の均衡を成し遂げなければならない。韓国は日中どちらかに一方的に加担するのではなく、もしもそのために打たれることがあっても、草木の根をつかんで身悶えしながらも東洋平和を追い求めるのだと考えた。今や近代の時代とは違ってわれわれもそのようなことができる国力を多少は身につけることができているのではないか。世界史もそのような役割をわれわれに期待しているのではなかろうか。 

私はこの声を伝える道がないので、ここに遺書ででもあるかのように私の思索ノートに書き止めておくのである。とりわけすでに多くの友人同僚たちが韓国でも日本でも先に逝ってしまったからである。しかし幸いにも堀真清が答えてくれることに感謝してやまない。彼は日本においてはもちろんのこと、中国でもそしてヨーロッパでもそのような同志をさがし求めてきた。

今度中国で出版された彼の著書『思想者的足跡―池明観』という私の伝記が今後どのような役割をしてくれるのだろうか。彼は東アジアの知的交流という未来像を描いてだと思うのだが。そのような役割は今日の世界史が要求していることではないか。遠い以前には中国の知者はアジア全体の知者ではなかったか。ヨーロッパではみんなが長い間知的伝統と交流を共にしてきたではないか。北東アジアということをかつての帝国主義の延長線上で解釈することはやめようではないか。歴史は常に新しく書き直されるものではないか。世界史においてかつてイギリスがしてきた役割と今日においてアメリカがする役割とは違っていると思う。晩年に至ってこのような歴史観に達したことを私は感謝している。それぞれイギリスとアメリカがその時代に従って主体的に決定した歴史であるといわねばなるまいが、彼らの意思を超えた歴史の意志によってそれらは強いられたものであると私は考えたい。

歴史は日に日に新たなものであり、それは多くの悲劇を超えていく道であろう。私は私の人生に感謝しながら老後の身でアメリカに訪ね、実に多くのことを考えるようになり、学んでは伝えることができるようになった。すべてアメリカに来るまで考えることのなかった、ほんとうに予想のつかなかったことである。一般の歴史においても、個人史においてもそういったことがありうるのではなかろうか。そのような歴史の呼びかけに私は答えたいと思うのだ。(2013年9月9日)

 

『「韓国からの通信」の時代』(影書房、2017年)

政治は一層近視眼的になって行くのではなかろうかと思っている。韓国では与党のセヌリ(「新しい世」の意)党が反共保守を代表するような顔をし、野党の民主党が韓国の進歩を代表しながら対北融和政策を唱えるように見えて、国民統合の時代を夢見ることはますます遠のくような気がしてならない。その古い起源には北で迫害を受けて南下しなければならなかった状況と南ではアメリカが朝鮮の統一を望まないで旧親日派と地主階層を支えているといわれた流れがあったのではないか。

朝鮮半島には冷戦が崩壊しイデオロギー的分割など、意味のないことになったにもかかわらず、今だに終戦直後のそのような歴史のしこりを残したまま、南北に分断されている。歴史が変化したといってもこのように消し去ることのできないものが遺産として残っている。しかし歴史は決して同一なものの反復ではなく、それ自体としての進歩をわれわれの理解を超えてもたらしてくれるものと私は考える。

趙廷来の『太白山脈』を読みながら私はいっそうそのように考えざるをえなかった。歴史は決してそのまま反復されるものではない。しかし目に見える残流ともいえるものが続くのであろう。どのような歴史家がこのような歴史をすべて汲み上げることができるであろうか。すべての書かれた歴史は真の歴史のわずかな断片に過ぎないのだ。

2020 年のオリンピックは日本に決まった。日本に安心を与え、彼らの一部が夢見る反動の道を遮らねばならない。アメリカの頭脳集団はいろいろ考えたかもしれない。朴正煕を支持していたアメリカはもう過ぎ去って、すでにいないと私は思う。彼らは今はヨーロッパの統合のつぎには北東アジアの平和を求めるであろう。アメリカの頭脳集団は決して急進的ではないが保守反動ではないはずだ。何よりもあのような保守反動では歴史において生き残ることなどできない。そして過去のような領土占領の植民地時代は過ぎ去ってしまったし、アメリカはそのようなものを必要としない国家ではないか。この時代のためにアメリカは準備ができている国であるといえるかもしれないと私は思っている。

シリアにおいて政府軍がロシアが供給してくれた化学兵器を使ったという。アメリカはシリアに対して制限的な報復攻撃を加えるであろうといわれる。中国は今度はロシアと行動を共にしなかった。中国も今はアメリカの実質的な力を必要とするのではなかろうか。そこで日本のオリンピックも必要になってくるのではなかろうかと思う。北東アジアの平和と協力の時代が来なければならない。ロシアの陣営はますます弱ってくるであろう。今やロシアには過去において国際政治を経営していたイデオロギーも経済力もないといわねばならないであろう。

アメリカは過去において世界を支配してきた国家とはあまりにも異なるといえよう。アメリカはかつての植民国家がもっていたような力をほとんど行使しない国であるといえるし、利益を与えてくれる国家であって搾取して行く国とは見えないのだ。アメリカは保守に回帰する国ではなく、漸進的ではあっても進歩に向かって進んでいる国に見える。このような対米観を持たなければ失敗するであろうと私は考える。

韓国の与党はつぎの大統領になれそうな人物をひそかに可視化しているように見える。野党は右往左往していて、特に大きな歴史的変動があり、かなりの人物でも押し出さない限り、次期の大統領選でも失敗を望んでいるであろうか。韓国に居る友人たちと話し合ってみるべきことなのかもしれない。アメリカは中国でも日本でも政権の安定が続ければと思い、韓国でもそうであって欲しいと思うであろう。

特につぎの時代には南北統一ということが課題となるのではなかろうか。このように歴史とはやはり大国が操ることのできるものとなるのだろうか。歴史の前途に対してかつての植民地勢力が彼らの国家利益の立場から追求したこととは違って、今日においては少なくとも世界平和の道を追い求めていると思うのだが。ソ連の世界支配とアメリカの場合を具体的に比較してみる必要があるのではなかろうか。アメリカの場合はその影響下にある国々にだんだんと広く国民の自由を許してきたといえるのだろうか。(2013 年9月11 日)

 

≫「メンフィス」を見て≪

ミュージカル「メンフィス」のビデオを見た。1950年代のまだ公式的には黒人と白人の結合を許していない頃における彼らの間の結婚を問題にした作品である。英語を聞き取れないのが惜しい。いつか日常生活において見たアメリカについて思いきり書いてみたいと思ったが、このように時たま思いついたことを書き記すしか仕方がないような気がする。

『韓国文化史 新版』(明石書店、2011年)

テレビで白人、黒人が楽しく交わり、黒人大統領が選ばれるアメリカではないか。この国に対して私は過度な好感をもってながめているといわれるかもしれない。今度も『福音と世界』に出ているアメリカとアメリカ教会に関するほとんど希望など持てないと書いている文章を見て、この国をそのように非難していいのだろうかと思った。過去において黒人をそれほど差別しながらもその一方では神の人間創造を信ずるという、そのような狭間で彼らはいかに苦しかったのだろうか。そのために1960年代に公民権運動が起きると白人たちも直ちにそれに呼応するほかなかったのではないか。神の意志とこの世の秩序の間で常に苦しむアメリカの姿を見るような気がする。

今日このように世界どこからも自由に集まって来られる国がアメリカ以外にどこにあるだろうか。そこで私はアメリカは世界の未来像を見せてくれていると考えながら今日の「パックス・アメリカーナ」に注目している。

年寄りが身を寄せる家でもわれわれ東洋人に入ってくるようにと手招いている。庭で草取りをしていると、やって来ては不便なことはないかと言いながら、何かあれば助けて上げるから連絡してくれるようにという隣りの家のおばあさん。路傍にわれわれ夫婦が座って休んでいると近くの会社の女の職員が、何か気分の悪いところでもあるのかとたずねてくるし、路で出合えば見知らぬ人でもおたがいあいさつを交わしながら行き交い、病院にでも行けば無料患者でもあれほど親切に診てくれる国。信号燈のない道を横断しようとするとほとんどの車は止まってくれるではないか。東方のすべてにおいて急げ急げとせめ立てる国から来たこの異邦人は初めの頃はかえって当惑するほどであった。アメリカは物質的に余裕があるからと簡単に言ってはならないような気がする。

このようなアメリカの市民社会を離れてアメリカの政治を世界支配の悪霊と短絡して片付けることは単なる反米主義の声に過ぎないと私は考える。私はアメリカを通して神の世界支配の目に見えない手を感じているとでもいおうか。「メンフィス」において見られる姿は歴史の鉄則であり、それがアメリカから世界へと流れて行くことにおいて神の手を感じるのだ。学校の幼児のクラスも白人のアメリカ人ではない非白人がここミネアポリスでも半数を超えているというではないか。そこで人種差別のない能力主義が支配するようになる。

日本ではそのような発想ができるのだろうか。韓国では東南アジア出身の女性たちと結婚した家庭の話を毎週テレビで放送している。そして彼らにただで東南アジアの故郷を訪ねるようにしているが、日本の場合はどうであろうか。日本でもそのような家庭が増えているにも拘らずひた隠しに隠し続けているように見えるのだが。白人の女性であればテレビの画面に現れると思うのだが、どうであろうか。

そのような日本が2020 年の東京オリンピックという祝祭を開催するようになるという。それは1964年の東京オリンピックとも異なるものであるといわなければなるまい。日本が北東アジアの平和のためにどのような役割を果たしうるというのであろうか。それに歴史の方向というものが働くのではなかろうか。日中韓の平和と協力という発想が欠如しているこの地域において、先達たちが言い続けてきた東洋平和のための役割を韓国は担わなければならないのではないか。北東アジアに対する平和のイニシアティブは韓国からという明るい理念から韓国は周辺を見わたすことのできる政治的知恵と能力を身につけなければならないと私は思っている。特に統一された朝鮮半島を心の底に念じながら。(2013年9月20日)

 

≫嶺南(ヨンナム)を思いながら≪

朝の散歩をしながらふとこういうことを思った。嶺南、慶尚南北道に関してであった。6.25、1950 年の朝鮮戦争の時、本土ではその地域だけが北の侵略を免かれて生き残った。この地域は1946年の10.1いわゆる大邱暴動事件をあげながら、政治的に抵抗する批判的な気風に満ちた所であるといわれた。しかし今はこの地域は保守的な様相を示し、そこから政権が生まれてくるといわれる。そのために西部の湖南地方などほかの地域では疎外意識にかられているが、このような状況はたやすく解消されるとは思われない。

発想の転換はまさに嶺南地方からといわねばならないのかもしれない。このことがキリスト教的発想またはキリスト教的メッセージとならなければならない。このメッセージはまずわれわれのみが享有すべき特権ではない。かえってわれわれがこの民族のために奉仕するようにと呼び出されていると思うのである。このような発想の転換を促すメッセージがその地域の教会から湧き出てこなければならない。そこは6.25朝鮮戦争において孤島のように守られたところである。そこから救援のメッセージが他の地域に向けて流れ出さねばならない。

このような使命ともいうべきことが自覚されて叫ばれることはできないだろうか。そうなれば分裂し対立しているこの地における救いの始まりになるのではなかろうかという思いがしてならない。このような意識がやがて南における北に対する姿勢ともならねばならないのではなかろうか。まるでアメリカが世界に対して傲慢な姿勢ではなく奉仕と犠牲と救援の役割を担当しなければならないという使命意識を持たねばならないように。

60年前神の恵みによって保存された東南部地域は歴史的使命を与えられたという歴史解釈である。その特権をもって他を支配しようとするのではなく、他に奉仕しようとすれば、朝鮮半島の未来に貢献することができるのではなかろうか。このような生き方によってその地域、嶺南も生き生きしてくるであろう。憎悪の対象となるならばいかに生き残れるであろうか。

歴史において例をあげればスターリンのロシアは共産主義といいながら、国内外的に傲慢な国家となってしまったのではなかったか。自分のためのみを考える傲慢をもってしてはそのような自滅の道を行かざるをえないのだ。このような歴史的教訓を嶺南地方、その地域の人々に伝えなければならない日が近づいてくるような気がしてならない。

朴正煕時代の過ちを想起させ、それが残した痕跡を思い起こさせながら、キリスト教的発想への転換を訴えたい。その地方の教会にこのような新しい姿勢に向かうようにと目ざめることを求めねばなるまい。キリスト教のみがわれわれに生命の道を提示してくれるのではないだろうか。このような形で韓国の現代史に対する神学的解釈を試みたいと思わざるをえない。それが可能であろうか。(2013年9月21日)

 

『韓国近現代史ー1905年から現代』(明石書店、2010年)

今日の目で眺めた時、15、16世紀にヨーロッパから始まった近代とはどのような時代であったと規定することができるであろうか。それは西欧が世界と全面的に遭遇した時代であった。東洋は全く受動的な立場にあった。ポルトガルとスペインが東洋に進出しカトリック教が伝えられた。それからつぎはイギリスそしてフランス、ドイツと続き日本はこの西力東漸に抵抗しながら西への道を試みたのであった。ロシアもこの世界に進出しようとし、そのつぎがアメリカではなかったか。

人間という存在は他人と初めてあえば対立し相手を征服しようと試みるものであろうか。国家の場合もそうであったといわねばなるまい。実に近代とは世界の全面的な遭遇または対決の時代であったといえよう。それから生じたのは勝者の敗者からの収奪であった。勝者は世界支配のための秩序を樹立するために力を尽くした。最初は敵対関係そして支配関係であったが、すべてが失敗に帰してからは相互平等の関係を求めざるをえなかった。アメリカが世界と直面してからは、支配と収奪であるというよりは世界平和であり、そのヘゲモニーというのは支配というよりは戦いのない平和というべきではなかろうか。アメリカはイギリスとかロシアとか日本のように他国の富を収奪していかねばならないという必要もそれほど強く持たなかった。 

基本的な豊かさを自ら持っていたからといおうか。世界に対するアメリカのヘゲモニーを深く分析してみる必要があるであろう。アメリカが国内的に所有している他の国とは違う富そして人種の問題や国民精神のことなどもかつての帝国主義国家と比較してみなければなるまい。勿論歴史における世界史的進歩といったことも考えに入れなければならないであろう。

アメリカのイスラム世界との対決ということは、これから世界秩序のためのほとんど最終の課題ではなかろうかと私は考えている。それは物質的な欲求をほとんど持っていない世界平和に対するヘゲモニーの葛藤であるというべきではなかろうか。それは新しい世界秩序を求めての対決ではなかろうかと思われる。

ヨーロッパ連合そのつぎは北東アジアの秩序ではなかろうか。このようにユーラシアを統合と平和に導くことができるとすれば、そのつぎは南米も考え、インド洋もアフリカも考えて行かなければなるまい。アメリカの中国への接近に大きく注目する必要があろう。私はこのように世界政治史を眺めながら人間の努力と神の計画という二元的観点から人類史について考えてみたい。人間の意図を超えてそれに働きかける神のいってみれば「目に見えざる手」を考えてみたい。18世紀のアダム・スミスの『国富論』を今日の観点において読まなければなるまいと思っている。(2013年9月25日)

 

堀真清から私が90歳になれば最後の本として出したいというこの政治日記に自分のコメントをつけて出版するという企画はどうかと連絡してきた。直ちに回答を送った。私はそれを韓国語でも出したらどうであろうかといった。そのような出版は日本でも韓国でも初めてのことではないか。共著として考えてもいいであろう。

実際日本の右翼的政治界がアジアに対して抱いている考えだけが問題ではない。日本では皆がアジアに対しては目をつぶったまま西欧にのみ目を向けて歩いてきた。政界のアジアに対するこのような姿勢はまさに日本の過去と今日を物語るものであり、知識人も出版界も学界も同じような傾向ではなかったか。それに対する批判は近代以降の日本社会全体に対するチャレンジであるといえよう。方向転換が求められる。まさにそこに新しい北東アジアのことを構想しうる可能性があるのではなかろうか。

私は近代以降日本の侵略の前に恐れをなしてふるえながら東洋平和を叫んだわが国の先達たちのことをいつも考えてきた。彼らが現実政治の前では破綻をあらわにしなければならなかった東洋平和論を今日再び思い出さなければならないと思った。朝鮮は中間者として、かつては日中のどちらか一方に引きつけられたのだが、今日は日中の間を媒介し平和に向けて彼らを世界の良識とともに北東アジアの平和へとすすめて行かねばならない。先達がそれをなしうる国力なしに主張したそのような考えを、今は国家的力量と政治的知恵そして尊敬を受けることのできる道義的姿勢をもって進めて行くのである。

そのためにも韓国の政治力は成熟して行かねばなるまい。いつになればこのような時代が熟してくるのであろうか。その日はまさに東洋平和の日、北東アジアの安定と協力そして繁栄の日であるはずではないか。しかし今日の日中韓の国内政治また外交的状況はどこを見てもそのような日にはまだ遼遠であるように見える。しかし歴史はそのような平和の方向に流れざるをえないものであり、その間に多くの生みの苦しみを経るであろうと私は考える。

このような歴史に対して日本の知識人の間においてはそのような認識が早く実ってくるようにと私は期待してきた。特に第二次世界大戦の加害者として、そして戦後史における民主主義社会のアジア的先駆者としてである。しかしそれは難しい課題なのではなかろうか。右翼的政治勢力の問題ではない。近代以降特に戦後日本の全社会が欧米志向的であったことを誰が否定しえようか。人に恵みというよりは人より利益をえようとしたし、人と特にアジアの国々と共に共同の努力をなすということはあまり学んでいないのではなかろうか。そのために北東アジア志向というのは、日本の社会全体の方向転換そして中韓までも含んだ東アジア全体の方向転換を促すものといわねばなるまい。

私はこの場合に知識人と言論が先に立たねばならないと我田引水的とでもいえそうな考えに傾くのを避けられないでいる。私がこの頃中国の近代以降の文学に関心を持っているのもここにその理由の一端があるといえよう。(2013年9月26日)

 

池明観さん逝去

本誌に連載中の「池明観日記―終末に向けての政治ノート」の筆者、池明観さんが2022年1月1日、韓国京畿道南楊州市の病院で死去された。97歳。

池明観(チ・ミョンクワン)

1924年平安北道定州(現北朝鮮)生まれ。ソウル大学で宗教哲学を専攻。朴正煕政権下で言論面から独裁に抵抗した月刊誌『思想界』編集主幹をつとめた。1972年来日。74年から東京女子大客員教授、その後同大現代文化学部教授をつとめるかたわら、『韓国からの通信』を執筆。93年に韓国に帰国し、翰林大学日本学研究所所長をつとめる。98年から金大中政権の下で韓日文化交流の礎を築く。主要著作『TK生の時代と「いま」―東アジアの平和と共存への道』(一葉社)、『韓国と韓国人―哲学者の歴史文化ノート』(アドニス書房)、『池明観自伝―境界線を超える旅』(岩波書店)、『韓国現代史―1905年から現代まで』『韓国文化史』(いずれも明石書店)、『「韓国からの通信」の時代―「危機の15年」を日韓のジャーナリズムはいかに戦ったか』(影書房)。2022年1月1日、死去。

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