コラム/四国発

世にも珍しいローカルタレント対決

参院選愛媛―野党統一候補が制する

松山大学教授 市川 虎彦

私は歴史の研究者でも何でもないのだが、同僚の歴史学者に頼まれて、高畠亀太郎という愛媛県宇和島市の政治家・実業家の日記の校訂を続けている。東京の文京区にある弥生美術館には、挿絵画家で大正時代に一世を風靡した高畠華宵の作品が収蔵されている。華宵は、亀太郎の実弟である。その日記の校訂も、1968年、亀太郎80代の最晩年までやってきた。

今を去ること半世紀前、1968年7月7日にも参議院選挙が行われている。全体としてみるとこの参院選は、自民党が前回並みの69議席を獲得する一方、社会党は28議席に落ち込み、その低落傾向を印象付けた選挙であった。それ以外に、今日の選挙に通ずる大きな変化が本格的に姿を現したのが、この参院選であった。その変化とは、タレント候補の登場である。

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68年参院選全国区において300万票の大量得票でトップ当選したのが芥川賞作家の石原慎太郎(自民党)である。自民党は石原以外にも、毒舌でならした作家の今東光と東京オリンピック女子バレーボールチーム監督であった大松博文を擁立し、軒並み上位当選させている。また2位当選が「意地悪ばあさん」の青島幸男(無所属)で、同じく無所属で立候補した漫才師の横山ノックも当選している。

亀太郎は投票日の翌日である7月8日の日記に、「朝になって、堀本氏は三五二、八八六票と、社会党の上甲候補と十四万票大きく引離して当選と判明。全国区の開票結果もテレビで順次報道されたが、夜遅くなって大勢自民党に有利、社会党の退潮がはっきりした。只本県出身の豊田氏の落選は遺憾、塩崎氏も惜敗した」と、苦々しそうに書きつけている。豊田とは豊田雅孝で東京帝国大卒の元商工官僚、塩崎とは塩崎潤でこちらも東京帝国大卒の元大蔵官僚であった。安倍首相のオトモダチの塩崎恭久は、潤の実子である。タレント候補進出のあおりをくって、愛媛県出身の保守本流の候補者たちが落選の憂き目をみたのであった。

昭和の頃は、タレント候補は広すぎる選挙区で知名度が強力な武器になる参院全国区特有の現象と考えられていた。しかし、平成に入ると衆院の小選挙区や参院の選挙区で当選を果たすプロレスラーや元プロ野球選手も現れるようになった。さらには地方政治の場にもタレント政治家は進出するようになる。前出の青島、石原は東京都知事に、横山は大阪府知事にも就任している。四国では、1991年と、青島東京都知事、横山大阪府知事誕生よりも早い時期に元NHKキャスターの橋本大二郎が高知県知事に当選を果たしている。

現在の首長をみても、阿波踊り改革で物議をかもした遠藤彰良徳島市長が、地元テレビ局のアナウンサー出身である。松山市長の野志克仁も地元テレビ局のアナウンサー出身である。野志は永江孝子と2人で「もぎたてテレビ」という日曜昼放送の人気情報番組のキャスターを務め、2人とも県内で絶大な人気を博していた。野志も永江も、愛媛県民で知らない人はいないというぐらいの知名度の持ち主であった。

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その愛媛県といえば、言わずと知れた「保守王国」である。東京の人が「保守王国」という言葉を口にするときは、「田舎」「利権政治家の巣窟」「低民度」「後進的」「旧態依然」というような意味合いを言外に含ませて使用していると思われる。けっしていい意味には使っていない、と思う。愛媛に住んでみると、地元の人たちが胸を張って「愛媛は保守王国だから」というのに戸惑いを覚えた。それって、いい意味に使う言葉なの、と。そして、自らが「誇る」とおり、選挙では自民党が圧倒的に強い。2009年の政権交代が起きた総選挙まで、衆議院の4つある小選挙区は自民党が独占していた。

その2009年の総選挙に民主党にくどかれて立候補したのが、くだんの永江孝子アナである。愛媛1区の自民党現職は、第1次安倍政権で官房長官を務めた塩崎恭久である。永江は単にお茶の間の人気者というだけではなく、企業内での女性の地位や雇用の在り方に問題意識を持っている人と認識されていたので、候補者として申し分なかった。逆に塩崎の危機感は相当のものだったと思われる。あの官房長官だった塩崎が夏祭り会場に姿を現したとか、大街道(松山の中心商店街)をにこやかに歩いて回っていた、と驚きの目撃情報が次々ともたらされたのを思い出す。

選挙期間中、民主党ブームに乗った上に個人人気もある永江優勢がずっと伝えられていた。塩崎も落選を覚悟したと、後で自ら述べていた。ふたを開けてみると、まさかの塩崎当選であった。まさに保守王国の地力をみせたというところであろうか。永江は比例復活での当選となった。

その後、2012年、2014年の衆院選挙で永江は塩崎に及ばず、比例復活もならなかった。永江個人の人気はまだあるので、落選を繰り返すたびに、「永江さんも選挙なんかに出ずに、アナウンサーをやっていればよかったのに」という声を、いたるところで聞いた。実際、永江は民主党を離れ、政治の舞台から降りたかにみえた。

前回2016年の参議院選挙では、リベラル系の市民団体が1人1万円の寄付という形で政治資金をコツコツと集め、反自民の候補者擁立に動いた。保守王国において自民党に勝てる可能性のある候補者となると、県内には永江しかいなかった。永江は、市民団体の要請を受け入れる形で立候補の決意を固め、選挙直前に出馬表明をする。準備期間がほとんどなかったのにもかかわらず、自民党現職の山本順三(現在の国家公安委員長)を約8000票差まで追い詰める結果となった。手ごたえをつかんだ永江は、そこから3年間、次を目指して愛媛県内を回って支持を訴え、各市町に後援会を立ち上げていった。

前回参院選の翌年、2017年といえば、ご存じのとおり森友・加計問題で安倍政権が揺れ、その年の4月の東京都議会議員選挙において自民党は議席を前回から6割減らす大惨敗を喫した。安倍内閣は、愛媛3区他で予定されていた3つの衆院補選の結果次第では、内閣総辞職もありうるという情勢であった。そこで衆院解散を仕掛けられ、今日に至ってしまっている。

総選挙の中の1つの当落ということで埋没してしまったが、愛媛3区では白石洋一(民進→希望の党)が、自民党新人の白石寛樹を抑えて当選を果たしているのである。かえすがえす補選であったらと思わざるを得ないのだが。それはともかく、1年後、落選の白石寛樹は次の衆院選に不出馬を表明した。そこで、現職参議院議員で愛媛3区内の四国中央市出身の井原巧が鞍替え出馬する方向になった。

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そうなると、次の参議院選挙に誰を自民党候補として擁立するのかという問題が浮上する。強敵永江が相手となると、なかなか出馬に踏み切ろうとする者が現れなかったようである。そうこうするうちに、自民党候補者として擁立されたのがローカルタレントのらくさぶろうであった。らくさぶろうは大洲市出身で、小さい頃に松山に転居している。松山東高校という県内トップレベルの高校を卒業していて、永江とは同窓生ということになる。地元の愛媛大学に進学して落語研究会に入ったのが、タレント活動の原点のようである。

今回初めて知ったという人が愛媛でも多いのだが、全国的に活躍しているタレントの友近の相方をしていた時期があるそうである。その後、らくさぶろうは愛媛県内でタレントとして活躍する。女装して「らくおばちゃん」として現れたりし、愛媛県の人気者の1人である。らくさぶろう自身は、以前から政治に色気があったようで、2018年5月の大洲市長選でも出馬が取りざたされていた。

こうして、東京や大阪のような都市部ではなく、田舎で世にも稀なテレビの人気者対決が演じられることになった。ヘンテコならくおばちゃんの姿しかみたことがないので、「保守王国を自認する自民党愛媛県連は、もっとましな候補者を擁立できなかったのだろうか」と永江の支援者に聞いたところ、「もともと厚い保守地盤の組織票に、浮動票をもっていかれるので、井原巧が相手の方がよかった。永江さんもうかうかしていると危ない」との見通しを語った。

実際の選挙戦では、その保守地盤がなかなか1つに固まらなかったようである。伝聞であるが、とある同業者組合の全国組織の理事長を務めている人物が愛媛に在住しており、当然のことながららくさぶろう陣営から支援を求められた。その理事長のらくさぶろう評が「政治のことはなんにも知らんくせに、偉そうな」であり、らくさぶろう支援に力を入れなかったとのことである。動きが悪いので、塩崎元厚労相が自宅を訪問してきて、「総理の厳命です」と言って帰ったりもしたそうである。

有権者は、同じタレント候補といっても、地道な活動を続けてきた永江と、議員になって何をやりたいのかよくわからないらくさぶろうとの質の違いを感じ取ったのではないだろうか。

7月21日、午後8時に開票速報が始まるとすぐに、野党統一候補の先陣を切って「愛媛選挙区 当確 永江孝子(無所属)」の報が流れた。あまりに早すぎて拍子抜けしてしまった。選挙後、周囲の人や学生に聞いてみると、選挙区は永江へ、比例区は自民党へというクロス投票がかなりあったようである。残念ながら、愛媛で野党が支持を拡大したというわけではなさそうである。しかし、何はともあれ保守の牙城を崩すことができた。

さて、始めに述べたとおり、最初にタレント候補を選挙の目玉に使ったのは自民党であった。知名度による集票効果のみを期待して、政見があるわけではないタレントを候補者として擁立する選挙戦術は、マスコミなどからは批判的にみられてきたと思う。今回、格闘家から歌手まで、ずらっと知名度の高い候補者を並べてみせたのが立憲民主党であったのは、なんともいえないところである。トランプ大統領は言うに及ばず、ロシアと緊張状態にあるウクライナに俳優の大統領が生まれるご時世である。これも民主制の一側面ではあろう。

しかし永江孝子候補当選からみえるのは、風頼み、知名度頼りの空中戦ではなく、日常活動を通じた地上戦の大事さではないだろうか。保守系候補の戦術を「ドブ板」と馬鹿にしがちだが、それが彼らの強みでもあることを忘れてはならないだろう。

いちかわ・とらひこ

1962年信州生まれ。一橋大学大学院社会学研究科を経て松山大学へ。現在人文学部教授。地域社会学、政治社会学専攻。主要著書に『保守優位県の都市政治』(晃洋書房)など。

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