特集●安倍政治の黄昏と沖縄

立憲民主党の基軸と来るべき参議院選挙

[連載 第三回] キーパーソンに聞く 近藤昭一さん

語る人 立憲民主党衆院議員・前副代表兼選対委員長 近藤 昭一

聞き手 本誌代表編集委員 住沢 博紀

1.政治家になる原点―「新党さきがけ」の理念

住沢:昨年、民進党の希望の党への合流をめぐる対立の中で設立された野党第一党、立憲民主党の理念と基本政策、設立までの背景と政権構想などを、キーパーソンによって語っていただくという企画です。第1回が2018年春号、党の最高顧問である海江田万里さん、第2回は夏号で、地域政党や市民活動を代表して大河原雅子さん、そして今回は、党の副代表で選挙対策委員長(インタビユーが行われた10月3日当時)、いわば立憲民主党を担う中心人物の一人である、近藤昭一衆議院議員に語っていただくことになります。

近藤さんとは、お互いに(社)生活経済政策研究所の理事として、政策研究会や会議などではよくお目にかかっていたのですが、長時間、お話を伺うのはこれが初めてです。

そこでまずお聞きしたいのは、生活経済政策研究所は、旧社会党・総評系の労組に支援されたシンクタンク組織ですが、近藤さんは、武村正義さんの「さきがけ」が政治活動の出発点となっています。政党の系譜からいえば、同じ愛知県の選挙区である、社会党書記長もやった赤松広隆さんの方が、この研究所に近いと思うのですが、近藤さんが、民主党―民進党―立憲民主党の時代を含めて、かなり長期的に政治家として理事を引き受けていただいています。この辺の接点をお聞きしたいのですが、まず出発点の1994年、愛知県の「さきがけ」準備委員会の設立から話をお願いします。

近藤:長く名古屋市で民社党の市議をやってきた父親の背中を見ていたので、社会をよくしたいという政治家のあり方と、しかし政治活動や志がどんなに高くとも選挙は別物だという、政治の持つ矛盾した状況も見てきました。選挙は俗にいう、地盤・看板・鞄というテクニカルな部分があり、所属政党や地盤でいえば、例えば候補者の住んでいる学区の大きさなどが選挙結果を左右します。このため私の中にも、社会のために何かしたいという気持ちは常にありましたが、当初は政治ではなく新聞、私の場合は中日新聞という場を選びました。記者ではなく事業部でしたが、新聞の事業を通して社会をよりよくしたいと思っていました。 

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政治の中での選挙のあり方と、さらには既成政党をめぐる批判は、90年代の初めごろに日本でも広く議論され、政治改革の時代を迎えました。私もこういう時代の流れの中で、政治の場で自分の志を実現したいと思うようになり、新聞社を辞めるきっかけにもなりました。したがって当初は既成政党批判の立場から、政党に縛られることなく無所属で立候補しようと考えていました。しかしその中で、無所属の限界も感じ、それではどうしようかということになったわけです。そうであれば自分の考えに最も近い政党はどこかということになります。

この時の気持ちは、昨年の10月の立憲民主党設立の場合とダブるものがあります。立憲民主党は今でこそ野党第1党ですが、当時は希望の党の方に勢いがあり、立憲民主党に進む人々とはどのような政治をめざすかということでは一致していても、選挙という点では厳しいものがあると思っていました。しかし自分の思う政治を具現化するのがやはり正当な道だろうと思い、枝野さんたちと共に立憲民主党設立に動いたわけです。

これは1994年の「さきがけ」に入った時とダブっており、当時は、小沢一郎さんの新生党が野党第1党で、私の周りの人たちは、政治を志すならやはり大きな政党に入らなければならず、これから新生党が大きな政党になると勧められました。また実際、新生党は細川連立政権を組んでいたわけですが、私が政治家を志すのは私の信じるところを実現するためですから、もっとも考えが近い「新党さきがけ」を選びました。

住沢:近藤さんは、2016年に、『アジアにこだわる 立憲主義にこだわる』(八月書房)を出版され、さきがけ結党時の代表であった武村正義さんが推薦文を書いています。「新党さきがけ」にはその他にも、理想肌の田中秀征、政策通の簗瀬進、鳩山由紀夫と菅直人という二人の後の総理大臣など多士済々ですが、近藤さんは当時のさきがけの誰に最も影響を受け、どのような理念や政策に共感したのですか。

近藤:誰がというよりも、武村正義さんの『小さくともキラリと光る国・日本』(1994)に共鳴しました。軍事大国を目指さないけれど、キラリと光る平和主義の下、国際社会を安定させて、その中で日本は資源はないけれども貿易を通して国と人々の生活を豊かにしてゆく、このような国造りこそ私のめざす政治だと思いました。

住沢:石橋湛山の非軍事国家、立憲主義に立ちアジアを重視する小日本主義が「新党さきがけ」の基調にありましたが、民主党に行かず「新党さきがけ」の理念を守ろうとした政治家は、多くが落選するなり引退を余儀なくされましたが。

近藤:確かに多くの尊敬すべき先輩たちが、小選挙区制のもとでは再選されずに政治の世界から去ることになりました。先般、井出正一さんのご葬儀に行ってきましたが、井出さんが新党さきがけの代表であったときに相談したことがあります。小選挙区制のもとでは、純粋さだけでは当選できないことは明らかであり、かといって大きな政党であれば何でもいいのか、ということになると、そもそもそうした政治を拒否していた私がおり、どこで線引きをしたらいいのか大いに悩んでいました。その時、井出さんに、「近藤君はまず当選して議席を確保して、政治家を始めるべきだ」と背中を押してもらい、民主党の設立に参加して1996年の衆議院選挙で初当選したという経緯があります。

2.民主党を経て立憲民主党に継承したもの

住沢:近藤さんは、それから小選挙区での当選と比例区復活を含めて、8期、20年以上、連続して衆議院議員を務めていることになりますね。その間に、民主党が躍進し、2005年からは、平岡秀夫さんと共に民主党リベラルの会の代表世話人となり、民主党代表選ではリベラル派グループとして党内で存在感を示してきました。2009年に鳩山政権が誕生し、菅内閣の時には環境副大臣を歴任され、平岡さんが議席を失ってからは、近藤さんが一人で代表世話人となっています。

また2013年4月、安倍政権の改憲の動きに対抗する護憲派の超党派の議員による立憲フォーラムが設立され、近藤さんはその代表となっています。その後の、民進党―立憲民主党への流れの中でも近藤さんはリベラル派議員の中心メンバーの一人でした。こうした1996年から2018年までの22年間の自らの政治家としての活動を振り返り、いろいろな転換点や全体としての総括はどのようなものになりますか。

近藤:あまり振り返るよりも前を向くことにしていますが、前を向くためには、確かに振り返らなければならない時もあります。一貫してあるのは環境問題への関心です。父の世代は富の格差の問題が大きく、政治家としての父の背中を見てきましたので、しかも現在また格差が拡大していますので、もちろん社会格差の是正は政治の大きな課題です。しかし高度経済成長の中で、環境を壊しても成長を優先するという時代の中にあって、環境を守る政治が大事であると思っていました。そして環境を守るためには、平和な社会でなければならない。こうして格差の問題、環境の問題、そして平和が私の政治生活の3つの柱となりました。

その中でも、新党さきがけは、「早すぎた環境政党」ともいわれましたが、私が新党さきがけから民主党に受け継いだものといえば、この環境を守るという政治です。そのため国会では長く環境委員会に所属して、後には環境副大臣になり、その折に生物多様性条約締結国会議が名古屋で開催され、難しいといわれながらも開催国としてまとめることができたことが、いまからふりかえっても私の中では大きな出来事といえます。

それから今振り返ることといえば、昨年10月の立憲民主党設立の時です。このように、環境問題、平和、社会格差の問題を20年以上にわたり問い続けてきて、昨年秋の民進党分裂という事態に直面した時、そもそも何のために政治を志してきたのかという原点に戻るということでした。民主党の3年3カ月の政権の後、また自民党政治が復活し、一強多弱といわれる中で、再びいばらの道を歩んでいるわけですが、そういう時こそ、原点となる理念を大事にしなければならない、ブレてはならないという思いで立憲民主党が生まれ、今ここにいるわけです。

住沢:鳩山、菅、野田と、3人の民主党政権の首相が誕生したわけですが、おそらく近藤さんは環境副大臣をされた菅内閣の時代に、政権内部からいろいろな体験をされたと思いますが、民主党政権の最大の問題点は何だったとお思いですか。

近藤:最大の問題点は、経験不足というより老獪さが足りなかったことであったと思います。もちろん若さや新鮮さが改革政治には大事であり、老獪さの不足が最大の問題点であるとは政治の世界ではいえませんが、少なくとも対官僚において、官僚を敵に回したというといいすぎになりますが、官僚を尊重しなかったことかと思います。政と官の対立点を構造的な問題として外に出すことにより、政治主導を訴えて政権に就いたところがあり、この政治主導をどのように構築してゆくかというところで、うまく官僚機構と連携することができなかった、ということです。

ただ、自分が内部にいたのではばかりますが、これは民主党だけの責任ではなく、戦後の大きな政治の流れがありました。鳩山首相が、普天間基地移転に関して、「最低でも県外、国外に」といったとき、私は今でも鳩山さんが正しかったとも思っていますが、一方ではもっと老獪な方法でやるべきであったともいえます。他方では一部であれ官僚機構の中から、鳩山さんの足を引っ張る人がいたことも事実です。こうしたことも含めて経験不足であったといえます。

住沢:民主党のもう一つの問題点として多くの方が指摘するのは、そもそも民主党とは何であったのかという、党のアイデンティティをめぐる問題です。出発点の新党さきがけと社会党改革派の民主党では、基本政策において比較的一致があったと思いますが、その後の羽田さんたちとの拡大民主党の結成、さらには小沢自由党の合流など、民主党はいろいろな理念や政策を抱え込みました。

近藤:小選挙区制度においてはやはり政党にも幅が必要で、民主党も合併などを通して大きくなり、それで政権獲得にも至ったわけです。ただ原発に関しては党内に大きな対立があり、安全保障でも相違があり、これらが民主党をわかりにくくしたのも事実です。こうしたことを振り返り、立憲民主党とのこれからを考えるわけですが、枝野代表が本にも書き、また記者会見やインタビユーなどでも語っていますが、永田町や霞が関の「数の論理」にたつ合従連衡の党にしてはいけないということです。

しかし他方で小選挙区制のもとでは、ある程度の幅がないと大きくなれないし、また党内でも意見の交換やチェックができないということにもなります。したがって先に述べたように、立憲民主党もどこで線を引くかということになりますが、ただあまりに党内のその幅が大きいと、民主党の時と同じ轍を踏むことになると思っています。

住沢:枝野さんも含め、純化主義とは言わないとしても、党のアイデンティティが必要だと、立憲民主党の政治家の多くが語っていますが。

近藤:そうですね。私も立憲民主の旗というか、大きなどっしりとした一つの軸があり、その軸をもとにいろいろ幅があり、広がっていくということであればいいのですが、軸が二つあるような合従連衡の仕方はだめであると思っています。

3.働く者の側に立つ政党の必要性

住沢:それでは次に、選挙対策委員長としてのこの問題に行きたいと思います。立憲民主党は一つの軸を持つ党でなければならないということですが、その軸をめぐって立憲民主党が、有権者に評価されているのでしょうか。

昨年10月の選挙では、希望の党への民進党の合流をめぐり、「安倍政権の安保法制の撤回、共産党との選挙区での連携」の是非が「踏絵」とされる中で、立憲主義(安保法制違憲論)と共産党も含む野党連携による安倍政権との対決姿勢を明確にした立憲民主党が、比例区で19.88%を獲得して、野党第1党となりました。しかしその後、NHKの政党支持率の調査では、選挙直後の11月が9.6%、今年の3月が10.2%のピークとなり、9月には4.8%に落ち込み、10月現在では6.1%、つまり支持率は安定していません。参議院民進党と希望の党が合流してできた国民民主党に至っては、0.8%という消滅寸前の有様です。立憲民主党は野党第1党として存在意義を示していますが、それは近藤さんのいう立憲民主党の一つの軸となるのでしょうか。

近藤:日本というのは、学術的な意味ではなく、私の政治世界での感触では、皆で仲良くしていこうというみたいなところがあると思うのです。だから会社でも労使一体、つまり労働者側と使用者側が共存共栄、協力することにより両者がウイン・ウインの関係となり、会社を発展させていこうということになります。

そのことを前提にしたうえで、それでも労働者側と使用者側は、立っている位置が違うので、その意味では働いている側の立場を代弁してゆく政党をきちんと作っていくことが必要であると思います。完全に対立するものではないのだけれども、しかし私たちは働く人たちを守る政党であり、社会的に弱い人々に寄り添う政党であり、そのために政策を形作っていく政党である、こういうことが軸になると思います。

住沢:ここで「労働側」という言葉を聞くと、社会民主主義を唱える私は個人的にはうれしいですが、立憲民主党の政治家の多くは、脱原発=環境政策重視、立憲主義=9条のもとでの安全保障政策などの印象が強く、すこし不思議な感じがします。旧民主党には、総評―社会党の流れ、同盟―民社党の流れ、それに連合の産別議員など、「労働および労働組合」系列の議員が多くいましたが、死去、引退などで減少し、とりわけ旧社会党系列の方々は消えてしまったという思いを強く持ちます。さらには連合の関係でいうと、自治労など一部を除くと、むしろ国民民主党のほうが多いと思っていますので。

近藤:日本では労使協調という伝統が強いというもとでの、「労働者側の立場」ということでして、かつての冷戦時代のように、労働者と資本家の対立といったイデオロギー的なものではありません。55年体制のもとでは、こうした対立構造が強調されすぎ、みなが少し疲れ、アレルギーのようなものがあります。しかし労使一体かというと決してそうではなく、わたしは、「労使の対立がある」という視点は忘れてはならないと思いますし、立憲民主党にとっても、「働く人々の側に立ち」、その権利を守るためにいかに政策を作っていくかということは、かなり本質的な問題だと思います。安倍政権の「働き方改革」をめぐる国会での議論も、立憲民主党の議員たちは非常に貢献したのではいかと自負しております。

私はこうした議論において、「勝ち組」の立場ではなく、いろいろ苦労してきた方々、弱い立場にいる方々、あるいは自らそうした働く人々の困難な状況を想像できる能力を持つ方々、こうした人々が立憲民主党の基盤を支えるのではないかと考えています。いいかえれば、苦労した経験のある人、差別された経験のある人、あるいはそういう扱いを受けた人がいるということを想像できる人、そういう人でないと立憲民主党にはふさわしくない。もちろん政治家であればこうした資質はだれでも必要ですが、私たちはこうしたことを体験し、理解し、想像できる政党であり、力だけがすべてだという政党ではないと思っています。

民進党の最後の段階でも、例えば前原さんは「すべての人がすべての人のために」と、中間層の分解や社会の2極化に警鐘を鳴らしたわけですし、共通理解はありました。立憲民主党ではこの点をもっと純化してきたのではないかと思います。

住沢:それともう一つ、「働く人々への保護」は、今日では必ずしもリベラル派の要求だけではなく、国家主義、自国中心主義のナショナリストからも聞かれます。トランプ流「さびれた工業地帯の労働者の復権」や、欧州ポピュリストの自国勤労者への福祉排外主義などです。安倍政権も春闘3%賃上げへの経団連への要請や、最低賃金の引き上げ、それに昨年の総選挙において消費増税の一部を子育て支援に充当する公約など、政策軸の差別化がわかりにくくなっています。もっとも「働き方改革」などの法案では、その本来の意図が透けて見えますが。あえて挑発的にいえば、この点で安倍政権との区別化は難しいのでは。

近藤:私はそうは思っていなくて、安倍さんのやっていることはすべて「今」に限定されたごまかしです。金融の異次元緩和、円安、株高で大企業の収益を確保したので、それを少し働く者に回せ、と経団連にお願いしているにすぎません。確かに給与は少しは上がり(実際はたいして上がっていないのですが)、最低賃金も安倍政権下で上積みされてきました。しかしそれは財政出動も含めた「今」に限定されたものであり、本来はもっと上がってしかるべきであったかもしれません。

例えば最低賃金をオーストラリアや先進国並みに引き上げようという要求もありますが、中小企業は今のままではとても達成できない。大企業と中小企業・零細企業の格差構造、産業構造を放置しておいて、最低賃金だけをあげよというのは無理があります。同じように、高齢化や現役世代の大量定年退職により、人手不足の時代が到来しており、このため賃金も少しは上昇しています。この人口構成の構造問題に安倍政権は何ら抜本的な対策を講じておらず、問題の先送りをしているだけです。

4.野党連携と選対委員長の課題

住沢:労働を一つの柱とするということであれば、来るべき参議院選挙に向け、5野党1会派(立憲民主・国民民主・自由党・社民党プラス共産党に無所属の会)の選挙連携の接点を作ることもできると思うのですが。これは共産党および連合も共通するテーマだと思いますので。近藤さんは立憲民主党の選対委員長ですが、この点の野党連携の進展状況はいかかですか。

近藤:衆議院総選挙の小選挙区や参議院選挙の一人区では、とりわけ日本維新の会を除く、5党1会派の協力が必要とされています。これは立憲民主と国民民主の間の問題だけではなく、一本化するということは、5党1会派、つまり国民民主や共産党も含めて協力してゆくという体制が求められます。ただこれは選挙区事情によりそれぞれ異なります。

住沢:共産党との協力をめぐって民進党の分裂があったわけですが、国民民主党で玉木・平野体制が成立して、この問題でまた位相が少し変わったように聞いています。選対委員長としては岸本周平さんがパートナーとなるわけですが、国民民主党と話し合いの進捗はどうですか。共産党との協力に関して、アレルギーはなくなりましたか。また立憲民主は地方組織も少なく、新人議員が多いと思うのですが、選挙区での参議院選挙の体制はどのようになっていますか。

近藤:5党1会派の協力ですから、それぞれがパートナーとして協力を探っていくことになります。他党のことですので、外から見ていると、国民民主党も、代表選前と後では、すこし雰囲気も変わったかなという印象を持っています。

また立憲民主党に関しては、今では約30以上の地方組織ができ、規模の大小や活動の濃淡がありますが、少しずつ動き出している感じです。2年前の民進党の時代の選挙で、その時の候補者が継続して活動している選挙区もあれば、当選して、新しい候補者を探す選挙区もあり、それぞれの地域の責任者からのヒアリングをすでに終え、改めて再度進めている状況です。

住沢:新聞報道によると、立憲民主は一人区では5野党1会派協力で、二人区では独自候補擁立を決めたとありますが、これはどうですか。それから新潟知事選では、5野党が推薦した候補が敗北し、そのため沖縄知事選では政党色を出さずに、オール沖縄の支援という形にしたなどと報じられていますが、これは本当ですか。

近藤:一人区に関してはその通りですが、二人区は原則としてということであり、必ずということではありません。確かに新潟知事選では、池田千賀子候補に対して5野党と連合新潟の推薦という形を取り、原因はいろいろあるにしても結果として勝利できませんでした。その総括を踏まえて、沖縄知事選では玉城デニー候補には、政党推薦ではなく支援という形にした経緯があります。ただ沖縄の場合は、それだけではなく、沖縄のアイデンティティをめぐる選挙であるという位置づけでもあり、さらには逝去された翁長知事の遺志をどのように受け継いでいくのかということを問う選挙でもありました。その意味では、沖縄知事選はまだ終わったばかりで、新潟知事選、沖縄知事選の経験を全体として生かす作業がこれから必要です。

一人区に関しては、立憲民主や国民民主だというのではなく、5野党一会派全体で調整して、それぞれの政党の候補者ではなく野党全体の候補者とし擁立し、そのためには地域の市民団体なども含めてともに協議しながら選出してゆきたいと、立憲民主党は一貫していってきました。

住沢:構想としてはそのように理解していますが、地域の市民の会や市民連合などをインターネットで調べると、必ずしも機能していないものもあり、どこまでこうした構想がリアルに実現できるのか疑問に思うのですが。

近藤:これまで立憲民主党の地域組織や、支援を受ける市民組織などとのヒアリングもやってきましたので、だんだんと地域の実情が浮かんできています。もちろんいわれるように、例えば地域の市民連合が事務局を担い調整を進めるということは、困難を伴っても大切なことだと思います。あるところは国民民主党がすでに候補者を決めておりそれで行うとか、あるいは共産党も含めてすでに話し合う場があるとか、地域によりそれぞれ異なります。私はそれぞれのところでだんだんと煮詰まってゆくと思っています。その中で、おのずから決まっていく部分、あるいは決めなければならない部分など、その煮詰まり方は地域によってそれぞれ異なると思います。

住沢:一人区での候補者選出過程が、政党連携を越えて、それ自体で新しい政党モデルとして意識的に問題提起する発想はないのですか。例えば1996年の民主党結成時には、地域政党のネットワーク政党という新しい政党論も議論されました。いま地域政党が一部には存在していますが、新しい市民型の地域政党として一人区の選挙を構想するとか。

近藤:たとえば三重県などでは「新政みえ」という県議会会派がすでにあり、また岡田克也さんらが地域政党「三重民主連合」を結成し、参議院の予定候補を出すことが決まっています。これは自分たちで決めて進めてきたやり方であり、地域政党とはそのようなものだと思います。

5.立憲民主党の候補者像

住沢:2018年5月16日に参議院本会議で成立した「政治分野における男女共同参画推進法(候補者男女均等法)」が成立しました。理念法ですが、今回の安倍政権では女性閣僚は片山さつき地方創成大臣ただ一人です。参議院選挙の女性候補者はどうなるかわかりませんが、前回の大河原雅子さんへのインタビユーでも触れましたが、ここに立憲民主党の大きなチャンスがあると思います。大阪府選挙区での亀石倫子弁護士(GPSを使った警察の捜査を、最高裁で違法とする判決を勝ち取る)の擁立が報じられています。この「候補者男女均等法」の活用はどうでしょうか。

近藤:むかしから「出たい人より出したい人」という言葉がありますが、まさにわたしたちもそのような候補者を発掘しようとしています。具体的には、自らの活動領域や専門性を持った方、またその専門性にかかわり実際に活動している方、人権、環境、障がい者福祉など、そうした領域の専門家やあるいは当事者など、わたしたちにとって「出てほしい人」の要件です。

そうした候補者の何人かに話しかけていますが、難しいのは、活躍されている人ほど、自らの現場や団体を持っており、そこを離れることは難しい、あるいは大きな決断を要するということです。今回、弁護士の亀石さんの場合も、警察の違法な捜査に対して最高裁判決を勝ち取ったという、まさに私たちの出したい人なわけですが、大阪で候補者として説得するのに苦労されたと聞いております。「候補者男女均等法」というジェンダー視点も大事ですが、格差、差別はいろいろな領域、形態でありますので、私たちは候補者の多様性という視点を大事にしたいと思っています。また活動している人は現場を離れるのは難しいですので、それができる環境や条件を準備してゆく、それが私たちの仕事であると思っています。

住沢:女性候補者や市民団体の方々で、全国区の比例ではどうでしょうか。自民党では業界や利益団体、宗教団体、野党では労組などが多いですが。

近藤:比例の全国区では、全国で拠点がないと選挙活動が成立せず、業界や労組などの指定議席になるケースが多いですが、立憲民主党は地域主権を重視する政党であるとすれば、環境や人権などそれぞれの地域で活動する人々が、しかし全国ネットワークで結ばれていれば、こうした比例代表での立候補はありうると思います。活動拠点はそれぞれの地域に限定されるが、ネットワークで連携しているというスタイルです。連合傘下の産別候補と競争になるかもしれませんが、支持母体が異なりますので、支持者層の底上げに寄与するかもしれません。

住沢:いろいろと興味ある話をありがとうございました。5野党1会派と市民連合の地域での連携が大事とはいえ、同時に多くの無党派層がおり与野党の潜在的な支持率は拮抗していますので、高い投票率も野党の大きな武器になるかと思います。安倍政権の憲法改正のための国民投票の動きなど、まだ多くの不安定な要因がありますが、近藤さんには、是非、地域から多くの市民が共感する候補者を擁立され、無党派層の投票率を盛り上げていただきたいと思います。

こんどう・しょういち

衆議院議員。1958年愛知県名古屋市生まれ。上智大学法学部卒業のち中日新聞社事業部に入社。学生時代に中国の北京語言学院に留学。1994年新党さきがけ愛知県準備委員会代表、1996年民主党から愛知県第3区で衆議院議員選挙に立候補。以後8期連続当選。政党は新党さきがけから民主党、民進党を経て2017年10月、立憲民主党の設立に参加。民主党時代はリベラルの会代表世話人、菅内閣では環境副大臣、立憲民主党副代表、立憲民主党選挙対策委員長を歴任。現在は立憲フォーラム代表、原発ゼロの会共同代表など。

すみざわ・ひろき

1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、フランクフルト大学で博士号取得。日本女子大学教授を経て名誉教授。本誌代表編集委員。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。主な著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房、2003)、『組合―その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版 2013年)など。

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