論壇

育鵬社公民教科書、何が問題なのか

侵略戦争を否定、子どもたちを改憲論に導く

教科書市民の会・元小学校教員 小野 政美

1.安倍政権改憲の現在地

安倍政権は、急速に明文改憲に向かっている。安倍首相は、2017年1月5日の自民党新年挨拶で、新しい時代にふさわしい憲法とはどんな憲法か。今年は議論を深め、姿形を現して、私たちが形作っていく年にしていきたいと述べ、衆参両院の憲法審査会での具体的な改憲項目を絞り込む意欲を示した。

戦後70年は、新しい戦前元年の歴史的転機の年となった。安倍政権は、立憲主義を否定し、解釈改憲によって集団的自衛権=海外で戦争をする権利行使のための安保法制を成立させた。戦争する国がついに日本の現実になり、海外派兵にいつでも、どこでも参加できる戦争体制に公然と踏み込むことになった。南スーダンなどで、駆け付け警護の名で派兵された自衛隊が具体的な戦闘行動に参加し、殺し殺される関係になり、明文改憲に向かう。

安倍政権の改憲路線に基づく育鵬社公民教科書は、侵略戦争・植民地支配肯定の歴史修正主義教科書である育鵬社歴史教科書とともに、国家に貢献できる人材づくりを目指したものであり、自民党改憲案に最も近い教科書である。ここでは、改憲に向けての動きを作り出す道具として、子どもたちを改憲論に導く育鵬社公民教科書の危険性について報告する。今後、2017年3月の高校「公共」教科新設を含む学習指導要領改訂、戦後初めての道徳教科書検定結果発表、2017年8月の小学校道徳教科書採択(中学は18年採択)と続く。育鵬社歴史・公民教科書は、市販されているので現物をぜひ見てほしい。

2.戦争肯定・憲法理念否定の育鵬社歴史・公民教科書採択拡大

2015年夏、育鵬社歴史・公民教科書は、横浜市・藤沢市・大阪市・金沢市などで採択され、2016年4月から全国で6%、約7万人の中学生が育鵬社歴史・公民教科書で学んでいる。育鵬社歴史教科書は、植民地支配と侵略戦争を否定する歴史修正主義と改憲・海外派兵に道を開く教科書である。日本会議・日本会議議員連盟→自民党・教育再生会議→安倍政権・教育再生実行会議→日本教育再生機構→教育再生首長会議→育鵬社(新しい歴史教科書をつくる会の自由社)という系列があり、育鵬社は、日本会議の教育改革組織である日本教育再機構の教科書出版会社である。

3.育鵬社公民教科書の自民党改憲案との相似形

(1)育鵬社公民教科書は、日本国憲法を否定し、国民主権を否定する。大日本帝国憲法を理想の憲法とし、日本国憲法は押しつけであるとする。「連合国軍最高司令部(GHQ)はこれを拒否し、自ら1週間で憲法草案を作成したのち、日本政府にきびしく迫りました」「GHQの民生局は、各国の憲法を参照しながら英文で憲法草案を書きあげました」。 

主権者については、自民党改憲案前文では、現行憲法前文に数行に渡って国民主権の意味の説明を削除し、ただ用語のみを記し、「憲法とは、権力制限価値にとどまるものではなく、国民の利益・国益を守るために国家と国民とが協力し合いながら共生社会をつくることを定めたルールとしての側面がある」などと述べており(自民党憲法改正Q&A)、国家と国民の協力、つまり、主権者を国家への協力者として位置づけている。これは立憲主義の改ざんである。

政府が口にする主権者教育とは国家への協力者としての意味である。政府・行政の言う社会参加・政治参加、公共(性)は、人権および人権尊重不在の社会参加である。また、政治参加は、立憲主義に基づく主権者不在の政治参加である。人権尊重立憲主義に基づく主権者の概念の存在は社会参加・政治参加において決定的に重要であり、この概念を欠落させた国家による道徳・規範教育としての新設高校「公共」は、立憲主義・国民主権を脱却する装置として機能していくことになるであろう。

(2)自民党改憲案では現行前文を削除し、「天皇を戴く国家」とし、主権者・国民と国家を逆転させたが、育鵬社は、「国民とは、私たち一人ひとりのことではなく、国民全体をさすものとされています」「皇室は、日本の成り立ちや、その後の歴史に深くかかわってきました。とくに天皇は、国の繁栄や国民の幸福を祈る民族の祭り主として、古くから国民の敬愛を集めてきました」と記述し、日本は「天皇」中心の国家であり、「国旗・国歌に愛着をもつのは当然」としている。

「国歌の斉唱(演奏)にあたって、政治信条などにかかわらず、起立して敬意を表すのが国際的な慣例となっている」として、側注で、「国際社会で通用する国旗・国歌への敬意の表し方」の具体例を、「公的行事などで国旗が掲揚のときは、起立して国旗に対して姿勢を正し(脱帽、目礼)、敬意を表します。同時に国歌が斉唱される場合には、声を出して斉唱します」「一般の家庭では国民の祝日などに国旗が掲げられ、喜びを表します」などと記述している。

(3)平和主義では、自民党改憲案で自衛権・国防軍を明記するが、育鵬社は、国防の義務と自衛隊を強調し、「周辺の安全保障環境の急変に対し、政府は2014年に憲法解釈を実情に即して改め、集団的自衛権の行使を限定的に容認することを閣議決定しました。そして、2015年には平和安全法制関連二法が成立し、日本の安全保障体制が強化されました。また、自衛隊による在外邦人保護要件が緩和され、国際平和への積極的貢献の範囲も広がりました」「2015年には国際平和支援法など平和安全法制関連二法が成立し、PKOの多国籍軍やNGO職員の救助要請に対する自衛隊の『駆け付け警護』なども可能になりました」とし、平和主義を否定して、子どもたちを9条改憲に誘導していく。

(4)基本的人権の尊重では、改憲案では「公益および公の秩序に反しない限り」の自由・権利が、育鵬社では、西欧の人権と日本の人権は違うとする。「憲法は、権利の主張、自由の追求が他人への迷惑や、過剰な私利私欲の追求に陥らないように、また社会の秩序を混乱させたり社会全体の利益をそこなわないように戒めています」「社会全体の秩序や利益を侵す場合には、個人の権利や自由の行使が制限されることもあります」として、基本的人権の保障の項は、公益・公序による人権の制限と国民の義務がほとんどである。権利を制限する法律の一覧表も載せている。

(5)日本会議や自民党は、9条からの改憲提案だと反発も大きいだろうから、緊急事態条項と24条から改憲を始めるのがいいとしている。育鵬社公民教科書は、24条改憲に導くものとして、「男女のちがいというものを否定的にとらえることなく、男らしさ・女らしさを大切にしながら……」の記述もあり、家族の一体感や維持の重要性を強調し改憲派の提案する家族保護条項に直結した内容もある。

現行憲法24条の一項は、「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立し……」という条文だが、改憲草案では微妙に変えられていて、「婚姻は両性の合意に基づいて成立し……」と、「のみ」が削除されている。 

改憲案では24条の最初に加えられている、家族条項と呼ばれる条項があり、「家族は社会の自然かつ基礎的な単位として尊重される。家族は互いに助け合わなければならない」というものである。「家族は社会の自然かつ基礎的な単位として……」とある。日本国憲法は個人が基本である。しかし改憲案では、個人ではなく家族が社会の基本の単位とされている。また、「家族は互いに助け合わなければならない」とあることで、家族同士は助け合うという新たな義務が課されることになる。国家権力に義務を課す立憲主義に反するものである。自民党・日本会議などにとっては何より大切なのが国家であり、それを支えるものとしての家制度の家族である。高齢化社会の急速な進行で、政府は予算を減らすために、介護や保育を家族の助け合い義務を書き込んだのである。

(6)統治機構では、育鵬社は、天皇が国会・内閣より一番上に位置し、憲法改正では、改憲案は、国会議員の過半数、国民は有効投票の過半数とする。育鵬社公民教科書は、改憲へと露骨に誘導するものとなっている。最高法規では、改憲案が、憲法尊重義務が権力から国民に替えられ、育鵬社は、国民の憲法尊重義務を強調する。さらに、公民とは、国家・社会のために行動できる人とし、国家に帰属する人間を強調する。伝統文化や神社の比重が大きくなり、日本の国民性の高さも誇示される。国家・愛国心が国民をひとつにまとめるとする。領土問題では、相互理解による解決に触れない。自衛隊の海外派遣を強調し、環境問題でも、日本人の精神・天皇を宣伝する。核融合発電など原発も推進して行く。

(7)最後に公民学習のまとめとして、「私は内閣総理大臣『持続可能な社会』を築いていくための国づくり構想を立てよう」と、首相の目線で、子どもに国づくり構想を描かせて終わる。

4.戦後初の「特別な教科 道徳」と2017年道徳教科書検定・採択

2017年3月には、戦後初めて、道徳教科書が文部科学省の検定を通過、7月の採択を経て、2018年度から、子どもたちの人格が評価される「特別な教科・道徳」の授業も始まる。安倍政権が積極的に推進した道徳科が「特別の教科」として教科化され、2015年3月には『学習指導要領』道徳編が先行改訂され、『道徳・解説』も公表された。2017年には、戦後初めて、小学校の道徳科教科書の検定・採択が行われ、戦後教育の大転換となる。 

第1次安倍政権が改定した教育基本法第2条教育の目標に規定する約20の徳目(「国を愛する態度」を含む)は、国家が民の上に立つという構造である。文部科学省の検定教科書使用と道徳評価を強制する道徳教科化で、教員は教育の専門家というより、国家意思の伝達者になってしまう。また、「特別な教科 道徳」教育によって、教育基本法に掲げる約20の徳目が基本になり、この徳目を内面化することにより子どもたちの内面にまで入り込む。戦前、筆頭科目だった「修身」と同様に、道徳がすべての教科の最上に立つ位置を占める。新教科書検定基準により、すべての科目で2条の道徳の徳目を教えさせ、伝統と歴史を尊重する姿勢、愛国心を植え付けていく。道徳の名で特定の価値観を公権力が子どもたちに刷り込むことはあってはならない。

5.国定教科書に向かう日本の歴史・公民教科書

(1)2017年度用高校教科書検定結果から着々と進む、歴史・公民教科書の国定教科書化に向かう政府・文部科学省の検定目的がみえてくる。文部科学省は、2016年3月、2017年度用高等学校教科書の検定の結果を公開した。安倍政権と自民党の指示によって、文科省は、2014年1月に社会・地理歴史・公民科の教科書検定基準に新しい項目を盛り込み、検定審査要項にも新規定を追加する検定制度の改悪を行った。さらに、領土問題に関する「学習指導要領解説」を改訂した。今回の高校教科書検定の結果は、新検定制度と「学習指導要領解説」が高校教科書に初めて適用された検定である。

追加された検定基準は①「未確定な時事的事象について、特定の事柄を強調しないこと」、②「近現代の歴史的事象のうち、通説的な見解がない数字などの事項については、通説的な見解がないことを明示し、子どもが誤解するおそれのある表現をしないこと」、③「閣議決定などの政府の統一的な見解や最高裁判所の判例に基づいて記述すること」の3つであり、追加した審査要項は「教育基本法の目標等に照らして重大な欠陥があれば検定不合格とする」である。2015年の中学校教科書検定に引き続き、検定基準の3つの新項目や新審査要項が厳しく適用される検定結果となった。

(2)安倍政権下での初めての高校教科書の検定は、政府見解を前面にしており、全体的な特徴は、アジア太平洋戦争などにおける日本の加害事実を矮小化させ、その記憶を薄めようとする文部科学省の意図が透き通って見える。文科省の意向を出版社側が過度に推し量り、また、新審査要項による一発不合格を恐れて、検定意見がつかないようにあらかじめ自主規制をして無難な記述にした。従来の検定・採択による教科書内容への介入に加えて、編集段階に圧力をかけ自主規制を強制するようになった。常勤の文科省職員である検定調査官による検定は、世界に例を見ない国家検定制度であり、国定教科書に近い国家による検閲、教育内容への政治介入である。

(3)検定で著しいのは、安倍政権やアメリカに対する配慮である。特に、安倍政権への配慮では、近現代の歴史について、日本の侵略・加害の事実を矮小化し、その事実を正しく学べないようにして記憶を薄めようとする文科省の意図がうかがえる。検定の具体的内容は、通説的な見解のない数字や領土問題を書かせた事例などがある。

例えば、関東大震災での朝鮮人虐殺者数、3.1 独立運動での朝鮮人虐殺者数(「軍隊・警察・自警団が、6000人以上の朝鮮人と約700人の中国人を虐殺した」)の検定申請本記述に対し、「6000人以上」を「おびただしい数」と修正させる。南京事件での中国人虐殺者数に関する記述(申請本の「20万人」を「おびただしい数」に改め、10数万、数万などの数字を列挙したうえで、ここでも「人数は定まっていない」と書き加えさせた)などの検定意見がつけられた。政府が通説であるかないかを決定し、教科書を修正させるのは、学問の自由、表現の自由への露骨な侵害である。

日本軍「慰安婦」問題については、強制はなかったとする政府見解を徹底して書かせている。実教出版は「政府、強制連行を謝罪」という見出しの河野談話を報道した新聞記事を掲載し、「慰安婦への強制を認め、謝罪した河野談話」とのキャプションをつけたところ、「慰安婦に関する河野談話」とのキャプションに変え、新聞記事も別のものに変えさせられた。第一学習社『政治経済』は、公式に謝罪したとの記述に、法的には解決済み、アジア女性基金の設立支援、償い金の支給、医療福祉支援事業などの記述を加えることになった。

(4)安保・防衛問題は検定でも重視されている。①安保法制に関して「戦後ずっと平和主義を国是としてきた日本が世界のどこでも戦争ができる国になるのかもしれないね」は「戦後ずっと日本の国是とされてきた平和主義のあり方が大きな転換点を迎えているといえるのかもしれないね」と書き換えられた(数研出版『現代社会』)。

(5)2013年第68回国連総会において、歴史教科書に特に焦点を定めて出された報告(A/68/296)の中でも、歴史教科書の内容は歴史研究者の選択に任されるべきで政治家が介入すべきではないとしている。これが国際社会のスタンダードであり、今回の検定は、日本の検定制度の問題性、すなわち独立した第三者機関ではなく文部科学省が検定を行うことの問題性が、「教科書検定基準」および「学習指導要領解説」の改訂とあいまって強く表れた。教科書で教えるのではなく、教科書を教えるという立場で、生徒に日本政府の見解を植えつける教科書検定が行われた。 日本の歴史・公民教科書は、国定教科書に限りなく近づいてきている。

6.育鵬社公民教科書と自民党改憲案の行方

衆参・3分の2改憲勢力確保により、安倍政権は、改憲野党・民進党巻き込みを図りながら、安倍首相の任期中の改憲を目指している。今後の改憲日程としては、危険な独裁条項「非常事態条項」等を含む「憲法改正案」国会提出→憲法審審議→衆参両院議員の3分の2賛成で原案可決→改憲発議・国民投票周知期間→改憲国民投票→過半数=改憲承認となるロードマップが描かれている。安倍首相は、「非常事態権限」を改憲のはじめの一歩にするとかつて言ったが、ドイツ・ワイマール憲法の改憲前に「全権委任法」制定によって、ドイツ市民の権利を全面的に奪いナチス独裁国家が作られていった過程を彷彿とさせる。

改憲国民投票に期待する意見もあるが、国民投票法は民意を反映できない危険なものである。安保法制発動による自衛隊の海外派兵を考えるとき、憲法審査会を監視し、民意を正しく反映しない国民投票に反対する運動を通じて、立憲主義・民主主義を拡大し、日本国憲法の理念を守り、さまざまな現場で憲法を活かす活動や地域の市民運動を強化することこそが課題である。

本稿の狙いは、文部科学省の教科書検定基準の改悪により、日本の歴史・公民教科書が限りなく国定教科書に近づいていること。2017年、戦後初めて、戦前の「修身」に近い「特別な教科 道徳」が新設され、小学校の道徳科教科書の検定・採択が行われ、戦後教育の大転換となること。そして、安倍政権の改憲路線に基づく育鵬社・公民教科書が、侵略戦争・植民地支配肯定の歴史修正主義教科書である育鵬社・歴史教科書とともに、自民党改憲案に最も近い教科書であること。国家に貢献できる人材づくりを目指し、改憲に向けての動きを作り出す道具として、子どもたちを改憲論に導くことに警鐘を鳴らすものである。ともに考えていただくことをお願いしたい。

おの・まさみ

愛知県元小学校教員。1948年生まれ。明治大学法学部卒業。著書『学習指導要領を読む視点』(共著・白澤社)・『新版・在日外国人の教育保障』(共著・大学教育出版)など。

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