コラム/関西発
追想・在日写真家曺智鉉さんと猪飼野
ジャーナリスト 秋田 稔
昨年末、大阪市生野区で「追悼・曺智鉉(ちょ・じひょん) 猪飼野(いかいの)写真展」が開かれた。
「猪飼野」は同区にある全国有数の在日コリアン集住地域の旧町名。大正末期、河川改修事業などのため済州島など朝鮮半島からの出稼ぎ者などが住むようになって以来、戦前・戦後を通じ縁故などを頼り多くの在日が集住。現在も大阪府の在日コリアンのうち、約4分の1が生野区で暮らす。「猪飼野」という旧地名は大阪市の地名変更で1973年に地図から消えてしまったが、「イカイノ」は在日コリアンにとって「日本暮らしの在郷の地」(金時鐘『猪飼野詩集』岩波現代文庫。同書のカバー写真も曺さんの作品)といえる。
イカイノのど真ん中にある御幸森(みゆきもり)小学校で開かれた写真展は、昨春77歳で亡くなった在日コリアン写真家・曺智鉉さん追悼の催しで、1960年代のイカイノをテーマにした彼の遺作を展示、地元小中学校の「民族保護者会」も協賛した。
曺さんは1938年、韓国済州島生まれ。祖国解放後、済州島で多くの住民が犠牲となった4・3事件が起きた1948年に、日本に住む父親を追って渡日し、猪飼野で長く暮らした。在日コリアン、被差別部落、日本と朝鮮半島の古代交流史などをテーマに、人権を希求する優れた作品を遺した。
1974年から6年間、故・土方鐵さんらと全国の被差別部落を取材した写真ルポを『解放新聞』に連載、『写真集 部落』筑摩書房、1995年に収録。さらに、今も根強い皇国史観を覆えすため、日本各地の社寺に残る朝鮮文化との深いつながりを掘り起こした作品は『天日槍と渡来人の足跡』(海鳥社、2005年)に収められている。
追悼写真展は、主に彼の写真集『猪飼野~追憶の1960年代』(新幹社、2003年)に収められた作品を展示。没後に見つかった約5000カットに上る膨大なネガの抜粋ビデオも上映した。これらの作品について、曺さんは「ぼくにとって猪飼野は育ての故郷であった。ぼくが(フリー写真家になりたての)27歳のときから、あしかけ5年にわたって、猪飼野の写真を撮影し続けた動機と活力は……猪飼野で味わった多感な少年時代の悲哀と、思春期に何度か体験した差別の記憶の、癒しがたい心の疼きと屈辱感であった」(写真集のあとがき)と回想している。
展示されたのは①平野川沿いで遊ぶこどもたち②キムチ用の白菜やモヤシの樽が並ぶ路地裏③永住権の取り消しを促す横断幕(写真はいずれも娘の曺智恵さん提供、転載不可)……など。
展覧会には地元関係者や、同校で開かれた全国人権・同和教育研究集会の分科会の参加者ら他府県を含め、6日間の会期中に延べ約5000人が訪れた。半世前のイカイノの街と人を活写した貴重な写真やビデオに、地元の二世や三世たちは「この辺でよく遊んだ。懐かしい風景ばかりだ」「このおばあさんは、もう数年前に亡くなった」「低湿地帯だから、あのころは大雨が降ると街中が水浸しになったり、ほんまに大変やった」などと回顧談にふけった。
地域外からの人たちも「時代を切り取った写真の数々は言葉以上の多くを証言している。南北対立の熾烈さを表すスローガン、地図から消されてしまった〝猪飼野〟という地名、ヘップサンダルの仕事、平野川を中心とする暮らし、チョゴリ姿で登校する民族学校の女子生徒……挙げ切れないほどの時代の証言に圧倒された」、「日本の敗戦の傷跡が大きく残っていた時代、いろんな事情で日本に移り住んだ在日一世、二世の方々の計り知れない、言葉に言い尽くせないご苦労と負けじ魂に、ただただ感謝の思いで胸がいっぱいになった。いまコリアンタウンが全国、海外からも注目されている。一世の方々の不屈の苦労が実を結んだ」など、多くの感想文を寄せた。
曺さんの作品から約半世紀――。イカイノは民族の違いを超えた住民の協力で、さまざまな困難を乗り越え、近年は地元商店街・愛称「コリアタウン」が観光客などでにぎわうなど、街の姿も大きく変わった。しかし近年、民族学校に対する補助金停止をはじめ、〝嫌韓流〟ブームや、排外的なヘイトスピーチの標的にされるなど、この街に対する有形無形の圧力も強まっている。こうした圧力を跳ね返すためにも、感銘深い写真展だった。
あきた・みのる
元通信社記者。自由ジャーナリストクラブ会員。『現代の理論』23号(2010年春)、25号(2010年秋)の『メディア時評』など執筆。
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