特集●歴史の転換点に立つ

壊れ始めた介護保険 この先の道は

シルバー・パワーの可能性を考える(その2)

大阪市立大学創造都市研究科教員 水野 博達

はじめに

前号「シルバー・パワーの可能性を考える(その1)」で、シルバー・パワーの可能性について以下のように述べた。

「かつて介護の社会化を求め、介護保険法の中にも取り入れられた『自立支援』の考え方に賛同した世代の多くが、介護を受ける側の年齢に到達した。続いて、戦後民主教育を受けた団塊の世代が65歳以上となった。他者に依存することなしに生き、生活できなくなった。人口のかなりの部分が、他者に依存することによって、自らの生を担保することが必要になったのである。私は、ここに未来社会への希望を見出したいのである。まさに、ピンチは新しいチャンスをもたらす!」

しかし、同時に、「もちろん、この可能性を主体的に現実の力に変え、社会変革に結び付ける営為なしには、未来を拓くことはできないことも確かだ」とも述べた。この可能性を現実の力にどう転換できるのかを検討するのが、(その2)に課せられたテーマである。

1.介護保険により高齢者を「受益者・消費者」として管理

まず、高齢者が社会変革の主体として、自ら考えたり、発言でき難くされたりしている現実を見ておくことから始める。

かつて高齢者(と言っても男性の高齢者)は、世間から、その存在自体が尊敬される対象であった。しかし、不断の技術革新による生産と消費を拡大させてきた資本主義的近代は、平均余命を飛躍的に延長させるとともに、人々の生活感覚から「敬老精神」を洗い流して来た。高齢者は、役に立たない古い技術・考え方の持ち主として、家庭のなかでさえも――家政や(孫の)子育て等についても――発言力を奪われ、社会から援助される社会保障の対象者へとその位置を移動させた。さらに、「大きな政府から小さな政府」のスローガンのもと、市場原理を組み込んだ新自由主義的な社会福祉制度の改変がそれに続いた。社会保障基礎構造改革議論を通じて登場した日本の介護保険はその一つの典型である。

筆者は、前回(その1)で、介護保険制度の15年間で、どの様な社会的な変化があったかを述べてきた。しかし、こうした社会の変動の下で、高齢者は、介護サービスを受ける「受益者・消費者」として管理され、その主体的な位置を奪われて来たことについては言及してこなかった。問題を明らかにするため、高齢者が主体性を奪われ、社会サービスを受ける「受益者」として一方的に見なされ、社会の動きから隔離されて来た現実をキチンと見ることから話を始めることにする。

まず、介護保険を中心とした高齢者サービスの在り方を批判的に検討してみる。

① 高齢者をサービスの「受益者・消費者」として管理する最初の関門は、「要介護認定審査」である。この関門をくぐらなければ、介護保険サービスは受けられない。「要介護認定審査」は介護保険受給の門番の役割を担っていると言える。

審査は、国が定めた幾つかのスケール――片足で立てるか、どれくらい助けなしで歩けるか、下のお世話はどうか等の指標――によって認定調査が行われ、そのデータがコンピューターの「1次判定ソフト」にかけられて要介護度1次判定が出される。その判定と先の認定調査を行った調査員の特記事項や掛かりつけ医師の意見書をもとに要介護度が認定審査委員会(一つのチームは、医療・福祉の専門家5人で構成される)で判定される。このスケールの設定の仕方や1次判定ソフトの設計によって実は、要介護度の判定が変動することや認知症の判定が迷走することは、認定審査システムの数度の変更の中で明らかになった。

問題は、認定審査のスケールや判定ソフトなどの技術上の問題ではない。介護保険を利用する上で、高齢者は、一方的に審査の対象に落とし込められることだ。自分の心身の状態への意見や欲しい援助に対する主張を語る権利の主体ではなく、介護保険制度の客体にされている。言葉を換えて言えば、高齢者を、それぞれの個人の心身の状態だけをその社会的属性などから切り離した(分割した)上で、要介護認定審査が行われるのである。

人は、ことに高齢者は、歩んできた人生が多様であり、その存在の在り方は当然多様である。その人が生きて行く上で欲しい援助は、同じ年齢・同じ要介護度であっても千差万別である。筆者は、こうした人間の多様性を踏まえたアマルティア・センの言う、各人が持つ権原に基づく「潜在能力」アプローチの考え方から見て、日本の要介護認定審査システムへの批判を行ったことがあるが、この批判は現状でも有効であると考えている。(注)

➁ 介護保険におけるケアマネージメントは、どうか。これも、高齢者を「受益者・消費者」として管理する役割を担っている。

周知のように、介護保険のサービスは、ケアプランに従ってサービスが提供される。ケアプランがなければ、サービスは受けられない。だから、ケアプランは、サービスを受けるための第2の関門である。介護保険が始まった頃は、障碍者の運動に学んで「マイ・ケアプラン」の運動もあった。高齢者とそれを支える家族などによって、自らのケアプランを、自ら作成する営みであった。

しかし、この運動はあまり広がることがなかった。なぜなら、介護保険制度と介護サービス内容及び介護報酬・利用料の度重なる変更によって、サービスの体系は複雑・多岐となった。現在、その「サービスコード」(介護等のサービス種別/要介護度/介護報酬単価を組み合わせたコード表)は、2万9千コード以上あり、ケアプランは、このサービスコードから、求めるサービスを週(7日間)毎に組み合わせて作成しなければならない。サービスの利用料と要介護度別に定められた利用限度額の調整もしなければならない。とても、一般的な家庭では、作成は困難となる。結局、専門のケアマネージャ(居宅支援事業者)にケアプラン作成とサービス提供事業所とのサービス調整をお願いせざるを得なくなる。

問題は、専門のケアマネージャである。この職種は、極めて多忙である。プラン作成だけではない。利用するサービス提供事業所との調整を行い、プランの微調整が必要となる。担当した被保険者の自宅(施設・病院)に1ヶ月に一度は訪問してサービスの適否、本人の状況を確認することが求められる。そして、月末にはサービス実施状況をチェックして、介護保険者(国保連)への報告を提出する作業が待っている。しかも、被保険者は、高齢である。日々容態が変化する。また、家族・家庭の条件が変わる。その度に、緊急対応が求められる。

限られた時間と権限、得られる少ない情報の中で、一連の業務をこなすことが求められる。高齢者当人の心身の状態や過去の人生経験、あるいは家族との関係などを深く理解する余裕はない。また、一般的には介護保険以外の地域や友人などの利用可能な社会資源の発見や開発などは、ほとんど可能ではない。結局、できることは2万9千余のコードの中から、(本人と)家族の指定するサービス利用の限度額を睨みながらサービスを組み合わせてケアプランを作り、事業所と調整することが精一杯となる。

こうして、国から求められているケアマネージャの現実の役割は、適切な「ケア」をマネージメントすることよりも、当人(と家族)の指定する支払い限度額の内にサービスを上手く調整することであり、サービス実施状況を保険者に正しく報告すること、すなわち、「マネー」をケアすることなのである。

ここでも高齢者は、保険サービスを受益する消費者であることが抽象的に確認されるのみで、多くの場合、ケアプランも家族の意向やケアマネージャの差配の内側に閉じ込められることになる。高齢者は、「贅沢は言えない。文句は言わない」つつましやかな被支援者の役を演じることとなって来たのだ。つまり、高齢者は、介護保険制度の前では、個人個人に分断され、制度が用意したサービスの範囲内で満足することが求められて来たのだ。

③ 介護保険は、施設収容型のサービスから住み慣れた地域で「その人らしく」暮らす在宅サービス中心という理念が謳われた。施設の問題に触れる余裕がないので、ここでは、在宅サービスの内、デイサービスの姿を検討することにする(ヘルパーの問題は、2の「生活支援」のところで述べる)。

デイサービスは、日中独居になったり、家族が仕事で介護に手が回らなかったりする場合、あるいは介護者のレスパイトなどのために利用される。多くは朝、デイサービス事業所から車の出迎えがあって、デイサービスセンターに出かける。体操をしたり、歌を歌ったり、ゲームをしたり、制作活動などの活動や入浴と昼食のサービスを受け、夕方帰宅する。

一般的に言えば、デイサービス利用者は、要介護度は比較的低い。介護者の少しの支えや指示があれば、自分で行動できる比較的元気な高齢者が多い。こうした元気な高齢者が、一日デイサービス施設に「隔離」されることになる。地域で自主的な活動や寄り合い場所があれば、そこに参加して地域の一員として仲間と関係を結ぶことができる。地方自治体や地域のコミュニティーは、こうした自主的な活動を創る努力を2000年以降止めてしまった。介護保険のサービスに依存して、独自の活動の創造・開発をして来なかった。結果として、地域の活動と人間関係の空洞化をもたらした。

デイサービス事業所の熱心な職員でも、施設に来ている時間を有意義に過ごしてもらうことに努力を向けるが、その人のデイサービス利用以外の家庭生活などに思いを致すことはないのが一般的である。 住み慣れた地域で「その人らしく」生活するという理念は、省みられることはなく、あたかもデイサービスで一日過ごす中に、その人らしさが実現されているかの如くである。その意味で、高齢者はデイサービスの「受益者・消費者」として一日管理されるのである。

2、介護保険の破綻を促進する新「生活支援・総合支援事業」

介護保険15年の間で、高齢者を権利の主体ではなく、「受益者・消費者」として管理するシステムを作り上げてきた。しかし、今、この管理システムの大きな柱であった介護保険が危機に瀕している。

2014年の法改定は、介護保険制度の崩壊の始まりを告げ知らせるものであった。今、全国で大きな焦点になっているのは、新しい「生活支援・総合支援事業」である。2017年4月から、要支援者向けの「訪問介護」(ホームヘルパー)と「通所介護」(デイサービス)を全国一律の介護保険事業から切り離し、市町村事業に移し、移管されたサービスを市町村の責任において、ボランティアなどの住民の活動を活用して簡素化し、費用を抑える仕組みを作り上げるという。

問題点は、幾つかある。

一つには、「生活支援」サービスへの理解である。厚労省は、これまでもホームヘルパーの「生活支援」(食事作りや清掃等)を切り詰め、削減して来た。その考えの土台には、この要素は、素人でもできるという理解がある。一人住まいや高齢者のみの世帯にとって、「生活支援」は、生きていく上での欠かせない援助である。単に家事を済ませば良いと言うものではなく、それらは、各世帯によって多様性があり、「生活支援」は家族との生きたコミュニケーションを伴う形でしか実現できないサービスである。つまり、一定の専門的な知識と経験が求められる仕事である。要支援者だけでなく、今後、要介護1、2の高齢者に対するサービスも介護保険から切り離していく先駆けであることが見て取れるので、各地でこの制度変更に様々な議論が巻き起こっている。

二つには、市町村の責任で実施する「生活支援・総合支援事業」を誰が、どのように担うのかという問題である。

2000年の介護保険制度施行以前は、高齢社会への対応として、各地で住民相互の見守り支援や近隣の「お互い様」の関係や高齢者の健康体操などのサークル的自主活動を自覚的に作り上げる努力がなされていた。また、住民による高齢者支援の自主的なボランティア活動も始まっていた。

しかし介護保険が始まると、こうした地域の「お互い様」の関係や、ボランティア活動は一掃されていった。気兼ねする近隣の「お互い様」の関係より、少しのお金でサービスを提供してくれる介護保険サービスへと人々は流れて行った。社会的な変動もあり、15年で、ほとんどの地域の人々の関係は空洞化してしまった。

国が言う「地域の力の再生」の条件のある地域は例外的である。「生活支援・総合支援事業」を支える住民自身のボランティア的な活動を期待できる地域は、ほんのわずかだ。だから都市の自治体などでは、結局、従来の介護事業者に、この事業委託をお願いする以外にない。「介護保険報酬の60%で、70%で、いや80%で請け負っていただけませんか。ヘルパー資格なども含めて規制は取り外します・・・」と頭を下げながら、様子をうかがっている。

他方、介護事業者側は、二の足を踏んでいる。これまでと基本的に同じ様なサービスなのに、報酬がガタ落ちになり経営が成り立たない。同じようなサービスを提供しながら、介護保険のサービス提供の60、70、80%の報酬で対応して、このサービスで働く場合には、従来の賃金を減額することは職場の混乱を招く。もし、事業所がこの事業を請け負って、働き手の時間給に差別を付けないとすれば、中長期的に見れば、現状の介護保険の仕事をする場合と新事業の仕事をする場合とを均した値を取ることにならざるを得ない。このことは、介護労働市場のリアリティーから言えば、新「生活支援・総合支援事業」は、現状でも低賃金・キツイ労働条件の介護労働者の賃金・労働条件をさらに引き下げる効果を持つことになる。

これでは、今でも介護の仕事についてくれる人材が枯渇し、劣化しているのに、この傾向は更に深刻になるであろう。

介護財源の枯渇・破綻を避けるために、要介護度の低い高齢者のサービスを保険制度から切り離して制度の持続性を確保しようとする厚労省の目論見は、介護人材のさらなる枯渇と劣化によって、手痛い反撃を受ける。人材問題は、制度そのものの破綻を促進することになるであろう。

三つには、介護保険の在宅サービスで空洞化した地域で新「生活支援・総合支援事業」を立ち上げていく中心的役割を担うコーディネーターの問題である。

現実に各地域で、この新事業を担う人材の獲得と養成も可視的ではない。要介護度の低い高齢者が地域でその人らしく生きていくと言うとき、それは、一方的にサービスを提供される受動的な位置にいることにはならない。お世話する人とお世話される人が、二項対置に固定された関係ではなく、活動の時間とテーマと場所等によって、相互に転換し合う能動的な関係にある時、人は、存在の確かさを確認・自覚でき、エンパワメントされる。昨日は、踊りで彼女がリーダーとなって皆を教えた。今日は、私と彼が詩吟を披露し主役となった、というような自律的で共同・協働の関係があって、老化防止にもなるはずである。

介護保険の市場化されたサービスは、高齢者を受動的なサービスの受益者・消費者に落とし込めてきた。新事業立ち上げのコーディネーターは、果たしてこのような反省をもとに「地域の力」の再生を組織できるのであろうか。高齢者が、生きる権利の主体として自立的に考え、発言し、行動する社会的力を組織することがそこでは求められる。つまり、本来のソーシャルワーク、コミュニティーオーガナイザーとしての活動なのである。そうでなければ、コーディネーターは、一握りのわずかな資源の配分を調整するだけに終わり、より質の劣ったサービスに不満を漏らさない高齢者を組織し、管理する地域社会の建設になってしまいかねない。

3.生きる権利の主体性をとりかえす回路は?

この15年間、高齢者を権利の主体ではなく「受益者・消費者」としての個人に分解して管理するシステムであった介護保険制度が揺らぎ始めた。それは、冒頭に述べた65歳以上の高齢者の世代論に加えて、高齢者が生きる権利の主体として自らをとりかえす大きな条件の一つとなる。

2014年の法改定は、介護保険制度の崩壊の始まりである。制度の危機的な転換点で、高齢者(利用者)も家族も、そして介護職員、さらには経営者も現状の問題を考えざるを得なくなっている。とりわけ高齢者の介護を受ける社会的条件が制限され、狭き門となっている。とするなら、この現状を共同の場で、集団的に考え、話し合うことを始めなければならないであろう。それは、高齢者を管理するシステムとして機能した介護保険を相対化し、その枠組みから一歩脱した立場を高齢者と人々が獲得する回路の発見・開発から始めることになる。

こうした立場を確保できる場や機会はどこにあるのか。

例えば、組織労働者であった人たちは、「退職者組合」を持っているであろう。そこがこうした課題を話し合う場になることは可能であろうか。退職者組合をキチンと持っているのは、大きな企業、官公労、自治体、教員の組織である。これまでは、年金も含めて多くは安定した老後生活を送れる階層が所属して来たことから、老後生活の破綻、介護不安と言った問題を真剣に検討することはなかった。しかし、今後もそうであり続けられるであろうか。その可能性を今、否定してしまうことはしないでおきたい。

こうした大きな組織が動きだす前に、共同の場を作りだす努力が要る。幾つかの可能な方法を考えて見よう。介護の社会化を求めて活動して来た「高齢社会をよくする女性の会」は、幾つかの地域で、20年、30年の地道な活動を積み上げて来ている。こうした経験に学び、例えば、数人単位の「高齢社会を考える会」を性別を超えて、かつての同僚や友人、あるいは、地域の仲間と作ることを考えてはどうであろうか。

また、街かどサロンやカフェの集まりに(+α)を付けることは、どうであろうか。これまで、趣味の集まりやおしゃべりで楽しく時間を消費する場であった場で、生活を語り、交流し、あるいは、相互に「お互い様」の関係を築きつつ、自らの生活と権利を考える活動に参加していくような工作は考えられないであろうか。すでに各地にある「認知症家族の会」の活動などとの連携ができないであろうか。

介護の社会化を求めた市民運動は、2000年を前後して市民・住民参加型の介護事業を立ち上げて活動して来た。この事業体とそこで働く職員と利用者、家族による共同の活動は構想できないであろうか。生活協同組合はこの問題に無関心でいられるか。

改めて考えれば、制度の危機的な転換点で、多くの人々は、黙って見過ごすことができない事態が押し寄せている。このことに警鐘を鳴らし、考え、行動する活動の中心になれる個人と組織はいたるところに潜在しているはずである。思い切って、少人数からでいい。勉強会、討論会、違った立場の人々・グループとのシンポジウムを開き、連帯と協働の輪を広げていくことは可能だ。

このような努力の中から、高齢者のサービス受給に矮小化されて個人の、家庭・家族の私的な問題として分断されて来た老後の問題や介護の問題を、高齢者の生きる権利の再確立の課題として、社会化・政治化できる可能性があると言えるであろう。

4、改革の当面の環は、地方自治の産み直し

ところで、介護保険の保険者は市町村である。保険者である市町村は、介護保険の事業計画を立て、介護保険料を議会に諮り決定して来た。介護保険は、地方自治・地方分権の試金石と言われながらも、現実は、国の統制・管理に――財務省と厚労省の政策に――従属した保険制度の運用であった。

高齢者保健福祉計画を含めた計画案を審議する市町村の各種審議会では、住民の意志・意見はほとんど取り上げない、取り上げようとしない形で運営され、審議委員の「御用学者化」「イエスマン化」が図られた。結局、各市町村は国の下請け機関化しただけだったとも言える。本来、住民自治が地方自治の基礎であるにもかかわらず、である。 

さて、その市町村に問題の新「生活支援・総合支援事業」が移される。上(=国)を向いて歩いてきた市町村が、責任をもって事業に当たらねばならい。否応なく、地域と住民と向き合わねばならない。この時、高齢者と家族が、住民が、介護労働者や事業者が、目を光らせて事態の推移を監視し、住民の要求・政策を持って対峙すれば、いい加減な審議会の審議は通用しない。すでに述べてきたように、「生活支援・総合支援事業」の在り方は、高齢者の在宅生活、地域での暮らし向きを制限し、さらには、介護労働市場に大きな影響を与える結果、保険制度全体を大きく揺さぶることになる。

各地の高齢者の生活実態、介護事業の実態、介護労働者の現実を踏まえた市民の要求・政策、あるいは、批判・疑問を市町村に提言して地方自治を住民自治の力で取りもどしていく回路がそこに生まれる。市民の要求・政策は、高齢者自身の生きる権利、自分らしく死の床につける尊厳に基礎づけられることでなければならないことを再確認しておきたい。

おわりに

高齢者の生きる権利の主体性を取り戻す回路について、3で、幾つか述べた。まだ、はっきりした形が見えている訳ではない。しかし、今年に入ってから、大阪では、介護問題に対する各種の討論会、シンポジウムが開かれ、異なった団体間の相互乗り入れや共同の議論も始まった。地域や職場、あるいは同業者の内外で自立的な小規模の集まりを無数に生みだすことが大切なように思われる。

かつて組合活動や社会運動、あるいは、遠く青春時代に学生運動や反戦運動、反開発の活動、女性解放運動等などに関わって来た世代の個々人が、こうした小さな集まりを作って話し合いや学習会を開く試みをできたら心強い。介護保険料金や利用できるサービスの点検、保険制度の今後、あるいは年金制度の動きなどを丁寧に話し合う。そこに、住民参加型の介護事業を展開しているメンバーや介護労働者、研究者などを招いて、議論を深めることを期待したい。大きな労組や既成の社会団体が、機能不全に陥っている今日、少数でも運動の核となるグループが、少しずつ横に繋がり輪を広げていくことが、高齢者自身の権利の主体性奪還を始めることになると確信する。人々は、いつまでも経済の成長の先に自分の幸せがあるという幻想に取り込まれ続けることはできなくなって来るであろう。

シルバー・パワーは、決して高齢者だけの利害を代表するものではない。そのことを述べて本稿を終えることにする。

【注】詳しくは、拙著「介護保険と階層化・格差化される高齢者」(明石書店、2015年)第2章(72頁~97頁)

みずの・ひろみち

名古屋市出身。関西学院大学文学部退学、労組書記、団体職員、フリーランスのルポライター、部落解放同盟矢田支部書記などを経験しその後、社会福祉法人の 設立にかかわり、特別養護老人ホームの施設長など福祉事業に従事。また、大阪市立大学大学院創造都市研究科を1期生として修了。現在、同研究科の特任准教授。大阪の小規模福祉施設や中国南京市の高齢者福祉事業との連携・交流事業を推進。また、2012年に「橋下現象」研究会を仲間と立ち上げた。著書に『介護保険と階層化・格差化する高齢者─人は生きてきたようにしか死ねないのか』(明石書店)。

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