コラム/沖縄発
『「海邦小国」をめざして』編集うらばなし
対話・沈黙・ずれ・共鳴
出版舎Mugen代表 上間 常道
本誌の執筆者でもある後田多敦さんから、この間雑誌などに書き溜めてきた歴史評論や時評などを一冊にまとめて出版したいという話を聞いたのは、昨年の秋ぐちだった。
もともと、ご本人がこの種の本、琉球歴史エッセー集とでも呼べるような本を刊行したいと言ってきたのは10年以上も前で、書き溜めた原稿を持参してきたので読ませてもらったが、その折には、「一冊の本として出すような内容ではない」と、かなり厳しく言って断わったいきさつがあった。後田多さんは沖縄タイムス社の後輩であり、また、私の友人である本誌前編集委員長の橘川俊忠さんの大学での教え子でもあるといったよしみもあって、多少厳しいと思うことばも投げかけやすかった。
「もっとチャンとしたものを書け!」 叱咤激励したつもりだったが、そのとき本人がどう受け止めたかはわからない。しかし、それから数年ほど経ち、私が出版舎 Mugenを立ち上げて編集・出版を手掛けるようになったころ、新たな原稿を持ち込んできた。本人はいろんな経緯から新聞社を自主退職した直後で、原稿を一読して「これは本になる」と判断して出版を決意したが、それからがたいへんだった。
事情があって、数十冊は特別に予定より刊行を早めてほしい、という。聞けば、香港の大学で開かれるアジア諸国の人文学者の集まりに日本代表として出席を依頼されたので、その手土産に持っていきたいという。日本代表に選ばれた話はここでは省くが、めったにない機会だし、沖縄人がアジア諸国の人文学者たちと交流を図ることは沖縄の今後のためにもプラスになると考えたから、極めてタイトなスケジュールをなんとかこなして、2009年11月に刊行したのが、『琉球の国家祭祀制度―その変容・解体過程―』である。
小社刊行物の第一号となった、私にとっても記念すべき本である。さいわい売れ行きはよかったが、現在は絶版状態で、古書店でしか手に入らない。それでも再版をしないのは、著者が琉球の国家祭祀制度について、さらに深い内容の研究成果を生み出すと信じているからで、それらが集積されたあかつきには、まったく新たな本として出版する構想である。
その後、後田多さんは拍車がかかったかのように、新たな著作をものした。それが『琉球救国運動―抗日の思想と行動―』である。東アジアが劇的に変化した19世紀末、近代日本が武力で強行した琉球国の併合、いわゆる“琉球処分”の実態と、それに抵抗した琉球人の思想と行動をテーマとした著作だが、清国亡命、南進貿易経営、徴兵忌避などの動きを細部に至るまで克明に描くことによって、かれらの行動がその後のアジア諸国で生起した“抗日運動”の先駆的形態であることを、はじめて明らかにした労作だった。
編集にあたってアドバイスしたのは、かれらの経済的・物質的基礎がどこにあったのかを明らかにすべきだという点だった。脱清人や琉球救国運動をテーマにした優れた研究はすでに存在していたから、それらの研究との差別化を図り、新たな研究水準を確保するには、この視点は欠くことのできない要素だった。しかし、研究のためのしっかりした資料は存在しない。毎日のように県立図書館へ通い、『琉球新報』など当時の新聞を丹念に紐解き、活字が滲んで読みにくいコピー版の紙面から主題に関連する記事を見つけ出し、それをかき集め、論理化する作業はそう簡単な業ではない。
それを持続できたのは、定職を持たずアルバイトでなんとか生活をつなぎながら研究を続けている、そのハングリーな精神が、脱清人たちの精神と深いところで共振したからかもしれない。そのころ別の仕事の資料探しで図書館を訪れると、郷土資料室の広いテーブルの片隅で新聞の読み込みに集中している彼の姿に出くわすことがしばしばだった。
2010年10月の発刊だから、『琉球の国家祭祀制度』からわずか1年後の刊行ということになる。いかに集中して作業したかがわかるだろう。この本は売れ行きが好調だっただけでなく、その内容の斬新さ、丁寧な資料収集と資料操作が評価されたのだろう、本人は母校の神奈川大学から博士号を取得された。そればかりではない。それを契機に、2015年4月からは母校で教鞭をとることになったのである。その間の本人の失意や落胆やあせりやらを目の当たりにしてきていたから、数年にわたる浪人時代に別れを告げ、ようやく定職に就けたのは、私にとってもうれしい出来事だった。
准教授に就いたこともあり、品切れ状態だった同書は2015年中には増刷した。
* * *
本人が神奈川大学に赴任した年の9月、わが社では真久田巧著『沖縄の芸術と文化 1999-2009―コラム「大弦小弦」より―』を刊行した。著者が主に学芸部記者として活躍した沖縄タイムス社を定年退職するにあたって、新聞に書き溜めてきたコラムを1冊にまとめておきたいという。「大弦小弦」は新聞1面下に掲載されるコラムで、沖縄タイムスの「天声人語」とでもいえるコーナーだった。
後田多さんにこの本を送ったところ、本人自身がかつてはこのコラムの執筆者だったこともあり、また、著者の兄にあたる真久田正さんはすでに若くして他界していたが、後田多さんとともに沖縄自立・独立派の雑誌『うるまネシア』などの編集同人であり、さらに同じ石垣島出身という繋がりがあって、すぐに反応があった。ブックデザインが気に入ったことも手伝ったのだろう、「こんなイメージの本が出したい」という。それが昨年の秋ぐちだった。
10年前に構想し、そのまま眠っていた本のイメージが改めて頭に浮かんできたのだろう。多忙な合間を縫って簡単な目次を添えた原稿類をデータで送ってきたのは、ことしの2月初めだった。
とりあえず目を通したが、雑多な主題の評論、エッセー、報告類がランダムに配列されているうえ、発表紙誌が多岐にわたっているため、あるテーマについては同じことを繰り返し蒸し返し論じている印象を受ける。あちこちで書いたものを集めて1冊にするさいに生じる難点であるとはいえ、くどすぎるので、そぎ落とす必要がある。原稿類は目次ではA、B、Cに大別されて振り分けられていたが、なぜそのように振り分けるのか測りかねたし、そもそも本のタイトルが示されていない。そのため内容構成をどうするかに多くの時間を費やした。
2月下旬、本人が帰省した折、そうした印象を述べ、タイトルについても相談した。そのとき、自身の口から「〈海邦小国〉っていうことばは使えないでしょうかね」という問いかけがあったが、即答はしなかった。〈海邦小国〉そのものを主題にしたエッセーや評論は全体の中でもわずかだったからである。しかし、このことばは10年前に出版を断ったさいに本人が示した本のタイトルの一部でもあったから、相当の思い入れがあることがわかった。
3月には別の本、儀間進著『ウチナーグチ考―沖縄のことばと文化―』の刊行で忙しく、間を置いたが、その後、本人の思い入れに応えるため、それにそった原稿の配列を図り、本人の同意を得て、発刊にこぎつけたのが本書である。
第1章:「海邦小国」をめざして、第2章:「海邦小国」思想の源流、第3章:「海邦小国」を阻むもの―批判論集―、第4章:「海邦小国」をめぐる諸相:①沖縄の「現在史」、②沖縄人の生きざま―で構成され、全35編が収録されている。
編集者として私が、本書の所論に全面的に賛成しているわけではないことはいうまでもない。とくにキーワードである「史軸」や「現在史」という概念にはゲラのやり取りをしながら意見を述べ合ったが、違和感が残ったままである。後田多さんが今後より明快に論じてくれるものと思っているし、そうしてほしいと願っている。
仕上がった本が届いたことを知らせるメールには、ジャケットのイメージが思っていたとおりだとの添え書きがあって、編集者として一安心した。
本書への編集者としてのオマージュは、オビ文にしたためたとおりである。最後にそれを掲げておく。
《沖縄―ヤマトの重層的な歴史的関係を無視して論じられるさまざまな言説を、「史軸」批評という方法にもとづいて鋭く批判、そこからこの東アジアに位置する島嶼群の「現在」を読み解き、あるべき姿を「海邦小国」ということばに託して透視する。“辺野古新基地建設問題”などアクチャルな課題の“根底にあるもの”を明かした評論集!》
ぜひ読んでください。
うえま・つねみち
東京大学文学部卒。『現代の理論』編集部、河出書房などを経て沖縄タイムスに入る。沖縄タイムス発刊35周年記念で『沖縄大百科事典』(上中下の3巻別刊1巻、約17000項目を収録)の編集を担当、同社より83年5月刊行。06年より出版舎Mugenを主宰。
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