論壇
宇沢弘文教授を追悼する
社会的共通資本論と人間の心
京都大学名誉教授 松下 和夫
はじめに
世界的な理論経済学者であり、社会的共通資本の理論を提唱して環境問題にも真摯に取り組まれた宇沢弘文東京大学名誉教授が2014年9月18日逝去された(享年86歳)。
宇沢先生は1968年にアメリカのシカゴ大学教授から東京大学の助教授として帰国した。私事ではあるが筆者は翌69年から宇沢先生のゼミで3年近く指導を受け、その後も折に触れ公私にわたり一方ならぬお世話になった。宇沢先生のゼミを選んだのは、ごく個人的な理由であった。高校時代に漢文を教わった黒須先生が旧制一高最後の卒業生で、宇沢先生と駒場寮で3年間過ごした親友であった。黒須先生から聞いた宇沢先生の人となりやエピソードが強烈な記憶として残っていたからである。それ以来宇沢ゼミと工学部で夜間に開かれていた都市工学科の宇井純助手を中心とする公害自主講座に参加することが私の本郷での毎週のルーティーンとなった。
振り返ると宇沢先生はまさに全人格的な教育を行っていた。毎週のゼミの後には必ず本郷のおでん屋や新宿の小さなスナックなどで延々と続く飲み会があった。当時宇沢先生は40歳そこそこで、すでに世界的な理論経済学者であった。学者として次々と最先端の研究業績をあげながら、学生に長時間向きあう知的能力と体力には今でもただただ驚嘆するばかりである。
飲み会はほとんど宇沢先生の独演会であった。独特のユーモアと茶目っ気にあふれたおしゃべりが深更まで続いた。ベトナム戦争に突き進むアメリカ社会への厳しい批判や、シカゴ大学でのかつての同僚で新自由主義経済学の巨頭であったミルトン・フリードマンの理論と、学者でありながら投機的な利益を求める彼の人間性に対する批判などの話題がしばしば登場した。
宇沢先生はアメリカで多くの優秀な学生や若い研究者がベトナム反戦運動に関わり国外に追われ、また傷ついていく姿に心を痛め、アメリカでの生活に苦悩を覚え日本への帰国を決意したと話されていた。しかし、高度成長の華々しい成果を謳歌していたはずの日本に帰ってきてみると、非人間的な公害問題や自然の破壊、とりわけ歩道も整備されない状態でのモータリゼーションによって危険にさらされる子供たちの姿に衝撃を受けた。その衝撃を自らの学問的営為に反映し、自らが関わってきた新古典派経済学の枠組みを根本的に見直す作業に正面から取り組み、社会的共通資本論の提唱に至ったのである。
ちなみにその後筆者は1972年に環境庁に入庁し、自然保護局で勤務することとなった。同じ年に自然環境保全法が成立し、自然環境保全審議会が発足した。当時の部会長は都留重人一橋大学学長で、宇沢先生を委員として推薦された。そこで、宇沢先生に就任のお願いに上がったところ、都留先生からのお話ならば、ということでご快諾をいただいた。
宇沢先生は審議会で毎回活発に発言された。当時の高度経済成長の時代を背景として、国立公園における開発案件、とりわけ観光道路の計画が目白押しであった。宇沢先生は観光道路開発のもたらす自然破壊や地域社会の分断などの弊害を力説されたが、結果として審議会では開発計画が次々と承認されていった。宇沢先生は開発にお墨付きを与える役割を潔しとせず、まもなく委員を辞任された。そしてその後一切の政府関係の委員会には関与されなかったのである(唯一の例外がその後の成田空港問題の平和的解決のための円卓会議への関与である)。
宇沢先生は、一貫してリベラルでアカデミックな環境をこよなく愛し、ともすれば「人間の心」を見失いがちな現代経済学のあり方を深く憂いておられた。近代経済学は、経済を人間の心から切り離して、ホモエコノミクスと呼ばれる経済人(経済合理主義的に活動する個人)を前提にして構成されている。そして現実の文化的、歴史的、社会的な側面から切り離して、経済的な計算のみに基づいて行動する抽象的存在としての人間を対象として、人の心について語ることは経済学ではタブーとなっている。
宇沢先生はこのような経済学の現状を批判的に再構築し、一人ひとりの人間的な尊厳が守られ、魂の自立がはかられ、市民の基本的権利が最大限に確保できるような安定的な社会の具現化という根源的な命題の実現に取り組もうとしたのである。これは経済学説史的には、アダム・スミスの共感(sympathy)を軸とした「道徳感情論」、ミルの「定常社会論」そしてソーステン・ベブレンの「制度主義」の系譜を引き継ぎ発展させたものである。
宇沢先生はまた理論経済学者には珍しく公害や自然破壊の現場に足を運ばれ、被害者や地域の人々の声に真摯に耳を傾けられた。「経済学者は現場を見ずに統計だけをみて、非現実的な仮定のもとに数式を書いたりグラフを書いたりする」との批判を宇井純さんなどから受け、それに対して誠実に対応された結果ではないかと私は推測している。
宇沢先生は2009年に環境問題のノーベル賞とも称される「ブループラネット賞」を受賞している。以下その受賞業績を紹介する。
宇沢教授の主な業績
宇沢教授はマクロ経済理論、経済成長理論、そして経済分析論などの分野で世界的にも先駆的な数々の業績をあげている。
一方、極めて早い段階から環境問題を経済学の視点から分析・提言し、気候変動問題などに対処する上での理論的な枠組みとして社会的共通資本の概念を提唱し、先駆的でオリジナルな業績をあげてきた。また、水俣病問題や成田空港問題の平和的解決などにも積極的に関与し、現実社会に誠実に向き合う経済学者として一貫して活動し、現代経済や文明に対する警鐘を鳴らし続け国内的にも国際的にも大きな影響を与え続けた。
ブループラネット賞の具体的な授賞理由としては、まず第1に、「社会的共通資本」の概念の提示があげられる。「自然環境、社会環境を経済理論の中にどう組み込むか」という観点から「社会的共通資本」の概念を早くから(1970年前後)考え始め、社会環境、自然、教育、医療といった領域を正しく基礎づける経済学の構築を目指した。
次に「社会的共通資本」の概念に基づく考え方をもとに当時の公害問題に取り組み、1974年に『自動車の社会的費用』を著し、自動車を利用することによって、自然環境や社会的インフラストラクチャーという社会的共通資本がどれだけ汚染されたり、破壊されたりしているかという点に焦点をあてた。そして、自動車の社会的費用の算出を試み、出版された『自動車の社会的費用』は、当時ベストセラーとなり、日本の社会に大きなインパクトを与えた。
3点目として「比例的炭素税と大気安定化国際基金構想」の提唱がある。現実に実行可能な大気安定化政策として、炭素税の制度化を主張した。ただし、一律の炭素税を課すと、国際的な公正という観点から問題があるだけでなく、開発途上国の経済発展の芽を摘む危険があるとして、その国の一人当たりの国民所得に比例させる「比例的炭素税」を提案した。さらに、先進工業国と開発途上国の間の経済的格差をなくすために大気安定化国際基金の構想を考え出した。
最後に「都市と自然のルネッサンス」への取り組みがある。ヨーロッパで起こってきた「都市と自然のルネッサンス」と呼ばれる「人間の回復」を目指した運動に着目し、日本でもこのような流れを起こすべく、研究に取り組んできた。
宇沢教授の業績の意義と意味
宇沢教授の「比例的炭素税」と大気安定化国際基金の構想は、熱帯林を保全し、地球温暖化防止を促進しようとする、国際的で且つ世代間や地域格差を配慮した理論的にも実際的にも非常に意義深い構想として多くの経済学者から支持されている。しかし、残念ながら現実の政策としてはまだ受け入れられるに至っていない。
この背景には、現在の主権国家を基本とする国際社会においては、課税権は個別の国家にあることがある。中央集権的な世界政府が存在しない状況で、地球的な課題の解決に向け、国際的な課税を導入することは、国際社会にとって大きなチャレンジである。こうした事情からこれまで宇沢提案は現実の政策としては受け入れられてこなかったといえる。ただし核の廃絶と同様に、それぞれの主権国家が合意すれば、国際的な課税も理論的には可能であり、こうした制度の実現に向けて粘り強い努力を続ける必要がある。
現実に超国家組織であるEUでは、当初地球温暖化対策としてEU共通炭素税の導入を目指し、長年にわたり協議を続けた。残念ながら合意に至らず、その結果、現在ではEU加盟国全体での排出量取引制度が導入される一方、それぞれの国では、温暖化対策税(または炭素税)や再生可能エネルギー導入促進策、政府と産業界の自主協定などを組み合わせた取り組みが行われている。
自然環境、社会的インフラストラクチャー、そして医療や教育などの制度資本から構成される社会的共通資本は、人間が人間らしい生活を営むために、重要な役割をはたすものである。これらは社会の共通の財産として社会的に管理していこうというのが宇沢先生の考え方だ。社会的共通資本は、市場的な基準や官僚的管理によって支配されてはならず、社会的な基準に基づき、それぞれの職業の専門家によって、専門的知見に基づき、職業的規律と倫理にしたがって管理・運営されねばならないとしている。
宇沢先生の提唱された「社会的共通資本」の概念は、政策の立案や選択のための重要な制度的、政策的分析の基盤を与えるとともに、新たな時代を切り開くパラダイムとなっているといえる。ただし、現実の社会において、それぞれの社会共通資本の管理の在り方をどのように設計していくべきかについては、今後の重要な課題である。
おわりに
宇沢先生は生涯一貫して人間に対して優しいまなざしを注がれた。稀代のヒューマニストであり、モラリストであり、ロマンティストであった。まさにアダム・スミスの提唱した「共感」度が極めて高い人であった。とりわけ社会で虐げられている人々の痛みを自分の痛みとして受け止められる方であった。それだけに人々の尊厳や自由や人権を損なう不正・不公正に対する強い怒りを持ち、徹底的な戦いも辞さなかった。一見過激な言動、やや奇矯と見える行動も、実は本人の思想と行動を一致させ、理論と実践の整合をとるための極めて素直な現れであったと理解できる。
今の時代に宇沢先生が遺したものは何だろうか。社会的共通資本である自然がますます失われ、地球温暖化がますます顕在化している今日こそ、そしてリベラルでアカデミックな雰囲気が社会から失われている今日だからこそ、宇沢先生のメッセージを受け止め、その志を引き継ぐことが求められる。とりわけ地球温暖化問題をはじめとする社会的共通資本の管理・制度設計は、心ある研究者・実務家・政策立案者が真摯に取り組むべき課題である。
まつした・かずお
1948年生まれ。京都大学名誉教授。(公財)地球環境戦略研究機関シニアフェロー、国連大学客員教授、環境経済・政策学会理事、日本GNH学会常務理事。専門は環境政策論、環境ガバナンス論。環境省で政策立案に関与し、国連地球サミット事務局やOECD環境局にも勤務。環境問題と政策を国際的な視点から分析評価。著書に『環境政策学のすすめ』(丸善)、『環境ガバナンス』(岩波書店)、『環境政治入門』(平凡社)。『地球環境学への旅』(文化科学高等研究院)など。
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