コラム/沖縄発
沖縄で短歌を詠むこと
課題は重く、大きい――強い意志と思索が求められる
歌人 名嘉真 恵美子
「短歌の言葉は社会の状況にいかに有効か?」沖縄の短歌を考える時、いつも突きつけられているようだ。
当然のことだが、短歌は個人の生活から発想され、感じ方や言葉が紡ぎ出される。生活と言ったが、沖縄の生活はわれわれの祖先から引き継がれた生活である。そこには時の政治状況や歴史や言語や文化・習俗と言ったものがからんでくる。その絡まったものが沖縄は日本の他の地域とは著しく異なったものになっていることは誰でも想像できる。沖縄の特異な生活の実感は共有されうるものだろうか。
例えば、私の住んでいる宜野湾市の水の問題である。生活に欠かせない水の問題は何より重要である。泡消火材に含まれているピーホスが北谷浄水場から水をひいている宜野湾市の水道水から見つかったということは私には衝撃であった。ピーファスやピーフォスについては最近よく話題になるが、私が注目したのは5年ほど前の事である。それはアメリカや日本の基準をはるかに越える数値だという。その基準についてはNHKの番組で取り上げていた話題で、折よく私は観ていたのであった。そのことを短歌雑誌に、短歌を書いてコメント数行という形だったが書いたことがある。
米軍基地があることは生活の中で慄然とすることが多くある。沖縄国際大学に墜落した軍用飛行機は2キロ先の事である。何時落ちてくるかもしれない飛行機の爆音に、玄関を飛び出て空を睨むことはたびたび。その他の事件として大きく新聞に載るような出来事を含め、自分にいつ起きるかもしれないこととして体で反応してしまう理不尽さをかかえ生きている。こういう感覚を日本の各地の人は共有できるだろうか。
このように沖縄の問題は県外の人と共有できない話題が多い。ここには現地に住んでいる人間の思いや苦しみや悲しみがある。
東日本大震災を題材にした短歌では、やはり直接被害を受けた人の作品が多く人の心を打つ。次はその人たちの作品である。(孫引きになるが「現代短歌」2021.5月号、「短歌研究2021.3月号から)
ありがたいことだと言へりふるさとの浜に遺体のあがりしことを 梶原さい子
雑食の蛸であるゆゑ太すぎる今年の足を皆畏れたり 同 上
水が欲し 死にし子供の泥の顔を舐めて清むるその母のため 柿沼寿子
生き残りしものの簡潔さよさまざまな器抱へて給水を待つ 佐藤通雅
「私はふつうの子ども産めますか」見えぬ被爆に少女は叫ぶ 芳賀ナツ
むざんやな をさなごの手にほのあかきヨウ化カリウム錠剤ひとつ 高木佳子
放射能運びくるなと疎まれし児に重なるをコロナ運び屋 波芳國芳
4首目までは地震・津波による被災の短歌で、4首以降が原発関係の短歌になる。どの短歌も一読してわかる内容だが少し解釈を加える。1首目、普通の生活では水死体は忌むべきものだが、大震災の時は遺体が上がってむしろありがたいことだという、そのアイロニーが悲しい。2首目、野菜などの風評被害が言われたがこの歌は風評とは違う趣がある。死んだ人の誰彼が見える現地だからこそ、更に、悲しみが募る。3首目、溺れて(だろう)死んだ子の顔を水がないので舌で清めている母の姿、その姿を見て「水が欲しいと願う主体(短歌の主語である私のこと。作者とも解釈できる)。4首目、やはり最小限のインフラは水である。水を求めて並ぶ多くの被災者の疲れた姿が目に浮かぶ。
5首目の少女の声は切実という言葉だけでは表せない。見えない放射能に多くの人が怯えた。何歳だろう6首目の「をさなご」は。手に渡されたうっすらと赤い錠剤を呑めと言われている。薬は年少の子どもには強いかもしれない、有効であると同時に毒性もあるのが薬、まさに「無残」である。7首目は過剰な反応から原発避難者に浴びせかける言葉や視線、それが今またウイルスへの反応となって同じように表れるという。このように、地震・津波・原発の短歌が通常の暮らしの営みの中から詠われて来る。
沖縄の場合はどうだろう。「原発」と比べてみると沖縄の短歌の特徴でありながら、よく題材にされる(題材とせざるを得ない)「基地」や「戦争」ははるかに可視化できない。1人1人の個人の生活から離れている。もちろん基地関係者はいるだろうし、その道の専門家はいるが、短歌を詠むこととは大方無縁の人だ。また戦争の経験者も殆んど亡くなりつつある今、戦争は記録になって残り実体験とは無縁になりつつある。
例えば少し古いが「短歌往来」2013年8月号から抽出してみる。
右へ左へ風に煽られ術知らず憲法九条風中に立つ 平山良明
祖国と呼びひたすら希いし復帰たり屈辱の日祝うニッポン 同 上
岩国はオスプレイいらぬと猛反対また普天間に十二機配備 比嘉美智子
沖縄は不沈空母の基地にして世界へ飛び立つ要塞となる 同 上
地上戦二十万余の「死」の意味を想う六月血のなみだ雨 小峰基子
日米の同盟の呪縛オキナワの基地は動かず六十七年 同 上
例に挙げた歌の他に充分いい歌もある作者たちである。しかし、こと「基地」や政治など機会詠となるとスローガン味を帯びてくる。この短歌の主体(「私」)は一人称の「私」ではなく「我々」である。個の生活からの実感とは言えない。これらの短歌はおそらくは報道による知識からくる危機感が先立っている。このような歌は他の沖縄の人にも多く見られた。(沖縄の短歌の問題点を一つ上げたが、他にもあるがここでは割愛する。)
そしてこの種の短歌は中央の歌壇からは評価が低い。
同じ雑誌に私は次のような文章を書いた。
沖縄は常に国の政治的動きに大きく関わっている。それ故、沖縄に生活する者の多く は(単純な言い方だが)国のあり方を意識させられる。一庶民の頭の収容量、能力をはるかにこえる問題、国とは何か、どうあらねばならないのか。いつもこういう場面に晒されているというのが沖縄の我々の現実生活であり、結局短歌や他の表現の場面でも、何かしらものを言わなくてはならない時に、政治的な話題がつい出てくるというわけである。
この思いは今も私の中にはある。だからオスプレイが頭上を飛ぶと怒り、祖国復帰は何だったのかという無念と怒りの綯交ぜの感情は私にもあるのである。それは他の本土の人たちとはちがうだろう。
しかし、政治は見えない。基地の中の動きも見えない。我々の生活とはかけ離れ、ときおり突出した事件―流弾が飛んでくる、軍用飛行機の墜落などーという悲惨さで我々の目の前に表れて来る。しかも、それらは沖縄の一部の地域の事である。
こういう題材でいかに他の地域の共感を得る短歌が出来るのだろう。沖縄の短歌の課題は重く、大きい。沖縄で基地や戦争の短歌を詠うということは強い意志が必要であるだろう。そして深い思索と知識も。
なかま・えみこ
1950年、沖縄県糸満市生まれ。琉球大学大学院卒。短歌結社「かりん」同人。歌集に『海の天蛇』(かりん叢書・短歌研究社、98年)、『琉歌異装』(かりん叢書・短歌研究社、2012年)。沖縄の日刊紙・沖縄タイムスで18年から歌壇選者をつとめる。宜野湾市在住。
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