特集●問われる民主主義と労働

個人に合わせた働き方が進むドイツ

ドイツにおける働き方改革―日本との違い

筑波大学教授 田中 洋子

働き方の根本的改革?

日本では政府主導の働き方改革が進行中である。ここ十年余りの間にワークライフバランス憲章の策定からパートタイム労働法、労働契約法、労働基準法など多くの法改正が行われてきた。2018年には時間外労働の上限規制を含む、多岐にわたる働き方改革関連法が制定された。2020年4月には正社員と非正規の「不合理な待遇差の解消を目指す」同一労働同一賃金の原則も大企業を皮切りに施行される予定である。

こうした政府からの働きかけや法律を通じた改革は、確かに大企業をはじめとする一部の企業の働き方を変えてきた。残業削減や有休取得の容易化といった変化が進んでいる所もあり、少しずつ改革が進んでいるとみることもできる一方、ソフトウェアの導入による管理方法の改良が中心になっている企業もある。「働き方改革」と銘打つだけの根本的な変化というよりは、従来の社内のやり方を法に合わせて微修正するにとどまっているだけのようにも見える。

こうした日本に対して、ここ十数年の間に、人々の働き方が目に見えて根本的に変わってきたのがドイツである。以前からドイツは労働時間の短さや休暇の長さなどで一般的に知られてきたが、最近のドイツの働き方の変化は、こうした従来の認識をはるかに越えている。

デジタル経済のもとで個々人が自由に時間を調整して働くという新しい時代の働き方を、ドイツはこの間すっかり一般的に定着させてきた。今ではあまりに日常化しているため、議論されることさえない。

個人が自分の働く時間をコントロールする働き方が広がったことは、ドイツの人々が仕事と自分や家族の生活とをうまく調整する可能性を大きく広げることになった。また、昨年の世界経済フォーラムの国際競争力レポートで、ドイツが技術革新力でアメリカを抜いて世界第一位になったことからもわかるように、こうした働き方のもとでドイツは競争力を保ってもいる。

ここでは、日本ではほとんど知られていない近年のドイツの働き方の変化を見ていく中で、どのような形で個人に合わせた働き方を拡大したことが生活と経済の余裕を生み出すことになったのかについて考えてみたい。

ゆとりをなくした日本・増やしたドイツ

ドイツに滞在していると、人々の働き方、暮らし方にゆとりがあることを実感する。ラッシュアワーは午後の4時頃からはじまるが、午後3時前後に帰宅する人も多い。その後は人それぞれ「人生を楽しむ」時間になっており、子どもと一緒に過ごす人もいれば、帰宅してから友人たちとビールを飲みに行ったり、家族とゆっくり食事してからコンサートやオペラ、サッカーを見に行く人もいる。日本のように時間や生活に追われている印象があまりない。勤務時間中のドイツ人は概してとても仕事に集中して働いている一方、職場の雰囲気は和気あいあいとした所が多く、働く人たちの人間関係やチームワークができている印象を受ける所が多い。

このことは最近行われた職場ストレスについての国際比較研究の結果にも表れている。1997年から2015年までの職場の人間関係を日米独英四カ国で比較した時、日本では経営者と従業員の関係がかなり悪い・とても悪いを合わせて、7.4%から12.9%に大きく増加したのに対して、ドイツでは7.6%から3.9%に減少した。同僚との関係を見ても、日本では四カ国の中でただ一国だけ、かなり悪い・とても悪いが3.2%から8.2%に増加したのに対し、ドイツでは2%から0.7%へと減ってゼロに近い。逆に上司との関係がまぁいい・非常にいいという人の割合は、ドイツでは9割近いが、日本では半分強にとどまっている。

これらのデータは、日本の職場ではこの20年近くで働くストレスが増加してきたのに対して、ドイツの職場では同じ期間にむしろストレスが減少し、ゆとりのある、いい雰囲気の職場になってきたことを示している。20年間で日独は対照的な展開をとげたのである。 

2000年から2010年代にかけての日本と言えば、過労死やブラック企業という言葉が社会的に注目され、格差社会、貧困、非正規雇用といった問題が大きく議論された時期であった。この20年間に日本では、働き方をよりきびしくすることで自分たちの余力を削り、より多くの人々の働く条件を下げることで、結果的に余裕を自ら奪う方向に進んできた。それに対して、同じ時期にドイツでは働き方を余裕のある形に変え、自分たちのゆとりを増やし、個人にも職場にも余力を与えてきた。

どうして日本とドイツではこのような分岐が起きたのか。ドイツの働き方はどこがどのように変わったのか。ドイツが日本と違う点はどこにあり、それはいかなるものだったのか。ここではこうした点について、1990年代以降にドイツで進んだ、個人に合わせた働き方の進展という観点から、以下の三つの概念・制度の普及を見ていきたい。第一に労働時間口座制度、第二に個人別労働時間制度、第三に時短正社員としてのパートの拡大である。現在のドイツでは新しいこれらの三つの制度がいずれも大きく普及しており、この点において日本との大きな相違が存在しているからである。

こうした働き方のもとでドイツの経済的競争力が損なわれなかったという点もあらかじめ強調しておきたい。一人一人の働き方の柔軟化を進めたことは競争力を低めなかったどころか、むしろ、これらの制度が普及した時期にこそ、ドイツは周辺国から「一人勝ち」と呼ばれて揶揄されるほど、イノベーション力・輸出力をはじめとする国際競争力を発展させた。EU経済の中軸国としての地位を保ち続けているドイツで進んだ働き方の改革は、この意味で、働く人と企業の双方にとってメリットがあった点は注目される必要がある。

景気変動と雇用量調整―労働時間口座の展開

ドイツで大きく発展した労働時間の管理運営方法の一つが労働時間口座である。日本ではあまり知られていない馴染みのない言葉だが、ドイツでは1980年代後半に導入されはじめ、2000年代以降現在まで広く普及してきた制度である。

労働時間口座とは、わかりやすく言えば時間ポイント制度である。残業時間を時間ポイントとして自分の時間口座に貯めたり使ったりできる。その職場の週労働時間が35時間だとすると、ある時期週40時間働いた時、その残業分5時間を口座に貯めておく。こうしてたまった時間ポイントは、事情があって早く帰宅したい時に使ったり、ポイントをためて休日にしたり、現金にかえたりできる。貯蓄がない時は逆に時間の前借りをして早く帰り、あとで残業をして埋めることもできる。

週5時間、月20時間のようにプラスマイナスの限度が決まっていて、最終的に1年間で帳尻を合わせる。その間に残業した部分は使った部分と相殺されるので残業代は支払われない。一時期忙しくて長い時間働いたとしても、その分そのあとどこかで休みを増やすことができるからである。労働時間口座を使うことで、残業時間をいろいろな形に変え、働く時間の柔軟化に役立てることができる。

これを企業側からみると、繁忙期がしばらく続いても残業代を支払うことなしに長く働いてもらうことができる。あとで仕事が減った時にその分の休みをとってもらうことで、残業代を相殺できるメリットがある。実際、労働時間口座の導入を積極的にはかってきたのは企業側であった。市場の変動や需要の波に対して、追加費用なく、また雇用人数を調整することなく対応することができるという利点を感じた企業や経営者団体が積極的にこれを導入し、結果、現在では250~500人規模の企業で85%、500人以上規模では9割の企業で活用されている。

この労働時間口座が最も大規模に活用されたのは、2008年から2009年にかけてのリーマン・ショックによる深刻な経済危機の時だった。この時ドイツは、「人を解雇するのではなく、時間を削減する」という方針をうちだした。政府と経営者団体と労働組合とが話し合い、労働時間の削減と柔軟化を行った結果、ドイツは解雇を避け、失業をほとんど出さないことに成功した。多くのヨーロッパ諸国が不況の中で若者を中心とした高失業率に苦しむ中、ドイツは雇用を丸ごと守ったまま、深刻な経済不況を乗り切ることができた。このことは後に、「雇用の奇跡」と高く評価されるようになっている。

この時に使われた時間削減の大きな手段の一つが労働時間口座であった。注文がこない、仕事がないという状況に対応して、職場では各人の時間口座にたまっていた貯蓄残高を休日に替えていく対応が行われた。多くの従業員が貯めこんでいた残業分の時間ポイントを、ここで一気に放出したのである。不況の長期化に際してはさらに時間ポイントの前借りを行った。これにより、企業側は従業員を解雇することなく大規模な需給変動に対応するとともに、従業員もクビにならず従来どおりの給与を受け取って生活の安定をはかれた。この時に、時間口座の使用を通じて人員の削減を行わなかったことが、その後の景気回復に伴う生産拡大への迅速な対応に大きく役立つことになった.

つまり、労働時間口座制度は、日常的、季節的な業務の繁閑に応じて個人の残業時間の増減を口座内のポイントのやりとりで調整するだけでなく、深刻な不況をはじめとする景気変動に対して、解雇を行わない形での雇用量調節を時間を通じて行う手段となっているのである。これにより、働く側にも企業にとっても、雇用と給与の安定を前提としながら、仕事の繁閑や個人の事情に対応して、一定程度働く時間を柔軟化できることになった。

一人一人で異なる働き方―個人別労働時間の展開 

労働時間口座以上に思い切って働く時間を柔軟化したのが、個人別労働時間制度である。これもドイツの多くの企業ですでに一般化している。

この制度はもともとフレックスタイム制度からはじまった。この点は日独で共通しており、日本でも1990年代初め頃、ものの豊かさより心の豊かさを増すための制度として注目され、多くの企業で盛んに導入された。しかしバブル崩壊後に不況が長引く中で注目度は落ち、2000年代から2010年代にかけてはフレックスタイムをやめる企業も増えた。最近になって再び導入が進んでいるとはいえ、現在まで日本での普及率は大企業で2割、企業全体では7%前後にとどまっている。

これに対して、ドイツではフレックスタイム制度の普及が進み続けた。1960年代から一部企業で導入されたフレックスタイム制度は、1980年代後半から1990年代前半に労働組合が労働時間短縮を強く要求した時、経営者団体の側が時短を認める交換条件として労働時間の柔軟化を要求したことをきっかけに大きく普及していった。つまり、決まった一律の労働時間に型通り働くのではなく、その時々の状況に合わせて、労働時間を柔軟に変える方がいいと経営者団体が希望したのである。

フレックスタイム制度が広がるとともに、現場でもう一段の労働時間の柔軟化が進んだ。出勤時間、退出時間が職場単位、作業チーム単位、さらに個人ごとに異なるという状況が徐々に一般化したのである。朝6時に全体会議を行い、かわりに日が高いうちに全員が帰宅するチームがあったり、午後1時から3時までの全員が出社するコア・タイム以外はいつ来て帰っても自由という職場も出てきた。こうした状況が何年もかけてドイツの企業の新しい「常識」になっていったのである。

2000~2010年代にはこれがさらに発展し、人事管理の新たなコンセプト、「人生対応型人事政策」が普及した。「人生のさまざまな段階に対応した人事政策」においては、人のライフサイクルや、個人や家族の事情・都合・希望に合わせて労働時間を調節できるようにすることが必要であるとされ、それにもとづいた個人別労働時間モデルが導入された。各企業の人事担当者にこのコンセプトが浸透したことで、多くの企業は積極的に個人の状況に応じた労働時間モデルをつくっていった。

例えば、この人は小さい子どもがいるので、保育園の時間に合わせて何時から何時までの勤務、この人は通勤に時間がかかる所に住んでいるから、この人は体調の問題があるから、など、個々人の事情や希望に合わせた形で働く時間を職場で相談して設定する。労働時間モデルは年々柔軟化の度合いを増し、きわめて多様である。ドイツ企業で、どういう形の労働時間モデルがありますかと質問すると、「うちの労働時間モデルは数百はあって、とても説明しきれるものではありません」、「一人一人違うので、個別にたずねてください」という答えがかえってくるようになっている。

このようにドイツでは、個人に合わせて多様な形のフレックスタイムが職場のデフォルトになってきた。フルタイム勤務であっても働く時間を一人一人の事情や希望でコントロールできるようになっている。ドイツではこれは「時間主権」と呼ばれている。こうした働く時間の多様化・柔軟化は、働く人にとっては生活やライフイベントに対応して働く時間を自ら調整できる手段として、企業にとっては、一律に働くより仕事を効率的に行える手段として大きく広がったのである。

時短正社員としてのパートタイムの拡大

最後に、大きな日独の差異としてパートタイムをあげておきたい。日本では2020年4月から「同一労働同一賃金」原則のもとで正社員とパートタイムの処遇の不均衡の是正がなされることになっているが、ドイツではこれがすでに以前から実現しているからである。

ドイツのパートは正社員である。もともとパートという言葉は、フルタイムの所定労働時間の一部の時間で働く人を意味するが、ドイツのパートはその定義どおり、フルタイムの労働時間より短く働く点だけが異なる正社員である。そのため、働く条件、処遇はフルタイムの正社員と等しい。

当然給与は正社員の給与表にもとづき、フルタイムの給与に働いた時間の割合をかけた分が支払われる。週40時間の勤務時間で、例えば午前中だけ働くなど週20時間働いた場合は50%になり、月水金の週3日だけ働けば60%、週4日働けば80%を掛けた給与となる。ドイツでは自分の働き方をこうしたパーセントで話すことが一般的で、 「自分は今60%で働いているけど、今度90%に増やそうと思う」といった会話がなされる。

パートの採用方法もフルタイムと同じで、採用面接の時に「あなたはフルタイムで働きますか、パートタイムがいいですか」と聞かれる。賞与や手当、企業内福利や研修なども正社員と同じで、すべての社会保険に加入し、労働組合にも入る。正社員なので当然無期雇用で、雇用も保障される。つまりフルタイムとパートタイムは同じ処遇なのである。

さらにドイツのパートの特徴は、2001年のパート法により、ありとあらゆる職業・職位の人がパートになれる点にある。そのため、例えば裁判官や検察官もパートで働いているし、外交官や官僚もパートで働く。銀行の副頭取やDAX企業の執行役員などの管理職にもパートの人がいる。

1990年代までのドイツでは、日本と同じようにパートは主婦が家計補助的に働く、賃金の安い低評価の仕事であった。しかしこの法律によってすべての人々がフルタイムからパートに移動できるようになり、パートの概念が根本的に変化した。現在ドイツのパートは、すべての人が自分の都合や希望に合わせて働き方を柔軟化できる手段として社会に広がっているのである。

この20年の間にドイツでは、時短正社員としてのパートが広がったことにより、人々が個人的な事情や希望に合わせた形で働く時間を短くできる、安定的で柔軟な働き方が広く定着した。さらに2019年制定の架け橋パート法により、フルタイムからパートに移動した後、また元のフルタイム職に戻ることのできる権利も法的に認められた。これにより、例えば子育てや病気、介護などでしばらく短時間だけ働きたいという人たちが、これまで以上に安心してパート勤務ができるようになった。正社員としてのパートという働き方は、ドイツの働き方や暮らし方にゆとりを生み出している一つの大きなポイントとなっているのである。

現場での働き方の改革

以上、ドイツにおいてこの20年間に進んできた企業・職場での働く時間の柔軟化について見てきた。日本の職場でストレスが増加していったのと反対に、なぜドイツではストレスが軽減していったのか、その背景には、こうした一人一人の状況に合わせて変化させられる労働時間制度があり、さらにそれが職場で調整され、実行されてきたという日常の積み重ねが存在していると言える。このことが個人の生活のゆとりを生み出したのはもちろん、新しい発想や創造力にもつながり、景気変動への対応にも使われ、また短時間で生産性をあげる効率性にもつながっていったと言えよう。

日本の働き方改革が、企業の管理業務の改善や形式的な労働時間削減など小手先の対応にとどまりがちであるのと比べて、ドイツでは明確なコンセプト、すなわち、「一人一人の状況に合わせた働き方の実現」という目的のために、企業・職場レベルで働き方の柔軟化を実行してきた。これによってドイツでは一律の働き方から個人に合わせた働き方へという、デジタル時代に合わせた根本的な働き方の変化へと進んでいると考えることができる。

ドイツでは、企業の都合だけに合わせた柔軟化ではなく、あくまで働く人個人の事情に合わせた柔軟化が行われている点にも注意が必要である。ここには、一人一人の希望を企業や職場で調整しやすくしたソフトウェアの進化があると同時に、政権政党を長く担う社会民主党、および労働組合や企業内従業員代表委員会という働く側の利益を代表する存在が、企業側だけの一方的な発言力を抑止する役割を果たしている状況があることが、働き方の柔軟化を働く人にやさしいものにしている要因となっている。

日本における働き方改革も、政府によると「働く方々が、個々の事情に応じた多様で柔軟な働き方を、 自分で『選択』できるようにするための改革」だとされる。この意味で日本の働き方改革はドイツにおけるそれと目的は同じである。そのために長時間労働の規制、同一労働同一賃金、正規・非正規雇用の待遇差解消など、この20年で拡大した労働問題の根本的な是正・改革という目標も掲げられた。とはいえ、これまでの政府からの改革のかけ声がどこまで企業・職場レベルで一人一人の働き方の根本的な改善につながっているかと問われれば、なお大きな疑問が残ると言わざるを得ないだろう。

日本はドイツと比べて働く人の発言権が代弁され、実現される仕組みが弱く、その分企業の短期的な利益だけが大きく前面に出て重視される社会になっているように見える。日本が働き方改革を本当に実行していくためには、働く人の発言権が尊重され、生かされる仕組みをつくり、企業・職場レベルで本当に根本的な改革を実行していく試みが必要となるだろう。

企業の目の前の利益だけではなく、長期的な社会のイノベーション力、持続的発展力を生み出していくために、働く人々のゆとりを生み出せるような利害調整能力を政治の側が発揮できることも重要となろう。2020年の今、長く続いた働き方を根本的に改革するためには、政策決定をいかに現場での実行メカニズムとして落とし込んでいくかについて、ドイツの改革も参考にした、より大きな発想の転換が求められるだろう。

たなか・ようこ

東京都生まれ。東京大学経済学部卒。同大学院経済学研究科博士課程修了。東京大学経済学部助手、筑波大学社会科学系講師・助教授をへて、現在筑波大学人文社会系教授。専門はドイツ労働経済史、資本主義化・工業化・グローバル化・デジタル化における企業と労働をめぐる社会経済史。主な著作に 『ドイツ企業社会の形成と変容―クルップにおける労働・生活・統治』(2001年ミネルヴァ書房)、「働き方の変化と社会的格差」(2010年『ドイツ研究』第44号)、「経済とケアの再設計」(広井良典編『ケアとは何だろうか』2013年ミネルヴァ書房)、「雇用システムの動揺と転回」(藤澤利治・工藤章編『ドイツ経済・EU経済の基軸』(2019年ミネルヴァ書房)等。

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