特集 ● 内外で問われる政治の質
BUND(ドイツ環境・自然保護連盟)との対話
政治・市民運動がもたらすドイツの脱原発過程と日本の福島原発事故復興との違いは何か
本誌代表編集委員・日本女子大学名誉教授 住沢 博紀
1.はじめに:福島原発事故をめぐる日独の対話
2.BUNDの2018年3月飯舘村での交流会:除染・帰村をめぐる議論
3.キーワードとしての被爆リスクと被災者・被災地
4.BUNDの2024年3月衆議院議員会館での報告:ドイツが脱原発を成し遂げた5つの要因
1.はじめに:福島原発事故をめぐる日独の対話
この3月、ドイツの代表的な環境保護団体であるBUND(Bund für Umwelt und Naturschutz Deutschland eV. ドイツ環境・自然保護連盟)が何度目かの訪日を果たし、3月10日には福島で原発事故被害者団体連絡会と交流会を持ち、また3月13日には衆議院議員会館で、立憲民主党の数人の国会議員や市民団体を交えた報告会を行った。報告会のタイトルは「原発事故から13年目の日本と脱原発を実現したドイツの経験」であるが、私はこのテーマを、原発など巨大テクノロジーに内在するリスクに対する、ドイツと日本の政治・社会的な対応の違いとして論じたい。
結論からいえば、原発などの巨大テクノロジーのリスクは政府や国が責任を負うべき第1級の政治課題であり、社会全体が関心を持って対応すべき問題である。ドイツではこの半世紀、そのように政府・政治(すべての政党で議論される重要課題)・社会(広範な市民運動)が取り組んできた。しかし日本は政治も社会も背景に退き、大企業(この場合は東電)Vs.被災地・被災者という「当事者間の交渉」に矮小化してきた。この日独の違いに見られる日本の政治と社会の「貧困」について論じたい。
今回のドイツからの訪問団は、フーベルト・ヴァイガー博士(元ドイツBUND代表)、リヒャルト・メルクナーさん(BUND バイエルン州本部代表)、マルティン・ガイルフーフェさん(同本部政策部長)の3名と、ベルリン在住で『現代の理論』の定期寄稿者、福澤啓臣さん(元ベルリン自由大学教員)の4名である。なおBUNDはグローバルな国際環境NGO、FeE(Friends of the Earth)の会員でもあり、その日本支部FeE Japanの吉田明子さんが全体を準備した。
BUNDの社会的な意義を確認するために、福澤さんが準備した、ドイツの環境保護団体の会員数と予算規模を資料として掲げておく。
環境保護団体 | 設立年 | 会員数 | 予算 | |
BUND | 1976 | 68万人 | 70億円 | ドイツ環境自然保護連盟 |
NABU | 1990 | 73万人 | 115億円 | ドイツ自然保護連盟 |
グリーンピース | 1980 | 60万人 | 120億円 | ドイツ環境自然保護連盟 |
WWF | 1963 | 60万人 | 172億円 | 世界自然保護基金 |
合計 | 261万人 | 910億円 |
予算規模からして、数百人規模の職員を抱えることが可能であり、これにボランティアの専門家や活動家が加わる。例えばR.メルクナーさんが代表を務めるBUNDバイエルン州をみても、26万6000人以上の会員とサポーター、6400人のボランティアと76の地域組織、さらにそのもとで活動する600の地区グループが登録されている。活動内容は、アルプス、エネルギー転換、土地利用、気候危機、農業、交通、自然と景観、動植物保護、環境政策、森林、経済と環境と多岐に渡っており、ボランティアも含めそれぞれ博士号などを持つ専門家が対応している。州の理事会は全員がボランティアからなる。
BUNDドイツの元議長、F・ヴァイガー博士は、2011年9月の福島原発事故後の明治公園でのデモにも参加しており、2012年の福島県内でのデモにはF・ヴァイガー博士とR.メルクナーさんが参加している。
さらに2018年3月には、この二人に福澤さんを含むグループが、福島県の飯舘村と浪江町や双葉町などの復興の状況を視察した。私も福澤さんにさそわれこのグループに加わり、飯舘村での「福島再生の会」の田尾陽一さんたちと意見交換する機会があった。この時の、日独の環境保護の市民運動を担う人々の発想の違いから議論を始めたい。
2.BUNDの2018年3月飯舘村での交流会:除染・帰村をめぐる議論
福島県飯舘村は、原発事故から40日ほどを経た2011年4月22日、放射線量が高いことから村全域が計画避難区域となり、この年の11月には、避難者数6,164人、未避難者数は13人(8世帯)という徹底したものになった。2017年には村内の大部分が避難地域解除となったが、2024年4月1日現在、避難者合計が3,092人(1,298世帯)であり、村内居住者は1,513人(807世帯)で、まだ3分の1ほどである(飯舘村資料)。世帯数と居住者数の比較からわかるように、多くは高齢者世帯であり、現役世代や子供は周辺地域から通っている。原発事故前は、「日本で最も美しい村」連合に加盟する、阿武隈系山地の高原に位置する風光明媚な地域であった。
2018年3月、DUNDのメンバーが訪問した折りには、1年前に一部を残し避難指示が解除されたばかりで、住宅地を離れた農地の片隅には、あちこちに除染土や伐採され焼却されたた樹木の葉の灰を詰め込んだ黒いフレコンバックが、整然と山積みされていた。また除染された水田では、作物を植え線量を調べる実験が行われていた。あるいは太陽光発電のパネルが設置され、地産型発電の可能性も追及されていた。ここで認定NPO法人「福島再生の会」の田尾陽一さんとBUNDのメンバーが意見を交換する機会を持てた。
田尾さんは、原発事故直後の2011年6月に18人の仲間とともに福島を訪れ、飯舘村では農業を営む菅野宗男さんの話を聞き協働に合意、放射線量の調査と除染方法の確立をめざし、「福島再生の会」を発足させた。物理学者や医療、経済など、元東大全共闘の研究者を中心とする18名は(うち5名は安田講堂の元被告であった)その専門性を活かし、飯舘村での放射線の詳しい継続的な線量調査、さらには数少ない住民の医療・健康診療などを県外からきて行った。2017年3月の避難指示解除後は、田尾さんは飯舘村に住所を移し、長期的な飯舘村再生をめざした活動をしていた。
環境省が4兆円をかけておこなった除染事業は、宅地・農地の表土5センチの剥ぎ取りや山砂覆土であり、人間の被ばく線量を年間20ミリシーベルト以下にするという目的であり、飯舘村の75%を占める山林は手づかずであった。10年たちようやく再生の出発点に立ったというのが、田尾さんたちの認識であった。1メートル立法のフレコンバックは飯館村だけで230万個、福島全体では2300万個であった。各市町村に作らせた仮設焼却施設とその排煙も、遠方から見ることができた。
自然の美しさとは対照的なこうした印象的な光景を見たBUNDメンバーから田尾さんへの質問は、次のようなものであった。線量調査や除染の重要性は理解できるとしても、そもそも福島や飯舘村の「再生」は可能なのか、汚染地域で人間の許容量まで除染しつつその地域で生き、再生を図るという努力は、原発事故のリスクを相対化するのではないか、あるいは放射線と共に生きるということはどのような意味での「再生」なのか、この地域に帰村者や新たな住民を呼び込むことの意義は何か、そして最後に、飯館村の避難指示が継続する長沼地域が汚染土の集積地域になる恐れのように、福島全体が汚染物質の中間貯蔵地域になるのではないかなどである。
私たち日本人は、広島・長崎への原爆投下、数多くの大地震や津波など、被災者あるいは被爆者、被災地域という言葉に慣れている。そしてそこからの復興をめざすことは自明のこととして受け入れている。被災した人々の生と生活の再生を願うことは、人間としてごく当然の思いである。被ばく地域の再生はあり得ないから、だからこそ原発は廃棄されなければならない、という発想は私たちにはない。BUNDのメンバーがこうした立場から質問したのかどうかはわからない。しかし1986年チェルノブイリ以後、ドイツでは経済的な合理性がないことや最終処分場も含めた核燃料サイクルがないことと並んで、こうした原発に対する根源的な不安が存在することも事実である。
大地震や津波など自然の大災害でも、被災者を生みだしたいくつかの人為的なミスは存在する。ましてや自然災害ではない福島原発事故において、こうした自然災害を想起させる言葉と並んで、原発自体のもつ大きなリスクや事故の場合の対応の在り方や責任の所在が論じられなければならない。原発事故から13年、日本では政治も行政もメディアも、責任の所在や原発存続の問題よりも、被災者、被災地の復興・再生の視点で論じることが多くなっている。
物理学者であった田尾さんは、福島原発事以前から日本の原発政策とそのシステムや推進する科学者の在り方には批判的であった。ただ福島原発事故の後では、それが明白な人災であることを強調しつつも、いま問われることは、原発の賛否ではなく、「自然の中に生きる村を再生したい村民と、将来像を共有し協働すること。この意味での自然との共生こそ本来の意味での再生であり、飯舘村は、21世紀の食料、エネルギー、超高齢化を解決する最前線」であるといっている。
もちろん福島原発事故後、政治・行政・産業・科学者・専門家の責任は問われなければならず、明治維新以来、富国・強兵、経済成長・科学技術振興を国策としてきた日本社会への根源的な異議申し立てであると、田尾さんは自らの活動を位置付ける。自然と人間の共生こそ21世紀の日本と世界の課題として、地域主体のネットワーク型連携を求める飯舘村が、日本の未来イメージの一つとして想定されている。
飯舘村を後にして、BUNDグループは、浜通りの南相馬市を経て、国道6号線沿いに双葉町から富岡町に向かい(途中、少し迂回して、殺処分を断り肉牛を飼育し続ける吉沢牧場を訪問)、その後葛尾村や川又町を通り福島市に向かった。国道6号線沿いの各種チェーン店の大きな店舗は雑草で覆われ荒れ果てており、途中のいくつかの集落の入り口も閉鎖されていた。こうして1時間近いドライブで、ゴーストタウンのような街も含め、人のいない集落が点在していることで、福島原発事故の被災地の規模の巨大さを改めて痛感させられた。
3.日本のキーワードとしての被災者・被災地
2024年3月、福島原発事故13周年を迎えて、テレビ局は色々な特集番組を組んだ。3月9日NHKスペシャルは「この海に生きる―原発事故、ある漁港の13年」というタイトルで、相馬市原釜漁港の父と24歳の次世代の漁師の話を、「処理水」放流と併せてドクメンタリーとしてまとめていた。
3月8日、テレビ東京の「ガイアの夜明け」では、浪江の棚塩工業団地に建設された、国内最大級の木材加工の工場において、福島の木材が大阪万博の巨大木材リングに使用されることが、「明るい未来」として紹介された。
3月9日、Eテレは「あぶくまロマンティック街道-故郷と原発事故の13年」というタイトルで、原発事故前と現在の写真を比較して昔の地域の姿をいつくしむ人々が映し出された。私たちがBUNDのメンバーとともに走行したルートである。
同じく3月9日、Eテレは「こころの時代」シリーズで、「185頭と一人 牛飼い吉沢正巳」という、浪江町で被爆した肉牛を活かし飼育することにより、福島原発事故の悲惨さを全国に訴える吉沢氏の生きざまが紹介された。吉沢氏の父親は満蒙開拓団に加わり開拓者精神にあふれた人であったが、国策に翻弄され二人の子供を連れ帰ることができなかった。吉沢氏もまた原発という国策に翻弄されながらも、生き物と生命の尊さを訴え続けたいという。
そしてNHKは、「サイエンスZERO」で、2回に分けて「原発事故2024 廃炉の最前線で何が」というタイトルで、汚染水処理をめぐる新しい実験と、廃炉の本丸としての燃料デブリの取り出しの現段階を紹介した。処理水放流の問題に関して、地元漁協の苦悩を紹介しつつ、解説者は「これは福島だけの問題ではありません」と最後に付け加えた。これはこの番組の最大の皮肉であった。なぜなら汚染水放出問題を、福島の現地漁協との交渉事項として描いてきたのは、日本の政府であり大手メディアであったのだから。
この福島原発事故をめぐる特集番組は、被災者・被災地の現状を報告することにより、日本の原発問題の抱える課題を意図せずして映し出している。それは「国策」としての原発推進と核燃料サイクルの推進の帰結を、被災者・被災地と事業者の関係に矮小化しているからである。
このことは福島だけの問題ではない。各地の原発再稼働の問題も、住民の避難計画の有無など、原発と地元という図式でとらえられている。政府・政治が当事者として前面に出るドイツとの大きな違いがここにある。小熊英二『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』(講談社現代新書 2019)を援用して、このしくみを分析してみよう。
小熊は日本社会の雇用構造を、大企業型、地元型(自営業・中小企業)、残余型(非正規など)の3類型にまとめる。そしてそれは教育、福祉など日本の社会構造の仕組みともつながる。この議論を原発問題に当てはめれば以下のようになる。
残余型は本来であれば市民運動の人々も該当するが、日本ではそもそも市民運動の発信は当事者の声とは見なされず、また分散させられている。そこで原発立地などで常に登場するのが、大企業(東電など電力会社)Vs.地元(農・漁協、地域の住民と自治体)という交渉図式である。この勝敗はその力関係からして最初から明らかである。電力労連や電機連合など労働組合側も企業別組合として大企業の利益と共存するから、この力関係の差は圧倒的である。
内閣府に設置される原子力委員会、また福島原発事故の後で環境省に設置され独立性の強い原子力規制委員会、さらには原発立地の自治体への電源3法交付金制度などの行政的枠組みはあるが、福島原発事故後、2011年5月、当時の菅直人首相が中部電力の浜岡原発の全面停止を要請し、その是非が議論されたぐらいだから、政治が前面に出ることはない(菅直人元首相は、このためドイツでは原発を停止させた首相として高く評価されているが、BUNDの3月13日の報告会では、出席していた篠原孝立憲民主党衆議院議員から、「停止ではなく廃止にすべきであった」と皮肉を言われていた。)。
この政治とはワンクッションを置く委員会や専門家会議や審議会などの行政的枠組み、あるいは当該大企業と地元組織との「当事者交渉」、こうした日本の専門家や現地任せのシステムが、福島の原発メルトダウンなど一国全体の安全を脅かす原発事故などの場合でも、国民的な議論を呼び起こす妨げとなっている。そして時の経過とともに風化してゆき、あとは被災者、被災地の問題となる。
ドイツのメルケル首相(当時)は、福島原発事故の報を聞き、新幹線を数分ごとに遅延なく進行させる日本においても、原発のメルトダウンが起きるくらいであるから、原発の安全性はドイツでは保障されない、として脱原発を決定したといわれている。しかしメルケルは誤っている。日本の正確性や安全遵守は、「想定内」のもと現場でのグループワークの力に負っている。「想定内を超える事態」にはそもそも対応できない。もっと重要な日本システムの欠陥は、専門家や実務家の「落としどころ」という暗黙の了解のもと、それを外れるようなリスクに関してはテーマとして採り上げられなかった、あるいは部外者の意見として無視されてきたことにある。
13年目を迎えた福島原発事故をめぐるテレビ報道で、3月2日に放送されたETV特集「膨張と忘却 ―理の人が見た原子力政策」が異色の出来であった。科学技術史家で九大教授の吉岡斉が、彼の参加した政府のさまざまな原子力関連の委員会や審議会での記録を、九州大学文書館に残しており、その吉岡文書やそれ以外の内部資料に基づき、NHK福岡が関係者にも取材しそれをドキュメンタリー番組として制作したのである。
議論の中心となるのは、青森県六ケ所村の核燃料サイクル基地の建設の継続をめぐる問題であった。高速増殖炉の建設が中止され、核燃料サイクルの実現が遠のくなか、2004年、経産省の若手官僚が「19兆円の請求書」という内部文書を作成し、委員の吉岡にも伝えた。六ケ所村の核燃料サイクルの総費用が19兆円に膨張することが見込まれ、その建設の中止も含めたシナリオが経産省内部からはじめて提示されたのである。後に原子力委員会委員長である近藤駿介元東大教授が座長となり、原子力員会に原子力長期計画委員会が設置され、この問題が議論されることになった。そして2005年に出された原子力委員会の原子力政策大綱では、その継続が明記され後に閣議で決定された。
しかしこの大綱がまとめられる1年前から、近藤駿介座長や経産省幹部、電気事業連合会、さらには自民党の部会などとの秘密会議が開催され、事実上の継続が決定されていたというのである。この資料をNHK取材陣に突き付けられた、元原子力委員会委員長、近藤駿介氏は、この事実を認めながらも、六ケ所村で地域の反対を押し切って始めた事業を、今では継続を望む地域の意向を無視して中止することは不可能であり、また核燃料サイクルがストップしてしまうと弁解している。吉岡がもとめた合理的な根拠に立つ議論が、まったく無視されていたのである。
この一度決定した事業を中止できないこと、その場合に、地域の利害関係者の存在を理由に掲げること、これらのことは日本の多くの巨大プロジェクトで、その目的や成果が客観的なデータや論理にしたがって議論されず、事業継続が自己目的となる日本社会の現状を見事に映し出している、そしてもちろん、福島原発事故もこうしたシステムから生まれた。これに対して、脱原発を成し遂げたドイツは異なる道を示している。それが今回のBUND報告会の最大の意義である。
4.BUNDの2024年3月衆議院議員会館での報告:ドイツが脱原発を成し遂げた5つの要因
BUNDが報告会において、「ドイツが脱原発や再生可能なエネルギーへの転換に成功した要因」として掲げるのは、以下の4つの要因である。
(1)2000年の再生可能エネルギー法
(2)風力発電(陸上・洋上)の大幅な拡大
(3)特に企業や産業部門における建物上での太陽光発電の導入
(4)市民の参加
であるが、私は
(5)政党間や専門家・メディア・さまざまな社会団体での脱原発に関する自由な熟議の蓄積と社会的な合意の形成
を挙げたい。(5)は、吉岡斉さんが望んだ「理」に立脚する専門家の熟議や、社会的な広がりを持つ真摯な議論を前提とするが、日本では無視され続けた項目である。
脱原発に限れば、1970年代からの市民による反原発運動、とりわけゴアレーベン最終処分場建設への反対運動、ヴァッカースドルフ再処理工場に対する現地闘争がある。さらに1986年チェルノブイリ原発事故とともに社会民主党も脱原発路線に転換し、脱原発の運動が政治的・社会的な大きな流れとなる。くわえて地球温暖化に対する再生可能なエネルギーへの転換が1990年代にはグローバルな課題とされ、ドイツでは1998年、社会民主党と緑の党の連立政権が誕生し、この二つの流れが法制化される。その一つが(1)の2000年再生可能エネルギー法である。
ドイツでは90年代から再生エネルギー電力供給法による、電力の買い取りを義務化する法律があったが、再生可能エネルギーシステムに転換させるには不十分であった。そこで再生エネルギーの優先供給と20年の買い取りを法制化することで、再生エネルギーへの安定した投資環境をつくり((2)の風力発電の大幅な拡大)、さらには(3)の助成金を伴う企業や産業部門での建物への太陽光電の導入により、中小企業にも電力コストの削減を実感させた。これらはその後、買い取り価格や買い取り量も実情に応じて(供給量の増大や発電コストの削減など)何度も改正されている。
この段階では、エネルギー大量使用大企業・原発賛成派の政治家や経済団体Vs. 地元型(工場の屋根の太陽光発電でコスト削減できる中小企業や地域発電自治体)+政党の多数派+市民運動という社会的な力関係となり、脱原発派の方が有利な立場にある。また電力会社に対しても、賠償費用などが合意されており、企業にとっても不利ではない。
もう一つは、2001年改正原子力法である。これは2022年までに既存の原発の運転を停止し、かつ新規の原発建設の禁止を決めたものである。しかし2009年、キリスト教民主同盟・社会同盟と自由民主党のメルケル政権ができると、再生可能エネルギーのインフラ整備ができるまでの移行措置として、1981年以降に稼働した原発の稼働時間を14年間延長した。
しかし2011年3月の福島原発事故により、メルケル政権は再び2022年、全原発の運転停止の路線に戻った。ただしウクライナ戦争によるロシアからのガス供給の停止とエネルギー危機に直面し、エムスランド原発の稼働を2023年4月まで延長した。与党の自由民主党や野党のキリスト教民主同盟からは、エネルギー高騰を受けさらなる延長の提言もされ、また世論調査でもこれに同意する意見もかなりあったが、社民党と緑の党は脱原発路線を守り抜き、2023年4月にはドイツは脱原発を実現した。エムスランドの原発は10年で解体される。
ここで(4)の市民の参加の意義を確認したい。冒頭の福澤さんの資料で分かるように、その動員力や組織力、それにさまざまな調査や提言ができる専門的知識、資金力など、日本と比較するとその差は一目瞭然である。しかしここで私が強調したいのでは、市民の内実である。
脱原発の市民活動を支えるのは、もちろん立地予定とされる地域住民もあったが、デモ参加者の多くは学生であり都市住人であった。日本でいう被災者も被災地もそして「当事者」もいない。しかし原発のリスクは普遍的なものであるから、その意味では市民も当事者である。この市民運動の理解は、残念ながら日本では一部の人たちにしか承認されていない。
石炭火力発電に関しては、最近、G7の環境大臣会議において、2035年の全廃を決められた。しかしドイツは2038年となっている。2つの旧東独州で、石炭産業と雇用と火力発電所の役割りがなおも大きいからである。地球温暖化の視点からは、脱原発よりも脱石炭火力発電を優先すべきであるという批判が、ドイツに向けられている。
おそらく、緑の党に加入した世代、あるいは広く原発のリスクをチェルノブイリで実感し市民運動に参加した人々にとって、脱原発が、持続可能な社会、安全・安心な社会を実現するための譲れない基本原則となっている。倫理的にも、制御不能な巨大テクノロジーに直面する未来社会というテーマは、多くの人々の不安を生みだした。そのリスクを事前に防ぐための実践的な枠組みつくりや法制化が、過去50年の脱原発運動であった。だから(5)の、政党や企業、様々な団体を含めた社会的な合意形成、こうした蓄積の上に、2023年4月の脱原発の完成がある。
3月13日のBUND報告会に出席していた篠原孝議員に、私は吉岡文書とNHK博多の報道番組に関して、国会で追及できないかと尋ねてみた。しかし篠原議員は、審議会や官僚によるそうした事前準備や数字の操作は常態化しており、特に珍しいものではないという事であった。統一教会問題や政治パーティー裏金問題で大きな展開が見られるように、一つ一つの事実の指摘と追及は、「落としどころ」や霞が関・永田町の常識を覆していく可能性を秘めている。吉岡文書とはそうした「理が通じる社会」を望んだ吉岡斉さんの、日本社会に対する遺訓の書とでもいえるのではないだろうか。
追記:BUNDの報告会のあと、いくつかのテーマで『現代の理論』として質問する機会を作っていただいた、フリードリッヒ・エーベルト財団東京事務所所長のサーラ・スヴェン上智大学教授に感謝したい。
すみざわ・ひろき
1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、フランクフルト大学で博士号取得。日本女子大学教授を経て名誉教授。本誌代表編集委員、(社)生活経済政策研究所監事。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。主な著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房、2003)、『脱成長の地域再生』(共著 NTT出版、2010年)、『組合―その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版2013年)など。
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